天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト (NHKブックス 1146)
- 日本放送出版協会 (2009年11月28日発売)
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感想 : 17件
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Amazon.co.jp ・本 (296ページ) / ISBN・EAN: 9784140911464
みんなの感想まとめ
歴史の中で「天皇」がどのように創り出されたのかを探求する本書は、日本書紀の虚実を分析し、持統天皇の夢を背景にした天孫降臨神話の成立過程を論じます。著者は、藤原不比等が天皇制を権力の道具として利用したこ...
感想・レビュー・書評
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「天皇」はどのようにどうして創られたのか?日本書紀の虚実と成立過程を分析することにより導き出した大胆な仮説を論じる。持統の夢である草壁系の皇統を確立するための権威として産み出された天孫降臨神話。最終的には藤原不比等は、「天皇制」という権威の形で藤原氏権力の盾や飾り、そして都合のよい道具とし、「律令制」という枠組みを統治の手段に使った、という論旨だと理解した。
前半は、著者の以前よりの持論である、創られた「聖徳太子」論が中心であったが、それは「日本書紀」編纂にて必要となった聖人君子的王権としての創造物だという論理であった。
奈良以前の古代史は、史料制約が大きすぎてそれこそ百家争鳴の体であるが、本論では推理の域を出ないものの論理的には受け入れられると感じた。古代史は名前読みや史料の読みが難しく、自分にとってはほとんど言われるがまま状態なんですけどね。(笑)
聖徳太子のほか、用明・推古も存在せず、蘇我馬子王朝があり、隋の裴世清が会った倭王の多利思比孤とは馬子であったとの推論はとても興味深く、そう言われたらそうかもしれないですね、と思ってしまった。高校時代の知識で、自分は漠然と聖徳太子だなと思っていたので、それこそ全否定されました。(笑)
本書の終章では天皇論のあり方というか歴史を研究する態度について、著者のこれまでの思いが込められた話となっており、歴史学を勉強した者なら感じる違和感をまとめている。学生時代、教授が「(天皇は)何でイヤって言わない(言えない)んだろうネ!」と言っていたのを思い出しました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
・日本書紀の編者は仏教伝来を唐宋の末法思想によって描きつつ、たくみに蘇我馬子という現実を否定し、その代わりに聖徳太子と用明・崇峻・推古の歴代大王を捏造した。
・藤原不比等が自らに課した課題は草壁・軽(文武)・首(聖武)の三人の皇子の擁立だった。現実には、常に幼い皇太子と中継ぎの女帝であった。
・4世紀末、朝鮮半島で高句麗の好太王が即位(391年)すると百済・新羅を激しく攻め、朝鮮半島は激動期に入った。とくに百済は倭国に軍事援助を求め、これが契機となって多くの技術者・学者が流入。その子孫が東漢氏や西文氏、秦氏となって日本文化の最大の担い手となっていく。
・好太王没後、ヤマト王権は新たに文化と権威を求め、南朝に朝貢する(倭の五王の外交)。このあいだに国内・国外の状況は大きく変わった。(1)本来、外交を掌握し、西からの文化/先進技術の流入を独占することがヤマト王権の権力の源泉だったが、筑紫・吉備などの西日本勢力が進出するようになった。(2)475年の百済滅亡、479年の南宋滅亡でヤマト王権の朝貢外交は事実上崩壊(3)各地の有力な首長に代わり、村落単位の小首長や有力父長が小さな古墳を大量に造るようになった。
・乙巳の変の背景には唐の高句麗征討が始まって以来、王権内に外交方針をめぐる亀裂が走ったのではないかと筆者は考える。同じような政変が朝鮮三国で続いて権力集中と反対派の粛正が起こっている。 -
2016.08―読了
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第1部 『日本書紀』の構想(“聖徳太子”の誕生;『日本書紀』の虚構;実在した蘇我王朝;王権の諸問題)
第2部 天孫降臨の夢(“天皇制”成立への道;藤原不比等のプロジェクト;天孫降臨神話の成立)
天皇制をめぐって
著者:大山誠一(1944-、東京都、日本史) -
古代史の枠組みを見つめなおす。
面白い。 -
久しぶりに面白い本を読んだ。
この分野は門外漢だが、筆者の説得したい内容やその熱い思いがひしひしと伝わってくる。
テレビで紹介されて気になって購入したものだが、既存の文学観に抗い、テキストに書かれたものから歴史を信じるのではなく、読み解いて、発見するという姿勢に感銘。
ちょいちょい入る、学者への批判が辛口スパイスをきかせている。
氏の説は、ロマン派たちになかなか受け入れられないのだろうか、と勘ぐってしまうところも面白さの一つ。 -
日本の王権(天皇制)の性格の環境決定論的理解や、「藤原不比等の陰謀」に還元する記紀神話形成史論など、仮説の上に仮説を重ねていて疑問が多い。
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「聖徳太子はいなかった」
「用明・崇峻両天皇もいなかった」
「蘇我馬子は大王だった」
衝撃的な内容が書かれていた本書。
自分は日本史が専門ではないので、事の真偽はわかりません。
痛感したのは歴史学の科学としての難しさです。
歴史は人間がつくるもの。
歴史を学問として扱うとき、
その根拠となるのは古文書などの文献と発掘される考古遺物です。
しかし、古文書に書かれていることが事実とは限りません。
勝者は自らを正当化しますし、
勝者に限らず自分に都合のいいことしか書かないでしょう。
正しい正しくないで割り切れるものばかりではありませんし、
個人の日記に客観性を求めることはできません。
国家が編纂する歴史書と言えども、
自分たちにとって正しいことが歴史なわけですから、
それが事実かどうかは問題ないわけですね。
事実じゃなくても真実になってしまうわけです。
歴史は創造されるんですね。
それをやったのが藤原不比等、だそうです。
中身の話のおもしろさはもちろん、
歴史って何だろう? と考えられる本です。 -
筆者はあの聖徳太子は実在しなかったという説を唱えた人だった。前半で十年前のその学説を振り返っているが、限られた資料を基にした議論は丁寧で違和感はない。千年以上前のことだから聖徳太子が実在したのか否かを実証するのは難しいだろう。本書では天孫降臨神話も藤原不比等によって創られたとするが、そもそも神話はその国民によって語り継がれるうちに着色され膨らまされ歪められるものであり、多かれ少なかれ作り話であることは自明である。学問的に解明し尽くすことは永遠に出来ない(数年前に起きた事件の真相さえわからないことが多いのだから)。
頭から聖徳太子は実在したと信じ込み検証作業さえタブー視する思考停止症候群よりも遥かに健全な自国史に対する姿勢だと思う。僕のような素人日本史ファンを養うにも役立つ。 -
日本書紀の記述の信ぴょう性を疑い、聖徳太子が実在の人物ではなかったこと、推古が大王ではなかったこと、蘇我馬子が大王であったこと、日本書紀に描かれる神話が藤原不比等を中心とした作り話であることを論じています。
天皇家はどこから来たのか?というのは未だもって謎ですが、王権を絶対的なものにするために藤原氏が関与していたという説は新たな驚きでした。
歴史の教科書に書かれていたことが違うということはよくあることですが、今後の日本古代史の部分は教科書にどのように記述されるのでしょうか?何十年後かが楽しみです。 -
「(厩戸皇子はいたけど)聖徳太子は実在しなかった。」という説から始まる、まるで謎解きのような史実。
誰が何のために、聖徳太子信仰を生み、そして天孫降臨神話を創作したか?そこから導かれる古代王権と天皇制の真の姿とは?
現在まで続く万世一系の神話は、実は藤原不比等が、自らと一族のために創作したという事実はかなり衝撃的。 -
20100501読了
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大山誠一の作品
