嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)

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  • / ISBN・EAN: 9784140910245

感想・レビュー・書評

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  • 良く分からないところ多数。
    赤軍 自己批判・自己欺瞞・自己否定
    ずいぶん懐かしい言葉だと感じた。
    学生運動 原動力は何だったのだろう?

  • 書名:『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス 2005)
    著者:北田暁大(きただ・あきひろ) 理論社会学、メディア史。


    【メモ】
     以前読んだ『文化の社会学』(有斐閣アルマ)で言及されていたので目を通した。感想は特になし。

    【版元の内容説明】
    若者たちはなぜ右傾化するのか。皮肉屋の彼らはなぜ純愛にハマるのか。70年代初頭にまで遡り、アイロニカルな感性の変容の過程を追いながら、奇妙な「ナショナリズム」の正体をさぐる。あさま山荘事件から、窪塚洋介、2ちゃんねるまで。多様な現象・言説の分析を通し、「皮肉な共同体」とベタな愛国心が結託する機制を鋭く読み解く。気鋭の論客、渾身の書き下ろし。


    【目次】
    目次 [003-006]

    序章 『電車男』と憂国の徒――「2ちゃんねる化する社会」「クボヅカ化する日常」 009
    アイロニーのコミュニケーション空間 
    感動と皮肉の共同体 
    『GO』から『凶気の桜』へ 
    二つのアンチノミー 
    本書の課題 

    第一章 ゾンビたちの連合赤軍――総括と「六〇年代的なるもの」 027
    1.1 「総括」とは何だったのか 027
      集団リンチと敗北死
      暴走する反省システム
    1.2 方法としての反省 035
      反省と近代
      自己否定の論理
      立ち位置をめぐる左翼のジレンマ
      高橋和巳の自己否定論
    1.3 反省の極限へ――ゾンビとしての兵士たち 046
      「自己批判」と「総括」のあいだ
      自己否定の極限にゾンビが生まれる
      共産主義化とは何か①――「自己否定」の思想化
      人は形式主義に従属する
      共産主義化とは何か②――死とゾンビ的身体
    1.4 「六〇年代的なるもの」の終焉 060
      自己否定の「脱構築」としてのウーマン・リブ
      女性解放運動の二つの道

    第二章 コピーライターの思想とメタ広告――消費社会的アイロニズム 065
    2.1 抵抗としての無反省――糸井重里の立ち位置 065
      「総括」のあとに
      糸井重里の屈曲
      「ウンドー力」と「コピーライター」のあいだで
      「言葉の自律性」と「パロディ」
    2.2 「メディア論」の萌芽――伝達様式への拘泥 079
      赤軍と『あしたのジョー』
      マンガ論争と「左翼」的感性
      メディア論とマス・コミュニケーション論の代理戦争
      ピンク・レディーをめぐって
      記号論的感性――津村と糸井の共通認識
    2.3 消費社会的アイロニズムの展開――メタ広告の隆盛 097
      「ヘンタイよいこ新聞」の言語空間
      アイロニカルな共同体の誕生
      西武‐PARCOの戦略
      メタ広告の背景
      アイロニーの倫理と資本主義の精神
      多元主義の左翼的肯定――アイロニズムの定義
    2.4 新人類化とオタク化――消費社会的アイロニズムの転態 116
      パロディとしての類型化
      さらなる共同体主義

    第三章 パロディの終焉と純粋テレビ――消費社会的シニシズム 123
    3.1 抵抗としての無反省――田中康夫のパフォーマンス 123
      糸井重里と田中康夫の差
      津村喬の『なんクリ』評価
      NOTESはどのように捉えられたか
      NOTESの戦略
      抵抗の対象そのものをやりすごす
      『なんクリ』のポジション
    3.2 無反省という反省――川崎徹と八〇年代 143
      アイロニズムからシニシズムへ
      ユーモアから(ア)イロニーへ
      『ビックリハウス』終焉の意味
      『元気が出るテレビ』のメディア史的意義
      純粋テレビに外部は存在しない
      つねにアイロニカルであれ!
    3.3 消費社会のゾンビたち――「抵抗としての無反省」からの離床 163
      ベタの回帰としての『サラダ記念日』
      アメリカ的「動物」と日本的「スノップ」
      二種類のゾンビの違い
      島田晴彦の逡巡

    第四章 ポスト八〇年代のゾンビたち――ロマン主義的シニシズム 173
    4.1 シニシズムの変容とナンシー関 173
      ナンシーのためらい
      純粋テレビの弛緩
      感動の全体主義
      受け手=視聴者共同体への批判
      純粋テレビ批判という困難に挑む
      八〇年代とポスト八〇年代のあいだで
      反時代的思想家としてのナンシー
    4.2 繋がりの社会性――2ちゃんねるにみるシニシズムとロマン主義 192
      ギョーカイ批判と戦後民主主義批判が結びつく
      純粋テレビと2ちゃんねるの共通性
      「巨大な内輪空間」の誕生
      テレビと馴れ合いつつ、テレビを嗤う感性
      内輪指向とアイロニズムの幸福な結婚
      コミュニケーションの構造変容
      アイロニズムの極北でロマン主義が登場する
      小林よしのりの軌跡――市民主義批判
      形式主義者たちのロマン主義
    4.3 シニシストの実存主義 216
      「思想なき思想」の再現前
      レフェリーなきアイロニー・ゲーム
      世界の中心で「自分萌え」を叫ぶ
      人間になりたいゾンビたち
      ナンシーのアンビバレッジ

    終章 スノッブの帝国――総括と補遺  192
     議論の「総括」 
     スノップの帝国・日本? 
     純化するスノビズム 
     「あえて」の倫理 
     ローティ的アイロニズムの背景にあるもの 
     共同幻想への信頼を調達せよ 

    注釈 [251-264]
    あとがき(二〇〇四年 一二月二八日 三三歳の誕生日に 北田暁大) [265-269]

  •  イラク人質事件の頃、「あれって、自作自演なんでしょ?」という声を、現実の耳で聞いて驚いたことがあった。会社の隣の島で、女性が得意げに話していた。ネット上ではそういう現実の「ネタ化」が日常茶飯事だったし、そういう料理の仕方にも慣れ親しんでいたのだが、私にはあまりにも「下品」に思えたので、現実に耳で聞いたときは思わず振り返ってしまった。とうとう現実に2ちゃんねるが侵入してきたのか、と感じた瞬間だった。
     
    「嗤う」という態度ですべてを斬る「2ちゃんねる」。ところが、ベタな恋愛モノである『電車男』にはまってしまうのも2ちゃんねるの住人だ。この、奇妙なシニズムとロマン主義の精神構造はいかにしてできたのか? 著者は「反省」というキーワードを軸に、71年の「あさま山荘事件」から、現代までつらなる変化を描き出している。
     著者が導入した「反省」というキーワードは、かなり成功しているように見える。また、「シニズムの変容」の例として解説されている、ナンシー関(この人の視線と文体が、若者世代に与えた影響は大きいと思う)についての論考もおもしろかった。

    「2ちゃんねる」化する現実に、どう対処していくか。2ちゃんねるは嫌いじゃないけど、あまりにもあっけらかんと「嗤うナショナリズム」になじむことはできない。そんな今の自分の心境を整理するためにも、現状分析としてこの本は興味深く読めた。私は著者とかなり年齢が近いので、そういう意味で共感することも多いのかもしれない。若者にとまどいつつ、上の世代とはなじめない、30代の読者にぜひおすすめ。

  • [ 内容 ]
    若者たちはなぜ右傾化するのか。
    皮肉屋の彼らはなぜ純愛にハマるのか。
    70年代初頭にまで遡り、アイロニカルな感性の変容の過程を追いながら、奇妙な「ナショナリズム」の正体をさぐる。
    あさま山荘事件から、窪塚洋介、2ちゃんねるまで。
    多様な現象・言説の分析を通し、「皮肉な共同体」とベタな愛国心が結託する機制を鋭く読み解く。
    気鋭の論客、渾身の書き下ろし。

    [ 目次 ]
    序章 『電車男』と憂国の徒―「2ちゃんねる化する社会」「クボヅカ化する日常」
    第1章 ゾンビたちの連合赤軍―総括と「六〇年代的なるもの」
    第2章 コピーライターの思想とメタ広告―消費社会的アイロニズム
    第3章 パロディの終焉と純粋テレビ―消費社会的シニシズム
    第4章 ポスト八〇年代のゾンビたち―ロマン主義的シニシズム
    終章 スノッブの帝国―総括と補遺

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  • ゲーマーのための読書案内より

  • ¥105

  • 図書館で借りて読んだ。とてもライトだった。テレビと政治と政治主体というか大衆の意識の問題について。論じ方が非常に雑(ゆえに読み応えがライトで、議論に参加しやすい気がするんだけど)なので、自分なりに整理する必要があるだろう。

  • 著者は社会学の期待の星だよと言われて読んだが、あまり読みやすい本ではなかった。

  • 今読んでます。

著者プロフィール

東京大学教授

「2022年 『実況中継・社会学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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