残酷な進化論 なぜ私たちは「不完全」なのか (NHK出版新書 604)
- NHK出版 (2019年10月10日発売)


- 本 ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140886045
作品紹介・あらすじ
ヒトは心臓病・腰痛・難産になるように進化した!
複雑な道具を使いこなし、文明を築いて大繁栄した私たちヒトは、じつは「ありふれた」生物だった──。人体は「進化の失敗作」? ヒトも大腸菌も生きる目的は一緒? 私たちをいまも苦しめる、肥大化した脳がもたらした副作用とは? ベストセラー『絶滅の人類史』の著者が「人体」をテーマに、誤解されがちな進化論の本質を明快に描き出した、知的エンターテインメント!
『絶滅の人類史』著者、待望の新作!
心臓病・腰痛・難産になるようヒトは進化した!
最新の研究が明らかにする、
人体進化の不都合な真実──
「人体」をテーマに進化の本質を描く
知的エンターテインメント
・ヒトのほうがチンパンジーよりも、じつは「原始的」だった!
・ヒトは腸内細菌の力を借りなければ、食事も1人でできない!
・人類よりも優れた内臓や器官を持った生物は山ほどいる!
・生物の寿命も進化によってつくられた!
感想・レビュー・書評
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残酷なのは、大脳や二足歩行を得た事で犠牲にしたものもあるからだ。人間は非力で身体を覆う毛量も少なく、脳の維持のために大量のグルコースが必要だ。それに腰痛や心臓病は進化の代償であるらしい。それだけではない。進化は直線的ではなく、我々は最上ではない。個々の生物が環境にあった選択圧の中で最適化されている。人類こそ頂点であるような錯覚もまた、残酷な事実なのかもしれない。
本書はそうした事実を人間の身体機能について分かりやすく解説するだけではなく、他の生物や自然環境についても、平易で分かりやすく説明してくれる良書である。
例えば、「肺」の誕生について。
消化管の壁には、食物から栄養吸収するために血管が通っている。食物の代わりに酸素を飲み込めば、どうしても少しは酸素が血液に吸収される。呼吸に十分な量の酸素を吸収するのは無理だとしても、全く酸素を吸収しない消化管は無い。つまりもともと消化管には栄養とともに酸素を吸収する機能もあったのだ。硬骨魚では心臓が酸素不足になるため、この消化管の酸素吸収能力が役に立ち始めた。より、多くの酸素を吸収できる個体が、自然淘汰で増え始め、肺が誕生したのだろうという話。
あるいは、オシッコ論。
私たちが食べる有機物の多くは、糖と脂質とタンパク質である。糖や脂質が分解されると、主に二酸化炭素と水が生じる。毒性は無いので、捨てるときにも問題は無い。一方、タンパク質には必ず「窒素」が含まれていて、それを最も単純な化合物のアンモニアにして捨てる。しかし、アンモニアは毒性が強いが水に溶けやすいため、魚類がアンモニアを捨てる分には問題は無いが、陸上で生活する動物はそうはいかない。窒素をアンモニアではなく、それより毒性が低い尿素にして捨てる必要があった。尿素は、アンモニアより水に溶けにくいため、大量の水が必要になる。そのため私たちは、毎日たくさんの水を飲む必要があるのだ。
さらに毒性が低く、水もほとんどとん要らない化合物がある。尿酸だ。鳥類は窒素を排出するのに水を少ししか使わない。尿酸を糞に混じって排出している。白くてドロりとした部分がそうだ。爬虫類もそうだ。そもそも鳥類や多くの爬虫類には膀胱がない。
上記は本書の面白さの一部だ。人間の身体は本当に「不完全」なのか。ならば、完全とは何か。本書にヒントがあるかも知れない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
腰痛、難産などの不都合を抱える人体。だがそれは必要な進化だった。
そもそも生きる・死ぬとはなにか、進化はなんのためにあるのか…。
【生きているとはどういうことか】
ではまず「エネルギーを吸収している間だけ一定の形をしていて(散逸構造)、ときどき同じものを複製する」とする。するとガスコンロや台風なども「生きている」と表現できることになる。
いわゆる生物は、細胞膜とか皮膚とか何らかの仕切りで外の世界と区切られている。
つまり何らかのかたちで膜に包まれた有機物ができて、ある程度長く存在して、複製する散逸構造を持ったものができた、これが生物。
すると、生きる構造になった結果、生物が生まれたのだから、生きる意味とかは「生きること」そのものになる。
…というように、哲学的な話になってきた。面白い。
【進化は一方向でも、ゆっくりでもない】
進化の速さはまちまちだ。何万年もかかる場合もあれば、数世代で遺伝子が広がることもある。
さらに進化は進むだけではなく、その時時の環境により戻ったり進化の方向が変わったりする。
自然淘汰が増やす形質は子供を多く残せるということ。そのため子供を残せない年齢になっても関係はない。進化と個体の利害関係は一致しない。それなら子供を残せない年齢になった個体が快適な老後を送る努力をするのは進化と戦うってこと。
【方向性選択と、安定化選択】
方向性選択:有利な突然変異が起きると、自然淘汰はその突然変異を増やすように作用する、すると生物の形式が一定方向へと変化する。進化のアクセル。
安定性選択:不利な突然変異が起きると、自然淘汰はその突然変異を省くように作用する。不利な形質は平均から外れたものが多いので、これを省いても集団としての形式は変化しない、むしろ変化させずに安定させるように作用するという、生物を進化させない力。進化のブレーキ。
【身体の進化】
❐腎臓
血液中の老廃物を尿として捨てる器官。
生物は、有機物を食べて文化敷いてエネルギーを得たり、体の材料にする。その有機物が寿命となったら体の外に捨てなければならない。分解されるときには窒素が生ずる。窒素化合物をなにかにして捨てるのに一番簡単なのはアンモニア。だが毒性があるので捨て方を考えなければいけない。アンモニアは水に弱いので魚は水を体内に取り入れてアンモニアを体内で溶かしてから鰓から排出すれば良い。
陸上生物の場合は、窒素をアンモニアを尿素に合成して捨てている(※オタマジャクシはアンモニアを排出、カエルになると尿素を排出になるんだそうだ、ふーん)。
ここで進化の矛盾が生じる。尿素はアンモニアより水に溶けにくいので、大量の水を体内にいれなければいけない。つまり、水中生物が陸上生物になり水がないから尿素排出するように進化したのに、そのために水を飲まなければいけないということになったんだ。まあしょうがない。
窒素をどのようにして排出するか、ということで、進化の道筋の系統に分類される。
❐消化管
生物は要するにボールの中に管が通っているようなもので、その管が消化管。消化管の内側は唇や肛門により体の外とつながっている。だから消化管は体の外だって言える。
さて、口から入った食べ物は消化管で消化・吸収し、残ったら便で出す。そして腸内には1000兆個もの腸内細菌が住んでいて、便の大部分は腸内細菌の死骸であったり消化管から剥がれた粘膜細胞(食べ物の残り滓は半分未満)。
腸内細菌と生物とは共存関係にある。生物は腸内細菌に住処と栄養を提供し、腸内細菌は生物の消化を助け細菌から守ってくれる。
しかし腸内細菌たちも栄養が必要だ。だから生物は食べた物を自分自身の栄養にはなるが、腸内細菌に横取りされないように分解しなければいけない。
❐脊椎
脊椎の役目は、中枢神経である脊椎を守ること、体を支えること。
生物が水中にいた頃は、重力が弱いので、骨は体を重力から支えるというよりはカルシウム貯蔵庫であったのかなという研究がある。そのカルシウム貯蔵の役目は脊椎になっていった。さらに運動により筋肉を動かし、水中生物を泳がせることもできる。
現在の人間は、陸上で、二足歩行しているので、重力から体を支えなければいけない。
こうして人間の現在の脊椎の姿になるまでには、形や役割を変えさせてきた。
現在人間が腰痛に苦しむのは(これを書いている今も私は腰が痛い)、脊椎を上下に立てて重力を支えさせているからだ。しかし脊椎だって、下のほうが大きいとか人間にあった形に徐々に進化しているんだ。
❐目
明暗がわかる眼:クラゲなど。光を感じる細胞がたくさん並んで膜になった網膜が身体の表面(人類の場合は眼球の内表面)にある。
方向がわかる眼:眼点の網膜の真ん中が凹んでカップのような形になっている。カップのどの部分にあたったか、で光が来る方向がわかる。
形がわかる眼:↑のカップの入り口をくびれて狭くすると、外から来た光が入口を通るときに一点に集まる。そして入り口を通過すると光線が再び広がり、網膜に上下左右反転した像が映る。
カメラ眼:↑さらに、光の量やピントを合わせるレンズを当てはめたものが人類の眼。
【体の作りのこと】
❐ミルク消化に関して
哺乳類の子供は母乳を飲むが、大人になるとミルクが消化できなくなり、飲めなくなる。
だが人間の大人はミルクが飲める人も多くいる。もともと何万年も前のホモサピエンスの大人はミルクを消化できなかった。しかしその後家畜の乳が手に入るようになり、人間の栄養として役に立つようになったこと(が原因かという研究)により、人間の大人もミルクを消化できるようになった。
牛乳は体に悪い、太る、牛の乳なんだから人間の消化に悪い、などという主張があるけれど、長い歴史でミルクを飲めが方が有利だとなり、自然淘汰と進化の結果ミルクが消化できるようになったのだということも忘れないでね。
❐進化による身体の不都合
二足歩行になったため、腰痛になったり、陣痛が苦しくなったりする。しかしそれらの苦しみよりも、「子供を残す」という意味においては二足歩行が重要だった。
❐走る
イギリスでは、ヒトとウマの35キロマラソンがあるんだそうだ!さすがイギリス!そして近年ヒトが勝つ事が起こるようになったんだって!ええーー(@@)
…というわけで、ヒトは体毛が少なく汗をかいて体温調節できるので、長距離に強い。ウマも体温調節のために汗を掻く。
他の多くの哺乳類、ウシやシカなどは汗での体温調節ができないので長時間走ることはできない。
ウシやシカは、捕食者に追いかけられたら瞬時のダッシュで逃げる。ヒトは逃げることより追いかけることを重要視してきた。つまりそのダッシュで逃げたシカをどこまでもどこまでも追いかけてゆけば、走れなくなったシカに追いつけるということ。
【進化の中間地点?】
動物の四本歩行から、人間の二足歩行になるには、中間の中腰の時期があったのだろうか??それってすごく不便で危険だよね?
…などという疑問から、「では、木の上で二足歩行になってから地上に降りたのでは」などという研究がある。ふーーん。
【夫婦のあり方】
一夫多妻/多夫多妻:
利点⇒多くの子孫を残せる。
欠点⇒メスを巡ってのオス同士の争いが多くなったり、どれが自分の子供なのかが分からない(別の本でも読みましたが、群れみんなで子育てとはいっても、やっぱり子供がピンチにあったときに確実に自分の子供だという確信があったほうがオスが助ける可能性が高いということです)。また、オスにとってはあっちこっちに子供がいるので、子育てはメスの仕事になる。
一夫一婦:
欠点⇒子供の数は減る。
利点⇒オスは確実に自分の子供とわかるので、子供を守ろうとする。メスと子供にとっても確実にオスに食料を運んでもらえる。
なお、ゴシップニュースで「妻が生んだ子供がDNA鑑定の結果夫の子供ではなかった〜」などというものがあるが、実際のところ妻が夫以外との子供を生む確率はせいぜい5%程度らしいですよ。
【では死ぬって何?】
死ぬの定義を「細胞の中で起きている化学反応などの活動が止まり、分解されて土屋空気に還る」とする。
細菌が分裂することは「死ぬ」とは言い難い。このばあい細菌は40億年程度生きていることになる!
…さて、ではなぜ寿命があるのか。この地球には住める個体の限りがあり、死なないと次に生まれるものがいる場所がない。
そして生息地の環境はその都度その都度変化している。すると、環境に合った進化を進めないと子孫が生き続けることができない。環境に合おうとするのは生存競争であり、それは自分の命を大事にすること。
環境に合わなかった個体は死ぬが、死ななければ自然淘汰が働かずに次の生命は生まれないんだよ。という基本に返ったところでこの本もおしまい。 -
更科さんの本が面白いのは、文章が上手いからだと思う。
進化について、更科さん並みに理解している人は他にもいるだろう。しかし、これほどわかりやすく面白く書ける人はいないんじゃないか。
研究者や専門の学生に向けた文章ではなく、あくまで(生物学や進化に興味があるとはいえ)一般向けの本なのだから、あまり知識のない人にもわかるように書かないといけない。しかし、よく知っている人も読む可能性があるから、そういう人も納得させられないといけない。さらに最後まで読めるリーダビリティが文章と構成にないといけない。そのバランスのすばらしさ。
書き出しの台風のたとえも良いが、「私たちは小さい物なら、親指の先と人差し指の先で掴むのがふつうである。でも、チンパンジーは、親指と比べて人差し指が長すぎるので、親指の先と人差し指の横腹で物を挟むことが多い。」(P139)と、ここまでは、ほかの人でも書ける。しかし次の一文「私たちも、ドアの錠前に鍵を刺して回すときに、こういう指の使い方をする。」これを読んだら、誰しもやってみて「ああ、なるほど」と腑に落ちる。この一文が書けるか書けないかで、一般向け科学の本を書く才能が決まると思う。
また、更科さんの人柄が素晴らしい。変に煽ったり、予測を暴走させたりはせず、自説を語るときも、読者が納得できるよう、きちんとエビデンスを提示し、違う可能性も示してくれる。また、人間が思い込みがちな「人間はほかの動物より優れているのだ」という考えをあらゆる方向から「それは間違っている」と語るのもいい。
いい科学の本を読む悦びがあった。 -
人は生物の中の一種類であり、他の生物と比べて特に優れているわけではない。進化してゆく中で、環境に最適ではない部分や必要ない所は退化もしてきた不完全な部分を持つ。心臓、肺、腎臓、尿、手足の指、目、骨格などいろんな部位で進化の過程を考察している。そして今が人の完成形ではなく、環境に合わせ淘汰や進化が今後も進んでゆく。人は生物である以上いつかは絶滅する運命にあるのだ。
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地球上の生物は長い年月をかけて進化を続け、今も続いている。一般的な考えでは「進化」とはバージョンアップであり、その頂点に人類がいる、ということだろう。が、本書で語られる「進化」とは単なる変化であり、その生物にとって良いこともあれば、悪いこともある。生物にとって何より重要なのは次世代を残すことであり、そのためには犠牲にされた能力や残された欠陥もある。進化は進歩ではないのだ。
今の人類だって、多くの欠陥を抱えている。直立二足歩行は脊椎や骨盤に過度な負担がかかるし、心臓の血管は非常に細くて心筋梗塞の可能性が高い。生まれたばかりの子供が自立するのに長い期間が必要。チンパンジーやゴリラよりも劣り、原始的な部分はいくつもあるのだ。
生物は生と死を繰り返して、環境に適応できない遺伝子を排除し、適応できる遺伝子を受け継ぎながら、進化する。もし、死なない生物がいれば、環境に適応する必要はなく、その生物は進化することがない。進化とは、死んでこそ起こることであり、その意味では残酷な出来事なのだ。
人類は進化によって寿命を伸ばしているのかもしれないが、死を遠ざけることは進化を遅らせることだ。 -
読みやすくて面白い! 進化論の本はそれなりに読んでるつもりだったけれど、目から鱗の点多々。
人間の手のほうがチンパンジーの手よりも原始的、という一点だけでも、人類が進化の最終形態であるかのような自己認識をコテンパンに覆すのに十分。
二足歩行が生存競争上有利な要素として進化の方向性が出始めたのは、草原に降り立った時ではなく樹上生活のときだろう、という考察は、エビデンスに基づくというよりは思考実験的な説明文だったが、説得力充分だった。
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「行動の仕方によって進化が起きる」というフレーズに納得しました。
さらに、細菌が40億年も細胞分裂をしながら生きてている点や死は自然淘汰の一部であることや人類の内臓が完全ではないということが、章毎に詳細に書かれており、また読みやすい本だと思いました!
この作書の別の作品も更に読んでみてみたいと思いました。 -
なんか堅苦しい感じではなくてすごく読みやすく、すごく面白かった。
人間は進化の最終形態ではない。
色々と目から鱗の内容がたくさんで、新たに得る知識がかなりの数あっただけでも読んだ甲斐があった。
気になったら、ふとした時に読み返したい。 -
ある政党がダーウィンの言葉を誤って伝えたそうだ。
それは幾度も、各国で誤用される内容だという。
言葉は時には曲げられ、自己に都合の良いように解釈されるものだ。
言葉とは不完全で、解釈は難しいものだ。
本書でもダーウィンの言葉が登場する。
中でも印象的なものが、
「進化は進歩ではない」71頁
「存在の偉大な連鎖」を信じたい人が多い、という指摘であるが、まさにこの言葉は我々が心に留め置くべきことだろう。
「ある条件で優れている」ということは「別の条件では劣っている」ということだ(70頁)も同様に、忘れてはいけない。
だから、他人の欠点や動物の一部の性質を見ただけで、即ち自分より劣ると考えることは愚かなことだ。
いやいや…そう考えてしまうこと自体が、ヒトの欠陥だ。
そしてまた優れたところなのかもしれないが。
さて、おもしろいのはヒトと馬の競争。どっちが勝つと思う?
もちろん、ここに条件をつけなければいけない。
馬には人が乗っている、短距離か長距離かでも違うのだが、なんと、ヒトが長距離走で勝った!
逃げることには長けていないが、追いかけていくのは人は得意らしい。
また、ヒトは4色覚から2色覚になり、3色覚になったそうだ。
ただ、本書で触れられてはいないが、いわゆる色覚異常は男性にはかなりの割合でいるそうだ。
一説にはAB型の人と同じくらいだとか。
それが自然淘汰されないのは、多分何かの理由があるのだ。
たまたま今は、それが業種によっては不適なだけで。
色の見え方も、発達の仕方も、たとえ他の人と違っていても、大丈夫だ。
218頁のロマン・ロランの言葉のように、
「あるがまま世界を見たうえで、それを愛するには勇気がいる」
のならば……。
それを受け止められるだけの強さを私は持ちたい。
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