- Amazon.co.jp ・本 (197ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140885970
作品紹介・あらすじ
クラシック音楽は第一級の歴史史料だ!
お上品な芸術も、ときには戦争によって進化を遂げた。そんな「不都合な真実」からクラシック音楽の歴史をながめてみれば、驚きの事実が次々と立ち上がってくる!『第九』を作ったのはナポレオン? 私たちが『四季』を聴けるのはムッソリーニのおかげ? 博覧強記の著者が大胆に料理する、「世界史×音楽史」の新教養。
感想・レビュー・書評
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戦争や革命といった集団による社会的活動と音楽との関係について述べている。
厳密な記述ではないので、読み流す程度ではあるが。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この本の内容はカルチャーセンターでの講演だという。
ラジオでの、あのバカ丁寧な(失礼!)、でも前のめりになって迫ってくるような、独特な語り口が彷彿とする。
それは今、「クラシックの迷宮」を聴いているから?
それはともかく、企図は音楽史を政治史に関わらせて読み解くことだろう。
モーツァルトのトルコ趣味も、墺土戦争、オスマントルコのウィーン包囲の影響があること。
ベルリオーズの幻想交響曲や、ベートーヴェンの第九にも、フランス革命や、その後の自由主義思想が反映していること。
オーケストラの楽器編成(特に金管楽器)にも、国民国家の軍隊が出来上がる時代の要請に応じたものだというところは特に面白かった。
そうか、それでスラブ諸国やロシアの作曲家の曲であんなに金管がバリバリ鳴るのか。
こういったお話だったが、断片的には今までにも片山先生の番組で聞いてきたことかも。
番組や講座だと、ここは実際に音源があったのかな、と想像されるところもある。
「ジャンジャカジャン」は片山センセイ、歌ったんだろうな、とか。
逆に文字だと、複雑な近代史を何度も確認できていい、ともいえるかな。 -
ある音楽が生み出される時、それは純粋にみ作品のみが創造される、ということはなく、特に時代背景としての革命・戦争、あるいはそこから導き出された思想の影響が色濃く反映される。
作曲家といえど、ある時代を生きた生身の人間であり、周囲の社会情勢が、程度の差はあれど、彼らの生み出す作品に投影される。これは当たり前のことながら、こと18世紀・19世紀のクラシック作品について、こうした見方で深くとらえたことはなく、それゆえ非常に興味深く読めた。例えばモーツァルトの“ジュピター”などは、その勇壮な曲の出だしについては、当時オーストリアがオスマン帝国と戦争をしていたことが影響しているのではないかと筆者は説く。もちろん、こうした背景を知らなくてもその作品は十分に感動をもたらすものではあるが、このような背景を知ることによって、より一層作品への親しみがわき、曲に、作曲家に一歩近づけた感を強めてくれるのは間違いない。
特に1789年のフランス革命が大きなポイントであるとわかった。烏合の衆である市民、群衆、暴徒を秩序立てるために生み出された“ラ・マルセイエーズ”を始めとする歌、音楽。その時代の流れが、ハイドンやベートーヴェンの作曲過程において、新たなアプローチを生むに至らせた。こうした視点で、今一度彼らの作品に触れてみたくなった。 -
著者はラジオ「クラシックの迷宮」の解説をしており、その独特な切り口と番組構成には、毎回驚かされる。そこで選曲された曲は珍しい曲、マイナーな曲が比較的多く、曲自体の魅力に気づかされることが少なくない。他方、曲の合間で加えられる講釈も楽しい。本書はいわばその解説パートに特化したものといえる。
一読してわかったことは、市民革命が先行し、新しい聴衆となる層が多くなると、その層に好まれる曲想や曲の役割が付与されていった、ということだ。ベルリオーズの幻想は、フランス革命後の貴族でない市民に受け入れ、ラ・マルセイエーズを歌った軍隊は強くなった。またベートーベンの曲と種々の革命は密接に関連している。今年はベートーヴェン生誕250周年であり、例年より彼の曲を聴く機会が多い年となる。当時のそうした社会情勢を意識し、新しい響きを求め続けた音楽上の革命に注視してみたい。 -
著者の専門分野である政治思想史と音楽を重ね合わせたもので、世界史の頭の中の再整理もできて非常に面白い。
オスマン・トルコの影響は、言われてみるとそのとおりだが、見落としがちの視点。 -
またも現代史ではなく近代史のお話か、と思ったら、今回は片山先生の大好きなプロコフィエフやハチャトゥリアン、そして伊福部昭とも通底するネタでありました。
菊地成孔のテーゼがジャズ=踊るための音楽なら、片山杜秀のテーゼはクラシック=行進のための音楽、というところか。