スピノザ『エチカ』 2018年12月 (100分 de 名著)

制作 : 國分 功一郎 
  • NHK出版
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感想 : 37
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  • Amazon.co.jp ・本 (116ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784142230938

感想・レビュー・書評

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  • 解説ポイントを絞っているのも理由だろうが、とにかくわかりやすかった。
    最初の1冊に最適。流石100分de名著シリーズ。
    ポイントを以下に書いてみたが、これだけ読むと意味不明である。。
    でもつまり、自由意志なんて存在しないってことなの。

    ・「神は無限である」。つまり、外部がない。なので、全ては神の中にある。ここからかの有名な「神即自然」が出てくる。

    ・全ての個体はそれぞれで“完全”である。なので、それ自体に善悪は存在しない。善悪は組み合わせによって初めて生まれる。上手い組み合わせによって私の活動能力を増大させるものが“善”である。

    ・コナトゥス(conatus)とは、個体を今ある状態に維持しようとして働く力のこと。生医学で言うところホメオスタシス。そして、Conatusはそのものの本質である。

    ・神は唯一の実態である。人間は神という実態の変状。返上とは、ある刺激に対する反応・変化のこと。

    ・自由とは、与えられた条件の元で、その条件に従って、自分の力をうまく発揮できること。制約から解き放たれることではない。

    ・自由になるためには、受動を減らし、能動を増やしていく必要がある。能動とは、自らの行為が原因になること。

    ・真理の基準は存在しない。真理の観念を獲得すれば、それが真理だとわかる。

  • この本自体が名著
    ビジネス、リーダーシップ、全てに通じる本質

  • おもしろかった!あくまで主体の変容、というところがよかった。

  • 原書を急に読んでもわからない気がして100分名著のテキストを読みました。大枠だけど大切なところを知ることができた気がします。

    スピノザによると、自由を決めるのは意思ではない。制約の中で腕を可動域いっぱいに動かせることが自由のようなことらしい。

    少しこころが楽になった。

  • 育児で意識しはじめていたことに合致して驚きました。

    ・『我々の活動能力を増大し、あるいは減少し、促進しあるいは阻害するものを善あるいは悪と呼んでいる』
    → そのものの善悪ではなく、組み合わせによる。自分にとって善いものは実験でみつける。活動能力が高まっている時は「楽しい」

    ・『善および悪の認識は、我々に意識された限りにおいる喜びあるいは悲しみの感情にほかならない』エチカ第四部 定理八
    → 善いものは、自身の喜びの感情を高めてくれるもの=楽しいもの

    ・どういうふうに起きるかを よく知っている人が、うまく生けていける人
    →スピノザの考える「賢者」は、「色々な楽しみ方を知っている人」

    つまり、子供が「楽しいと思う事柄’や あるいは「楽しいと思えるやり方」を見つけることを支えようと思っていましたが、これでいいんだと思えました。

    活動能力が高まっている楽しいは、心理学のフローの事ですよね。

  • スピノザ最初の一冊はこれがよかったなー
    さすがよくまとめてある

    スピノザ を読むなら、まずはここから

    次に、上野修のスピノザの世界とか、それから、知性改善論、なら読めるのでは
    エチカは、それでも読めるのかどうか怪しいと思う
    この本で言われてるように、岩波文庫のエチカの下巻から、というのがよいのかなー

    スピノザ 、色々と読んできたけども、せめあぐねる

  • デカルトからの近代ではない、もう1つのあり得た今というSFにも近い捉え方が魅力的。なるほど民主主義にせよ人権にせよそれらの矛盾点が現実の問題として表出している現在、OS自体の交換すら検討すべきなのかもしれない。

  • 活動能力の増大、能動的になることが大事だという考え方が、保育の事例検討での学びと一致して、おもしろかった。

    しかし、近代科学的な証明が難しいと言う。

    世間から「何でも早く上手にできる」ことを求められ、遡って、乳幼児の保育や子育てもその延長線上に置かれがちである。できるできないのほうが、たしかに見た目にわかりやすい。内面を育てる保育や子育ては成果がわかりにくい。この辺りともリンクして、興味深かった。


  • 哲学は難しいイメージがあるが、中でもスピノザは(翻訳のせいもあって?)難解なイメージが強い。それが少しだけ溶けていったような感覚になっている。「神≒自然」とすると、仏教の説く「山川草木悉有仏性」に近づく。自由意志はない。すべてに原因がある、との考えは、因・縁・果で捉える仏教に近い。同じ訳はないが仏教を援用すると『エチカ』の理解がさらに進むような気がした。何より、何でも自己責任という風潮に釘を刺し、善悪は組合わせだと考えられると、いまよりずっと生きやすくなると思った。来年は『エチカ』原典にチャレンジしたい。

  • 18/11/27。
    12/7読了。著者がスピノザを今読むべきだと訴える気持ちがひしひしと伝わってきました。
    【追記】
    Twitter情報によると、すでに50,000部売れたそうな。捨てたもんじゃないぞ、Nippon人(^^)

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