- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140910368
作品紹介・あらすじ
戦没者を「尊い犠牲」として顕彰することで、悲惨な実態を覆い隠し、国民を新たな戦争に向けて鼓舞する。これこそが、国家の本質に関わる重要な課題ではないか。近代西欧の思想書・歴史書から自衛隊のイラク派兵問題、そして靖国問題まで、様々な言説に共通する国民動員の巧妙なレトリックを分析し、"犠牲=サクリファイスの論理"を乗り越える方途をさぐる。この国の現状を批判的に検証する試みであると同時に、犀利な思考に基づいた、野心的な国家論でもある。
感想・レビュー・書評
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近代国家は、かつてそのために犠牲になった人に追悼の意を示すことで結束するようなところのシステムなんだな。
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岩井和由先生 おすすめ
16【教養】316-T -
第3章に、戦争犯罪、人道に対する罪とも考えられる原爆使用について、その責任問題をあらかじめ封じてしまう役割について...「犠牲のシステム」より
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p183
1944年日本基督教団の新聞記事
日本カトリック教会、仏教界の戦時協力
p192
国家という神を信じる国民の宗教=「国家教」が国民国家の存立を支えている
p227
軍の存在そのものが犠牲の論理を要求する。軍とは国家にとってすでに犠牲そのもの
p230
デリダ「絶対的犠牲」
市場構造は、数億ものこどもたちを飢餓や病気で死亡させる・それなのにいかなる法廷もこの犠牲について審判できない
・・・動物の群れの論理から考えること -
テストの課題なので読んだ。話がループして、もちろん螺旋状に広がったりさえしない。
結論は帯に全て書いてある。最終章だけ自分の論っぽい展開。 -
「国のために自らの命を犠牲に…」ってよく聞く。その論理を追求。
国のために命を犠牲にするのは…自明か? -
「お勉強的」である点で、『靖国問題』よりずっと良書のような気がする。ただし、肝心のラスト、主張や代案(?)は食い足りない。
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安易に使われる「犠牲」ということばを問題にした書。途中でついていけなくなりそうになるが、最初の2章はよくわかる。犠牲ということばは安易に使われる。特攻隊で死んでいった人々や広島で死んだ人々の犠牲があったから今日の平和があるなどと言われるが、あの戦争をもっと早くやめていれば、もっと早く聖断が下っていれば、かれらも死なずにすんだのだ。ここには論理のすり替えがある。本当はこう言うべきだ。かれらが死んだにもかかわらず戦争に負け、軍国日本が滅んだので今日の平和があると。小泉さんがかれらに涙を流す気持はわからなくもない。そこだけみれば参拝も理解できなくはない。しかし、靖国はあの戦争を正当化する立場だ。A級戦犯も含めみんないっしょに祭ろうというのは、戦争を起こした人々に対する責任を不問に付すということだ。そのことには目をつぶって正視しようとしないのはどういうわけなのだろう。