マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する (NHK出版新書 569)

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レビュー : 3
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140885697

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  • 本書のメインは、新進気鋭の哲学者と呼ばれるマルクス・ガブリエルをNHKが「欲望の時代の哲学」というテーマで番組を作るために日本に呼び、東京・大阪・京都を回りながらインタビューをした内容を書籍化したものとなる。また、ロボット工学で有名な石黒教授との対談も採録されている。
    冒頭、NHKの番組制作チームは、その際のマルクス・ガブリエルに対して、次のように語る。

    「ともすれば、「机上の空論」というイメージを持たれがちな「哲学」の概念そのものを解体し、人々が自らの頭でものを考える喜びを取り戻してもらうべく、様々な場へと行脚を続け、移動しながら考え続けるその姿はさながら、知の整体師」ー 知の整体師って何? それが誉め言葉なのかどうか、少し茶化しているようにも思える。

    まず全体の印象から入ると、内容は陳腐と言わざるを得ない。マルクス・ガブリエルが、学問的にどれほどの実力があるのか、彼の提示する新実在論がどれほど新規性があるのか、はわからないが、少なくともこの本からはそれを全く感じ取ることができなかった、逆に、マルクス・ガブリエル自身がここで伝えるべき深みがないことを知っており、そしてかつNHKのディレクターもそれを知りながら、「欲望の時代」というテーマに都合のよい発言をしてもらえることもあって、それをよしとするようなある種の共犯関係にあるのではないかとも思わせる。

    こういうシチュエーションになると実際ますます、ガブリエルの言葉はどこか、ちょっと偉そうな保守的なおじさんの説教にも似てくる。
    また大きな問題として、彼のインターネットやIT技術に対する考えの相当保守的な傾向を挙げることができる。
    「僕はインターネットについて、けっして、悲観しているわけではない。ただ僕は、ソーシャル・ネットワークの存在について悲観的なんだ。それは、軍事を背景として生み出されたものの一つだと言えるから。だから、SNSについては、僕は積極的になれない」ー ここには事実誤認(インターネットは軍事利用を背景にあったかもしれないが、明らかにSNSはそうではない)と論理の飛躍(軍事利用が背景にあったから嫌だというのは論理的ではないし、民事利用に転換されて平和的に役に立っているものなどゴマンとある)がある。さらに、「僕はそれらを「告知」の道具としてのみ使っているんだ。... それを超えることについては、法律的にも禁止すべきかもしれない」と言うに至っては、本気であれば知的にも常識人としても問題がある人なのではと思われても仕方がない発言だと思う。

    この人のIT技術に関する知識自体もどこか偏っていて、「コンピューターは根本的なところ、論理の構造を明らかにするチューリングという哲学者によって発明され、構想されたものなのだ」と言う。それが、その前後に何らかの説明があり、ここに置かれるべき正当性があるのであれば、よいのだが、どうでは全くない。洞窟のイデアを持ち出して、「プラトンはシネマという概念を発明しただけじゃなくて、インターネットも発明したといえる。 ...プラトンはそれを「イデア」と言った。それがインターネットの由来だ」と言うに至ると、もう哲学についてよくわかっていない人を煙に巻こうと考えているだけなんじゃないかと思われても仕方がないのではと思う。これでは、読者との間の信頼関係を取り結びようもないし、どうやら著者にその意思もないようだ。

    だから、石黒教授と対談をしても、どこか噛み合わない。そんな中で、意識の理論でジュリオ・トノーニの統合情報理論やアラン・チューリングを持ち出して、コンピューターの意識の話をするのだからちぐはぐな会話になる。

    全体として、マルクス・ガブリエルは、おそらくは道徳を救うという前提において、一定の結論ありきで論理を組み立てている。
    「「子どもを拷問すべきではない」といったような絶対的な道徳的事実があるということを直ちに証明する。だがもし一つの道徳的事実があるとすれば - 今提示したけれども - 絶対的な道徳的事実が存在するということと、道徳的相対主義は正しくないということがわかる」 - これらは「絶対的」というほどのものではない。そもそも、それが道徳として許される社会は想像可能だし、実際に嬰児を殺す選択が親に許されている社会も実在している。「子どもを拷問するな。最低な両親でなければ、親を尊べ。嫌なヤツじゃなければ、隣人にはよくしろ。多くの事実がある、明らかな道徳的事実が。今提示したとても単純なものたちだ。人を殺すな。だから、これらの道徳的事実がある」- いずれも「絶対的」などと言えないだろう。そもそも彼自身が提示したものでもそれなりのあやふや条件(嫌なヤツでなければ、など)が付いている。それを安易に絶対的に道徳的だなどと言わないことが哲学という名では許されている規範だと思っていたのだが。
    ホロコーストは事実としてあったし、ポル・ポト政権の虐殺も事実としてあった。ソ連の強制収容所は事実としてあったものだし、ルワンダの部族虐殺も事実としてあった。パプアニューギニアの食人は事実としてあったし、ブラジルのヤノマミは事実嬰児を殺している。過去、日本でも合戦で敵の捕虜は殺されたし、他人の責任を取って切腹して自害を強制されたこともあった。世界でも過去、中国でもエジプトでもおそらく多くの人が供犠として死を強制された。少なくとも道徳的事実は絶対的ではなく、歴史的なものであり、社会的なものであることは疑いないものだ。しかし、ガブリエルはどうやらそうは考えていないらしい。ゲイや障害者の権利を本来持っていたものであり、古代の人はその「事実」を知らなかっただけだという。不変の倫理があり、哲学はそれを発見していくものだと考えているらしい。先の例でいうと昔の人や未開の島では倫理がわかっていなかっただけだと言いたいらしい。
    もはや、もしこの本と『なぜ世界は存在しないのか』に書かれていることがおよそすべてなのであれば、ここにあるものは単に、説教臭い道徳に対して、頭のよい学者がヨーロッパの哲学を一通り勉強して都合よく当てはめただけのものなのではないかと思える。

    そして、東京、大阪、京都を周り、勝手に思い付きのように語る日本に関する評価も、少しも面白いところを感じなかった。東京は「美しい人」だけが生き残っていく街だとか、前後の文脈を含めても何を言い出しているのか意図が取れない。「これも言い過ぎではないと思うけれども、僕が提示するアンソロジーは「ハイデガー + 日本的思考」、あるいは、ハイデガーからヨーロッパ中心主義的要素をなくしたものに近い、と言えるかもしれない」と無防備に言うが、言い過ぎという表現の話ではないのかと思う。渋谷のスクランブル交差点を見て大仰に「僕の哲学の中で「意味の領域」と呼ばれるものに合致している」と言うにあたっては言説の安売りというべきか、テレビを前にして受けを狙ったサービス精神なのか、いずれにせよ意味がまったくわからない。

    「世界は存在しない」という根源的で、また論理に徹した考えから主張をしているのであるから、こういう場においてももう少しは原理的な観点からの発言をしてほしい。例えば、「もしヒトラーと僕が互いの言葉に耳を貸すとしたら、僕は話す言葉を選ぶだろう。そして合意点を見つけることもできると思う。彼に「ユダヤ人を虐殺すべきではない」と理解してもらうこともできると思うんだ」と言った時点であるべき慎重さを完全に失っている。ガブリエルは、科学的自然主義による相対化に実際的な異議を唱えて、今の社会を世間的に受け入れられる形の道徳を哲学的な意味づけを振りかけて提示することに徹しているのではないのだろうか。そして、それが「良い」ことだとおそらくは認識しているように見える。

    この書評の最初に、ガブリエルとNHK制作チームは共犯関係にあるのではと書いたが、むろんNHK制作チームもそのことを意識している。制作統括の丸山さんが担当した終章において、「今回の政策チームは、「ガブリエル教」の信者ではない」ということと「「新実在論」を無批判に信じているわけではない」と前置きする。また、ガブリエル本人に「哲学界のロックスター」とラベル付けし、ガブリエルも「ゲームに乗る戦略も必要だ」と返している。その中で西田幾多郎の『善の研究』を持ち出したのは、彼の真摯さにも思える。「「欲望の時代」の柔らかな戦い方」と題されたこの終章は、制作チームにとっても、書かれなくてはならなかったものなのだ。ガブリエルは、どうもこの世界の中で消費されてしまいそうな様子なのだが、それも含めて柔らかな戦略なのだろうか。そうであればハードな振りをするのは止めてもらいたいのだけれども。


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    『なぜ世界は存在しないのか 』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4062586703

  • 2019年の1冊目。ポストモダンとして、政治経済の分野でネオリベラリズムを作り出し、現在の世界に重大な影響を与えている相対主義と社会構成主義、これらに異議を唱える新実在主義。人がどうすべきかということに関する道徳的事実を含めて、事実は存在して、それらは普遍的である。そして、それはすべての人に開かれている。人類には、地域的な文化の違いはあっても、深い違いはない。
    AIの進化は、この新実在論が正しいことを明らかにするのだろうか。いくつかの分野で議論されている倫理の問題、この新実在論はどのような影響を与えるのだろうか。

  • 外国人が調子に乗って、適当に日本を語っているように感じて不愉快。

    1章は、本人のモノローグで、何を言ってるのかわからない。
    2章は、講義形式で、少しはわかる。
    3章は、対談で、かなりわかる。

    おそらく、言外の意味がドイツ語やドイツ文化と日本語日本文化とは異なるので、この人の言葉だけで語られると、意味が通じないのだとおもう。

    で、いらつきながら読み終えたが、だから何なのという気持ちにしかならなかった。

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著者プロフィール

丸山 俊一(マルヤマ シュンイチ)
NHKエンタープライズ制作本部番組開発エグゼクティブ・プロデューサー
NHKエンタープライズ制作本部番組開発エグゼクティブ・プロデューサー
1962年長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。「英語でしゃべらナイト」「爆問学問」「ニッポンのジレンマ」「人間ってナンだ?超AI入門」「ネコメンタリー」他、異色の番組を開発し続ける。早稲田大学、東京藝術大学で講師を兼務。著書『結論は出さなくていい』(光文社新書)、共著『欲望の民主主義 分断を越える哲学』(幻冬舎新書)他。

「2018年 『欲望の資本主義2 闇の力が目覚める時』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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