カント『純粋理性批判』 2020年6月 (NHK100分de名著)

著者 :
  • NHK出版
4.15
  • (18)
  • (26)
  • (10)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 423
感想 : 22
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (131ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784142231140

作品紹介・あらすじ

近代哲学の最高峰が、手に取るようにわかる!

カントの主著『純粋理性批判』は、哲学のあり方を根底からひっくり返すインパクトを持つものの、専門家ですら読み進めることに困難を極める一冊。重要性も難解さも哲学史上の最高峰だ。しかし晦渋な言い回しを西研流に解きほぐしてみれば、カント哲学の核心は思いのほか明快だった!私たち人間は何を認識し得るのか?ア・プリオリとは何か?人間に備わる悟性とは?西洋哲学の最重要古典が「100分de名著」にいよいよ登場!

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 今まで何度も表層舐めてきたが、ニーチェやデカルトなどはどうにか味そのものはわかったものだ。ただいくら舐めてもカントだけは全く無味無臭でちんぷんかんぷんだった。
    哲学をどうにか味わうためにはその言説の動機を知ることが一番だということを教えてくれた。
    なるほどフランス革命の最中、科学と宗教と権威を価値判断することが必要だったわけだ。
    ニーチェの激しい主張と比べ、カントのそれは非常にヒューマニズムに溢れ優しく、その分理解させるパワーが弱かったのであろう。
    定言命法などの道徳や倫理にスポットが当たりがちだが、実はこの純粋理性批判は認知、特に科学や宗教哲学の限界ということに最もボリュームを割いていることが分かった。この前提があるからこそ最終章の道徳倫理の理論が証明され生かされる。本当に難解だった物自体とかアンチノミーなどもすっきりと腑に落ちた。
    さらにこの後のフッサール、さらには構造主義、ポストモダンに至るまで、確かにカントなくしてはありえなかったのも理解できる。
    エッセンスを抽出するという以上の啓蒙がある。番組とテキストの優れた価値は本当にありがたい。
    下手に市民講座とか大金払って受けるよりも何倍の知見が得られるはず。

  • 「カント『純粋理性批判』」西研著、NHK出版、2020.06.01
    131p ¥576 C9410 (2020.07.05読了)(2020.05.26購入)

    【目次】
    【はじめに】哲学の歴史を書き換えた一冊
    第1回 近代哲学の二大難問
    第2回 科学の知は、なぜ共有できるのか
    第3回 宇宙は無限か、有限か
    第4回 自由と道徳を基礎づける
    カント哲学を読むためのキーワード集

    ☆関連図書(既読)
    「永遠平和の為に」カント著・高坂正顕訳、岩波文庫、1949.02.20
    「啓蒙とは何か」カント著・篠田英雄訳、岩波文庫、1950.10.30
    「道徳形而上学原論」カント著・篠田英雄訳、岩波文庫、1960.06.25
    「カント『永遠平和のために』」萱野稔人著、NHK出版、2016.08.01
    「カント『純粋理性批判』入門」黒崎政男著、講談社選書メチエ、2000.09.10
    「ヘーゲル・大人のなりかた」西研著、NHKブックス、1995.01.20
    「ニーチェ『ツァラトゥストラ』」西研著、NHK出版、2011.04.01
    「「幸せ」について考えよう」島田雅彦・浜矩子・西研・鈴木晶著、NHK出版、2014.05.30
    「ルソー『エミール』」西研著、NHK出版、2016.06.01
    「プラトン『ソクラテスの弁明』」西研著、NHK出版、2019.08.30
    【内容情報】(出版社より)
    近代哲学の最高峰が、手に取るようにわかる!
    カントの主著『純粋理性批判』は、哲学のあり方を根底からひっくり返すインパクトを持つものの、専門家ですら読み進めることに困難を極める一冊。重要性も難解さも哲学史上の最高峰だ。しかし晦渋な言い回しを西研流に解きほぐしてみれば、カント哲学の核心は思いのほか明快だった!私たち人間は何を認識し得るのか?ア・プリオリとは何か?人間に備わる悟性とは?西洋哲学の最重要古典が「100分de名著」にいよいよ登場!

  • カント哲学は非常に難解であるけれど、読み解けるとトコトン腹落ちできる。
    「道徳的に生きることを最高の生き方とするだけでなく、道徳的に生きるところにこそ人間の自由がある」
    この言葉の意味を噛み締め、味が滲み出て感じ取れたとき、カント哲学に魅了されると思います!
    ところで、本書はカント哲学の長所・短所が述べられており科学的である点が個人的に好印象でした。
    是非ともオススメしたい1冊です。

  • カントの有名な哲学書が、我々の生き方について、人間的に語られていた事に驚きました!

  • 難解なカントが道徳に結実していくのは不勉強を恥じずに言えば驚きだった。

    思うに当世の"リーダーシップ"を持つ人々には哲学がなさすぎる。宗教もないし、信じるのは経済だけ。つまりは拝金主義ということなのだろう。

  • 勿論これだけ読んでもすべてがわかるわけではないけれど、気になる世界を覗くには十分だと思った。

  • 2021.03 『世界の古典 必読の名作・傑作200冊』より
    http://naokis.doorblog.jp/archives/Koten_SatoMasaru.html
    2021.05.16 読書開始

  • カントの思想が、現代科学と密接につながっていることがよくわかった。科学者にとっては必読であろう。

  •  空間・時間の枠組みのなかで与えられる直観と結びついた認識は、正しい(客観的)認識でありえます。間違うこともあるので「ありえる」としかいえませんが、実験や観察でもって検証することで、より正しい認識をつくっていくことができます。これにたいし、感性による直観と結びつかない思考、つまり概念のみを頼みとする思考は、客観性という立地をもちえません。
     空間と時間という枠組みでもって直観できない対象とは何でしょうか。たとえば、神の存在や魂の不死、さらには宇宙空間の限界などです。これらを旧来の哲学は語ってきましたが、しかしこれは「直観なき思考」の暴走であって、答えの出ない底なし沼にはまり、合理的に共有されえない独断論に陥ってしまうーーカントはそのように指摘したかったのです。
     ですから、直観と概念を完全に切り離したことはかなりの無理がある、と私は思いますが、そこに「思考の暴走を説明するため」という正当な動機があったこともうけとめる必要があります。
     さて、直観できる世界を離れ、どんどん暴走していく思考のエンジンとなるのが『純粋理性批判』というタイトルにもある「理性」の働きです。普段、私たちが使う「理性的」という言葉のイメージとは、ある意味正反対かもしれません。カントは、糸の切れた凧のようにコントロール不能に陥ることもある理性について、きわめて独創的で、実に面白い考察を加えています。そして、なぜ暴走するのかという理由もあきらかにしています。

     ところで、答えの出ない「世界全体」について、なぜ人間は知ろうとするのでしょうか。そして限界が「ある」とか「ない」とか結論づけたがるのでしょうか。そのことをカントは、理性の「関心」によって説明しようとします。
     理性の働きは推論をすることです。しかも、推論に推論を重ね、際限のないところまで行こうとする。そのとき、理性には二つの関心があるとカントはいいます。
     一つは「完全生」を求めることです。理性による推論は、世界全体を完結した完全なものとしてつかもうとします。なぜでしょうか。世界の全体がつかめると、そこに「自分」や「現在」を位置づけることができて、安心できるからです。
     さまざまな民族が「世界創造」の神話をもっていますね。日本の古事記にもイザナギ、イザナミの二柱の神様がいて、本州や九州など国土をつくったという話があります。世界はそもそもどこから来たのか、という問いに答えを与えられると、人は満足するでしょう。「なるほど、こうやって世界が始まり、さまざまな時代を経て現在に至っているんだな」と。このように、世界全体を思い描くことができると、安心します。「有限説」はこのような関心にもとづいています。
     一方で、理性が過去を知ると、「その前は?」「さらにその前は?」「そのまた前は?」と遡りたくなる。世界の果てがあるといわれれば、「その向こうは?」と問い続けようとします。限りなく問い続けることで真理に近づこうとする、という探究心も理性の関心のひとつです。そうしてこの問い続ける関心からすれば、有限説は探究をストップした不完全なものにすぎない。そうみなすところから「無限説」が生まれてくることになります。
     つまり、有限説と無限説の違いは、理性のもつ二つの関心の二側面、「全体を知って安心したい」と「もっともっと問い続けたい」という二つに由来しているのです。
     この関心の指摘は非常に鋭いと思います。世界全体の問いについて、現象界(空間・時間)を超え出たものだから答えが出ないのだ、というだけでなく、理性というものの関心から説明されることで、皆さんも納得が得られたのではないでしょうか。

     もっとも、自由は理論的に亜人間が認識しえないもの、とされます。しかし実践し行為する立場からすれば、自然の法則に縛られない人間の自由があることを、私たちはみなわかっている、とカントはいいます。
    ーータチの悪いうそをついた人を、なぜ人々は非難するのだろうか。もちろん探せが、いろんな理由が指摘できるだろう(たとえば、力あるものから脅されてそうしたのかもしれません)。しかし、それを無視して理性による意思決定ができたはず、と人々は信じる。だからこそ、うすをついた人を非難するのだ、と。
     このように、私たちは「実践」する立場では自由の存在を信じている、というのです。
     ところで、「道徳的に行為する」というと、何か「正しいとされること」があらかじめ与えられていて、ひたすらそれに従うというイメージをもつ人がいるかもしれません。もしそうだとすれば、これはとても不自由ですね。これと、カントのいう道徳的行為とは違います。
     カントによれば、権力者や宗教者が「正しい」ということを無批判に受け入れて従うのは、権威のいいなりになっていることで、道徳的な価値はまったくありません。そうではなく、権威や伝統が道徳的にた正しいかどうかを主体的に吟味し、理性的判断にもとづいて行動を選択するところに自由はある、とカントはいいます。そして、他人の意見に無批判に従うことを「他律」(ヘテロノミー)、自分自身の主体的で理性的な判断に従うことを「自律」(オートノミー)と呼んでいます。
     つまり、カントにとって「自由に生きる」とは、人の言いなりにならず主体的に考える姿勢であり、そして主体的な判断に従って道徳的に行為することなのです。押さえておきたい点は、カントのいう自由とは「勝手きまま」「欲望の解放」ではない、ということです。自由とは「何が善いことなのか」(何が私の能力を進歩させるか、何が他者の幸福に貢献するか)とみずからに問いかけながら生きるところにあるのです。
     このような仕方で、カントのなかで道徳が自由と結びついていることがお分かりいただけたと思います。そして、ふだんの生活でも主体的な道徳的判断が大切でiあるという点については、多くの読者も納得してくださるのではないでしょうか。

  • カントって明るい哲学なんだなと感じたが、一方でどこか行きすぎたところもあるんだなあと思った
    自然科学を確かなものとするために書かれたという意図を意識しながら読むと、細かい部分は単なる厳密な手続きなんだなと流せると分かったことが大きいかな
    数学の定理の証明を、常に一言一句追ってるわけではないのと同じかしら

全22件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

哲学者。京都精華大学社会メディア学科助教授。哲学者らしからぬ軽い風貌と語り口で若いファンを多くもつ。「普通の人々の心に届く新しい哲学を構築するのは彼しかいない」といわれる期待の学者。著書は、『哲学的思考』(筑摩書房)、『実存からの冒険』(ちくま学芸文庫)、『ヘーゲル・大人のなりかた』『哲学のモノサシ』(NHK出版)、『哲学は何の役に立つのか』(洋泉社新書y、佐藤幹夫との共著)など多数。現在、『哲学のモノサシ』シリーズを執筆中。

・もう一つのプロフィール……
だれに聞いても「怒った顔をみたことがない」という温厚な哲学者。学生からの人気はピカイチ。天才的頭脳の持ち主にしては「ちょっと軟弱」「貫禄がない」との評もあるが本人は全然気にしていないようだ。

「2004年 『不美人論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

西研の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×