『歎異抄』 2016年4月 (100分 de 名著)

制作 : 釈 徹宗 
  • NHK出版 (2016年3月25日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (116ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784142230617

『歎異抄』 2016年4月 (100分 de 名著)の感想・レビュー・書評

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  • <私が千人を殺さないわけ>

    物騒なリードですが、今回この本を手に取ったのは、この1節のためです。

    「100分de名著」は、NHK Eテレの連続番組です。2011年から放送していますから、5年ほど経つことになります。その名の通り、週1回25分、1ヶ月4回で1クールですから、25 x 4 = 100分で1冊の名著を読み解いていきます。私は2012年あたりから見ています。
    既読本、未読本、いろいろですが、解説の先生の視点や、司会の伊集院光さんの絶妙なコメントがあって、なかなかおもしろいです。
    この番組で原作を読んでみようかなと思うことは時々あるのですが、テキストはほとんど買ったことがありませんでした。
    しかし先月4月のものは、放送時間の変更で1回見逃したことと、ひとことにあげたフレーズ(第3回に登場)にびっくりしたのとで、テキストを買ってみることにしました。何より、「名著」が「歎異抄」。心得のないものがいきなり読んでも呑み込めないのではないかと思ったためです。

    「歎異抄」は、浄土真宗の開祖である親鸞の教えを説く書物ですが、親鸞自身が著したのではなく、没後20数年後に成立したと言われています。著者については諸説ありましたが、現在は弟子の唯円とするのが定説のようです。
    体系立って仏教を学ぶための本ではありません。また過激にも思える箇所もあることから、「信心のないものにやたらと読ませてはならない」とまで言われたこともあります。しかし、親鸞の教えを端的に示すものとして、浄土真宗の信者であるかどうかに関わらず、古来から、知識人はじめ、愛読者の多い1冊でもあります。

    番組とテキストでは、住職でもあり、大学教授でもある釈徹宗さんが、歎異抄の成立や親鸞の生涯といった背景に始まり、歎異抄の構成、各条の解説、エピソード紹介、全体の解説といった形で読み解いていきます。

    「歎異」というのは、「異端を歎く」の意で、親鸞死後、教えが誤った形で広がっているが、親鸞が説いていたのはそういうことではないと解説することを目的としています。
    最もよく知られるのは「悪人正機説」=「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや」という、一見、逆説的なフレーズでしょう。
    常識(?)的には、善人が極楽にいく方が普通に思われますが、そもそもは仏さまは悪人を救おうとされているのであり、悪人こそが「正機」(機は対象の意)である。そうした仏さまが善人も救うのであるから、悪人が救われるのは当然である、ということになります。
    また、よく他人任せの無責任なイメージを伴って使われる「他力本願」は、浄土真宗の言葉から出ているものですが、こちらも世間の捉え方はだいぶずれているようです。自分で努力をしないことを意味するというよりは、いかに努力しても限界のある自分であるから、仏の力(他力)におすがりするしかない、といったことになりそうです。
    このあたり、先の「悪人」「善人」ともつながってきて、自分で「善人」と思うような人は、そこそこの善行を積んだくらいで、自分は「善人」であると驕っているのではないか、自分は「善人」だから極楽へ行けて当たり前と思い上がっているのではないか、との戒めのようでもあります。

    底知れない深さがありそうですが、反面、一見すると逆説的な言説も多いことから、「どうせ救われるんだから、悪いことしてもいいじゃん」とか「どうせダメダメな自分なんだから努力しても無意味」となる危険性はあり、その辺が「不心得者に読ませるな」との指摘につながったのでしょう。

    さて、私ががつんときたのは、第13条です。ある日、親鸞が「私のいうことを信じていますか」と唯円に問います。唯円は「もちろんです」と答えます。「では私の言うとおり、これから千人の人を殺しなさい。そうすれば往生できます」。唯円は驚いて、「千人はおろか、1人たりとも殺せません」と答えます。親鸞は「そらごらん、何事も思いのままにいくならば、往生のために千人を殺せるだろう。しかし、そうはできない」と言います。そしてそうさせないのは「業縁」である、「わがこゝろのよくてころさぬにはあらず」と言うのです。千人殺さないのは、良心のためではない、人を殺す「業縁」にないからだ。逆に言えば、その「業縁」にあれば、何人でも殺すはずだ、と。
    これはすとんと胸に落ちました。ひとたび、そうなるべき立場や状況にに置かれてしまえば、危うく人も殺しかねない自分、その弱さは確かに自分の中にある、と思います。

    もちろん、親鸞は、だからダメダメでよい、と言っているわけではありません。
    「業縁」次第でどうにでもなってしまう弱い「こゝろ」を自覚しつつ、しかし、やはり「仏道」を求めていく。そこが大切な点なのでしょう。
    「ありのままの」「ダメな」私への救いがありつつ、一方で、そこに安住するなという厳しいものも含まれているように感じます。

    そこには、絶えず鏡を突きつけられているような、内へ内へと自省を求められているような厳しさを感じます。禅には真剣で切り結ぶような厳しさを感じますが、また違う厳しさがあるように思います。

    釈さんは、解説の中で、宗教を聞きかじって「いいとこどり」をすることの危険性にも触れていますが、なるほどそれもその通りだろうと思います。体系の中で学んでこそ見えてくるものなのでしょう。
    不信心ものとしては、手に取ることに躊躇いもありますが、とりあえず歎異抄の文庫本は1冊入手してみました。ご縁があればそのうち読むことになると思います。


    *ほんというと、実家は浄土真宗なんですが(^^;;)。

  • 親鸞の人生、歎異抄の成り立ち、前半(教え)、後半(異端な考えへの反論)の概要を解説。さすがにこの薄いテキスト1冊だけでは内容を飲み込めるとこまでは至らないが、入門書としてはわかりやすい。

  • 教授でもある徹宗氏が、唯円著の歎異抄の主要部を紹介し、親鸞の教えを平易明快に解説する。氏の解説で浄土真宗が初めて分かった気がした。五木寛之氏の著は物語りすぎて親鸞の教えが直接響いてこなかったし、他の本は難しすぎた。▼「称即聞」「聞即信」とは称・聞・信の一体。自分の唱えた「南無阿弥陀仏」が、仏の呼び声となって聞こえてくる。それが親鸞の他力。阿弥陀の救いの声が聞こえてくる。▼宗教とは情報ではなく「物語」。一度出遇うと戻れないもの。▼「弥陀の・・ひとえに親鸞ひとりが為なりけり」…なるほど!▼「自分のものさしを忘れて、仏のものさしと出遇えば世界は一変する」

  • (2016.05.06読了)(2016.03.28購入)
    『歎異抄』は、親鸞の教えを誤りなく伝えたいと思った唯円が、1288年ごろに書いたものということです。
    親鸞は、1173年に京都郊外に生まれ、1181年、9歳の時に得度し、比叡山に入っています。
    1201年、29歳の時に法然の門に入ります。1207年、35歳の時法然とともに越後に流罪となります。
    1211年、39歳の時に赦免されますが、京都には戻らず常陸方面で強化活動を続けます。1235年、63歳のころに京都に戻り、1262年、90歳で亡くなります。
    唯円は、親鸞の常陸時代の直弟子です。1222年に生まれ、1289年に亡くなっています。
    親鸞と唯円は、49歳年が離れているので、祖父と孫という感じですかね。
    『歎異抄』は、18条からなる短いものですので、この本で解説してある分で十分間に合いそうです。
    親鸞の教えは、「本願を信じて念仏を申さば仏になる」ということです。(71頁)
    第1条の「往生をばとぐるなりと信じて念仏申さん」(17頁)というところがそれに当たります。

    【目次】
    【はじめに】絶体絶命のときに浮き上がる言葉
    第1回 人間の影を見つめて
    第2回 悪人こそが救われる!
    第3回 迷いと救いの間で
    第4回 人間にとって宗教とは何か

    ●救われる(90頁)
    親鸞には、この世にしがみつく苦悩と、そんな私こそが救われる喜びが同居しています。浄土という「帰る世界」があるからこそ、この苦難の人生を精一杯生き抜くことができる。帰る家があるからこそ、夢中で遊ぶ子供のようです。
    ●『歎異抄』(95頁)
    善とは何か、悪とは何か、慈悲とは何か、救いとは何か、そして私の本性とはどのようなものなのか、それがわかったうえで私は何をするのか、こういった問いかけが喉元に突きつけられてくるような書なのです。

    ☆関連図書(既読)
    「歎異鈔」唯円著・梅原真隆訳、角川文庫、1954.10.05
    「歎異抄」杉浦明平著、岩波書店、1983.10.18
    「出家とその弟子」倉田百三著、角川文庫、1951.08.20
    (2016年5月6日・記)
    (本の表紙より)
    信じる心は一つである
    何もできないとわかるとき、親鸞の言葉が浮き上がる。
    (4月号予告より)
    絶体絶命のときに浮上する言葉
    浄土真宗の開祖・親鸞の教えは逆説に満ちた革新的なもので、それゆえに現代に至るまで多くの人を救う一方、少なからぬ誤解も受けてきた。「悪人正機」をはじめとする『歎異抄』に収められた親鸞の言葉と、苦悩と矛盾に満ちた親鸞の生き方から、現代社会をよりよく生きるためのヒントを探る。

  • NHKのテキストも本棚に入れられるんだ。

    テレビを見た。「釈せんせー!」と手を振りながら。

    先生の解説をお聞きして、そして読んで、ぜひ、全文を原文で読んでみたいと思った。
    多分、よくわからないとは思うけど。

  • 親鸞聖人に興味があり読んで
    さらにテレビも見たけど
    はっきりわかったとは言えない。

  • 16/04/22。

  •  類書は多い.だが著者の観点は明確.

     「魅力は二つ」(5p).
     1)人の内実へとズバリと切り込む、「切れ味鋭い金言や箴言(しんげん)にあふれている」
     2)人々が漠然と抱いていた宗教や仏教の「イメージをひっくり返す力を持っている」
    「(私たちの)常識を揺さぶるような逆説的な内容がいくつも書かれている」とする.

     「切れ味と深みのある書物」(64p).
     『歎異抄』の書物としての評価.他方で親鸞門弟に「ものを書いた人があまりいない」うえに、「親鸞も自身のことはほとんど書いていない」と、中世思想形成上の位置も示す.

    「語録(師訓)篇」、「歎異(異議)篇」、各2回.
     4回にわけ放送される.全18条で構成と記憶している.1回目に3条をのぞく前半10条の解説、2回目で3条「善人なほもって」を独立させて述べている.

     後半は第10条を二つにわけ、10条は前半「念仏には無議をもって議」と、後半の「中序」に区分.
     そのうえで11条から18条までを3回目で、後序を4回目にあて、講座を締めくくる.

     メリハリの手際.うなづかせてくれるの、思い.

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