悪と全体主義―ハンナ・アーレントから考える (NHK出版新書 549)

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  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140885499

感想・レビュー・書評

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  • 第二次世界大戦中にドイツからアメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレント。彼女が執筆した『全体主義の起原』をはじめとした著書を通して、ナチズムやホロコーストを推し進める背景にあった社会の流れや大衆心理を説いていく。

    『蠅の王』(ウィリアム・ゴールディング)や『一九八四年』(ジョージ・オーウェル)を読んだときに感じた背筋がヒヤリとする感覚は、本書を通してかなり補完されました。

    ヒトラーが大衆心理を熟知し巧みに操り、自身の「法」に従うよう扇動していたのはその通りです。アーレントはさらに歴史的惨事が起こった時代背景として、政治や社会が混沌とし敵味方の見通しがつきにくい、将来が不安定、蔓延した閉塞感などを挙げています。そのような不穏な世の中にいると大衆は求心力のある「分かりやすい」対象・イデオロギーを求めるメンタリズムが働くと説きます。当時ドイツは近隣国から今まで経験のない圧を受け、国はそれに一丸となって対抗する必要がありました。連帯感・仲間意識を維持強化するための安易な近道は「敵」をつくること。つまり当時のドイツ政府は早急に国民の統制を取らねばと考え、その格好の対象となったのが国内の社会コミュニティのなかで異分子でもあったユダヤ人でした。彼らを大衆の憎悪の対象に仕立て上げ“排除”しようとすることで国民の足並みを揃えようとし、未曾有の殺戮へと繋がります。

    分かりやすくレッテルを貼り自分達の存在や立場を正当化する、善良性を証明しようとする行為は大小さまざまな規模で起こっています(子供のケンカから戦争レベルまで)。おそらく自分が自分らしくあるために人間に備えられた安全装置なのだと思います。無くなることはないでしょう。

    至って平凡に生まれ平凡に育ってきたと自覚している自分でさえ、大衆の渦に飲まれたときに冷静でいられるかと問われると自信がありません。
    本書を読む前は「歴史」に触れるつもりで手に取りました。しかし読み進めるほど本書で書かれていることは歴史ではあるけれど過去ではない、そして他人事ではないと痛感します。むしろ国内外問わず社会情勢としては当時の状況下とかなり共通点が多いのでは……と邪推するのは考えすぎでしょうか。

    memo:ハンナ・アーレント『全体主義の起原』『エルサレムのアイヒマン』など

  • 全体主義は突然変異だと思っていたのだが、ヨーロッパの歴史の中で産まれて来たのだとわかりびっくりした。アフリカを植民地支配したことにより優生思想、人種主義。金融業を独占していたユダヤ資本。国を持たない彼ら。歴史的に突き上げて来た差別意識が総合し、排他的というのか、あのナチスの全体主義が発生した。その中心を担った大衆の存在。ユダヤ虐殺の実行者の語った罪の意識の皆無。難しいが学ぶべきものが多い本であった。

  •  Kindleでセールしてたので読んでみた。本来であればハンナ・アーレントの原著を読んでから読むべきなのかもしれないが入門編としてオモシロかった。ナチスのユダヤ人迫害を取り上げて、そこから全体主義とはなんぞや?という説明・論考をしてくれていて大まかな全体像を知ることができた。そして単純な昔話ではないことも…
     ナチスはユダヤ人を強制収容施設に押し込んで機械的に虐殺した、この事実のインパクトがデカすぎて、どういう経緯でそうなったのかがあまり知られていないように思う。極悪!ナチス!っていうだけなら事態は簡単だけど、そんな簡単な話でもない。当時のドイツ人に蔓延していた陰謀論、周到に設計されたナチスの組織とプロバガンダなどが全体主義という考え方を育んできた経緯がある。その結果、道徳的人格(自由な意思を持った、自分と同等の存在として尊重し合う根拠となるもの)を破壊して、当事者たちが何も感じずに迫害できる状態まで持っていった。こういう細かい経緯を知れて勉強になった。また自分の歴史に対する勉強不足も痛感…世界史の授業とか意味ないなーと寝ていたあの頃の自分に真面目に聞いておけと言いたい。すべては過去から脈々と繋がっており、いきなり起こるわけではない。
     著者のまとめ方も意図的だとは思うけれど、最近の社会情勢と既視感があるのが怖かった。「ダイバーシティ」と口ではいくらでも言うけど日本の社会制度としてはほとんど変わっていないし、一方で特定の国家や民族に対して露骨なヘイトをぶちまける。分かりやすい敵を用意して、その敵へのヘイトで団結する場面はしょっちゅう見るので、それが全体主義の萌芽なのだとしたらそれはもう始まっている。だから麻生氏のナチスへの憧憬はもしかするとしっかり勉強した上での本心なのでは?と思ったりもした。
     終盤には悪法に対してどのように対応すべきか?というさらに哲学めいた話は出てきて興味深かった。虐殺を主導したアイヒマンは裁判で「自分はあくまで法律に従っただけでユダヤ人への憎悪など無かった」と答弁しており、その盲目な遵法主義に対してアーレントは疑問を呈している。人間にとって法とは何か?政治とは何か?理性的に考えて自発的に従っていることが自由であると著者は説明していた。またアーレントのこのパンチラインもイケてる。

    政治は子どもの遊び場ではないからだ。政治において服従と支持は同じだ。

     あと刺さったのは考えることの大事さ。人間どうしても分かりやすいものや同じ意見の人に惹かれるけど、自分が間違っていた場合に素直に正せる力が必要だと感じる。著者のこのラインは自戒の念をこめて日々反芻していきたい。

    私たちが普段「考えている」と思っていることのほとんどは「思想」ではなく、機械的処理。無思想性に陥っているのは、アイヒマンだけではないのです。

  • 読了。
    難解と云われるアーレントの著作を著者視点で解説。アーレントは、ドイツ憲政史上最も民主的とされたヴァイマル憲法下で、ナチスドイツが勃興した歴史的背景を紐解きつつ、アイヒマン裁判を通して「凡庸な悪」の正体を詳らかにする。そこにあるのは、複数性の重要性を軽んじ、無思想性の罪を自覚しない大衆への危惧だ。アメリカ、ヨーロッパ、そして日本に於いても、情勢の不安定化、不確実性の増加に伴い、より単純で、一見力強い主張が支持されつつある。アーレントが主張する「悪」は、善の対極というより、哲学的に思考することをやめた人が陥るものとしてイメージされており、今こそ「思想」、つまり哲学的思考が問われると再説されている。

  • 悪い本ではないと思うが、「結局エリート主義しかないのでは?」という問いには答えられていない。まあ難しすぎる問題ではあるが。ただ、この点を突破できないと今アーレントを読む意義を上手く説明できない気がする。

  • いまの本邦がかなり全体主義的な雰囲気に満ちているので、そこに引きずられないようにするための手がかりとして、また全体主義とは具体的にどういうことでどういう経緯で起こって、現在に至るまでにどう影響してきたのかが知りたくて読んだ
    読んでみて思ったのは全体主義は同質性に基づいているということで、やっぱり共感を重要しすぎてしまうと、自分と異なった意見を持つ人、それがエスカレートして自分と生きてきた環境や文化が異なる人を異質なものだと排斥してしまう可能性も充分にあって、自分と同じ意見を集めやすい環境ではかなり自覚的に気をつけなければなと思った。ハンナ・アーレント自身はナチスのユダヤ人迫害からアメリカに亡命してきた立場であり、本書でも彼女の著書や理論からナチスがユダヤ人にどういったことをしてきたのか、なぜそんなことになったのかを世界史の流れやドイツという場所の地政学的観点から論じていた。この地政学的な観点というのはなかなか出会わなかった視点でおもしろくて、もっとこういった歴史の出来事や流れを地政学的に分析した本とか読みたくなった
    また彼女の著書「エルサレムのアイヒマン」についても書かれている章があるのだけれど、迫害や虐殺というのはいかにも凶悪な人間がやるわけではなく、凡庸で誰でもしうるということが書かれており、昨今のガザの状況を考えると非常に示唆的でもあった
    敵か味方かなどの二項対立的な考えやわかりやすさを希求することが全体主義を引き起こし、それに染まる可能性があるとのことで、ネガティヴケイパビリティというか曖昧さや複雑さに耐え、自分と異なる意見を持つ人の背景を想像し、考えていく。地道にしっかりとそういう営みをしていくしかないのだと思う

  • ナチス全体主義の戦略的な均一化に対する、古代ギリシアにおける市民政治の複数性。言葉や教養を重視せず無思想であるが故に、不安から分かりやすい友敵の二項対立や陰謀論に飛びつく大衆、すなわち動物的なヒト。カント的法道徳を単に組織規律的に解釈したアイヒマンの従順な凡庸性。例外的な人間でなくとも社会的な悪につながることから人間の条件を考える。
    アーレントが著した『全体主義の起源』『エルサレムのアイヒマン』だけでなく、活動と複数性を議論した『人間の条件』や『革命について』にも触れ、アーレントの政治哲学を現代日本とも比較し解説した著書。
    "「政治」の本質は、物質的な利害関係の調整、妥協形成ではなく、自律した人格同士が言葉を介して向かい合い、一緒に多元的(plural)なパースペクティヴを獲得すること。"
    "アーレントのメッセージは、いかなる状況においても「複数性」に耐え、「分かりやすさ」の罠にはまってはならない──ということ"
    "「無思想性」と言っているのは、「複数性」が消滅しかかっている空間に生きているがゆえに、「法」や「道徳」など、人間の活動的生活にとって重要なものについて、別の可能性を考えることができなくなっている状態"
    "言語に関わる文法学・修辞学・論理学の三学と、数学に近い算術・幾何・天文学・音楽の四科です。これらを「自由七科(septem artes liberales)」と言います。英語だと〈seven liberal arts〉。「自由人=市民=人間」として必要な科目"
    "近代のヒューマニズム、普遍的な人間理性や人類愛を前提とするヒューマニズムが生まれてきたわけですが、後者のヒューマニズムは、「教養」、つまり言語を中心とした活動のための能力を鍛えなくても、人は分かり合える、共感し合えるという発想になりがち"
    "自分の依拠している政治的・道徳的原理を把握するだけでなく、自分と対立している(ように見える)人の拠って立つところも理解する訓練を積む、ということ"
    "肝心なのは、自分に敵対してくる人たちのうち、最も筋が通っていて、論理的に反駁するのが難しそうな人の議論に集中すること"
    "聞いていて辛い、と思えるような対立意見をよく聴き、相手の考え方の原理を把握する。そこからしか、アーレントの言う意味での「思考」は始まらないのではないか"

  • アーレントの思想を知る際に、最初に読むべき本。現代の文脈も挟まれており、分かりやすくて挫折しない。

    現代社会にも見られる「排外主義」は非常に恐ろしいイデオロギーで、そのことはまさにナチスの歴史を見ればよく分かる。陰謀に惑わされ、思考をやめてしまうことがどれほど危険なことなのか、アーレントによる全体主義の考察を読めば痛感させられる。

  • 全体主義についてハンナ・アーレントの著書に解説、考察を加えながら、ドイツやヨーロッパの歴史的、社会的背景の解説とともに論じられています。別の書籍の解説書的位置づけなので、教科書的な面があり、物足りなさを感じた。

  • ハンナ・アーレントの重厚な著作は、存在こそ認知しているものの手に取ったことがない。
    気にはなっている、しかし手に取るには様々な意味で重たい。しかし気にはなっている…
    そんな自分にとっては実にありがたい一冊だった。

    強烈なリーダーシップを発揮する独裁者が全体主義を作るのか?ここでは明確に「ノー」という答えが提示される。
    大衆の動きが作り出すものであり、またそのメカニズムに組み込まれた大衆はそのシステムから求められる行動が、規範が悪であるのかはもはや判定不可能になる。なんとも恐ろしい話であるし、遥か昔に片付いた話というわけではない。全体主義は隣で、自分の中で息づいているのだ。

    立ち止まって物事を捉える、Whyを問いかけ続けることの重要性に気付かされる一冊だ。

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著者プロフィール

哲学者、金沢大学法学類教授。
1963年、広島県呉市に生まれる。東京大学大学院総合文化研究科地域文化専攻研究博士課程修了(学術博士)。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。難解な哲学害を分かりやすく読み解くことに定評がある。
著書に、『危機の詩学─へルダリン、存在と言語』(作品社)、『歴史と正義』(御 茶の水書房)、『今こそア ーレントを読み直す』(講談社現代新書)、『集中講義! 日本の現代思想』(N‌H‌K出版)、『ヘーゲルを越えるヘーゲル』(講談社現代新書)など多数。
訳書に、ハンナ・アーレント『完訳 カント政治哲学講義録』(明月堂書店)など多数。

「2021年 『哲学JAM[白版]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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