「かなしみ」の哲学 日本精神史の源をさぐる (NHKブックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140911471

作品紹介・あらすじ

わたしたちは古代から今にいたるまで、「かなしみ」を主題にした歌や物語に慣れ親しんできた。本来厭うべきであるはずのこの感情を積極的に享受し表現してきた日本人の態度から、どのような世界観を引き出すことができるのか。かなしむ「われ」(自分)の中に、日本的美意識や倫理感覚が生まれる瞬間を見定め、かぎりある人間とかぎりのない世界との関係の本質に迫る、日本思想研究の精髄を注ぎ込んだ力作。

感想・レビュー・書評

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  •  芸術から大衆娯楽まで、あらゆる日本文化の底流を共通して流れるのは「かなしみ」ではないか。たとえば、童謡・唱歌や軍歌の多くは「独特な『かなしみ』の調子につつまれて歌われている」――と、著者は言う。

     なぜ、無邪気に楽しむ子どもたちの歌が、あるいは、勇敢さを鼓舞すべき軍歌が、こうした「かなしみ」において歌われてきたのかという問題がそこにはある。そこにはさまざまな理由が考えられるが、基本的には「悲の器」としての人間という受けとめ方が底流しているように思う。

     なぜ、日本文化はこんなにも「かなしい」のか? 「否定的な感情であるはずの『かなしみ』に深く親和してきた日本人の心のあり方は、どのような他者や世界の受けとめ方に基づいているのか」? 本書は、そうした問いに答えようとした論考である。

     高橋和巳の小説に用いられて広く知られた『往生要集』の一節「我は悲の器なり」への論及から、本書は始まる。そして、文学・哲学・宗教から歌謡曲まで、ジャンルを自在に横断しつつ、著者は古代から現代までの日本文化を「かなしみ」という串で刺しつらぬいていく。

     記述が抽象的・観念的にすぎて、わかりにくい部分もある。が、「かなしみ」こそが人生をより豊かにする面もあるのだと、肯定的にとらえている点には共感する。

    《現代において見失われつつある、他者への倫理や世界の美しさ、超越的な存在へのつながりといった可能性をもつ「かなしみ」の力を、今あらためて「復権」させるべきだ》

     その他、印象に残った一節と引用句をメモ。

    《悲哀はそれ自らが一半の救いなり。……神はまず悲哀の姿して我らに来たる。……我らは悲哀を有することにおいて、悲哀そのものを通じて、悲哀以上のあるものを獲来たるなり(綱島梁川『病間録』)》

    《哲学の動機は「驚き」ではなくして深い人生の悲哀でなければならない(西田幾多郎)》

    《「断腸」という言葉は、腸がちぎれるほどに「かなしい」ことを表わす言葉であるが、もともとは、子どもを失い「かなしみ」のあまり死んだ母猿のお腹の腸が細かくちぎれていたという故事からきたものである。》

  • 『「おのずから」と「みずから」』の著者による日本精神史の核心を探る試み。
    今回は「かなしみ」に焦点が当てられている。
    竹内自身の考察にさほどの深みはないが、引用されている文章に味わいと次なる読書への端緒が豊かに見つかる。

    個人的にはこの本を読んで、源氏物語を読み始めることになった。(柏木が死ぬ間際に、女三宮に「あはれとだにのたまはせよ」と請い、しかし女三宮はそれに応えない。この場面を本居宣長は問題にするわけだが、まさにこのやりとりにおける「あはれ」とはいかなる深さと味わいをもつのか。興趣が尽きない)

    あるいは和辻哲郎。

    ‥かくて我々は、過ぎ行く人生の内に過ぎ行かざるものの理念の存する限り、−永遠を慕う無限の感情が内に蔵せられてある限り、悲哀をば畢竟は永遠への思慕の現われとして認め得るのである。‥
    ‥「物のあはれ」とは、それ自身に、限りなく純化され浄化されようとする傾向を持った、無限性の感情である。すなわち我々のうちにあって我々を根元に帰らせようとする根源自身の働きの一つである。(『日本精神史研究』)

  • 「かなしみ」という問いの原点:
    1宮沢賢治の「かなしみ」の表情
    「どうして僕はこんなにかなしいのだろう」
    「存在倫理」という考え方
    「修羅」の「かなしみ」
    「かなしみ」の相克・相乗
    2西田幾多郎の哲学の理由
    哲学の動機は「悲哀」である
    「悲哀」を介して「無似の新生命に接する」

    「かなしみ」の力:
    1「驚き」から「かなしみ」へ
    「かなしみ」論の典型としての独歩
    「要するに悉、逝けるなり!」人生の「不思議」を驚く
    2「天地悠々の哀感」と「同情の哀感」
    「天地悠々の哀惑」「同情の哀感」
    3「哀感の力」
    「人情と自然との幽かなれど絶えざる約束」
    「神はまず悲哀の姿して我らに来たる」

    「かなし」という言葉の歴史:
    1やまと言業としての「かなし」
    「・・・しかねる」有限性としての「かなし」
    思いの届かなさとしての「かなし」
    いとしさとしての「かなし」
    しみじみとした惑典としての「かなし」
    「かなし」の多様な実例漢字としての「悲」「哀」
    2柳田園男の批判
    柳田國男の指摘
    「泣く」という表現手段
    3本居宣長の「あはれ」論
    なぜ「あはれ」が悲哀に特定されたか
    「あはれ」の微妙な味わい

    他者に向かう「かなしみ」:
    1本居宜長の「共悲」論
    歌えば「かなしみ」は晴れる
    受けとめ手があれば、なお「かなしみ」は晴れる
    「でんでんむしのかなしみ」
    2「やさしい」という倫理
    「やさしい」とはどういうことか
    「やさし」の距離感
    3「あはれ」から「あはれみ」ヘ
    「あはれ」から「あはれみ」へ
    「いたむ」から「いたましい」、そして「いたわる」へ
    他者の「かなしみ」へのまなざし

    神・仏と「かなしみ」:
    1共悲の倫理性の「届かなさ」
    「汝が性のつたなきを泣け」
    共悲の倫理性の「届かなさ」
    2呻き声としての「悲」
    「おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし」
    常行大悲の益
    「慈悲」の担い手は誰か
    呻き声としての「悲」倫理感情
    宗教惑情としての「悲」「かなしみ」
    3本居宣長の「安心なき安心」論
    死はひたすら「かなしめ」ばいい
    「かなしむ」ことは神々に従うこと

    「われ」という「かなしみ」:
    第六章「われ」という「かなしみ」
    1無常感としての「かなしみ」
    無常哀感としての「かなしみ」
    「せむ術なさ」としての「かなしみ」
    「せむ術なし」とは大いなる働きの感受でもある
    自然感情としての「かなしみ」/「われ」の「かなしみ」
    「一隅」性としての「かなしみ」
    2「あきらめ」と「かなしみ」
    「あきらめ」と「諦」
    子規の「あきらめ」
    鴎外・漱石・花袋の「あきらめ」
    正宗白烏の「あきらめ」
    3「修羅」の「かなしみ」のゆくえ
    「けっしてひとりをいのってはいけない」
    「いとしくおもうもの」から「みんあの幸福」へ

    別れの「かなしみ」:
    1なぜ「さようなら」と別れるのか.
    「さようなら」は、もともと接統詞
    これまでの総括がこれからにつながる
    2「別れ」としての死
    死は「別れ」である
    「うしろ髪をひかれるからこそ」死ねる
    3悲哀の仕事
    「かなしみ」を共有する

    「かなしみ」の表現:
    1宇宙に響く「かなしみ」
    「やりきれなさ」を表現する
    表現することで救われる
    宇宙に響く「かなしみ」
    2「かなしみ」の美意識
    「かなしみ」の受容に美が介在する
    有限の中に無限の美を見る
    「悲哀の快感」論
    3「かなしみ」のセンチメンタリズム論
    「悲しみの〈其珠化〉」
    センチメンタリズム批判
    ナルシシズム・センチメンタリズム
    定型・談合・記号・制度
    センチメンタリズム擁設論
    感情から出発する

    有限性/無限性の感情としての「かなしみ」:
    1喪失・欠格としての人間存在
    「何かとんでもないおとし物を/僕はしてきてしまったらしい」
    2「悲の器」の「悲」の二重性
    独歩の喪失感と「水辿の命の悌」
    「永遠の根源」への/からの「かなしみ」
    有限性/無限性の感情としての「かなしみ」
    3「みずから」/「おのずから」の感情としての「かなしみ」
    「みずから」/「おのずから」の感情としての「かなしみ」
    「かなしみは明るさゆゑにきたりけり」
    牧水の旅の「かなしみ」
    「このかなしみを/よしとうべなうとき」

  • 途中からは斜め読みになってしまった。

  • 哲学

  • われわれ人間は、蜂や木や星と同じように、確かに「おのずから」の働きの中にあるが、しかし、われわれの場合には、その働きの中に完全に組みこまれ一体化しているわけではない。否応なく「おのずから」に組みこまれながら、しかしなおそこには簡単に解消・全廃することのできない「みずから」の思い、この「私」、この自分という意識がある。そうした『おのずから』と『みずから』の『あわい』にこそ、「かなしみ」というものが呼び起こされている。そして、世界・自然の「うつくしさ」や「おごそかさ」や「しづけさ」を知るためには、われわれ自身が「かなしく」なければならないのである。なるほど。

    [more]<blockquote>P54 「かなしみ」の「カナ」とは、「・・・しかねる」の「カネ」と同じところから出たものであり、何ごとかをなそうとしてなしえない張りつめた切なさ、自分の力の限界、無力性を感じ取りながら、何もできないでいる状態を表す言葉だということである。

    P99 親鸞が繰り返し強調しているのは、われわれ人間には、どんなに「かわいそうだ」と思っても助けることができないことがあるということである。ここには自力への絶望がある。

    P104 「優しい」というのはけっしてわれわれ自身の「みずから」の能力によって「優しい」というのではない。だから「自分は優しいんだと思っている限り、人間は決して優しくありえない」。そうした自己を反省し、自己中心・人間中心主義の言葉や知恵というものの無力さ・無効さを知り得た時、初めて自己の底から「自然に溢れ上がってくる」力が「いのちの優しさ」なのだ。

    P112 ひとつは、この世界は、神々が定めた世界としてあるから、それをそれとして受け止めて生き、死ねばいいのだということであり、もうひとつは、死ぬことはとてつもなく「かなしい」ことで、「かなしむ」以外にないということである。
    その二つのことが別事とではないということが、この考え方の肝心なところであろう。つまり「かなしむ」以外にないことをきちんと「かなしむ」ことが、結局は、この世の仕組みをそう定めた神々の働きに従うことになる。だから、そこに「安心」というものがあるのだという考え方につながるということである。

    P152 世の中には出会いや別れを含めて、自分の力だけではどうにもならないことがあるが、日本人は、それをそれとして静かに引き受け、「サヨナラ(そうならねばならないならば)」と別れているのだ。【中略】如意の「みずから」と不如意の「おのずから」とは、両方からせめぎあいながら、その「あわい」で人生のさまざまなできごとがおきている。「さようであるならば」の確認とは、その二つながらの確認・総括なのである。

    P183 「かなしみ」に置いて、その「対象化する精いっぱいのナルシシズムが、心の傷口を蜜のように覆いいやしてくれる」こころの痛みを取り除くのではなく、それをそのままに、『美によって価値づけようとする』のである。

    P189 「悪しきセンチメンタリズム」は「他人の目をひそかに意識し、利用する」自己哀惜のナルシシズムとは、自己一人で内閉した傷み込みではなく、他人の目を意識しながら、それに乗じて自己の「かなしみ」をあおり立てること、高ぶらせることだというのである。</blockquote>

  • 第1章 「かなしみ」という問いの原点
    第2章 「かなしみ」の力
    第3章 「かなし」という言葉の歴史
    第4章 他者に向かう「かなしみ」
    第5章 神・仏と「かなしみ」
    第6章 「われ」という「かなしみ」
    第7章 別れの「かなしみ」
    第8章 「かなしみ」の表現
    第9章 有限性/無限性の感情としての「かなしみ」

    著者:竹内整一(1946-、長野県、倫理学)

  • 様々な文学者の作品や言葉を引用してかなしみについて論じている。
    引用文の解説が多くまたその意見を結びつけ合うけれども殆ど否定はしないでいるのでちょっと単調な気がする。

  • 「かなしみ」にはいろんな感情が込められている。

  • 本屋で立ち読み。 もっと読みたい。

    『銀河鉄道の夜』のジョバンニが哀しいのは、彼には絶対的な信仰がないから、らしい。確かにそんな気がする。

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著者プロフィール

竹内 整一(たけうち・せいいち):1946年長野県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科倫理学専攻博士課程中退。東京大学名誉教授。専門は倫理学、日本思想史。日本人の精神の歴史を辿りなおしながら、それが現在に生きるわれわれに、どのように繋がっているのかを探求している。主な著書に、『魂と無常』(春秋社)、『花びらは散る 花は散らない』『日本思想の言葉』(角川選書)、『「やさしさ」と日本人』(ちくま学芸文庫)、『ありてなければ』(角川ソフィア文庫)など。

「2023年 『「おのずから」と「みずから」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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