壁とともに生きる わたしと「安部公房」 (NHK出版新書 675 675)
- NHK出版 (2022年5月10日発売)
本棚登録 : 408人
感想 : 33件
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (280ページ) / ISBN・EAN: 9784140886755
作品紹介・あらすじ
不自由で理不尽な社会で、心涼やかに生きるには?
自由に生きれば欠乏し、安定すれば窮屈だ。どうしようもなく希望や理想を持っては、様々な”壁”に阻まれる――。そんな私たち人間のジレンマを乗り越えるヒントは、戦後日本のカオスを生きた作家・安部公房にある!「マンガ家・ヤマザキマリ」に深い影響を与え、先の見えない現代にこそその先見性が煌めく作家の「観察の思考」を、著者の視点と体験から生き生きと描き出す!(NHKEテレ「100分de名著」2022年6月放送予定「安部公房 砂の女」に講師出演決定)
みんなの感想まとめ
不自由で理不尽な社会に生きる私たちに、心の平穏を保つためのヒントを提供する一冊。著者は、安部公房の作品を通じて、彼の独特な視点や思考を生き生きと描き出し、読者に新たな理解を促します。実体験を交えた語り...
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
「箱男」の読了後が
どうもすっきりしなくて
もやもやしていた時に
ちょうど見つけた本
本の読み方や解釈の仕方
楽しみ方は人それぞれと思うけど
ヤマザキマリさんの実体験と相まって
とても分かり易く面白く読めた
エッセイ本より解説本の方が
上手いんじゃないかな?
などと思いつつ...
-
最初、『テルマエロマエ』のヤマザキマリさんと、安部公房をうまく結びつけられなかった。
「私が壁の外へ出て、さまざまな外国に行き、そこで暮らすのはなぜかというと、価値観の一定化を嫌うからだ。生活感や倫理、社会の捉え方などの価値観の圧倒的な差異に気づかされることで、生きていくうえでのダメージが少なくなり、予定調和のない生き方も当たり前になってくる」
この言葉で、少し線が見えたような気がした。
この本では『砂の女』『壁』『飢餓同盟』『けものたちは故郷をめざす』『他人の顔』『方舟さくら丸』を章として立てて、取り上げている。
「壁」の向こう側に期待したユートピアではなく、さらなる苦難が待ち受けるエンディング。
決して折り合わない他者同士が生きていくうえで見せる奇妙な連帯。
そういう世界に学ぶというより、もう一歩考えさせられる、それが安部公房の作品のように思う。 -
9年前に山口果林さんの『安部公房とわたし』を読みました。
私は安部公房の作品を読んだことはなかったけど
この本を読んで嫌いになったのです。
その少し後ヤマザキマリさんが安部公房の愛読者と知りました。
この本で初めて知ったこと。
イタリアで老作家が勧めてくれた『砂の女』
これをきっかけにヤマザキマリさんは安部公房に嵌っていくのですが、イタリア語に訳したのは私の大好きな須賀敦子さんだったそうです。
この本を読んで安部公房なかなか面白そうと思いました。
でもアレゴリック、メタモルフォーゼ、アフォリズム、メタファー…、そしてまずSFっぽいところが、私には難しいかも。
ヤマザキマリさんの解説で、読んだ気になりました。
たぶん一生読まなくて大丈夫。
三島由紀夫さんはこう言います。
「安部君は最新式の技術と部品と、
それに古いガラクタのあれこれ集めて、
ものすごく大きな戦車を作る。
さあできた、といって動いた瞬間ゴトンとエンコして
小説は終わる」
ヤマザキマリさんは山口果林さんについてはいっさい触れていません。
でもこのタイトルが山口さんを意識したものであるのは歴然としています。
この本の中にはたびたび本妻が陰の立役者として登場
夫が亡くなって数か月後に後を追うように死去。
先ほど調べてわかったのですが、お嬢さんも
4年前に亡くなったそうです。
もう一つ興味深いことを記しておきます。
ヨーロッパで1300年代半ばに流行したペストそして百年戦争
イタリアでたくさんの有名銀行が破綻
その中で頭角を現したのがメディチ家の銀行で
彼らの文化・芸術・学問への投資が
のちにルネッサンスと呼ばれる文化的社会現象となりました。
シュルレアリスムにしても、第一次世界大戦とスペイン風邪のパンデミックで大量の死者が出た後、文学・芸術、ひいては社会の革命を目指して起こった運動でした。
そして今、コロナ。
先日録った番組で、コロナをきっかけに
オンラインレッスンが盛んになったのは
おけいこ革命といえるかもしれない、と言っていました。
では戦争は?
ヤマザキマリさんはこう言います。
〈(前略)プーチンの暴挙は何を意味しているのか、戦争はなぜ発生するのか。そんな疑問を解く鍵になるのが、歴史の学習と、安部公房の文学を読むことだと思う〉 -
『ただ、時々こういった人間社会を俯瞰で考察した寓話や小説を読んで、現実の正体を確認しておくことも必要だと思っている。政府やメディアの報道や宣伝を鵜呑みにしてしまうような脳にならないようにするためにも、こういう作品を読んで我々が生きる社会に対する猜疑心を機能させておいたほうが、よほど自分を救うことになる』―『第三章 「革命」の壁―『飢餓同盟』』
日本放送協会の「100分de名著」で「砂の女」を取り上げていたのを見て、何故ヤマザキマリなのかと思ったけれど、この一冊を読んで得心した。ここには如何に彼女が安部公房を読み込んできたかが縷々綴られている。そしてその読みも確かなものだと思う。その読みは、研究者が作品を細分して顕微鏡で観察するような読みではないし、批評家が行うある意味俯瞰した立場からの洞察のようなものでもない。そんな風に作品を観察対象として少し離れた対象物として観るのではなく、ヤマザキマリは作品と共に生きてきたという読みを披露するのだ。それは切実で、そして現実的(実存的)な読みでもある。
自分もたいがい天邪鬼なので、ヤマザキマリが今の時代こそ多くの人が安部公房を読んだ方がいいと推してくる意図は共感できるような気もする。確かに安部公房の本は読者が勝手に想像するような物語を提供しない。そこに予定調和のようなものはないのだ。言ってみれば「その後のシンデレラ」のような話ばかり。現実なんてこんなものだ、と否が応でも見せつける。そのことの意味をこの作家の生い立ちや思想遍歴に照らし合わせて読み取ってみせるのは、著者独自の解釈という訳でもないが、作品の寓話性も含めて分かり易く解説している(つまりはそこに物語性を導入することに成功している)。しかし、既に著者も気付いているように、この作家の非予定調和には最終目的地がある訳ではない。「こうだ」と思ったものに辿り着いた瞬間からその場所が曖昧になる、「これこそが正義だ」と思った思想が社会に流布した瞬間からそれが悪夢となる、という構図をこの作家が繰り返し描いているのと同様に、作家自身が自分らしさというものを見出し得ない(作品から安部公房とはこういう人だと読み解いた途端に俺はそんなものではないと反証して見せるように自己否定を繰り返す)というホムンクルスの無限退行する構図に捉えられてしまっている以上、ヤマザキマリの読み取った安部公房もまた内部からじわじわと崩壊する定めにある。そんな風に作家を突き放してしまうと批評家的な読みに傾いてしまうけれど、作家自身が作品の内在する矛盾の構図の中に棲むからと言って作品が訴えかけることの意味や真実味が毀損される訳ではない、ということがヤマザキマリの主張なのだろう。それは確かにそうだと思う。
著者に倣って自分自身の記憶を振り返って見ると、安部公房との出会いは十代前半の頃に読んだ「鉛の卵」。親の所有する本の中に収められていた一篇だ。それは日本放送協会が少年ドラマシリーズで「「タイムトラベラー(時をかける少女)」や「つぶやき岩の秘密」(何故かこの時の主題歌の一節が未だに脳内再生されることがある。歌は石川セリ)などを映像化していた頃で、無知な自分は、筒井康隆は小松左京(その頃「日本沈没」が大流行)と同様の空想科学小説家だと思っていたし、「つぶやき岩の秘密」の新田次郎も同じ分類の作家だと思っていたので、「R62号の発明」「鉛の卵」の作家安部公房も彼らと一緒くたに考えていた。ただ、安部公房の「鉛の卵」は、どこか星新一に似ているようで、それでいてもっとひんやりとした感じのする小説だと思ったというぼんやりとした記憶がある。それらの本や眉村卓の「ねらわれた学園」、光瀬龍の「夕ばえ作戦」などのジュブナイルSF小説と呼ばれる単行本を町の本屋を巡って買い求めた頃の話だが、その頃に読んだ安部公房の文庫本の幾つか(今思えば、少しばかり読むのが早過ぎたのかも知れない)の印象は「鉛の卵」程良くはなかった。それらの本は既に散逸してしまったけれど、何故か今でも「榎本武揚」(函に大江健三郎の推薦文あり)と「砂の女」(ヤマザキマリが言及しているように、函に武田泰淳と三島由紀夫の推薦文あり)は書棚にある。
『そんなアナーキーなたくましさと、いっそ馬賊になってやろうとか、風呂場でサイダーを作って売るようなサバイバル能力も、私にとって安部公房という人物の魅力である。私は生きるスタイルに囚われない傍若無人で気骨のある人に強いシンパシーを覚える。(中略)私はたとえば村上春樹の小説のように、小洒落た固有名詞が頻繁に用いられ、みっともなさや情けなさですらスタイリッシュに回収されていくような文学が苦手だ。人間を特別視しているような文字の羅列に、浮薄で脆弱なものを感じてしまう』―『第一章 「自由」の『砂の女』』
ヤマザキマリの言いたいことは理解できるようにも思うけれど、表現者(そしてそれは人間の逃れようとしても逃れられない業)として、著者が否定的に捉えている「承認欲求」あるいは「自己肯定感の希求」に根差しているものである点で、安部公房も村上春樹も同根で有るとも自分は思う。敢えて言うなら安部公房の作品の方がむしろどこか捻じれた自己肯定感のような粘度を感じさえするのは、自分だけだろうか。更に言うなら、自分は村上春樹の熱心な読者ではないが、この稀有な作家のやっていることもまた、人間の心の内に巣食う薄暗い感情(あるいは怪物)を暗い穴の底を覗き込むようにして暴いている行為であって、ヤマザキマリが描写する安部公房の仕事と似た動機をそこには感じる。また承認欲求という文脈で言うなら、ヤマザキマリが安部公房の読みを通してやっていることもまた、一つの「自己肯定感」を求めての行為であることもまた否定できないのではないかとも思う(それが全てではないにせよ。ただ、そういう読みをその行為から読み取れと安部公房なら暗に言いそうな行為である)。決して本書を否定しているつもりははないのだが、安部公房を読み解くことによってついついそんなことを考えてしまうことに思考が傾倒していくようになる。つまり、安部公房を読み解くとは、腐敗していく自分自身の五臓六腑を腑分けしていくような作業なのだ。
本書は安部公房の伝記ではないし(伝記なら山口果林のことも書いて欲しいと思ったり)、作品論を語る本でもない(著者の作家に対する熱が強すぎるので作家を語っているのか作品を語っているのか判らなくなったり)けれど、この本を切っ掛けに安部公房を読む人や、自分の頭で考えることを志向する人を生み出す切っ掛けを与える力のある本であることは間違いない。 -
漫画家のヤマザキマリさんの安部公房論。彼女の人生とリンクした作品の紹介があります。「砂の女」を始めとして数多くの作品が登場します。
ヤマザキさんについては、イタリアに住んでいる漫画家という印象ぐらいでしたが、この本を読みこれまでの半生のエピソードにまずびっくりしました。17歳で絵画の勉強のため単身イタリアに渡り、まもなく生活能力に欠けたイタリア人の詩人と同棲していたと言う事実。17歳と言ったらまだ高校生で、女の子。異郷の地に本人の希望とは言え一人やる親がすごい。それも多分仕送りなどはないのか、はたまた少ないのか極貧の生活をしていたようですから、その年齢の大人度が自分とは比べ物にならない!と感嘆しました。そんな環境で出会った小説が「砂の女」。ですからこれは読むべき時期にぴったり合致したのでしょう。
確かに私も若い頃に安部公房は読んだ記憶があります。他にも小松左京、カフカ、ニーチェ…ちょっとジャンルは異なりますが、不条理だとか虚無だとかに何故か憧れ⁈本質は理解できないまま、その小説の雰囲気だけが残っている有り様ですが…彼女の場合はそれを実感していることに凄さがあります。
ヤマザキさんが「砂の女」に代表されるテーマ「壁」は、現在の世の中においては当に物理的にも精神的にも物事を隔てる象徴です。傍目には合理的とは思えないロシアのウクライナ侵攻や人間のコミュニケーションを阻害する感染症の蔓延など世界は、不穏な様相を呈している中にあって、どう考え行動していけばいいのか…
便利さや様々な情報が瞬時に手に入るツールもありながら、そのため息苦しさに喘ぎ、蟻地獄のような閉じた世界に籠る人々。人と違うことを恐れ、孤独では生きられない私たち。
安部公房は…そうした孤独で自由な存在が世間と足並みをそろえて動くのではなく、考え方や行動が一律でなくとも、価値観が違っていても共生していける社会が民主主義社会だと…言わんとしているのではとヤマザキさんは述べています。以前にマルクス・ガブリエルさん(哲学者)が「SNSは民主主義を損なう」と述べていましたが、なるほどこのことか、と思いあたりました。
元々人と群れるのが苦手で、天邪鬼気質の私には、何故皆、他の人と同じじゃないと不安なのか、始終繋がっていることがそんなに良いことなのか疑問だったので、この考えには納得です。
どんな世界、場面においても壁が立ちはだかっており、それは表からも裏からも見える世界があることを自覚したいものです。 -
S図書館
安部公房の紹介
《感想》
理解はできたものの難しく1章と5章を読んだ
イタリアでサロンの主宰が「砂の女」を読めと言われたのがきっかけ
当時の困窮していた状況と当てはまり、昆虫好きが高じたことで、日本の母親に安部公房の中古本を送ってくれと頼むほど貪るように読んだそうだ
安部公房の初期の短編には、人が変形して物質化し、何だかわからなくなって消えてしまう話がいくつもある
それは何かにしがみついて生きようとする人物が、最終的にはその虚しさと向き合うこと
つまり、何一つ確かなものはない中で、なぜ私たちは生きてきた証しを残すことにこだわるのかと
この考えは著作「CARPE DIEM今この瞬間を生きて」で終始書いてあった
5章では、安部公房の影響を受けた小松左京作品も当然面白いと言っている
イタリア文学出身の小松氏
ご子息から卒業論文を送ってもらったとのことだ
私も数冊小松左京を読んだ
残酷な自然災害と社会を映しだし、人間が助かる楽観視する話ではない
その方が心に響いた
いろいろな壁と題して小説を紹介
1章 砂の女
2章 壁
3章 飢餓同盟
4章 けものたちは故郷を目指す
5章 他人の顔
6章 方舟さくら丸 -
高校の時、友人からすすめられて積読してしまった『砂の女』
世界的にも評価されているし、1度はしっかり読んどきたいと思い、購入して読んだ。
読んでみてこの感覚私にもあると。
田舎にいた高校時代、良くも悪くもみんな知り合い、悪いことや奇抜なことは出来ません的な思いを抱いていた。
それが嫌で、大学から家を出て、今に至る。が、果たしてそれから逃れられたのか?は怪しい。
仕事、人の親、自治会員、常識、世間体、色んな正しいと言われていることに囲まれている自分。
読んだことはないが、ドストエフスキーも壁から逃れても、また壁があり、そこからのがれることは出来ないとな。
なるほど。
では、どうすれば?
そんなことを深掘りした読んでみた。
今の考えは、自分で考えることを手放さない、ということかな。
人がいう正しいを、自分はどう思うか、表明しないまでも、考えようと、抗おうと思う。 -
安部公房の小説入門にはうってつけの一冊。そしてヤマザキマリさんという人物の理解にも好適な本です。
-
「個人の実存」という安部公房の一貫したテーマを、個人と個人以外を隔てる「壁」という切り口で読み解く書評。著者の青年期の境遇が安部公房自身のそれと著作のテーマにシンクロしたということで、読み込みの深さや思索の濃さの度合いが高く、ここまで書物を自分事として読み込むことができれば、読書体験としては最高なことだと思う。
-
-
著者ヤマザキマリが生活に困窮していたイタリア生活の時に影響を受けた作家、安部公房。その作品の魅力を『自由』『世間』『革命』『生存』『他人』『国家』それぞれの壁というテーマで解説。多くの作品を深く読み、自らの体験や作家自身のプロフィールと照らし合わせて解説され、新たな魅力が見出される。これを機に安部公房作品が多く読まれることを期待したい。
-
これまで安部公房の作品に触れていないか、一覧を見ても何もない。
教科書に載るようなジャンルではないのかな。
読みながら、次に読みたい本が出てくる本は楽しい。 -
カンガルーノートを途中で挫折したが安倍工房が支持される理由が知りたくて手に取ってみた。
人間が生きているとぶち当たる壁が著者の作品全体のテーマにありそこから逃れたくても最後にはそこに留まってしまう人間の性を目の当たりにしてしまう。
各作品の概略にも少し触れておりぶっ飛んだ内容に驚かされた。130ページ程まで読んだが同じ内容が繰り返されるようで断念したが安倍工房の魅力に少し触れたような気がして良かった。 -
ヤマザキマリさんに興味を持ち、「国境のない生き方」「仕事にしばられない生き方」を読みつつ安部公房の「砂の女」を読んだ。その後に読んだこの本は、安部公房が表現する自由の壁、世間の壁、革命の壁、生存の壁、他人の壁、国家の壁を解説してくれる。この本のおかげで安部公房文学の神髄に触れることができたから、ヤマザキさんの分析力たるや、凄いものを感じる。
-
生きていく上での壁をテーマに、安部公房作品を通して、ヤマザキマリさんの経験を加味して、作品の解説本。パンデミックで生きづらさが表面化されてきて、この本読んで頭の中がすこし整理できた部分があった。安部公房作品読んでみたくなりました。
-
最大の壁は、自己と他者の壁だと思う。
-
イタリアで出会った『砂の女』から、
安部さんにぞっこんになったマリさんの6つの「壁」をテーマとした思索本です。
自由・世間・革命・生存・他人・国家を切り口に、
不条理なこの社会をしたたかに生きる気づきをもらえます。
安部公房の人生概観もできました。 -
安部公房氏をわかるために。読んでから安部公房氏に行ったり、安部公房氏から読んだり。色々。
-
安倍工房読んでみたいと思わせる文章だった
著者プロフィール
ヤマザキマリの作品
