現代帝国論 人類史の中のグローバリゼーション (NHKブックス 1124)
- 日本放送出版協会 (2008年11月28日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784140911242
みんなの感想まとめ
社会の変化や価値観の崩壊をテーマにした本書は、流動化と安定化の歴史観を提示し、現代の不安や諦念に対する新たな視点を提供します。特に「ポランニー的不安」という概念が中心に据えられており、過去の秩序更新を...
感想・レビュー・書評
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「ポランニー的不安」がメイン概念になっているので、『大転換』を理解していないと、消化不良になる可能性あり。一応、『大転換』は院ゼミで輪読済みだが、それでも結構難解だった。
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「現代帝国論―人類史の中のグローバリゼーション」
https://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51301141.html -
現代帝国論―人類史の中のグローバリゼーション (NHKブックス)
(和書)2011年03月31日 22:55
山下 範久 日本放送出版協会 2008年11月
柄谷行人さんの書評をみて読むことにしました。
難解ですが興味深い内容でした。
世界を批判(吟味)するという徹底した姿勢が貫かれている。著者も言っているが飛躍が多く簡単に纏めることができる内容ではない。
ただこういう思考実験は無害である上に有益なものだと思った。こういった姿勢を持つ人の本を読めて僕の頭にとって非常に良い刺激になりました。 -
現代の日本は衰退状況にあるとの認識が定着しつつあり、不安や諦念が蔓延しつつあるなか、右も左も相互に不寛容で不健康な言説がはびこっているように映る。
そうしたなかで本書は、流動化と安定化の反復の歴史観を提示する。しかし、そうしたサイクルの時限性は否定している点で誠実である(もうすぐ反動が来る、といった類の予言の書ではない)。
つまりは、社会の変化とか価値観の崩壊といったことは、過去にも普通に別の秩序更新によって乗り越えられて来たのであって、必要以上にビビることはない。だがしかし、いつ秩序更新ないしカオスの深まりを招くのかは当事者次第であるから、着実に一つ一つ対処していくことが大事、ということである。
逃げ切れる年長者たちのご都合主義(ネットのウヨもサヨも実際は中高年ばかりですね)に振り回されないために、若い人たちに大いに利となる書ではないだろうか。 -
国民は、支配されることを欲するか。ある意味では、欲すると云えよう。例えば我々は、国家から、生活安全の保障、ルール化された物品の流通、人民同士の対等な交流を可能にする、社会的待遇、管理される事に付随する見返りを、常に期待した通り、大凡のところ満たされてきた経緯がある。管理が完全に行き届いた帝国の内部で、人民はある程度の秩序を与えられ、心地よい自由まで感じて、生きることが可能だった。目指すべき明確な目的を共有し、個人的な欲求も満たしうる世界の構築に、歴代の帝国が果たしてきた役割をみる事が、可能だ。しかし、その支配構造は、現代の多面的な価値観の林立によって、翳り始める。帝国が、既成の約束事を国民に保証できなくなり、存亡の危機まで囁かれる事態となる。帝国が依拠してきた普遍性は、底が抜け始めて、絶えない不安が、根こそぎ我々に植え付けられる。この帝国と云う神話を、我々は、いつからか自然に疑うようになった。不安から抜け出せなくなった己の現実を、はっきり自覚する機会に恵まれるようになった。支配の崩壊は至る所に現れ、結論の出ない議論をあちこちで見聞し、国家に任せていた仕事を、自分たちで代行して、補う必要があると感じ始めた。そんな時代において、本書が示した事とは、自分の精神を帝国化させる、と云う発想の転換、各自が自立した普遍性を持ち、容易に状況の好転や発展に結び付くとは限らないと知りつつも、他の人々と連携を取ろうとする姿勢、ではないだろうか。本書には、現代を生きる我々の心に共鳴する、同じ者としての声がある。出口を模索する人々に、可能性を開示しようと格闘する姿勢、アクチュアルな問題に立ち向かう思考過程に、大きな励ましを見出せる。読み終わった時、今後の人生に有効である手掛かりを、幾つか手にして、ある種の希望に安らいだ己を発見する事だろう。
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世界システム論で有名な山下氏の著書。
読むには読んだが筆者の独特のいい回しや、正直、自分の頭がついていっていない面があるので、本書を読むためには基礎的な知識を整理する必要があると思う。。内容を、1部を1~3章、2部を4~6章、3部を7~8章としているので章ごとに、自分的に理解できたことをまとめてみる。
1章では、ハートとネグリーの<帝国論>から、帝国を歴史的に超越と内在性の抗争と捉えて、神のような<超越>から、抗争を経て<帝国のような>内在性の時代へと変化するとしている。この帝国と民族の関係、統治機構がだつ官僚化することや、この過程で差異が活性化するとしている。
2章では、カール=ポランニーの著書「大転換」の考えから、ヨーロッパの平和の100年は、勢力均衡、国際的金本位制度、自由主義的国家、自己調整的市場になりたっており、転換の過程が限界に来ると「大転換」が起こるとされている。そして、現在は第二の大転換の前夜であると考えられているので「ポランニー的不安」の中にいるとしている。
3章では、ウォーラーステインの世界システム論に対して、フランクの「リオリエント」から、西欧中心からユーラシアもいれた世界構造を考え、「近世帝国」の定義を考えている。
第2部では、ポランニー的不安に立ち向かう方法として3つあるとしている。4章では、ネオコンに近いネオ・ホッブス主義として、F・フクヤマ、ファーガソン、イグナティエフを取り上げている。5章では、リスク社会をポランニー的不安としてとらえて、食品表示偽装などのように「信じていないけれど、信じる」という、アイロニー的な部分をシニカルな普遍主義としている。6章では、トッドとウォーラーステインからメタ普遍主義という概念をだしている。
7章では、国際社会を、多元主義、連帯主義の観点から3つにわけ、国内類推の考えを導入して平和について考え、8章では自然と社会の中での戦争などについても言及している。
入門書ではなく、読み手を選ぶ本だとは思うので、読む前に基礎的な事項を整理した方であればきっと良い本になるだろうと思った。あと、結論が月並みなことに終わっているので、自明のことを過去の大作から論理的に説明をしている論文に近い本かなと思った。 -
現実のグローバリティは単一の平滑空間ではなく、世界の複数性を管理する力の分不によって分節化されrている。帝国とはその世界の複数性の管理を安定化(固定化)しようとする力の謂いである。
イグナティエフは人権概念は西欧社会のポジティブな構築の中から出てきたものではなく、世界大戦、特にホロコーストの経験から出てきたものだと指摘する。
長い16世紀に構築されたのは、帝国というよりもむしろ帝国的な様式で構成されたリージョナルな空間秩序。
帝国としばし対置される概念は民族である。帝国を乗り越えの対象とする従来のパラダイムにおいて、その乗り越えの主体は民族(ネーション)であった。実際、近代の歴史は政治的な意思決定(自決)の単位としての民族が、グローバル化していく過程であったと言っても過言ではない。
帝国では国民国家を介して維持されていた超越性が解体の危機に品詞、代わって市場、民主主義、人権といった枠組みの下で複数の普遍性が世界の構成をめぐって相争うことになる。 -
帝国を論じながら、議論の中心にネグリ=ハートに置いていないのは??「帝国」≒アメリカという理解も。読むのを控える。
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著者の山下氏は私より1つ年下だが,かつてお世話になったことがある。彼が東京大学の大学院生時代,彼が世話をしていた「近代思想史研究会」のような研究会があり,そこに呼ばれて発表したことがあったのだ。今考えると恐れ多いが,たまたまその研究会に参加していた山田志乃布(現在,米家志乃布)さんが,自身の発表の会に,もう一人地理学者を,ということで私に声を掛けてくれたのだ。
山下氏は修士時代にイマニュエル・ウォーラーステインの下に留学に行き,帰国した頃から,フランクの『リオリエント』という分厚い本を,そしてウォーラーステインの新しい本も次々と翻訳出版し,ウォーラーステインの翻訳書の出版元である藤原書店が新しく創刊した雑誌『環』にも関わっていた。その発表の会には著名な研究者や『現代思想』の編集長なども来ていて,その頃投稿前だった田沼武能の話などしたりして,皆さんは非常に有意義なコメントをくれたけど,今思うと,非常に申し訳なかったような気もする。その後ももちろん発表はしないが,その研究会には何度か参加させてもらったが,山下氏が北海道大学に就職が決まって,なんとなくその研究会はなくなってしまったようだ。
その後,2003年に講談社選書メチエから『世界システム論で読む日本』を単著として出版し,2006年には同じくメチエから『帝国論』を出版する。彼はウォーラーステインの世界システム論を基本とし,そのヨーロッパ中心主義を批判したフランクの『リオリエント』にヒントを得て,世界システム論の枠組みでオリエントに位置する日本を考えるというのが研究テーマだといえるが,実はそれらの著書はまだ読んでいない。しかも,つい最近『ワインで考えるグローバリゼーション』などという本まで出版し,驚いて書店であとがきを立ち読みした。そもそもワイン通だった彼だが,趣味を実益にしようというこの本の企画を相当な努力でしっかりとした本に仕上げたようだ(こちらも読んでいない)。
まあ,ともかく彼の本を読んでみたいと思っていたのだが,たまたま外出先で携帯した本が読み終わって,書店で物色したときに見つけたのが本書。ちょうどネグリとハートの『〈帝国〉』から発する帝国論が流行っているのに全く内容が分からず,しかもその分厚い本を読む気にはならないので困っていたところもある。
そんなことで読み始めたわけだが,前半は本当に勉強になった。前半はネグり・ハート流の〈帝国〉論が,世界システム論との相違を中心に分かりやすく解説される。そして『リオリエント』との関係,そしてフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』などが手際よく整理される。しかも,さすがだと思うのが,フクヤマのその後の議論もしっかりとフォローしていること。もちろん,フクヤマだけではなく日本で翻訳が出ているようなグローバル論もほどよく検討される。
しかし,後半になってくると名前も知らない論者が多く出てきたり,いきなりジジェク流の精神分析の議論が解釈に加わってきたりで,正直NHKブックスとしては複雑な展開過ぎないか。しかも一方では,さまざまな議論が命名され(例えば「ポランニー的不安」)訳がわからなくなってくる。この「命名」は彼にしか通用しないような独断ではないが,どうにも正直,私とは思考回路がちょっと違うんだろうな,と思ったりしたて。ともかく,引き続き彼の著書を読んで勉強させてもらうことにしよう。 -
日本で世界システム論といえば、な山下先生。
世界システム論の論点のうち普遍主義の部分を掘り下げた感じ。色んな論者(ネグリ・ハートやウォーラーステイン、大澤真幸など)の議論を通して、世界の底が抜けるんではないか、自分の信じてるあらゆる基盤自体が崩壊するんでないかといった「ポランニー的不安」やそれへの対処を論じてる。
今まで私は今自分が信じる、当たり前やと思っている(西洋的)世界が唯一ではなく複数あるという風な考えは持っていたけど(ウォーラーステインの『ヨーロッパ的普遍主義』を読んで更に強めた)あらゆる底辺がなくなってしまうというような不安は感じたことがなかったけど、世界の複数性についてとことん考えると確かにそんなところに行き着く。
もしそれが未来なら、底が抜けたら…ホッブズ的な無秩序が現れるのか。
若干結論が尻すぼみな感じがしたけど、かなり読み応えありました。
でも何か頑張ってることが無意味に感じたり人間の無力を感じたりするかも。
ポランニーもネグリ・ハートもちゃんと読んでないので早く読もう。 -
気鋭の歴史社会学者による「帝国論」の見取り図。一般書にしては文章が難解で、さらに結論がやや安易な印象を受けるものの、近年の帝国論を学ぶうえで格好のテキスト。
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読了:2009/11/17 図書館
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読み終わっての感想としてまとめられるのは…
●とにかく著者のものすごい読書量による知識量の深さ・広さに圧倒されながらも、帝国をめぐる知識が頭の中で整理されたこと
●若い学者が偉大な学者の残した形跡を吸収しながらも今後さらに深い論考の必要性を感じさせる終わり方で本書が閉じていることで、今後著者がこの帝国論においてどのような学術的地平を切り開いていくのかが気になること
この2つが読後感として強く残った感じです。私が今まで気になりながらも手に取ることの無かった多くの書籍のうち、アントニオ・ネグリ&マイケル・ハートの『<帝国>』、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』、カール・ポランニーの『大転換』、マイケル・イグナティエフの『人権の政治学』、イマニュエル・ウォーラーステインの『近代世界システム』などを引用しながらグローバリゼーションを人類の歩んできた歴史の中に再度位置づける(著者の言葉では「再歴史化」)ことで、21世紀最初の10年で私たちが経験した事実からわきでる不安をどのように捉えるべきかを検討します。
アメリカ合衆国の没落(金融危機の発信源、信頼を失った超大国のユニラテラリズムなど)、対テロ戦争関連(市民社会が払う自由の犠牲、戦争行為と警察活動に違いが見られないこと、テロリストへの理性を含めた対応策の不在など)、人間と神との関係性への視点(人知を超越する何かへの期待と諦観の同居、超越性を掲げる者同士の衝突など)などなど。国際政治の現場で取り上げられる問題から、日本社会において顕著に見られる傾向にも共通項が見いだせるものが、帝国論につながっている確かな視点を提供してくれます。
カール・ポランニー(が著作で示した「大転換」を、著者は人間(労働)・自然(土地や環境)・聖性(宗教や貨幣価値)などを「販売のために生産」することで成立している資本主義を中心とした社会や市場が経験している崩壊過程からうまれた不安が、生活や世界が大きく変化する心情を形成しているとして「ポランニー的不安」と呼びます。この定義が新鮮でした。確かに自然を商品として市場経済において自由にやりとりとした結果のバブル崩壊や、貨幣価値や金融商品への過度の信頼が崩壊した結果としての今の金融危機を想起しやすくなりました。
著者の論考はその後、このポランニー的不安への対処法として日本の国内外の論考としてどのようなものがあるかを3つに分けて紹介しています。この分類が果たして効果的かどうかは分かりませんが、それぞれに世界を独自の切り口であぶりだしてみることで、自分自身が感じている曖昧模糊とした感覚が何から来るものなのかを知ることが出来たことへのすっきり感はありました。だからこそ、最終章で著者が示したこれからの行動としての「グローバルに考え、ローカルに行動せよ」という号令には?マークが浮かんでしまったのでした。そして、最後の最後でかられているのは、以前読書感想文でも取り上げた大沢真幸氏の『不可能性の時代』で描かれた不可能性としての他者がここでも出てきたことも少なからず関係しているかもしれません。
またこの本を読み進める上で最大の難点は、難解な単語が多く登場することです。〜性や〜化といった言葉がたくさん登場するため(しかもたいがいそういった学術的専門用語は広辞苑を引いても出てこない)に、著者の真意に迫りきれない微妙な知的距離感を抱きつづけたまま読みつづけるしかなかったというのも残念な気持ちとを読後にもつ原因になったかもしれません。でも新書よりも深く掘り下げてあるから一定の満足感もあり、専門書ほど難解ではないために敗北感や拒絶感もないポジションで発売されるNHK出版の本ですから読み切れたとも言えますからその点については感謝ですね。
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