中原中也詩集 2017年1月 (100分 de 名著)

著者 :
制作 : 太田 治子 
  • NHK出版
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本棚登録 : 119
感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (116ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784142230709

感想・レビュー・書評

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  • 中原中也を知りたくて、そして、詩の読み方を参考にしたくて手に取る。
    やはり詩は感じるものと思う。しかし、時代や周辺事情を知ることも味わいを深めると思う。

  • 中也論は大岡昇平が書いた『中原中也』を読んで以来だ。元々余り好きではなかった詩人だが、再読して驚いた。言葉の柔らかさの中になんとも言えぬ抒情があって、素晴らしいものに感じた。本書は優しく丁寧に中也の姿が再現されており解説書として良い本だ。中也の全体像を掴むのに最適と思う。

  • 詩集はこれまで国語の教科書位でしか触れませんでしたが、改めて中原中也の作品に触れ味わうことができました!

  • 中原中也の人生もさることながら,語り手である太田さんの中也愛がすっと入ってくる。多分,それが太田さんが中原中也から受け取った感じに近いんだろうな,という気がする。
    ただ,残念なことに,僕の今の状況は中原中也を求めていないのだと思う。これは単純にタイミングの話で,必要になるときは来てほしいわけではないけど(笑),その時に会えるといいなと思う。この深さと軽さで包み込まれれば救われたいと思うその時が。

  • 久しぶりに100分de名著のテキストを購入。なかなか詩を楽しむ力がないけど、こうした解説があると入りやすい。本文中にもあったけど、作者のことを知ると作品の理解も深まる気がする。
    著者も言うように、悲しみが書かれているのにどこかユーモアがあったり親しみが持てる。そして共感できる。
    時々は詩を読んで楽しみたい。

  • 太宰さんの娘である太田治子さんが書かれているところが魅力的。
    彼の生涯と詩の世界を振り返る良い一冊でした。

  • (2017.02.03読了)(2016.12.28購入)
    Eテレの放映テキストです。
    太田治子さんの本とはだいぶ付き合ってきましたが、最近は、林芙美子やらの文芸ものをやっているんですね。今度は中原中也ということで、ちょっとびっくりしています。
    中原中也の詩集は、2004年に小林秀雄の「考えるヒント(4)」を読むために読みました。「考えるヒント(4)」の副題が「ランボオ・中原中也」だったので。
    小林秀雄と中原中也の関係は、その時知りました。2004年の時のレビューを読み返したら、中原中也が、「ランボオ」の詩を訳していることが書いてあったのに、すっかり忘れていました。今回のテキストにも書いてありました。
    今回のテキストでも、中也の詩がいくつも紹介されています。詩を自分で読んで味わうのは得意ではないので、太田さんの解説でだいぶ助かりました。

    【目次】
    【はじめに】詩を書くことは生きること
    第1回 「詩人」の誕生
    第2回 「愛」と「喪失」のしらべ
    第3回 「悲しさ」と「さみしさ」をつむぐ
    第4回 「死」を「詩」にする

    ●「詩」(12頁)
    「詩」とは、自分の力ではどうにもならない絶望の中に立たされたとき、人が必要とするもの。

    ☆関連図書(既読)
    「汚れちまった悲しみに……」中原中也著、集英社文庫、1991.01.25
    「考えるヒント(4) ランボオ・中原中也」小林秀雄著、文春文庫、1980.09.25
    (2017年2月5日・記)
    (前号予告より)
    絶望が言葉を生む
    「汚れつちまった哀しみに……」等の作品で知られる中原中也。「悲しみ」「別れ」などのキーワードを手がかりに、その短いながらも波乱に満ちた30年の生涯を振り返る。時を超えて現代を生きる人々の心を揺さぶり続ける中原中也の死の魅力に迫る。

  • 中原中也さんの詩というのは、小学校か中学校で教科書に乗っていた「月夜の浜辺」を読んで以来、まあ、好きといえば好きです。
    小学校中学校の学問の記憶というのは、かなり零に近いくらい記憶にないのですが、「月夜の浜辺」を教科書で読んだことだけは何故か覚えています。学校教育に感謝。
    この本を見つけて。中原中也さんっていうのは、どういう人でどんな生涯だったのかっていうのは、知らないなあ。衝動買い。
    NHKの所謂「教養番組」の書籍版です。
    担当者によってはなかなかオモシロイことも多く、新書よりも遥かに読みやすい。気軽に接することができます。
    #
    とっても平易で、素直な語り口の、中原中也さんの評伝ですね。
    読みやすかったです。
    そして、当然ながらおりおりに中原中也さんの詩がまるっと引用されています。
    どれもスッと入ってきて、どれも切なくて素敵。日本語って素敵。
    時代を考えても、中原さんの独特の柔らかい、気取らない言葉の使い方っていうのは、やはり個性豊かな味わいがします。
    内容はやっぱり、雄々しいというよりは女々しいのだけれど、女々しいというよりは叙情の風味が豊かで、それがどこか非常に風通しが良い。そんな魅力を感じます。
    エゴの風景に視野狭窄してしまったような、そんな無駄に切羽詰まった、過剰に感情に溺れた言葉になっていないところが、好きでした。
    石川啄木さんとは、持ち味が違いますね。いや、啄木さんも好きなんですけれど。
    なんというか、どこかしら地方の風景を描いた禅画、俳画のような、ふっくらしたユーモア、色気がそこはかとなくありますね。
    #
    読んで思ったのは、特段にこう、無頼派で破滅的な文士だったわけではなくて。
    ぶっちゃけお坊っちゃんで育ちが良くて、健全に愛されまくって成長して、根っこのところでは一度もニヒルになんてならずに大人になっているんですね。
    それが、どこかしらほっとする、寂しさ切なさと明るさが同居する味わいに繋がっているんだろうなあ、と思いました。
    そして、毎度思いますが、こういう人が友人にいたら面倒だろうなあ、とも(笑)。
    この本では大岡昇平さんがそういうことを書き残していることに触れています。
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    読みながら知ったのですが、この本、太田治子さんが書いているんですね。テレビ番組の書籍化ですから、書いてはいないかもですが。
    太田治子さんというのは、太宰治さんの娘さん。作家さんです。
    (この本以外に、僕は読んだことないんですが)
    中原中也について、太宰の娘が語る。
    うーん。なんかもう、日本近代文学の世界も、歌舞伎のような…。
    名門、名家、血脈のエンターテイメントの要素も…。
    #
    以下まあ、備忘録になります。
    #
    中原中也さんは1907−1937。30歳で死んぢゃっております。
    病気は結核だったそうです。
    1907−1937ですから、日露戦争後、大まか膨張する日本という国が、戦争に突っ込み始めてしまった初期くらいに死んでいます。幸せな時代に生きた、とも言えるのかも知れません。どのみち、あまりに短すぎますが。
    山口県の、お医者さんの息子さんなんですね。長男。
    かなり大事に育てられて、小学校時代から成績抜群で田舎では「神童」を呼ばれ。
    なンだけど、どうやら今で言うと中学生年代から、ブンガクに志してしまって、グレはじめます。成績は落ちていきます。
    ですが、母なる人は優しく常に保護してくれたそうです。
    16歳くらいで、地元の学校を落第。
    世間体と、本人の希望の中間点だったのでしょう、京都に行きます。
    立命館に入ったんですね。ここから生涯、母親からの仕送り頼みの人生です。
    京都に行ってどうしたかというと、女を作りました(笑)。
    当時の京都は映画制作のメッカ。ほとんどエキストラさんのような立場の女優さんというか女優の卵さんというか、そういう人と同棲。
    コレ、16~17歳のことです。
    で、もうその頃から「詩」は好きで書いています。
    当然まだ、今で言えば、高校生が詩を書いています、というだけのことです。
    で、18歳くらいで「大学に進むため」ということで東京に。
    このときに、愛人さんも一緒に伴って上京。
    親の仕送りで暮らしている18歳が、親に隠れて年上の女と同棲していて、一緒に東京まで行っちゃった。ということです。
    結局、受からずに浪人。プー太郎です。
    その頃に知り合ったのが、小林秀雄さん。後に戦後まで、評論で大家となった小林秀雄さん。
    知り合ったときの小林秀雄さんは、東京帝国大学の仏文科。
    そして、もう在学中から秀才として知られて、文筆活動をしていたそうです。
    一方で、我らが中原中也さんは、「地方の医者の息子で文学者希望の18歳のプー太郎。愛人つき」という、なんとも情けない立場。
    なンだけど、やはり中原さんの文才が明らかだったのか、わかりませんが、小林秀雄さんと中原中也さんは親友になります。
    なんだけど、京都以来の中原中也くんの愛人さんが、なんと小林秀雄さんとデキてしまうんですね。そして、中也を捨てて、秀雄と同棲してしまいます。すごいですねえ。日本近代文学史。
    なんだけど、中也さんはなんだか情けなくそれを受け入れて、その後も交際が続くんですね。このあたり、唖然です。
    (ちなみにその女性はその後、秀雄さんとも分かれて演劇の演出家と所帯持って、子供も産みます。その子供を中也さんが子守したりしていたそうです。その女性は、なかなかな強者なのか…)
    19歳くらいで中也さんは日本大学に入るんですけど、すぐに中退しちゃいます。
    結局は、親からの仕送りで「自称文士」としてうだうだして、文学青年たちと交際し、詩を作っています。
    一方で、フランス語を勉強することだけは続けていたようです。アテネ・フランセに通っていたそうです。
    22歳くらいで、同人誌を作ります。詩を発表します。なんだけど、アマチュアバンドが揉めて解散するのと同じように、1年くらいで廃刊。
    23歳くらいで今度は中央大学に入ります。もう、立派な万年大学生ですね。
    やっぱり医師の息子さんで、母親に溺愛されて育ったんだなあ、と、思うのは、この時期に、「詩を作って野垂れ死ぬ」なんて、全く考えていなかったようでして。
    フランスに行きたかったんだそうです。
    フランスに留学するために外務省の試験を受けようと考えていたそうです。東京外語にも入ります。フランス語は相当勉強されたようです。
    1932年、25歳くらいで、貯まった詩の自費出版を企てます。なんだけど、思ったよりお金が集まらずに頓挫します。この時の詩集が、「山羊の歌」です。どこの出版社も、出してくれなかったそうです。
    それでめっきり弱ってノイローゼ気味になって、帰省してぶらぶらして復活したりします。
    これでもって素敵な詩を残していなければ、なんだあいつ?って感じの青春ですね。
    26歳くらいで、学校は卒業します。官員になるのはあきらめたそうで、フランス語の私塾を開いて教えたりしていたそうです。それでも、仕送り依存は変わりません。
    そして、ここからようやく、中也さんは世に出ます。
    小林秀雄さんの尽力もあったようですが、翻訳した「ランボー詩集」が出版されて、好評だったそうです。でも、無印税だったそうですから、「出してもらった」というところなのかもしれません。実家だけぢゃなくて、遠い親戚まで本を送りまくったそうです。嬉しかったのでしょうし、育ちの良い素直な感じがしますね。
    ここまでずーっと山口の実家を離れて好き勝手、ずーっと仕送りで暮らしています。でも、本が出て気持ちが落ち着いたのか分かりませんが、母の言いなりでお見合い結婚します。地元では医師の家だし、名家だったのでしょうか。山口の温泉旅館で豪華な披露宴をやったそうです。やがて男の子が生まれます。
    ランボーの翻訳者として、文学者としての立ち位置ができたのか、27歳で「山羊の歌」が出版されます。でもこれも無印税だったようです。世に出たら、好評。小林秀雄さんが文芸誌「文學界」の編集担当になったこともあって、ちゃんと原稿料を貰って、詩文を書くようになります。
    なんですけれど。
    多分、金使いも慎ましくはなかったのでしょう。
    全然生活費は足りなくて、結婚しても文士になってもずーっと母からけっこうな額の仕送りを貰って暮らしています。
    笑っちゃったのは、親戚の伝手で、日本放送協会(NHK)に就職しようとしています。でも、どうやら周りに言われただけでその気はなかったらしく、「受付をやりたい」などとナメたこと希望したそうで(笑)、流れます。
    第2弾のランボー詩集を出します。これが生涯唯一の、「印税収入」だったそうです。
    そして29歳のときに、2歳だった息子さんが小児結核で亡くなります。
    このショックは相当だったようで、おかしくなっちゃって、今風にいうと心療内科に入院しています。
    どうにか立ち直って生活を再開して、第2詩集をまとめたくらいで、自分が結核で死んでしまいます。
    ずっと仕送りしてくれていたお母さんより先立っての、夭折。
    30年の生涯で、34回引っ越ししたそうです。
    その回数と、全ての住所が全部記録に残っているのは、どうしてかというと、山口のお母さんに「引っ越したから、この住所に仕送りをおくれ」と、毎回まめに報告していたからだそうです。

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著者プロフィール

作家。神奈川県小田原市生まれ。紀行文「津軽」で婦人公論読者賞受賞。作品に「言いだしかねて 父、太宰治そして愛、家庭を語る」(主婦の友社)、「花の見た夢」、「風の見た夢」(講談社)、「小さな神さま」「明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子」 (朝日新聞社)他多数。近刊「夢さえみれば──日本近代洋画の父・浅井忠」(朝日新聞社)

「2013年 『CD 児童文学名作選』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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