- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140912256
作品紹介・あらすじ
「弥生時代に稲作が伝来してから日本は農耕の時代に入った」-おなじみの定説に異を唱え、変更を余儀なくさせるのが本書である。西南日本から北部インドにかけてフィールドワークをおこない、山村で続く焼畑が、稲作に先行する農耕の名残であることを示し、さらに、焼畑では雑穀とイモの栽培が中心であったことを解明して「日本文化=水田稲作文化」という見方までもくつがえしていく。民族学はじめ農学、地理学、生態学など多様な分野を横断しながら大陸と日本をつなぐ照葉樹林帯に共通文化があったことを提唱する「照葉樹林文化論」の記念碑的著作を、ここに復刊する。
感想・レビュー・書評
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[評価]
★★★★☆ 星4つ
[感想]
日本の農業は弥生時代の稲作が始まりとい荒れているのに対し、稲作以前から農業が行われていないのではないかと提唱している。言われてみれば、農業=稲作という形で話が進み、畑作に関しては、ほとんど話になることがない。
結論から書くと稲作以前の農業に関し、証拠となるような物が発掘されていないが、様々な観点の状況証拠から日本の農業が稲作以前から存在し、稲作の基盤になっていたのだろうと感じる内容だった。
また、現代の日本においても焼畑農業が行われている場所があるということに驚いた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
稲作を日本の原点とし全てをそこに収斂する考え方の恐さを感じた。
それこそ国粋主義へと連なる陽動なのではないだろうか?
筆者が語るように
『日本文化は単一・同種の稲作文化ではなく、起源を異にするいくつかの文化が複合した多元的で多重な構造をもつもの。』
と捉え直し、海岸に打ち寄せる波のように絶え間ない他文化の影響を積み重ねたモノが日本という国の成り立ちなのだと考える視点こそが大事なのでは?と思わされる。 -
「照葉樹林焼畑農耕文化」の基本書。1970年代に提唱され、縄文=採集・狩猟、弥生=農耕とした従前の学説を覆した契機となった。中国南部を中心とした照葉樹林地帯を一括りにする議論には批判も多いそうだが、縄文文化本を読む前に読んでおきたい一冊。