風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか (NHK出版新書 729 729)
- NHK出版 (2024年10月10日発売)
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感想 : 18件
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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784140887295
作品紹介・あらすじ
「きれい好きな」日本の私?
日本人らしさとして語られがちな「毎日風呂に入るのが当たり前」「バスタブでお湯に浸かりたい」という感覚。私たちが無意識に内面化しているこの意識は、いったいどこからきたのだろうか? 西洋人が見た江戸の庶民の入浴習慣から、「日本人は風呂好き」言説のルーツ、家政書で説かれた「清潔な国民」を育てるための女性の役割、さらには教育勅語と関わる国民道徳論で議論された、身体・精神の「潔白性」まで。入浴を通して見えてくる、衛生と統治をめぐる知られざる日本近代史!
感想・レビュー・書評
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世界の風呂の歴史がわかる本です。
ローマ・ヨーロッパの風呂がどうして廃れたのか。
日本の風呂がどのように発展していったのか。
風呂の歴史に興味がある人は是非という感じです。
銭湯好きにはいいですかね。
何か教科書みたいな感じでしたが… -
▼今われわれが歴史的な常識だと思っているものごとが、実は意外と歴史的には浅い事物である、ということはしばしばあります。だから歴史教育はむつかしいし、ときの権力者の意のままになりやすいってことなんですが。
▼日本人が風呂好きで清潔好き、というのは、実は遠い遠い昔からの「民族性」……なんかではなくて。せいぜい19世紀半ば以降の、「西洋のルールに従って、そのルールの中で高等民族にならないと、見下されるし、植民地扱いされてしまうぜ」という大きな日本史の需要の中で作られたものなんじゃないのかな?・・・
という問題提起を豊富な資料で解説する一冊。
▼それなりの説得力がありつつ、それですべては解説しきれない気もしつつ。そしてこの手の新書の運命とでもいうべき、「うーんそれなりに楽しんだけど、そこまでくどくなくていいし、全体に半分の分量で良かったんじゃないかな」という現象からは逃れられてないかなあ。 -
愛国の概念が巾があってなかなか面白かった。清潔概念というのも場所と時代で結構動くものなのだな。戦争のあたりで終わっているけれども高度成長期以降の話も読んでみたかったかも。
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不思議なタイトル。
まず風呂の習慣について、、、我が家も毎晩風呂に入ってる。当たり前と思ってる。
日本における風呂の歴史を新書はとうとうと語る。
へえ、江戸時代途中まではつかる風呂は習慣でも何でもなかったんだ、、蒸し風呂?
江戸時代の風呂というと、男女混浴の銭湯、ときには行為に及ぶ人も、、
なんてイメージだったが、そんなことはなかったような。
裸が恥ずかしい、というのは西洋の文化。日本はなんでもなかったようで。
「湯屋」という名称。
西洋に追い付け追い越せの明治政府下で湯屋、銭湯が大きく変わる。
西洋倫理の影響で男女混浴を辞めさせたのは序の口で、
衛生面から銭湯の普及が始まった。
逆に言うとそれまでは庶民はさほど風呂に入る習慣はなかったようで。
垢のない清潔な体、清潔な服で健康、健全な日本人に、というのが政府のねらい。
ま、これは必要だろう。
ただ、、、次第にそれがエスカレートする。
肉体の清潔、ではなく、精神の清潔が国力を増す原動力、という方向になっていく。
そういう中で「古来日本人は風呂好き、清潔好き」という「伝説」が生まれる。
そうでもなかったのに。
政府の都合のいいように国民を教育していった。
特に婦女子に、そうした家庭をつくるよう指導していく、、、
なんだかだんだんきな臭くなってきた。
欧米列強に追い付け追い越せは必須だったろうが、そのために、「歴史の改ざん」が
平気で行われてきたのだ。
そこで思う。風呂にさえそんな嘘をつく政府。明治、大正、昭和とエスカレート。
戦中の政府が嘘だらけになるのは必然だった。
そうした中で生まれたのが天皇の政治利用、だったろう。
古事記日本書紀来の神武天皇の日本統一、国体の在り方。
時の政府の都合のいいように作られ、国民に信じさせた。
・・・それをいま復活させようというのが似非右翼、自民党の世襲議員たち、か。
そんなの保守でも右翼でも何でもないのに。
自分の親の代が都合よく生きることのできた時代の復興を願っての発言なのか?
「天皇」という形だけを敬い、その実はアメリカ様に従う。それが保守か?
話はそれたが、とにかく、風呂でさえ歴史がゆがめられ、国民に浸透している。
「日本人は風呂好き」か、、、 -
第1章 風呂とは古来なんだったのかー前近代の湯屋と西洋のまなざし/第2章 管理・統制される浴場ー明治期の湯屋をめぐる風景/第3章 「風呂好きな日本人」の誕生ー入浴はなぜ美徳になったのか/第4章 日本の新しい公衆浴場ー欧米の公衆浴場運動と日本の入浴問題/第5章 近代日本の新たな「母親」像ー家庭衛生から「国民」の創出へ/第6章 精神に求められる清潔さー国民道徳論と「潔白性」/第7章 世のため国のための身体ー国定修身教科書のなかの清潔規範
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ニッチな歴史から文化を概観するという試みは好みのもの。それなしの紙幅で淡々と歴史的解明が行われているが、確かにそうだよなという納得感が勝って、驚きのようなものはそこまででもなかった。
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●現代に暮らす日本人の多くは、毎日風呂に入るのが当たり前だと思っている。しかしいつから私たちは毎日風呂に入るのが「当たり前」だと思うようになったのだろうか。
●「風呂キャンセル界隈」という言葉が流行した。
● 6世紀半ば頃、仏教とともに日本に風呂と言う様式が伝わった。しかし、それは湯で満たされた、浴槽のあるものではなく、蒸し風呂であった。
●江戸時代は基本的に混浴だったと言われるが、天保年間に規制により分けることになった。
●ペリーの一行が、混浴を見て「疑いもなく、淫蕩な人民」と記述している。
●明治時代「湯屋取締規則」構造の規定(防火)、混浴の禁止、屋外から見えることの禁止、ゆに関する規定、など。
●ヨーロッパでは古代から中世ごろまで日常的な入浴習慣があった。しかし、中世になると、梅毒やペストの流行によって、大きく影響を受けた。
● 1820年代のイギリス「公衆浴場運動」。労働者階級や貧困層を清潔にさせる事は、近代都市における喫緊の課題。 -
近代の日本社会で、入浴の習慣がどう意味づけられていくか。
それをたくさんの資料から追跡した著者の研究を紹介したのが本書だ。
「はじめに」に書かれた著者のエピソードに共感した。
子どもの頃、お風呂に入るのが面倒だったり、自分の「入りたいタイミング」じゃないのにせかされたり…という経験は、自分にも思い当たるところがある。
とすれば、自分の親、あるいはその親たちにも、明治以降に醸成された衛生思想が流れ込んでいたからだ―と、とりあえず言えるかな。
うちなんかだと、なんとなく経済観念から言っていたのかもしれない気もするが。
それはともかく。入浴の習慣と書いてしまったが、入浴の装置たる銭湯の「風呂」の作りや、それを取り締まる法令の変遷なども扱っている。
外国人の眼を意識し、裸体をさらさないような作りにせよ、男女別浴とせよ、という決まりがあったり、火災予防の観点から銭湯が警察の管理下に置かれていったりしたということだった。
江戸時代にあった石榴口がなぜ廃れたのかは、はっきりとはわからないらしい。
そのあとは、明治の半ば以降の家政学や倫理学の言説を追っていく。
国に有為な人を育てるために清潔さが強調されていくことや、入浴を好む「清潔好きな日本人」が「潔白」という精神性を持つ存在だと主張されるようになったりする。
日常的な入浴という営みが、社会的に意味づけられていく様子がわかる。
ただ、「お話」としては、何か既視感がある議論だった。
それこそ田中聡さんの『衛星展覧会の欲望』とか?
明治から昭和戦前期を扱ったものって、素材は違ってもそんな感じのストーリーになっていくような気がする。
だからといって本書の価値が損なわれることはないが…、わくわくする発見は少ない気がしてしまう。
南風原国民学校の「学校風呂」の写真はなかなかショッキングだったが。 -
【本学OPACへのリンク☟】
https://opac123.tsuda.ac.jp/opac/volume/723563 -
2025年2月読了。
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明治期以降を中心とした日本の入浴史。著者の視点は主に行政との関わり。火災対策や風紀取り締まりのため公衆浴場への管理強化、欧米との比較の中で「風呂好きな日本人」言説の誕生、国民を育てる母としての女性の新たな約割。
そして書名と特に結びつくのが、清潔さが国民道徳と結びつけられると共に、軍人としての身体強化を背景に衛生が一層強調された点。 -
東2法経図・6F開架:383.6A/Ka91f//K

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