暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る (NHKブックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140910993

作品紹介・あらすじ

私たち人類は、争いの火種もその解消の術も、霊長類として進化する中で獲得してきた。六五〇〇万年前にこの地上に登場した霊長類。彼らは"食"と"性"をめぐる争いを、それぞれの社会性をもって回避してきたのだ。それを受け継ぐ人類は、家族という独自の社会を得るに至る。屋久島のニホンザルやコンゴ民主共和国のゴリラをはじめ、世界中の霊長類の姿を最新の研究成果から明らかにし、人類の社会性の起源に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 世の中には、幽霊のように何度も出てきては、世の人に呪いをかける「考え」がある。
    「殺人は、人類の獣性本能の帰結である。よって、戦争は人間の本能行動であり、無くなることはない」
    ​とっても厄介なのは、この戦争本能説が中国や北朝鮮脅威論、果ては9条改憲の根拠のひとつになり、我々の未来をも左右しているということだ。​
    よって、我々はこういう言説と厳密に相対峙し、批判的に検討し、自らの態度を決定しなくてはいけない。それが現代人としての、大袈裟にいえば務めだと思う。検討すべき問題は三つあるのではないか?
    (1)動物が同族同種を殺した場合、それは本能なのか?
    (2)チンパンジーやゴリラなどの霊長類と、我々人類は何処が似ていて、何処が違うのか?
    (3)同族同種を殺すことと、戦争は同じことなのか?違うとしたら、無くすことができるのか?

    この本をたまたま手に取ったのは、著者が2015年の安保「改正案」に明確に反対していたからである。「ゴリラでさえ、平和に交渉する術を知っている」と著者は、確か言っていたと思う。その半年後に2007年発行のこの本に出会い、「はじめに」でこう書いていて私は衝撃を受けた。

    ゴリラは弱いもの、小さいものを決していじめない。けんかがあれば第三者が割って入り、先に攻撃した方をいさめ、攻撃された方をかばう。そして、相手を攻撃しても徹底的に追い詰めたりはしない。ましてや、相手を抹殺しようとするほど激しい敵意を見せることはない。敵意を示すのは自分が不当に扱われた時であり、自己主張をした結果それが相手に伝わればそれですむのだ。ここには明らかに人間とは違う敵意の表現がある。(8p)

    その背景や理由を、今回じっくりと知ることが出来た。今まで「弥生時代にやっと戦争が始まったのだから(日本列島の人類の歴史を一年間で換算すると大晦日に始まったのだから)、戦争は無くすことができる」佐原真氏のこの指摘だけが、私が考古学を趣味とし、平和運動に向かうモチベーションになっていた。今回それ以上のモチを得ることができた実感を、私は持った。

    (1)は、そうではない。ことは「はじめに」で明らかである。

    (2)に関しては、かなり専門的になる。この本を読む以外にはない。あえて一言で言えば、著者は「(霊長類と人類との違いは)直立二足歩行と家族である」という。

    (3)に関しては、霊長類学者の著者の専門ではないので、人類学の定説を紹介しながら、最終章に著者の見解を書いている。「武器」が人類に戦争を起こさせたわけではない。武器を狩猟に使い始めたのは、40万年前。人類が戦争を始めたのは、9000年前なのである。人間は39万年間という想像出来ないほど長い間、狩猟のための武器を手に入れても戦争は発想しなかった。つい最近の人間だけが始めたのだ。

    では「戦争は無くすことができるのか?」少し長いが、著者の主張に大いに同調するので、抜粋しながら書き写すことにする。

    (戦争は)家族や小さな共同体の内部でのみ用いられていた分かち合いの精神が、民族の理念として利用されるのである。家族を守るために戦っていた男たちが、同じ精神を持って民族のために戦うことを要求される。食と共同と性のルールによって生まれた愛と奉仕の心は、その力が及ばない領域を支配する者たちによってすりかえられ、戦争へと駆り立てられるのである。(略)この悪循環をどこかで断ち切らなければ、現代の暴力や戦争を止めることは出来ないだろう。
    それは人間の持つ能力をもっと活用することだ、と私は思う。人間の社会性を支えている根本的な特徴とは、育児の共同、食の公開と共食、インセストの禁止、対面コミニュケーション、第三者の仲裁、言語を用いた会話、音楽を通した感情の共有、などである。霊長類から受け継ぎ、それを独自の形に発展させたこれらの能力を用いて、人類は分かち合う社会をつくった。それは決して権力者を生み出さない共同体だったはずだ。われわれはもう一度この共同体から出発し、上からではなく、下から組み上げる社会を作っていかねばならない。(227p)

  • どこかで聞いた名前だな、と思ったら、「ゴリラは戦わない」を読んでいた。相手集団を場合によっては殺し尽くすまで戦おうとする人間の暴力性がどこから来たのかを霊長類学者の視点から考えようという本だと思ったし、冒頭読んだらそうらしいので楽しみに読んだ。

    結論から言うと、「暴力がどこから来たか」は結局よくわからない。そこに行き着く過程だと思って、けっこう遠回りするなあと思いながら付き合ったので、スカされた気分。同じ霊長類でも種類によって群れの成り立ちや交尾の法則が異なり、それぞれ意味や根拠があるらしいということがわかって、それはそれで面白いのだけれど、そもそも読もうとした目的が違うので、不満が残った。タイトルはミスリードじゃないか? 「サルの社会も楽じゃない」とか、「猿のナンパ学」とかいうタイトルだったら読後の印象がずいぶん違った気がする。

  • 暴力への指向は、人間性に深く刻印されているのではないか。世の中を見渡すに、そう思わずにはいられない。まったくそれは「どこからきた」ものなのだろう。それを克服することは可能だろうか。その問いに霊長類研究からアプローチした一冊。

    原猿類から真猿類(ヒトを含む類人猿はここに入る)まで、幅広く従来の研究に基づいて考察されている。そのため半ばあたりはやや煩雑だが、テーマが非常に面白いので、興味をつないで読んでいくことができた。ヒトが他の動物にはない特質(暴力への固執もその一つ)を持つようになったのは、いつ頃からで、何がその決定的要因となったのか。森で木の上に暮らしていた私たちの祖先が、地上に下り、サバンナで生きていくようになった頃にまでさかのぼり、変化(進化)が筋道立てて述べられおり、とても説得力があった。

    簡単にまとめることはとてもできないが、かなり端的に述べられている箇所があるので引用しておく。
    (初期人類がなぜサバンナに進出するようになったのか、いまだ解けない謎であると書いた後)「私はその理由を、初期人類が開発した独特な移動様式と社会性にあると考えている。直立二足歩行と家族である。そして、生態的な理由で発達したこれらの特徴が、後に言語を生み出し、人間に独特な暴力を作り出す基礎となったのである」

    特に詳しく考察されるのが「家族」である。ヒトがつくった家族の形は、他の類人猿には見られない独特なものだそうだ。どうやらここにさまざまな疑問の答への鍵があるようだ。「家族」に的を絞った著作もあるので、それらも読んでさらに考えていくことにしよう。

    ふんふん、そうか、と思ったことを箇条書きで。

    ・熱帯雨林に生きるゴリラの「食」をめぐる状況を述べて。「多様な生命が交錯する自然界で生きるというのはそもそもこういうことだ。他の生命とさまざまにぶつかり合いながら、それが致命傷にならないような方法を編み出して共存にいたる」

    ・被子植物の繁栄→昆虫類の適応放散→昆虫食をする霊長類の登場→果実食への移行→葉食への移行→大型化  こんな大ざっぱな図式化では何も伝わらないが、食物の違いが動物の生態や行動様式にとって決定的であることが、実にわかりやすく書かれていて目から鱗が落ちた。

    ・霊長類は樹上生活によって立体的に世界を眺める視覚を発達させた。人間の視覚の最も基本的な能力である立体視は、樹上生活で築き上げたものをいまだに保持しているものである。

    ・人間社会におけるインセストタブーは、生存能力の劣る子を産むことを避けるためというよりも、むしろ性的な競合を弱めるための仕組みだったと考えられる。このタブーのおかげで家族間に性的葛藤が起こらず、家族の一員が他の家族の一員と性的に結ばれても、家族の絆が切れることはなく、だからこそ、家族どうしは連合することができる。

    ・インセストの禁止を介して、家族は他の家族と密接につながることになった。血縁関係にあるオスたちが別々の相手と配偶関係を確立して共存するようになり、父系の親族集団として結束を深めていった。これが家族の原型であり、その存立条件には出発点からインセストの禁止という規範が埋め込まれていた。

    ・家族は非互酬的な分かち合いの場であり、複数の家族が集まってより大きな共同体を作ったとき、その結束力が、無償で家族や共同体に奉仕する行為を生み、サバンナで初期人類が生き抜く原動力となった。

    ・音楽は言語に先立つ。その起源は母子間コミュニケーションという説もある。音楽は子守歌だけでなく、男たちの連帯を強め、家族や共同体へ奉仕する行為を作り出すことに貢献したに違いない。それが集団の外に向かう敵愾心を育み、集団間の戦いに発展する共同意識をもたらしたと思われる。

    ・共同体の拡大は、その内での互酬的関係の必要性を増す。戦いの規模や頻度が増したのは、人間が共同体の規模を広げようとしたからである。共同体内部の互酬的な関係を維持するために、土地の拡大や富の蓄積が奨励され、他の共同体との軋轢を生み出した。

    ・大量殺戮を辞さないほどの苛烈な戦争が起こるようになったのはなぜか。それは、言語の出現と土地の所有、そして死者につながる新しいアイデンティティの創出によって可能になった。言語にはそこにない出来事や空想上の話を伝える機能があり、それによってバーチャルな共同体を作り出した。国家や民族という幻想の共同体が人々の心に宿るようになった。


    本書の末尾で、著者は人類の可能性について述べている。人間の社会性を支えている根源的な特徴の一つに、育児の共同がある。育児に関する行動やコミュニケーションには文化の違いを超えて普遍的な特徴がいくつもある。それを利用して、人間はもう一度社会の和と力を取り戻すことができると思うと書かれている。教育が可能なのは人間だけであり、その道を開いたのは共同の育児に違いないと。人間の子どもたちは、教育によって多様性と可塑性を身に付けることができるようになった。そこにこそ現代を生き抜く秘訣が隠されていると結ばれている。

  • 『暴力はどこからきたか』(山極寿一)

    またしても、自分の想像していたものとは違うことを語る本を読んでしまった。しかし、それはじっくり本を吟味する習慣のある人なら犯さない過ちであることにも思い至っている。著者の専門や活動領域は必ず、本の最後に掲載されているし、タイトルのそばには多くの場合、サブタイトルとして、タイトルの論を述べる対象となる領域や視点となる方向性が示されている。そして、何より目次がより具体的にこの本の展開と方向の道標となって手にとるものに示されている。それなのにまたしても、このざまだ。

    では私が想像していた『暴力はとこからきたか』のタイトルを見て想像した内容とは何かというと“人間が暮らす社会”のなかで歴史上絶えず繰り返される争い、暴力から逃れられないその起源を解き明かしてくれることだった。(実際には、最終章の中盤以降に著者の推察がしっかり書かれているのだけど)

    それでも、この本の内容は寄り道にしてはかなり強烈で新鮮なものの見方を与えてくれた。5章まであるほとんどの部分は、霊長類の観察による考察なのだけれど、様々な種の霊長類を、生息する場所、食物、捕食者との関係性、性、そして群れという観点でとらえてその社会性の構造を紹介している。
    今まで図鑑や動物園に行って、動物を見るときは、その外観の違いや行動の特徴にのみとらわれてあた。
    でもこの本を読みながらそれぞれの種のメスとオス、血縁による群れの作り方、それを維持するための仕組みをイメージしていくと、何がそんなに多様なものを必要とさせるのかと思わず考えてしまう。そしてさらには、人間の社会のあり方の特殊性も、それらと比較することによって浮き彫りになってくる。
    そして、強く考えさせられたのは人間が身体的な進化をしてきたあとに、試行錯誤して作られた“社会”(共同体)という仕組みはもともとは、争いや暴力を封じ込めるためにできた物凄く精巧なものだった。なのに、二足歩行をして草原を歩き始めて、農耕という文明にめざめてから“所有”という概念が宿り一気に社会(共同体)のもつ力が勝手に回転し始め、封じ込めていた争い、暴力のパンドラの蓋が開いてしまったという歴史の皮肉だ。

    でも、争い、暴力を封じ込めるためにまた遠い歴史の向こうにおき忘れてきた叡智を拾い上げて試みる意志を人類は示せるのだろかと考えると絶望に近いものを感じてしまう。

    そしてこの本を読み終えたあとに、嵐山公園に行ってニホンザルの群れを日がな眺めていたいし、できればルワンダにいってキャンプを張ってゴリラの観察をして見たいと思った。

    今までとは違って彼らのなかに、原始人間社会の卓越性を想像ができるのではないか。と勝手な妄想につながってしまう。

  • 人間の行動は本能的に備わっているものに忠実に動くことが多いなと(だからこそ今の社会と合わずエラーも多い)思うから、そのあたりの普遍的な部分が知りたかった。

    チンパンジーなどの研究の専門的な部分は読まず。
    人間についての起源を探る考え方が共同体の拡大に役立ったのでは?という考察、今後の人間社会を支えるのは共同体を超えた教育なんだという主張は面白かった。
    この手のものは一つ重要なアイテムが見つかったらガラッと考察が変わりかねないものだから、真に受けるというより限られた情報量からどう仮説を立てているのかを楽しむものだね。

    「承認欲求を相手を陥れることで満たすのは人間特有なのか」
    戦いは究極の破壊であると同時に、究極の愛の表現でもあるのだ
    社会的な繋がりが大きくなって、誰が敵味方かわからないから線を引くために無駄な暴力を振るう
    武器を使えるようになったから脳が発達したのではなく、環境変化に対応するために脳が発達して、結果的に武器が使えるようになった
    本来共同体は家族の延長で、お互いの顔や個性を認知できる150人程度が限界
    言語によってその場にない抽象概念を伝えられるようになったことで国家や民族という枠組みが生まれた
    狩猟は点、農耕は面で世界を捉える
    死者という概念が生まれることで、過去の権利の主張ができるようになった
    自分の起源がどこにあるのかを思考することは共同体の規模を拡大する上で都合が良い(何世代も遡れば地域の人とはどこかしらで血縁関係があったりするわけで)
    教育は類人猿にもない人間独自のもの(特に母親以外からも教えがあるというのが)
    教育によって多様性の概念を理解するから行動の制約が緩くなる
    筆者としてはそこに、今後の人間社会の希望があるのではないかとしている

  • 著者(京大現総長)はゴリラと長い時間いっしょにすごしてきたせいか、見た目とか声の感じがゴリラに似ている。本書ではゴリラだけでなく、チンパンジーやボノボ、オランウータンなど、さらにはいろいろなモンキーの生活から始まって、現在のヒトの文化や戦争について語られる。サルにも暴力はある。子殺しはわりと有名な話だけれど、後から群れにやってきたオスが、自分の子孫を残すべく、メスの発情を誘うために、前のオスの子を殺してしまうのだそうだ。さて、人の暴力はどこから生まれるのか。いわゆる未開の部族が狩猟をするからと言って暴力的であるとはいえない。部族同士の争いが起こったときも、ある程度のけが人は出るかもしれないが、致命的な傷を負わすところまでは行かないらしい。それがどうだろう、文化が発達?したはずの人間社会は、いまでも戦争を繰り返している。皆さんは食事のとき家族の中で大皿からおかずを分け合いますか?それとも一人ずつ別に盛っていますか?未開の部族の人たちは獲物を持ち帰ったとき、ふつうにそれを皆で分かち合うのだそうです。大きな家族、共同体ということでしょうか。人の数も150人程度で、皆が皆のことを知っている。その中では特に所有の概念がない。分かち合う。シェアする。ところが、自分のモノとか、自分のお金とか、自分の土地とか、所有ということを意識しだす。家族から少し大きな社会、そして国家ができ、権力者が生まれる。我々は見えない権力に常に支配されるようになった。そういった中で、相手の姿が見えない戦争が始まった。本書を読んで、いま少し、ヒトが霊長類の一員としてもともと持っている能力を思い出してみてはどうだろうか。

  • 霊長類の生態が7割、人間の特徴に焦点を当てているのは1章と3章の後半。
    内容としては興味深く文章も読みやすいので、その部分を読んで興味があれば他の部分にも手を出してみては。

  • 専門的な話が多かったが、類人猿の生態やヒトの進化の過程について興味深く読み進む事が出来た。

  • 【速読】内容のほとんどを霊長類の食物、性にかんする同種間の争い、その研究について割いており、じゃあそれと比較して人間はどうか、というところは最後の方にちょいと。速読しようとしましたがしっかり読まないと理解、というか実験内容などを把握するのが難しい。文化史的には、序盤の「2001年…」の猿の映像に絡み、道具と暴力性を関係づける間違った理解がなぜ流布したか、って話はほほーと思いました。

  • 本書は例えば、レヴィ=ストロースの「親族の基本構造」に裏側から光を当ててくれる。記号を用いたその複雑な議論も、霊長類の生態という視点からみればきわめてシンプルに説明できる。読みながらしばしば思ったのは、ヒトというのは霊長類の中でも、ひどく矛盾していて曖昧な存在であるということ。さらにその曖昧さが、人類を生んだアフリカの地理的条件と生態環境に由来していると知り、目から鱗。人間を除く動物というのはしごく論理的な存在だが、一方で論理的でなくなることもできる、というのが人類の特質であり柔軟性であると感じた。
    もうひとつ驚いたのは、「墓」が代々の土地所有を正当化するために立てられたということ。死者を弔うという行為も、霊長類学的観点からすれば、生存上必要な動機に由来しているのかもしれない。あるいは祈りや神という行為・概念すら、すんなりと説明できてしまうのではないかと読みながらドキドキした。

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著者プロフィール

(やまぎわ じゅいち)
日本の人類学者、霊長類学者にして、ゴリラ研究の第一人者

1952年 東京都生まれ
1975年 京都大学理学部卒業
1977年 京都大学大学院理学研究科修士課程修了
2002年 京都大学大学院理学研究科教授
2011年 京都大学大学院理学研究科長・理学部長
2014年 京都大学総長 就任

「2019年 『動物』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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