「デモ」とは何か 変貌する直接民主主義 (NHKブックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140911907

作品紹介・あらすじ

いま日本の街頭で、そして世界中の広場で、デモの波が広がり、とどまるところを知らない。著者自らオキュパイ・ウォールストリートの現場に飛び、旧来の「社会運動」とも「新しい社会運動」とも違う、「クラウド化する社会運動」の最新展開を徹底調査。あわせて、安保闘争、反公害運動から脱原発デモまで、日本の戦後史をデモという視点から分析することで、時代ごとに激しく変わる日本人と政治の関係を解き明かす。三一一以後の世界で我々が獲得すべき民主主義の姿を探る。

感想・レビュー・書評

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  • 知りたかったことをしることができました。

  • 今の世の中は何かおかしい、私たちはどうにかしなければならいと思っている人が少なくはない。世界各地や日本でも貧困、人権問題、環境問題などなど…様々な問題に対して、たくさんの人たちが声をあげはじめている。「「デモ」と聞いてもどこか疎遠に感じ、自分の生活には遠いものだと感じる人々も多数いるだろう」(p.65)。しかし、デモは日本の戦後史の一部である。

    昔はドッドッドッと大きな音を鳴らし、ヘルメットをかぶり、鉄パイプや角材を手にした大規模の集団が歩いているという形式のデモが行われた。今はテントを張って半年以上公園で寝泊まりして、勉強会、コンサートなどを行う、非暴力の形のデモもある。今の世の中は反対の声を様々な形で表すことができるようになった。さらにソーシャルメディアが登場したことによって、情報の広がり方が変わり、これがデモの規模や形を大きく変えた。それについて「デモとは何か-変貌する直接民主主義」(2012年4月NHK出版刊)という本に政治学者五野井郁夫は細かく分かりやすく解説している。

    リーダーの存在、メディアの役割、日本におけるデモの歴史と当時の政治状況などを語りながら、現在の 「オキュパイ・ウォールストリート」のようなデモの祝祭化を示し、その理由を指摘している本である。社会学に興味がある方はもちろん、今の世の中はどうなっているのか理解したい方にも、大学に入って何をしたいかどんな人になりたいか悩んでいる方にもオススメの一冊である。

    (ラーニング・アドバイザー/国際日本研究 NATALIA)

    ▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
    https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?bibid=1456096

  • 直接民主主義が良いものであることを前提に,デモが直接民主主義の表れであるとし,主に日本におけるデモの歴史を辿る。

    結論は,『デモだけで社会を変えることはできない。ロビー活動など,議会制民主主義に影響を与える活動が必要であり,デモを意識する国会議員もまた,必要である』というもの。

    デモの歴史を記述する中では,ここ最近のデモが非暴力的なデモ(音楽を用いた祝祭的なデモ)に変化したことを賞賛するものの,思考停止してデモ行進や占拠デモを繰り返しているだけではダメだという結論なので,実は,ここ最近のデモを全肯定するものではない。

  •  OWSデモを皮切りに日本のデモの歴史を振り返り、デモとは何かを考察する。

     OWSデモがいかに民主主義の理想を体現する可能性にあふれていたかに改めて驚かされる。
     デモの歴史を振り返る中で、日本の60年代から80年代のデモ(やそれに準ずるもの)の中にもそういった片鱗が多く見えたように思えた。
     それだけに脱原発デモがOWSデモのような多様性や直接民主主義的なものがほとんど見えなかったことが残念でならず、なぜああなってしまったかの考察が待たれる。

  • 本のタイトルである「『デモ』とは何か?」の問いへの回答は、結局よく分からなかった。
    この本のサブタイトルは、「変貌する直接民主主義」。その象徴がデモと言うことらしい。

    オキュパイ・ウォールストリート運動のルポは面白く読んだ。
    非暴力、非ヒエラルキーを掲げ、チィーチ・イン、ワーク・ショップ、ゼネラル・アセンブリー等の手法を用いて議論を尽くし、方向性を参加者全員で導く...1つの統率の取れた直接民主主義の形態を実現していたように思った。

    いずれにせよ、デモは直接国民が声を上げられる大事な手段であることには変わらない。

  • 近年のデモの流れとこれからについて。中国やアジアのデモについて全く言及がなかった。在特会についても言及は少ない。第一章のアメリカのタクシー運転手が発している疑問に対する回答が最後まで読んでもなかったように思える。とりあえずデモに行けばいいということが直接民主主義なのか?いまいちの印象。

  • 2011年の大地震後の福島第一原発の事故を受けた脱原発デモに私も何度か参加してみた。その時に思ったのは、デモとパレードと何が違うんだろうということ。おそらく参加してみるまで、デモは何か「反○○」のような感じがして何となく自分と相容れないものだと感じていたはず。でも参加してみると、デモとはパレードとの違いが見出せないほどに、まさに本書でも述べているのだが、祝祭的なものだった。参加した人との出会いを通して、まだ自分の思いを行動に移しているという思いを味わえるものだと感じた。
    前述の、何となく「反○○」な感じがするというところが日本人の大方のデモ観だったのだと思う。実は何に対する「反」なのかすら明らかにしないまま、ムードとして忌避されてきた。それはかつての「血のメーデー」や安保反対運動が長じて全共闘などの学生運動や連合赤軍と結びつけられてきた歴史があるせいかもしれない。加えて、かつてのデモは知識人や学生など有閑層のものという感じがあったのかもしれない。だが、インターネットやSNSが発達した今日行われるデモは、本書が言うところの「社会運動を持ち歩く」ことだという点にはうなずけた。
    だからこそ、ただのパレードに終わるのではなく、何のために何を目指すのかを明らかにして行うことが大切だ。本書が述べるとおり、デモは議会内の政治に対する「院外の政治として民意(直接民主主義)を表明する貴重な方途なのだから。
    本書でも、先進国でありながら日本ほどデモが不自由な国はないと述べている。先進国どころでなく、アラブの春の例を見れば途上国を含めてもそうだろうと感じる。警察の先導のもと、列をなし粛々と歩くのが日本のデモの実態。この状況は為政者による抑制であると同時に、社会がデモを忌避していることの表れでもあろう。「デモをしても迷惑なだけで何にもならない」という声もある。本書でも有益なのはロビー活動をしたり、議院会館を訪ね、一人ひとりに訴えて回るほうが有効だという河野太郎氏の主張が紹介されてもいる。
    デモが忌避される社会、それは直接民主主義を拒否する姿、自由と責任をとりたがらない姿とも重なるように思う。したり顔して「デモなど無駄」だと言うよりも、行動することが社会を変えることを信じて動き出したほうがよほどいい。そのためには、デモ(パレード)が何たるかをしっかりと位置づけ、市民の責任を示す行動の表れとして位置づけることが必要だ。

  • 考察が足りない。

  • 「デモ」という直接民主主義の現在、これまで、そしてこれからについてわかりやすく俯瞰している。

    個人的には、「非暴力」の力、「デモ」における音楽の力、2011年春から全国的に広がった節電の動きを「節電率=不買率」と読み替えることができるとの指摘、日本における「デモ」をめぐるさまざまなクリエイティブな動きが実は世界のにも影響を与えている事実などは、非常に興味深かった。

  • 所在:展示架
    資料ID:11200238
    請求記号:316.4||G63||1190

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著者プロフィール

政治学者。高千穂大学経営学部教授、国際基督教大学社会科学研究所研究員。専門は政治学、国際関係論、民主主義論。著作に『「デモ」とは何か――変貌する直接民主主義』(NHK出版)ほか、『現代用語の基礎知識』(自由国民社)政治用語の選定と執筆を担当。

「2021年 『10歳から読める・わかる いちばんやさしい 民主主義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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