- Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140910320
作品紹介・あらすじ
日本仏教の本質を見極めるために、いま世界的視野から仏教を見直すことが求められている。フランスで仏教史研究に従事し、大乗仏教国ブータンで暮らした経験など、自身の40年に亙る仏教探求遍歴を踏まえて、回忌法要・僧侶の妻帯・寺院の世襲など、日本仏教の異質性を鋭く解き明かす。日本語訳大蔵教をもたなくて、仏教の本当の姿を知っていると言えるのか。さらに、いま仏教の教えが人々にどんな救いを与え得るのか、経済市場主義から幸福至上主義へ向けて、仏教の果たすべき役割を問う。
感想・レビュー・書評
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著者はフランス国立科学研究センターに勤務するチベット学の研究者で、現在はフランス国籍。ブータンにも10年間にわたって暮らしたことがあり、現在もブータンとフランスを行き来しているという(フランスはチベット系仏教研究の先進国なのだそうだ)。
本書はそのようなバックグラウンドをもつ著者が、ブータン仏教から見た日本仏教を考察し、日本仏教の特異性を浮き彫りにしていくもの。
「ブータン仏教」という呼び方自体、我々にはなじみが薄いが、「ブータンは、現時点で大乗仏教を国教とする唯一の独立国であり、チベット仏教圏最後の砦である」という。
全体に、論というよりエッセイに近いトーンで書かれており、著者の個人的な思い出が占める割合も大きい。ゆえに読みやすいし、肩のこらない比較宗教文化論的エッセイとして楽しく読める。
日本だけで暮らしていてはなかなか気づかない日本仏教の特異性が、よくわかる。日本仏教を相対化する視点が得られる点で、有益な本だ。
著者が数多く挙げているブータン仏教と日本仏教の違いのうち、とくに面白かったのは回忌法要の例。回忌法要があるのは日本だけなのだそうで、次のようなエピソードが紹介されている。
《日本人でブータンに縁のある人がいた。その人が亡くなり、日本では十三回忌に当たる年、遺族がブータンでも十三回忌を営んでほしいと、友人を介してブータンの僧侶に相談した。すると、こんな答えが返ってきた。
「あの人は、そんなに悪い人には見えなかったが、何か重大な悪業でも犯していたのか。いすれにせよ、すでにどこかに、なんらかの形で生まれ変わっているから、いまさら追善供養の法要でもないだろう」》
こういうエピソードが楽しいし、著者の日本仏教に対する提言や指摘にも納得できるものが多い。たとえば、次のような指摘――。
《日本仏教にとって、その最初から現在に至るまでの最大の悲劇・欠点は、仏典いわゆる「お経」が日本語に訳されることなく、中国語すなわち漢訳のままであるということであろう。これは、ほかの仏教国がすべて仏典を自国語に訳しているのに比して例外的なことである。》
だが、著者が本書で一貫して示す“ブータンには本来の正しい仏教が息づいているが、歴史の中で大きく変質した日本仏教はもはや仏教とは呼べない”という見方に、私はまったく同意できなかった。
釈迦が古代インドで開いた元々の仏教と、中国・朝鮮を経て日本に広まった仏教は大きく異なっている。それはそのとおりだが、なぜ元々の仏教だけを「本来の正しい仏教」だと決めつけるのか。時代に応じ、その国の文化に応じて変化することの何が悪いのか。
本書の大前提となっているその点で著者と相容れないので、ときどき首をかしげながら読んだ。しかし、なかなか面白い本ではある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
仏教思想の始原の姿を求め、20代でフランスに渡り、その後ブータンで10年の研究生活も送る。本書の前半は自伝であり、その足取りは当然執筆時からふりかえって整理されたものである以上、実際にはそこまで一貫していたかどうかはわからないが、額面通り受け取るならば、その姿勢は終始ラディカル。著者(主人公)がラディカルに知りたいことを追求している内にどんどん道が開けていくという展開は、痛快で読みやすくもある。後半は日本仏教批判。長くフランスで研究生活を送りフランス国籍となった著者の日本仏教批判は、歯に衣着せぬもので、国内の仏教関係者ではなかなかやりにくいことをやっている印象。特に妻帯・世襲を当然のこととする「出家」者のあり方や、他力・浄土思想への強い違和感を繰り返し述べている。それをブータンの信仰や社会のあり方の紹介をからめて熱く語っている。
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仏教者の文章は平易かつロジカルで読んでいて気持ちがいい。最後の提言は一般論でしかなかったがニー仏の次作はこの部分を超えてくれるかな。
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忘れた。
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18歳でこの本と中村元さんの「原始仏教」を読んで、仏教学を学ぶことを志しました。日本仏教、に対する批判がチベット仏教の視点から書かれています。
日本仏教に対する批判については、少し極端です。確かに日本仏教の問題点はわかりやすくまとめられているのですが、日本で発展した仏教を全否定したり仏教本来の形式にこだわりすぎているという印象があります。また、虫を殺すか殺さないかの問題でブータン人と比較して玄有宗久さんを批判している箇所があるのですが、筆者ならどのような行動をとるか一切書かれていないのが気になりました。他人を批判するのであれば、自分の立場は明確にすべきです。
とは言えブータン仏教について書かれた部分は非常に面白いですし、あまり日本では知られていないブータンやブータン仏教を紹介した点は評価できます。また、筆者が仏教に対して関心を持ち、勉強や研究をしていく過程の記述がとても興味深いです。「勉強が好き」ってこういうことなんだな、と実感させられます。
本書を鵜呑みにするのはどうかと思いますが、非常に面白い本でした。 -
日本の仏教について昔から疑問を持っていたのですが、同感いたしました。
著者は日本の大学で仏教学を学び、フランスの研究施設でさらに仏教の研究をして、その後、ブータンで約10年間暮らし、高僧のそばで仏教を勉強したそうです。
その後、日本へ帰ってきたのですが、日本仏教が全く受け入れられなくなったそうです。
日本の仏教は仏教史全体から見れば異端的だそうです。
仏教には本来、お墓はありません。そして、回忌法要もありません。
それは、日本特有のものなのだそうです。
毎月お坊さんがお経をあげに檀家の家をまわりますが、彼らを見ていても、仏教を信仰しているとはとても思えないし、宗教者としてのオーラが全くないということです。
本の文章自体、ちょっと硬い学者風の書き方なので、あまり面白味がないのですが、
同感いたしました!これは大問題なのではないでしょうか?
興味のある方は一度全体の仏教史について勉強してみて、客観的に見てみると、
ブッダの教えをそのままの形で受け継いでいる仏教ははどこにあるのか、わかると思います。 -
前半はずばり今枝由郎さんの自伝です。仏教との出会いからフランス留学、インド遍歴、フランス国立科学研究センターでの研究の日々、10年にわたるブータン生活などなど、まさに波乱万丈に駆け回ります。なんか凄い!そして後半は、日本の仏教の特異性(回忌法要、僧侶の妻帯、寺院の世襲など)に迫ります。
ほとんどはもっともな意見だけれども、ブータン仏教絶対的◎、日本仏教絶対的×(日本仏教はもはや「仏教」と呼べないのではないか)といった論点で書かれているので、一瞬しっくりきません…。僕なんかは、良くも悪くもいろいろな在りかたがあって然るべきだと思うのですけれど…。難しい問題です。 -
仏教の本当の姿を知ることができました。そしてそれが今の日本の仏教との違い。
批判を恐れずに言うと、今の日本仏教はウサン臭いけど、本来の仏教は崇高だと感じます。キリスト教、イスラム教などの一神教が、神を恐れさせて道徳を説くのに対して、仏教は仏を目標に自分を高めるというところが良いと痛感します。