コモンウェルス 下 〈帝国〉を超える革命論 (NHKブックス 1200)
- NHK出版 (2012年12月27日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (344ページ) / ISBN・EAN: 9784140912003
感想・レビュー・書評
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本書の上巻では、共和制、近代性、資本という現代社会の基盤となっている枠組みが、グローバル化する社会の中でどのように変容しているか、そしてその環境変化の中にマルチチュードが自らの自律性を取り戻すための契機があり得るかといったことを考察していた。下巻では、それらを踏まえて具体的な変化への道筋を探る考察が展開されている。
まず筆者らは、マルチチュードに対比される権力構造である〈帝国〉が、どのような危機を迎えているか、そしてそれに代わる新たな秩序がどのように形成されようとしているかを描く。アメリカに代表されるグローバルなスーパーパワーとしての〈帝国〉は21世紀の訪れとともにそのヘゲモニーを失っている。
それに対して新たに登場しつつあるのは、複数の国家により形成される多極構造でも無秩序でもなく、新たなガバナンス手法による秩序の形成であると筆者らは述べている。その新しい秩序として本書では、「市場価値」を尺度としたガバナンス、経済的な利害と法的な権限を軸とした新制度派のガバナンス、労働組合制度の新協調主義的な手段(国家・労働・資本の間の協調と協議による利害の調整手法)の3つが挙げられている。
この新しいガバナンス手法が広がる世界において、マルチチュードが生政治的なダイナミクスを発揮していくためには、マルチチュードの側も従来の労働組合や非政府組織といった形の「草の根」の抵抗ではなく、新しい抵抗の形を取らなければならないと筆者らは述べている。この新しい形は、上巻で述べられたような生産と再生産の境界を超えた産業のあり方や、地理的な移動が流動的に行われるようになった労働者の実態などに即したものになっている必要がある。
〈帝国〉と同様に資本も危機を迎えている。現在のグローバル化する世界において中心的な枠組みとなっているのは、新自由主義である。しかし、資本主義の基盤となりつつあるように見える新自由主義であるが、経済の生産を増大させるものではなくその再分配のあり方を変えただけのものであると筆者らは述べている。
新自由主義に対抗して主張されることの多い社会民主主義や社会関係資本といった概念についても、一定の効果は認めるもののそれがマルチチュードの復権の切り札ではないと考えている。社会民主主義は生政治的生産を促進できず、社会関係資本の概念には本来の生産過程にとって周縁的なものとしか位置づけられていないからである。
資本がこのように機能不全を起こしている中で、生政治的な生産のあり方を立ち上げていくためには、〈共〉に着目した新たな経済の枠組みを構築しなければならない。この枠組みは、労働の決定が労働者の自律的な判断に取り戻され、社会的生を再生産するための所得が守られ、従来は資本の側にあった生産力を民主的に組織化することができるということが重要であると整理されている。
これらの議論を受けて、最後にマルチチュードが自律的にコモンウェルスを統治するために必要な「革命」について筆者らの考えが述べられている。筆者はまず同一性(アイデンティティ)政治と特異性(シンギュラリティ)政治を区別する。同一性を重視する政治が社会を細分化し、異なるアイデンティティ課題を持つ集団同士の連携を不可能にしているのに対し、特異性は自己の内部にも外部にも多様性を認め、また時間の経過とともに変容していく可能性を持った概念として捉えられている。
そして、多くの特異性が〈共〉の中で交差しながら生政治的なプロセスを経て〈共〉を統治していくという仕組みを作ることが重要であると筆者らは考えている。マルチチュードは、〈共〉の内部で特異性が出会うことによって合成されるものであり、そのようにして生まれたマルチチュードが〈共〉を分有しガバナンスするという仕組みである。
この仕組みを構築していくプロセスを筆者らは「革命」と呼んでいる。この「革命」のプロセスにおいては、〈共〉の腐敗をもたらす様々な社会的秩序を破壊することが必要であると共に、その後にマルチチュードが〈共〉を自律的にガバナンスしていく仕組みを構築していく「構成的意志」を持つことが必要である。
また、マルチチュードが〈共〉を統治する仕組みを作るにあたり、グローバル化する社会に浸透しつつある〈帝国〉のガバナンスの構造が参考になるという意外な指摘を筆者らはしている。〈帝国〉は「政府=統治なきガバナンス」を実現しており、その特徴は多元的で可塑的な規範構造を志向している。これらの要素は生政治的なプロセスによるマルチチュードのガバナンスとも共通するものであり、〈帝国〉によるガバナンスを反転することにより、多様な特異性の相互作用が〈共〉における生産や財産の分配における自律的で民主主義的なガバナンスを可能にするというのがその理由である。
筆者らが逆に参考にならない例として挙げているのは、家族・企業・ネーション(国民・民族)である。これらは容易に同一性に回帰する性質を持っており、それ故に多様性を受け入れる〈共〉を構築することなく社会を分離してしまう。
マルチチュードの力能を活かす社会の構想として、特異性を保った多様な主体が〈共〉に集う姿を描き、その道筋(革命)を近代性や資本の論理から自由な主体の生政治的な闘争の絶えざる繰り返しとして描いた筆者らの視点は、重要な示唆を含んでいるように思う。特に、2000年代以降の社会環境の変化の中で結果としてアイデンティティ政治による分断が加速化している現状を踏まえると、この動きが顕在化するより前に同一性ではなく特異性が重要であることを論じているという点は、重要であると感じた。
筆者らの構想は動的なプロセスを基にしており、何か明確な社会体制を描いたものにはなっていない。むしろ、多様な人々が常に参画しながらマルチチュードが〈共〉の中の課題を調整しながら解決していく枠組み自体が重要なのであり、そのような終わりのないプロセスをこなしていく自律性と主体性が求められているということを強く感じる内容だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
なかなか面白かった。網野善彦『無縁・公界・楽』とアマルティア・セン『アイデンティティと暴力』を連想した。あとローティのプラグマティズムも。
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