ハンナ・アーレント『全体主義の起原』 2017年9月 (100分 de 名著)
- NHK出版 (2017年8月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (116ページ)
- / ISBN・EAN: 9784142230785
感想・レビュー・書評
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ユダヤ人の学者アンナハーレントの思想を解説。
なぜ全体主義がうまれナチスによる迫害がとまらなかったのか?について向き合った生涯。
まず彼女は全体主義の起源を以下のように定義する。
ヨーロッパにおける大衆の誕生は19世紀の末くらいから。そこで強調されたのは市民との違いであった。
市民とは大衆社会以前の概念。自分たちの利益やそれを守るにはどうすればいいかがクリアだった。
理由は階級社会。
労働者は労働者階級、貴族は貴族階級、資本家は資本家階級でわかりやすかった。
しかし選挙権が普通選挙に拡張されることによって、階級意識が希薄化していき階級ではなく大衆が誕生。
大衆は自分の利益がなになのか?を明確に意識することもすくないしわからない。
階級社会の時代は同じ階級に属するだれかが自分の利害をさししめしてくれる。階級に束縛されるわずらわしさはある一方でシンプル。これがなくなることで、束縛から自由になる一方で選ぶべき道を示してくれる人も利害を共有できる仲間もいなくなりすべてを自分できめなければいけない状況に放り出される。
そうした状況の中で全体主義政党が、「排外的な政策をかかげて世界観を提示」。ナチスとロシアが成功した。
現在でも大衆がとびつくのは完全に武装蜂起とか核武装とか完璧に規制緩和といったわかりやすい政策。しかし世界はそれほど単純ではない。ちょっと待てよと現状認識を俯瞰することが大事。わかりやすい説明や唯一無二の正解を求めるのではなく、試行錯誤をつづけることが全体主義を避ける重要な姿勢だと示唆。
上記は「全体主義の起源」の主張。
そのあとで彼女はナチスのホロコーストを指導したアイヒマン裁判についてかいていく。
なぜアイヒマンか?
彼はわたしは法に忠実にしたがったからだ、だから正義はわれにありと主張。とくにカントにしたがって生きたと強弁。
カントはむしろ人は法にしたがうだけでなく法の背後の精神と同一化しなければならないと主張しているのだがそこが欠落し、法律=ヒトラー、法を遵守してなにがわるいのかと。
アイヒマン裁判のあとにアメリカでミルグラムの実験がおこなわれた。
学生が先生役と生徒役にわかれる。で、生徒が間違えると電気ショックをあたえる。
でふつうだとそんなひどいことはしないはずだが先生役の学生のそばに権威者を置いて命令をさせると、6割の先生役の学生が躊躇なく電気ショックをあたえるようになり、生徒がもだえくるしんでいても続けていく。
これはアイヒマンと同じ状況だ。つまり人はだれもがアイヒマン的な部分をもってるという実験。
つまり権威者の命令に服従し、善悪の自己判断を超越して残酷なことをしうるということをしめした実験になる。これを克服するには、考えることを放棄しないにつきるがこれが難しい。全体主義は常に絶対的な悪を設定し考えることを放棄させていく。
だれにがアイヒマンになる恐ろしさを秘めている。そうならないための処方箋は、「自分とは異なる意見」をきく耳を自分のなかにもちつづけることだと彼女は語る。
人は自分を支持してくれる意見をききたがる。しかしそれではダメだ。自分が理解しにくい意見をちゃんときき深く考えること。これがアイヒマン化しないポイントだと。
マネジメントでいくと、アイヒマンはもっとも忠実な部下とも言える。
こういう部下をたくさんもってると統率のとれたマネジメントをしてるといわれるだろう。
しかしそれは善なのか?というとそうではない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ハンナ・アーレントの主著『全体主義の起源』(全三巻)と『イェルサレムのアイヒマン』についてNHK『100分de名著」シリーズで紹介された内容の書籍化。トランプ大統領の誕生で、アメリカでも時を超えてベストセラーになっているという。手っ取り早く理解したかったので購入。
20世紀の前半を暗いものにした全体主義について歴史的に考察したのが『全体主義の起源』である。なぜあのようなことが起こりえたのかを理解することは現在においても重要な課題でもあるといえる。全体主義に関して階級に属さない「大衆」の発生が大きな影響を与えたとしている。反ユダヤ主義は、敵を必要としていた国民国家において、「大衆」に提示された「世界観」だったのである。ナチスは国家政党というよりも「運動」であった。その状況に関しては現時点でも同じことが言えるのだ。
アイヒマン裁判を傍聴してまとめた『イェルサレムのアイヒマン』は、絶滅収容所におけるユダヤ人協力者の存在を隠さなかったり、アイヒマン自身を極悪非道な人間と描かなかったことにより、ユダヤ人社会含めて批判を受けたという。冷静になると、アイヒマンが凡庸であったことの方が空恐ろしい。
「アーレントのメッセージは、いかなる状況においても「複数性」に耐え、「分かりやすさ」の罠にはまってはならない ー ということであり、私たちにできるのは、この「分かりにくい」メッセージを反芻しつづけることだと思います」
「分かりやすさ」というものに対しては警戒を続けなければならない。ネットとモバイルが隅々に広まった現在においてはさらに重たいメッセージなのかもしれない。 -
ナチスドイツや全体主義については、「20世紀の遺物だろう」と勝手に過去のものにしてしまっていたが、『全体主義の起原』で描かれている内容に、予想以上に現代社会とのオーバーラップを感じ、驚いた。
更に、第4回の『エルサレムのアイヒマン』においては、命令と法を遵守する平凡な人間が、その「無思想性」故に大量虐殺者になってしまった経緯を考えるにつけ、法に則って仕事をしている自分も、いつかアイヒマン側に脱落してしまうのかもしれないという軽い恐怖さえ覚える。
それを防ぐにはどうしたらいいのか。
・「複数性(多様性)」に耐えること。
・「分かりやすさ」の罠にはまらないこと。
まずは、番組とテキストで提示されたこの2点について、丁寧に向き合っていくことが必要なのだろうと思わされる。 -
5歳の娘に「妹のおもちゃ取り上げて遊ぶのは、バイキンマンと同じ」「次々におもちゃを買って捨てる人は、ヒーリングッとプリキュアの敵」と伝えてきたその言葉が、ブーメラン返しに自分に刺さる本。
ホロコーストも優生思想も、普通の人が自分を普通と決め込んで、口を拭うことから始まっている。『すばらしい新世界』(オルダス・ハクスリー)や『命の選別』を読んだ後では、それのことが一入、身に染みた。
ーー人が他人を心置きなく糾弾できるのは、自分は「善」であり、彼は「悪」だという二項対立の構図がはっきりしている場合に限られます。(p.98)
小さな子どもの中にも、凡庸な悪の芽はある。
それを糾弾する私の中にも。
政治家の愚行や富豪たちの不道徳を弾劾する言説の中にも。
鬼退治に熱狂するムーブメントの中にも。
不安に耐えろ。
わかりやすさを求めるな。
「安住できる世界観」を疑え。
宙ぶらりんの自分を受け入れろ。
「複数性に耐える」ことを通して考え続けろ。
相対的に悪から自由になるために。 -
「100分de名著 ハンナ・アーレント『全体主義の起原』」。仲正昌樹。NHK出版。2017年8月出版。
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世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。
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強烈な「共通の敵」が出現すると、それまで仲間意識が希薄だった人々の間に強い連帯感が生まれ、急に「一致団結」などと叫ぶようになる。
それを維持・強化するために、つねに新たな「敵」を必要とします。身近にいる誰かを仲間外れにしないと、自分たちのアイデンティティの輪郭を確認できないからです。
自分たちは悪くない、と考えたい。それが人間の心理です。異物を抱えているせいで問題が発生しているのだ--と考えたい。
自分たちに、自分に、根本的な問題があると考え、それを直視しようとすることには大きな痛みが伴いますが、異分子に原因を押し付ければ、それを排除してしまえばよい、という明快な答えに辿りつくことができます。
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国民国家と帝国主義は、そもそも相容れないものだった。
「ここは我々の土地だ」「なぜ異民族に支配されなければいけないのか」
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民族的ナショナリズムの特徴は、自分の民族が「敵の世界に取り囲まれている」「独りで全てを敵とする」状態に置かれているという主張である。
いずれのキーワードも戦後70年を経て右傾化が見える現代の日本にぴたりと符号するのではないでしょうか。
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全体主義は砂上の楼閣です。常に立ち止まることが許されない「運動」だったということです。
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「大衆」の存在が浮上したのは19世紀の終わり頃。「市民」と異なり「大衆」が自分たちにふさわしいと思ったのが全体主義です。
大衆は共通の利害で結ばれていない。資本主義経済の発展により、「労働者」「資本家」などの階級に縛られた人々が解放されることは、大勢の「どこにも所属しない人々」を生み出す。
てんでバラバラに、自分の事だけを考えて存在している状態。大衆の「アトム化」。19世紀末から20世紀初頭にかけて、西欧世界全般で見られました。
そもそも大衆の多くは、政治に対する関心が極めて希薄でした。その人数が多すぎるか公的問題に無関心すぎるがゆえに、政党、利益団体、自治体、組合などのかたちで自らを構成することをしない人々の集団。
投票率で言えば、日本人の半数は「投票に参加せず政党に加入しない生活で満足している」大衆だということになります。
求めるのは安直な安心材料や、判りやすいイデオロギーのようなものです。それが全体主義的な運動へとつながっていったとアーレントは考察しています。
ヨーロッパ大陸でもっとも人口が多かったのが、ドイツとロシア。実際に大衆を動員して政権を奪取できたのは、ドイツとロシアだけだった。
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人間は、アナーキーになっていく状況の中で、偶然に身を委ねたまま没落するか、一つのイデオロギーの狂気を帯びた一貫性に己をささげるか、という二者択一の前に立たされたときには、常に後者を選び、死をすら甘受するだろう。愚かとか邪悪だからということではなく、カオスの状態では、こうした虚構の世界への逃避こそが、最低限の自尊と人間としての尊厳を保証してくれるように思えるからなのである。
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人間は、何が真実なのか分からない、自分だけが真実を知らされていない状態というのは落ち着かないものです。秘密結社に入っても、トップシークレットを知り得るのはヒエラルキーの階段を上り詰めた一部の人だけです。自分も知りたい、教えて貰えるポジションにつきたい。と思わせるヒエラルキーを、ナチスは構築したわけです。
いじめの第1歩は、仲間外れを作り出すことです。任意の人物を、集団の意思決定のネットワークから排除する。するとそれまで無関心だった人も、身近に意思決定のネットワーク、いじめっこグループがあると分かる。分かると気になって、自分もそのネットワークに加わり、なるべく中核に近いところに行こうとします。それが自分を安心させ、満足させるもっとも手近な方法だからです。
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強制収容所は死そのものをすら無名なものにする。死という物がいかなる場合にも持つことが出来た「意味」を奪った。
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政治においては、服従は支持と同じだ。
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良心の呵責に苛まれることなくユダヤ人を死に至らしめた人々のメンタリティも、全体主義支配を通して形成された。全体主義支配が人間の「自己」を徹底的に破壊する。
全体主義は、単に妄信的な人の集まりではなく、実は、「自分は分かっている」と信じている、思い込んでいる人々の集まりなのです。
人間は、自分とは異なる考え方や意見をもつ他者との関係のなかで、初めて人間らしさや複眼的な視座を保つことができる。
閉鎖的な環境において、その場の権威者の命令に従う人間の心理、どこまで残虐になれるか。そうならないためには「複数性に耐える」ことがカギになる。簡単に言うと、物事を他者の視点で見るということ。複数性が担保されいてる状況では、全体主義はうまく機能しません。
全体主義は絶対的な「悪」を設定することで複数性を破壊し、人間から「考える」という営みを奪うのです。
「悪」のない人間はいないといっても過言ではないでしょう。むしろ正義感の強い人、何か強いこだわりをもって、それに忠実であろうとする人ほど、実際は悪の固まり、ともいえます。
そもそも異なる意見、複数の意見を受け止めるというのは、実際には非常に難しいことだからです。
(以上全て本文より) -
テレビでは十分に解説されていなかったところを補っているだけでなく、さらに詳しい解説が施されていて、アーレントの思想の一端を窺い知ることができる。
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アーレントを100分にまとめると「こうなるのか」といった内容。100分にまとめるというよりも「テレビでやるとなるとこうなるのか」という方が近い気もする。
テキストの方は放送よりも良いので、放送は再度見たいとは思わないけど、テキストはそつなくまとめられていてよいです。 -
あまり100分de名著は読まないのだけど、友だちに貸してもらってアーレントの予習復習。
仲正氏のお話は要点が凝縮されていて理解しやすく、アーレントが訴えかけていることが伝わってきてすごくよかった。とりわけアイヒマンの所。
アーレントに挑戦する人は一読の価値あり。