日本という方法 おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス 1067)

  • 日本放送出版協会 (2006年9月30日発売)
3.79
  • (35)
  • (40)
  • (54)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 541
感想 : 50
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784140910672

みんなの感想まとめ

日本の精神史や文化を新たな視点から探求する本書は、著者が提唱する「編集工学」に基づいて、日本を「方法」として再考する試みです。著者は、日本が外来文化を取り入れる際に、両者を対立させるのではなく共存させ...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 著者の提唱する「編集工学」の観点から、日本の精神史・文化史を見なおす試みです。

    日本の歴史には、強いナショナル・アイデンティティを確立するためのよりどころとなるような特定の「主題」などは存在せず、また数人の思想家や芸術家によって日本を代表するイデオロギーが確立されたこともないと著者はいいます。そうしたいささかとらえどころのない日本の精神史を論じるにあたって、本書では「日本」を「方法」として見なおすという立場がとられています。

    日本は、中国や西洋の文化を取り入れるさいに、日本に固有の文化と外来の文化とを対質させるのではなく、両者を共存させる方法を採ってきました。こうした指摘は丸山真男や加藤周一がそれぞれの観点からおこなっていますが、「外来コードを輸入して、内生モードを作る」という「編集方法」に著者は注目します。本書では、こうした編集方法として、「カサネ」「キソイ」「ソロエ」「アワセ」などがとりあげられ、考察されています。

    さらに著者は、「おもかげ」と「うつろい」ということばを重視しています。特定の「主題」を中心に置くことなく、多様なテーマを多様なしかたで移行し、反映し、編集する「方法」によって特徴づけられる日本精神史の性格を、これらのことばが示していると著者は考えています。

    著者の用いる「編集」という概念がきわめて包括的な意味をもっているため、正直なところ著者が日本精神史をどのように規定しているのかわかりにくいようにも感じられます。しかし、著者がそもそも日本の精神史を一定の「主題」によって規定すること自体を拒んでいることをわすれてはならないでしょう。本書がめざすのは、むしろさまざまな観点から日本精神史を見なおす「切り口」を提示することで、あらたな「編集」へと読者を挑発することだといえるように思います。

  • P:*318 抜き書き+感想:6236字 付箋数:17
    (対ページ付箋割合:5.35%、付箋毎文字数:367、抜書量加点+1)★★★★

    ※付随して読みたい本
    江戸の市場経済 岡崎哲二
    近代日本の日蓮主義運動 大谷栄一
    化城の昭和史

    ・日本はたしかに一途なところはあるのですが、それとともにたいそう多様な歴史を歩んできました。日本は「一途で多様な国」です。
    信仰や宗教の面からみても、多神で多仏です。『源氏』と信長の横着と芭蕉のサビが同居しているのです。考えてみれば、日本には天皇制や王朝文化がずっと主流になっていたことなど、ないのです。天皇と将軍がいて、関白と執権がいて、仏教と神道と儒教と民間信仰が共存してきた。
    >>/> 権力は確かにずっとWスタンダードのまま。

    ・東アジアの風土は大きくは北のナラ林帯と南の照葉樹林帯で構成される。ハルビンと瀋陽を結ぶ満州のあたりでその境目が分かれ、日本もこれに応じ東北がナラ林帯、西南が照葉樹林帯になっている。
    ナラ林帯は、旧満州、沿海州、アムール川下流域、朝鮮半島の大半を経て日本の東北部につながいます。植物学的な用語ではモンゴリナラ帯といいます。この帯域には内陸型と沿海型があって、内陸型ではクマ・シカ・トナカイなどの狩猟と若干の採集生活が展開し、前開きの皮衣、ガンジキの使用、クマ祭りなどが目立ちます。沿海型はアザラシ・イルカ・サメ・サケ・マスなどの漁労を中心に、竪穴式住居で定住し、多くは聖なる魚の信仰のようなものをもっていたと想定できます。いずれもイヌを飼育していた。
    照葉樹林帯のほうは、中国南部から東南アジア北部に広がっていて、生活活動が成熟した時期には、その大半が焼畑農耕をしています。食料にはアワ・ヒエ・ソバ・オカボなどの雑穀、モチ・チマキ・オコワなどの粘性のある穀物、サトイモ・ナガイモなどのイモ類を栽培して、さらにワラビ・クズ・カシの実などは水に晒してアク抜きをしています。味噌・納豆などの大豆発酵にも長けてもいた。日本各地のモチ正月やイモ正月の分かはこのような大陸の特徴といろいろつながっていたのです。
    >>/> 季節風土も、多様なんだな。アイヌとか熊祭りは日本全体に固有な訳ではないのか。

    ・日本人にはお茶を飲む習慣があること、家のなかでは履物を脱ぐこと、ご飯茶碗は夫婦のあいだでも個人用になっていて吸い物のお椀は共用すること、主語を省いて話すことが多いこと、擬音や擬態語がきわめて多いこと、話していて非定型はセンテンスの最後にもってくること、能楽や邦楽の間拍子に表と裏の間があること。
    >>/> 茶碗と汁椀!コーヒーカップも愛用があるなあ。何故だろう。wikiで調べると、属人器と言うようですね。

    ・「おもかげ」という言葉をよく見ると、そこには「かげ」(影)という言葉がくっついていることに気がつきます。つまり「影」とは何かの具体的なシャドウなのではなくて、本体にくっついている影なのです。プロフィールそのもの、映像そのものなのです。同じく木陰や人影の「かげ」も、木や人そのものの本体であって、つまりプロフィールです。
    のみならず、影はしばしば光を意味してさえいました。用例を見るとすぐに見当がつくと思いますが、『万葉集』の「渡る日のかげにきほひて尋ねなてな清きその道またも遇はむため」の「かげ」は光のことです。日・月・星・火の光。これは「かげ」が「かがみ」(鏡)や「かがやく」(輝)と同根の言葉だったことからも察せられることでした。
    >>/> 光もかげ!つまり影響、風?

    ・ホメロスは六脚韻という編集技法を駆使することによって、その物語や神話が語り部に記憶されやすく工夫し、それこそがやがてギリシア・アルファベットによるギリシア語を生んだのです。
    つまり、ギリシア語があってホメロスが叙事詩を書いたのではなく、ホメロスらの語り部たちがいてギリシア語が生まれていった。そのあとさきが重要なのです。ウェルギリウスがいて古代ローマ語が生まれ、ダンテがいてイタリア語が生まれたというべきだということです。古代ローマ語があったからウェルギリウスが物語を書けたではなく、イタリア語が確立したからダンテが出現したのでは“ない”のです。
    >>/> そうすると。日本人は日本語で育って、日本語で思考するけれど、その日本語の使われ方の文化の方が根本にあるということか。

    ・和漢朗詠集。部立は上帖を春夏秋冬の順にして、それをさらに細かく、たとえば冬ならば「初冬・冬夜・歳暮・炉火・霜・雪・氷付春氷・霰・仏名」と並べています。すなわち時の「うつろい」を追ったのです。これに対して下帖は、もっと自由に組み、「風・雲・松・猿・故京・眺望・祝…」といった四十八の主題を並べた。最後はよくよく考えてのことでしょうが、「無常」「白」というふうにすべてが真っ白になってしまうように終えています。
    これをアクロバティックにも、漢詩と和歌の両方を交ぜながら自由に組み合わせたのです。たとえば「無常」では、次のように漢詩と和歌が記されています。

    身を観ずれば岸の額に根を離れたる草
    命を論ずれば江の頭に繋がざる船 (巌維)

    世の中をなににたとへむ朝ぼらけ こぎゆく舟のあとの白浪 (満誓)

    巌維の漢詩は、「根を離れたる草」と「岸を離れる舟」の絵画的な比較をもって、生死の哀切におよんでいます。ところが満誓の和歌は、そんな劇的な対比はしていない。ただただ「こぎゆく舟のあとの白浪」に、生死の無常を託しているのです。
    >>/> うーん、凝ってる。身=草、命=舟に対して白浪は、意識を追っているようだ。深い。こんな古い時代の歌なのに。

    ・神は在るもの、仏は成るもの。神は来るもの、仏は往くもの。神は立つもの、仏は座るもの。
    >>/> 引用の引用です。

    ・悪党には、楠木正成のようなめざましい地域リーダーがたくさんいました。気概と武力をもってのちに後醍醐天皇の南朝を支援します。なおここで「悪」といっているのは、「ふつうのことばではいいあらわせないような」「これまでの型にはまらないような」という意味です。親鸞の悪人正機説にいう「悪人」もそういう意味でした。
    >>/> 他力本願を良しとする仏教とはこの悪人像ははまらない気がするが、、この時代であればどうか。

    ・連歌(順番に百首まで)には韻の縛りが無い代わりに賦物(フシモノ)の約束があった。名所を必ず入れる、頭に「い・ろ・は・に」を埋め込む、鳥と魚の名前を歌に埋め込む、など。
    ふりかえってみれば、連歌は季節・色合・歌枕・名物・本歌などをつかって、いま連衆たちが詠みあげていく言葉にさまざまな「見立て」を投じていく編集技法でできあがっていあのでした。そこには類似・比喩・対照を用い、対立・付属・共振を揺らし、引用・強調・重用を散らせて、つねに連想を鍛えに鍛えぬくという下地ができています。それを茶の湯は引用していったのです。
    茶の湯も主客が心をつなげて「取り合わせ」をたのしみます。その日の季節や時間にあわせて趣向を用意する。床に掛物を掛け、その日の趣向を暗示する花を活けておく。一輪かもしれないし、花のない草かもしれません。釜も選びます。茶入れや茶杓にも賦物の行こうが忍ばせてある。やがて亭主があらわれて茶を点て、用意の茶碗を客に差し出すと、そこに一番の「好み」があらわれ、その茶席の数寄の感覚がどのような賦物で見立ててあったのかが、忽然と見えてくるのです。
    >>/> 凄いな、連歌。その歴史が積まれていて、数寄と趣向を茶の湯に凝らしたなら、省いたものを詫びた中に一番の好みを工夫する事も、できるのか。

    ・徳川体制とは東アジアの中国中心の華夷秩序から自立するための体制だったということです。わかりやすくえいば徳川社会は日本が日本として自立する可能性に賭けた。これは白村江の敗戦で「倭国」が「日本」にやむなく自立したことにくらべると、すこぶる自覚的なものだったと思います。
    …徳川幕府が考えた「中国モデル→天皇→徳川幕府」の方程式とは、中華秩序にあやかって日本の位置を確定し、徳川幕府がその正当な嫡子であることを立証しようというものでした。林家の儒学はその理屈を要するためのものでした。しかし実際には、この幕府御用の「中国をモデルとした正当性」をめぐるプランはうまく作りきれなかったのです。なぜできなかったのか。直接の原因は“本場”であったはずの中国で明朝の崩壊と、漢民族では無い清朝(最初は金)の台頭がおこったことにありました。しかもその時期が徳川幕藩体制の確立の時期とぴったり重なっていたのです。
    …焦ったのは幕府だけではありません。水戸藩の徳川光圀らも憂慮した。水戸黄門です。明の崩壊は、さまざまな意味あいで日本人に「日本史」というものをどのように組み立てるかをはじめて突きつけたのです。
    >>/> この流れ。運が良いのか悪いのか。明治は欧に、昭和は米に。合理的な方法を探しているんだろうけれど、もう理念や宗教で無く、ただ方法で良いのだから、自ら考えるべきだろうな。

    ・天保の改革は株仲間のしくみに文句をつけた。天保の大飢饉によって物価上昇が社会不安を拡大させていた時期、徳川斉昭や水野忠邦は物価騰貴の原因が十組問屋などの株仲間の価格コントロールにあるのではないかと見たのです。それでどういうことになったかというと、天保の改革はまったく逆のほうへ進んでしまう。天保12年、株仲間禁止令が施行されてしまったのです。規制緩和が断行されたのです。たとえば菱垣廻船などの積荷はこれまで株仲間がその取引を仕切っていたのですが、これ以降は一般人が自由に売買してよろしいという触書でした。翌年には全国の株仲間にこれが適用された。しかし、この方針は物価騰貴を解決しなかったばかりか、いたずらに流通機構の混乱を増大させます。規制緩和や民間主義は正しいと思いこみすぎていたのです。
    …この10年のあいだに徳川経済は混乱し、こういうときにかぎってちょうど重なってきた黒船騒ぎの外圧によって、社会全体が幕末に向かって軋んでいくことになってしまいます。経済政策というものはまかりまちがうと怖いもの、たいていは現場の声を無視するところからおこるのでしょうが、社会の危機はその声とは別の様相を呈することが多いのです。規制緩和が事態を好転させるともかぎらない。とくに問題は取締りを受けたほうの声が無視されることにあります。
    >>/> 株仲間は特権階級に見えるだろう、それは。自民党の官僚と社団法人と同じに。であれば、どうすればその仕組みを透明にできるのか。

    ・陽明学と徳川社会との関係をあらわす例に、たとえばこういう問題があります。儒学では古来より次のような難問をかかえてきました。それは「父子天合」に対して「君子義合」という考え方があるのですが、これをどう解釈するかという問題です。
    「父子天合」とは、もし父親が間違った行為をしたら、子たるものは、「三タビ諌メテ聞カザレバ、スナワチ号泣シテ之ニ隋ウベシ」という教えです。
    一方の「君子義合」は誤った君に対しての臣は、「三タビ諌メテ聞カザレバ、スナワチ之ヲ逃ル」ということでもよいという教えです。
    しかし徳川社会においては家族関係を示す「父子天合」はともかくも、主従関係をあらわす「君子義合」が大問題です。家臣が三度諌めて殿様がその言うことを聞かなかったら、家臣はその城や家を離れていいというのでは、幕府が嫌ったお家騒動はいくらでも正当化されてしまいます。
    こうして「義」とはどいういうものか、いろいろ議論が分かれます。徳川社会では「武家諸法度」がその代表ですが、「義」には父祖に対する「孝」と主君に対する「忠」があって、そのいずれの「義」をも管理しようとしていたのです。そのため、元禄期の赤穂浪士の仇討を「義」と見るかどうか、大いに意見が交わされました。
    これが忠臣蔵問題、すなわち日本独特の「忠臣とは何か」という問題です。西鶴や近松もそこを問い、西鶴は「義理」を、近松は「人情」を新たに想定して、その深みを文芸思想によってあらわそうとしました。
    >>/> うーん、中華思想というと君子天合のイメージ。任侠ではそれでも義理が重いと言ったようだけど、でも義兄弟の契りを結ぶんだよなあ。

    ・なぜキリスト者の内村が陽明学に関心をもったのでしょうか。似たような話があります。キリスト教と陽明学を比較した幕末の志士がいたのです。才気煥発の高杉晋作です。高杉は当時の聞きかじりの知識ではあるものの、それでも幕末や上海のキリシタンの動向や心情を見てキリスト教の本質を嗅ごうとしていました。なぜバテレンやキリシタンたちが強い決意をもっているか、その理由を知りたかったのです。それが長崎で『聖書』を読んでパッとひらめいた。「なんだ、これは陽明学ではないか」。(陽明がつねに唱えていたことは「知行合一」と「抜本塞減」。知ることと行動は一緒で枝葉末節にこだわらずに由ってきたる根本を抜いて、その源を塞ぐことによって知行を一致させた行動を起こせ、それに尽きるということ。仕事をしながら鍛えるという方法は「事上練磨」と呼ばれ、陽明自身は「立志して、事上練磨する」ということを薦めました。)
    >>/> まあ、聖書では道徳は神にあり、法と行動規範が人に与えられている。行動で語る事、か。ふふふ、つまり起業論も自己啓発も、陽明学なのだ。

    ・さきほど私は、日本には「制度法」がないということを言いました。それが黒船以降の幕末の動揺を決着させられなかった原因のひとつであって、ひいては「王政復古と欧化体制」というバランスを崩させて欧米一辺倒となり、その反発が日本主義や排外主義やウルトラナショナリズムへと日本を駆り立てたという経緯ものべておきました。けれども、内村から見るとキリスト教社会では最初から制度がありすぎて、その制度から抜け出せないことこそがそのその精神を根底から腐敗させていると感じられたのです。
    これは私などがなかなか気付けなかったことです。内村を読んでいてここにさしかかったときは、呻くように唸ったものでした。
    >>/> 何故制度を作ろうと思うのか。それも、文化だろうし、国の方法なんだろう。

    ・まず、日米がほぼ同時に文明国になったのだとしたら、それはいつのことだったのか。アメリカのばあいは明治31年(1898)に米西戦争でスペインに勝ったとき、日本のばあいは明治38年(1905)に日露戦争でロシアに勝ったときでしょう。
    >>/> アメリカは意外と新しい。あれこそ人工で、プログラムで、実験で。でもアメリカも慣習法なんだよなあ。

    ・法華経はインドにも西域にも中国にも朝鮮にもひろがった経典ですが、その解釈をめぐっては日本がきわめて独自の位置をもちました。法華経を激しい国家改革と国家安寧の議論のテキストにしたのは、『立正安国論』を書いた日本の日蓮だけなのです。
    >>/> あんなに中身の無い、至上の念仏であると歌っているだけの、あれが。考えると不思議だ。

    ・私は「日本という方法」がわかりやすいほうがいいなどとは思いません。めんどうな手続きや微妙なルールがあったほうがずっといいだろうと思っている。いやしくも日本は国家であり海流であり、ブナであり少年少女たちであり、記憶でありニュースであり、制度であって面影です。それが安直に進むわけはなく、どんなことにも迷いが生じるはずなのです。それならどんなことにだって、醒めても胸が騒ぐのは当たり前。むしろ醒めもせず、夢もなく、胸騒ぎもなくなってしまうことのほうが危険です。
    …日本の面影は、いまさまよっているかもしれません。けれども、さまよわない面影なんてないのです。大切なことは「おもかげ」や「うつろい」を主題ばかりで埋めつくさないことです。まだ主題が何かがわからない方法から、蝶が羽ばたくか、蝉が啼くかを見るべきです。
    >>/> あとがき。言う事は、無い。

  • 考え方が深まった。

  • 編集工学の松岡正剛氏による、日本という方法についての本。
    日本の歴史、文化を独自の視点で紐解きながら、日本が独自に取り組んできた方法を、「おもかげ」「うつろい」という視点から読み解く。

    ウツ、ウツツの概念。本書では出てきていないが河合隼雄の空中構造を想った。

    実態がない。でもだからこそさらさらとゆらゆらと動き続けていく。それが日本という方法なのかなと思った。

    本書も、これが日本という方法だ!という名辞的なものがなく、周辺を囲んでいっている感じみたいなのがもどかしかったが、まさに編集的に、日本という方法を試されたのかもしれない。

    その他の感想
    松岡正剛氏は、なんか変に否定しないからいい。
    俺の意見はこうだ。だからあいつはおかしいという論法ではなく、すべての意見を流れの中で捉えている感じがする。それがまさに情報編集の技術なのだろうか。

  • たしかに日本は一途で多様な国だ。でなければ太古の日本文化と現代社会との「ギャップ」「うつろい」を説明することはできない。しかし、失敗の国として日本を考えるならば、一途で多様だけでなく、歴史の転換点となった出来事に失敗の本質があったことも忘れてはならない。その最たるものが急ごしらえの王政復古。大日本帝国憲法で三権分立を確立したまではよかったが、軍の統帥権は別にして且つ両方とも天皇直下に置いてしまった。そして誰もが知る軍の暴走、軍国主義化、戦争。まるで自ら崩壊を求めたかのごとく。まさに九鬼周造の言葉=失って知る異質性。日本という方法はいわば、編集はしたけど校正をせずに出版したカオス本みたいなものか?

  • 結局よくわからなかった

  • 副題は「おもかげ•うつろいの文化」

    日本を「方法の国」と定義する。
    すると、日本文化の特質が、クリアに浮かび上がってくる。
    「方法の国」というプリズムはきわめて有効だ。
    日本の文化は矛盾を矛盾のまま抱え込み、融通無碍に活用してみせる。
    古来神と仏の共存•混交。
    天皇と将軍の二大政権のもたれ合い。
    無常(侘び寂び)と伊達(バサラ)の併存。
    漢字と仮名による日本語表記。

    外来文化の日本化も「方法」の成果だ。
    政治、文学、芸能、思想を「方法」と言う観点で見て行くと、浮かび上がってくるのが、「おもかげ」と「うつろい」と言う特質だ。
    捉えどころのない、誰もがぼんやりと考えていた日本文化の特徴を「おもかげ」と「うつろい」と言うキーワードで捉えたのは見事。
    ともに、西洋文化を捉えるキーワードにはなり得ない。
    日本文化の豊穣さを切り刻まずに、損なわずに、総体として把握するためには、輪郭線の曖昧模糊とした、しかし、中心はしっかりとした「おもかげ」と「うつろい」と言うタームが必要だったのだ。

  • 思索

  • 日本をどのように見るか
    天皇と万葉仮名と語り部
    和漢が並んでいる
    神仏習合の不思議
    ウツとウツツの世界
    主と客と数寄の文化
    徳川社会と日本モデル
    朱子学・陽明学・日本儒学
    古学と国学の挑戦
    二つのJに挟まれて
    矛盾と葛藤を編集する
    日本の失敗
    失われた面影を求めて

    著者:松岡正剛(1944-、京都市、編集者)

  • 今年最初の本は、松岡正剛「日本という方法」

    万葉、菅原道真、紀貫之、村田珠光、本居宣長、このあたりが相変わらず気になってる

  • 【要約】


    【ノート】
    ・「空気を読むな!」で挙げられてたんだな。blog not found でまた出会った。

  • 社会・政治

  • 大人向けの「日本思想史実況中継」といった趣の本。教科書的な事柄を、著者の感覚で自由にアレンジして語ってみせた、というところだろう。全体としてのまとまりとか、議論の妥当性とかにあまりこだわらなければ、ネタとしておもしろいところはいろいろある。たとえば、日本の陽明学の動向、荻生徂徠や本居宣長の方法、国学の展開、それと西田幾多郎や北一輝のあたり。

  • ばづくーるラボメンバー H.Y. さんのオススメ

  • 「千夜千冊」で有名な著者の手による渾身の日本論。正直、歴史や文学に疎い僕にはちょっと難しかったのだけど、日本という国を表現するにあたって「方法」という言葉を使う点は納得感が大きかった。よく日本は昔から外来の知識や文化を上手く「取り入れて」きたといわれるけれど、それだけでは説明し切れない日本の特質のようなものが見事に可視化されている。こんなアプローチの仕方があったのかと、目から鱗が落ちること請け合いの一冊。

  • 日露戦争から太平洋戦争までの流れが初めて腑に落ちた

  • 初松岡正剛。博覧強記,縦横無碍。学問的な厳密さには欠けるかもしれないけど,こういう人も必要ですよね。特に近代史の解釈は興味深く読めました。

  • 日本は面影、移ろいの文化の国! 著者の主張は私には少し独善が過ぎる気がします。どこまでアカデミックに検証されているのかは分からないところがありますが、興味深い本でした。「日本人の自信とは何か?」白村江の敗戦、昭和の敗戦から立ち上がっていった日本という一文がありますが、ちょうど東日本大震災のニュースが流れている時期、日本の敗北!という印象が拭えませんが、自信回復へ向けての私たちの努力の必要性を痛感します。実にいろんなジャンルに話が発展しているのですが、陽明学が中国では廃れ、日本では持て囃されてきたことに「日本という方法」の鍵があるという説明は非常に興味深いところです。著者は実は陽明学ではなく、古学、国学にあったと結論づけているようではありますが・・・

  • 日本とは何か?ということをよく考えていたが、
    ほとんど日本の思想史を知らなかったことを恥じた。

    松岡正剛の縦横無尽で、豊富な読書量と考察に支えられて、
    独特な日本論が生まれている。思想史の腑分けが実にうまい。
    というより、日本への編集方法が優れているというべきなのだろう。
    ここから、一歩前に進めるともっと、面白くなりそうな気がする。
    日本という方法は、主題ではなく、方法にあると看破する。
    この本のテーマは、『方法の日本』であって、
    『日本の方法』ではないと強調する。

    日本という『おもかげ』(プロフィール)を見つめようとする。
    そこには、中国とのかかわりが、深く存在し、
    中国の影響を受けながら、いかにに日本的なものを、作り上げたのか。
    それを、時代ごとに、深く考察する。
    言葉の起源を明確にしながら、その本質に寄り添おうとする。
    寄り添う態度が、この本を生み出したのかもしれない。

    素材を料理する手腕は、松岡正剛である。
    そして、時折、そんな風に見るのか。
    と思わせるところに遭遇したりする。
    しかし、本題からするりと抜けて、しまった感がある。
    それが、余白であり、書き込んでいないことだろう。

    一途で多様。絶対矛盾的自己同一。
    ウツ であることに向き合い、ウツロウことの方法としての日本。

  • 「おもかげ」と「うつろい」の言葉を頼りに
    日本の編集方法に触れれてとても興味深かった。

    「外来コードを輸入して」「内生モードを作る」になるほどなぁと思った。

    日本では2次創作がとても多く起こる訳だ、と思った。

全43件中 1 - 20件を表示

この本が好きな人におすすめの本

著者プロフィール

1944年、京都生まれ。70年代に雑誌『遊』編集長として名を馳せ、80年代に「編集工学」を提唱し、編集工学研究所を創立。その後、日本文化、芸術、生命科学、システム工学など他方目におよぶ研究を情報文化技術に応用しメディアやイベントを多数プロデュース。2000年よりインターネット上で「千夜千冊」を連載。日本を代表する「読書の達人」としてブックウェア事業を拡大。編集的な選書と読書空間の企画演出はつねに話題を呼んだ。主な著書に『知の編集工学』『多読術』『日本という方法』『千夜千冊エディション』(全30巻)『日本文化の核心』『別日本で、いい』(共著)ほか。

「2025年 『百書繚乱』 で使われていた紹介文から引用しています。」

松岡正剛の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×