国家はなぜ存在するのか ヘーゲル「法哲学」入門 (NHKブックス 1286)

  • NHK出版 (2024年7月25日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784140912867

作品紹介・あらすじ

管理、統制しようとする権力といかに向き合うべきか?

知の巨人ヘーゲルの代表作の一つであり、西洋哲学史上、トップクラスに難解とされる『法の哲学』の核心に迫る! 「法」を通じて「自由」になる、とはどういうことなのか。そのとき、私たち個人と、大きな権力を持つ国家との関係はどうあるべきか。ヘーゲルが思い描いた国家体制の姿を、「ポリツァイ」「コルポラツィオン」といった概念に着目して読み解くことで、批判や誤解のあるヘーゲル「法哲学」から積極的意義を取り出した画期的入門書!

感想・レビュー・書評

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  • 社会調整機能としてその上部にポリツァイを、下部にコルポラツィオンという概念を考えたヘーゲル。この単語が既によく分からない、という所から読書を開始。現状の意味と異なる部分があるのでミスリードになりそうだが、ポリスとコーポレーションの事だ。ヘーゲルの「ポリツァイ」と「コルポラツィオン」は、彼の国家論における重要な概念だ。

    ポリツァイは、「警察」という意味とは異なり、広範な社会政策や行政機構を指す。国家が市民の生活を管理し、公共の福祉を促進するための制度の事。コルポラツィオンは、職業別の自発的な結社や団体の事。市民社会の中で、個人の利益を調整し、共同体の利益を促進すべく、個人と国家の間で社会の安定を図る役割がある。ヘーゲルは、これらの概念を通じて、国家がどのようにして市民の自由と福祉を実現するかを論じた。

    国家が国民の健康に関与する、現代の生活保護のように、就労が難しい人や脱落者に対してどのようにかかわるかを論じたという点で今日の社会制度にも繋がる概念だ。この点はヘーゲルから遡り、フーコーについても言及されるが、ワクチン接種などの体制や感染症の統計的把握などの今日的な仕組みが成立したのもこの時代であった。ヘーゲルの生きたプロイセンでは、直接種痘を強制するのではなくて、種痘を受けた証明書により、子どもの登校許可を出すような措置をとっていた。まるで、ワクチンパスポートみたいだ。

    ― ガレー船というのは、これもフーコーが「狂気の歴史」で扱った題材ですので、フーコーとの関連という点でも興味深い発言ですが、犯罪者や精神障害者を閉じ込め、彼らを酷使して船を漕がせるということが、一九世紀まで一種の刑罰として行われていました。船という閉ざされた空間を利用して、そうした人々を管理し役立てようとするのがガレー船だったわけで、ポリツァイの支配によって社会全体、国家全体がそういうものになってしまう危険性をヘーゲルは指摘していたのです。

    ― ここまで見てきたようにヘーゲルの国内体制論は、コンフリクトを組み込んだ一体性を特徴としています。ヘーゲルの国家論はしばしば一体性の側面が過度に強調され、全体主義的なもの、異論を許さないもの、民主主義を否定するものと受け取られてきました。しかし、それは普遍と個別を一体のものとして考えるヘーゲルの国家の概念に真っ向から反する理解です。普遍が個別を抑圧するところに、この一体性は成立しません。個別の主張が存在するところには、必ず他の個別との、ひいては普遍とのコンフリクトが存在します。したがって、正しい国制は、このコンフリクトを内包するものでなければならないのです。ヘーゲルは民主主義という言葉は好みませんでした。それは、この言葉が今とは異なり、多数者による支配を意味するものであったからです。しかし、今日の意味からするならば、ヘーゲルはコンフリクトの可能性を組み込んだ、市民の意思が反映される民主的な国制を構想していたということができるでしょう。

    ヘーゲルの思想は、今日の社会制度にも繋がる重要な概念を含み、示唆深い内容だった。

  • ヘーゲル『法の哲学』の一部、具体的には『市民社会』と『国家』についての論考である。文章は非常に分かりやすく、講義を受けているような印象を受けた。ヘーゲルの時代についての情報も多く、『法の哲学』が書かれた時代背景を併せて考えることで、多角的な理解が得られたように思う。
    ヘーゲルについての解説書、入門書を読むと、だいたい何箇所か強烈に「これは我々のことだ」とか「これは現代日本でも同じだ」とか、そういう当事者意識のようなものを感じるが、本書でもそうであった(私の場合、カントではこれが全然ないのだ)。次の文章を読んで身に覚えがない日本人など皆無だろう。
    『多数の個々人による選挙についてなお指摘されうることは、とくに大きな国家において、多数のなかでは自分の票が無意味な結果しかもたらさないとして、必然的に自分の投票に対する無関心が生じ、そこで有権者は──彼らに対して、この投票権がどんなに〔価値の〕高いものと評価され、言い聞かせられても──、投票には現れないということである。──そうしてこのような選挙制度からは、むしろ、その規定とは反対のものが結果として生じ、選挙が、少数者の、一政党の、したがって特殊的で偶然的利害の権力という、まさに無効にされるべきものの手に帰することになる。(第三一一節註解)』
    本書前半の『市民社会』の章では、『ポリツァイ』概念(従来の訳語は『公共政策』等)を中心に論じられる。これは「普遍性(国家)→特殊性(人々)」として機能し、『生命と幸福に配慮』すると同時に『生活を統制』しようとする。それとは反対に「特殊性(人々)→普遍性(国家)」として機能するのが『コルポラツィオン』概念(従来の訳語は『職業団体』等)であり、『国家権力と経済権力』に対して人々の利益を代表する。ここではフーコーへの言及が多いことも特徴的である。本書の切り口の一つに、コロナ禍で可視化された「生活に介入してくる国家の権力」というのがあり、それが『ポリツァイ』と関連して論じられるのであるが、そういう考察にはフーコーは向いている。ただ個人的には、読んでいるヘーゲル論が、フーコー的ヘーゲルなのか、それともヘーゲルに則したヘーゲルなのか、少し混乱するような箇所もあった。
    本書後半の『国家』の章では、『ポリツァイ』と『コルポラツィオン』の二つを取り込んだ『有機的国家観』が論じられる。著者は、現代の政府では『ポリツァイ』的な側面ばかりが肥大化していると指摘する。それに対して、ヘーゲル的『国家』では『コルポラツィオン』的な側面も等しく重要である。これは非常に示唆的であり、著者はヘーゲルの国家観を『私たちの民主主義に関する意識にラディカルな転換を迫るもの』であると主張する。理想的な国家においては、上から下の統治と、下から上の意思表示が調和して一つになっている、ということだろう。以前に読んだマルクス関連の著作で『自由な諸個人のアソシエーションにもとづく社会』という表現が使われていて、その時はあまり理解できなかったのだが、おそらく同じようなことを示しているのだと思う。よく批判されるヘーゲルの『愛国心』であるが、本書によればそれは、理想的な国家体制の『成果』であり、自分という個の利害が普遍的なものとして実現されていることを認識するときに成立するものである。つまり、強制されたり称揚されたりするものではなく、結果として生じるものだ、ということになる。このような『愛国心』であれば理解を示す人も多いのではないだろうか。『普遍と個別の一致』は、ヘーゲル哲学全体を貫くテーマでもある。
    印象的だったのは、著者による『ヘーゲルの特徴であり、不幸だったのは彼が新しいことをいおうとするときに古い言葉を用いてしまったこと』という指摘である。本書の説明が正しいとすると、例えば有名な『理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的なものである』の意味は、単なる現実肯定ではない。ヘーゲルにおける『現実』とは『その本質(概念)が目に見える形で現れていること』であり、単に実在していることではない、ということになる。他にも『身分』を区分けしたことが「旧体制の肯定」だと捉えられたりしたようだ。こうしたことが全て誤読ということになる。しかしながら、普通に読めば誤読となるような文章を書いたヘーゲル自身にも責任がある、正直そのように思ってしまった。この手の読み方が誤読であることはヘーゲル研究者の共通認識のようで、他の解説書にも似たようなことが書いてあったと記憶している(ただし、正しい解釈として提示される内容そのものは微妙に異なっている)。
    本筋とは関係ないが、非常に印象に残ったのは、ヘーゲルの妻マリーの手紙の次の部分である。
    『私は、愛する夫の遺体を私の居間に置いたままにするようお願いしたのですが、委員会はこの居間に夫の遺体を閉じ込めて、あらゆるものをすっかり燻して、消毒したのでした』
    これは伝染病への対処を行う『医療ポリツァイ』が既に機能していたことを示すエビデンスとして引用されているのだが、私は単純に妻の夫を想う気持ちに心を打たれた。本書では言及されていないが、ヘーゲルの結婚観は非常に甘美なものであり(一人格をなそうとすることの同意)、それに勝手に納得してしまった。対して、カント(生涯独身)の結婚観はひどいものだし(両性の間での性器の排他的使用という契約)、ニーチェの女性観は非モテの負け惜しみ程度のものである(そんなニーチェが愛おしいことも事実だけど)。やはり知りもしないことを書いたら説得力に欠くのは、どんな天才でも変わらないのだろう。

  • 東2法経図・6F開架:321.1A/O53k//K

  • ヘーゲルの「法の哲学」を分かりやすく説明している本。ヘーゲルを詳しく学んだことはなかったが、読みやすく理解しやすかった。

  • ヘーゲル『法の哲学』がここまで平易に解説されるなんて.なんてありがたいことだろう.最近だと権左先生の岩波新書がいまいちだった方とかはぜひ手に取るべき1冊.

    『法の哲学』は著作としてのそれ(さらに本文とそれ以外に分けられる)と,いくつもの講義録が残されているが,本書はそのあたりの事情にも触れており,入門書として優れている.

    導入にあたるコロナとフーコーに絡めたヘーゲルのポリツァイ解説は面白く読めた.とはいえ本書は何より基本的な解説が素晴らしい.ヘーゲルの考える国制は立憲君主国家で三権分立だが,その三権が独特であること.また,フランス革命を目の当たりにした身でありながら彼自身は身分制議会を支持する.しかしそこにいう「身分」もまた彼独自の意味で用いられていたり…とその思想には留保や注意すべきことが多い.本書はこれら1つ1つ解説していく.議論もとても追いやすい.さらに,体系的な視点も忘れない点がよい.総じて勉強になる.

    その他にも,民主主義・貧困・ジェンダー・人倫(≒憲法パトリオティズム)などを拾っており,今では擁護できないものについてもその都度指摘している.

    とてもいい入門書なのだが,実は本書を経ても"著作としての"『法の哲学』に取り組む気は正直なところ起きない.それほどこの著作は素人には敷居が高い.本書で時折引用される箇所を読んだだけでも大方の人は同じ意見になると思われる.なので『法の哲学』に関するヘーゲルの入門書は何冊あっても困ることはない.これからもこの水準のものが(業界から)続くことを期待したい.

  • 【本学OPACへのリンク☟】
    https://opac123.tsuda.ac.jp/opac/volume/718621?

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著者プロフィール

大河内 泰樹(オオコウチ タイジュ)
1973年生まれ。京都大学大学院文学研究科教授。2007年哲学博士(ルール大学ボッフム)。専門は、ヘーゲルを中心とするドイツ古典哲学、批判理論。著書に、『国家はなぜ存在するのか――ヘーゲル「法哲学」入門』NHK出版、2024年近刊予定、『哲学史入門Ⅱ――デカルトからカント、ヘーゲルまで』(共著)、NHK出版、2024年、Ontologie und Reflexionsbestimmungen. Zur Genealogie der Wesenslogik Hegels, Königshausen und Neumann, 2008; 編著 Hegel über Leben und Natur. Sinn und Aktualität, Königshausen und Neumann, 2024など。

「2024年 『生命と自然』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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