NHK 100分 de 名著 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』 2021年6月 (NHK100分de名著)
- NHK出版 (2021年5月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (125ページ)
- / ISBN・EAN: 9784142231263
作品紹介・あらすじ
本が燃やされる「ディストピア」は、SFか、現実か。
読書が有害とされ、本を所持しているのが見つかるとファイアマンに家ごと焼き払われてしまう全体主義的な近未来社会。人びとは甘い仮想現実世界に浸り、考えること、記憶することを放棄している。職務に忠実なファイアマンである主人公モンターグは、ある少女との出会いをきっかけにその職務や、社会のあり方、自らの実存に疑問を感じ始める……。「近未来SF」の姿をとりながら、反知性主義が広がる「現実」を鋭く風刺するこの予言的作品に込められたメッセージを、「思考」「知識」「論理」についての著作も多い科学哲学者の戸田山和久氏が読み解く。
感想・レビュー・書評
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本を書くことの大変さを指摘した文章がある。「その人間が、考えていることを書物にするまでには、おそらく一生を費やしたのじゃないかな。世界を見、人を見、一生を賭けて考え抜いたあげく、書物のかたちにしているのだ」。書物を消滅させてしまうことは重大な損失である。
本を否定する署長は「性と麻薬。機械的に反射作用をもたらすものにかぎる。テレビ・ドラマが愚策で、映画がつまらなく、演劇が気がぬけて、退屈してきたら、チクッと薬品を注射する」。書物の対極にある破滅的な快楽がドラッグになる。
警察はモンターグの代わりに無関係な別人をモンターグであるとして殺害する。面子のために冤罪を作る。日本の冤罪事件と共通する警察の体質である。
本を求める人々にとって希望が戦争になっている。戦争が体制を破壊しなければ救いが来ない。物語としては区切りをつけた終わり方であるが、現実味が乏しい。戦争で破壊されても、太平洋戦争後の日本のように官僚機構は生き残ることが多い。戦争で体制が滅びれば言論弾圧がなくなると期待できるだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
作品内にちりばめられた対比の構造が面白かった。たぶん、解説が無ければ気づかなかったであろうレトリック 暗喩についてまでも解説されたので、たいへん濃密な読書体験だった。(もちろん、通常の読書体験とは別物であることには留意されたい)
映画版への言及があったのもよかった。私は映画版の存在を知らなかったし、きっと知っていても、価値を見出せなかっただろう。映画版でより洗練された描写がある、という指摘は、まさしく解説ありきの支店だった。
原著の伏線の数々には脱帽する。特に、鏡の暗喩については言われなければわからなかっただろう。そういったこまごまとした伏線=物語としての説得力の強さが、この原著の魅力の一つなのかもしれない。
それだけに、未熟な読者である私は「啓蒙」の手段を教えてほしかったと悲嘆せずにはいられない。現実を生きる私たちにとって、神の鉄槌による強制リセットはあまりにも非現実的で、期待できない手段だ。私たちがこれからどうしていくのか、それは、それこそ悩みぬいた主人公のように、私たち自身で悩めということなのだろうか…わたしは、このめくらの洞窟から抜け出せるのだろうか。まさしく鏡を覗き込むような読後感だった。
ざんねんなところ。少しだけ解説者の政治思想が現れていたのが目に障った。当たり前だが、外国の昔の人間である原作者は、今の日本の政治なぞ知らないし、考慮していない(していたとしてもせいぜい母国のそれだろう)。だのに現在の日本の政治を揶揄するのは、名著の解説といった役割から逸脱していたように思う。
それだけ原著が克明に未来を見据えたものであったといいたいのだろうけれど、それこそ読者が察するべきところであって、口(文字)で説明するのはナンセンスだ…美意識の違いなのだろうか。
原著は……いつか読めたらいいね……
自分のブログ記事より引用しました。 -
華氏451度を読み終わりこちらも読む。解説の本であるためわかりやすい。
解説により解像度もあがるというものです。
こちらも共に手にしてよかった。 -
こんな世界に生まれてたら絶対に生きていけない!と本気で思いました…最後の終わり方がビミョーなので☆4かなぁ?
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「レイ・ブラッドベリ『華氏451度』」戸田山和久著、NHK出版、2021.06.01
125p ¥600 C9497 (2021.07.15読了)(2021.05.26購入)
【目次】
【はじめに】寓話としての『華氏451度』
第1回 本が燃やされるディストピア
第2回 本の中には何がある?
第3回 自発的に隷従するひとびと
第4回 「記憶」と「記録」が人間を支える
☆関連図書(既読)
「華氏451度」レイ・ブラッドベリ著・宇野利泰訳、ハヤカワ文庫、1975.11.30
「ウは宇宙船のウ」萩尾望都著・レイ・ブラッドベリ原作、集英社文庫、1978.12.31
(アマゾンより)
本が燃やされる「ディストピア」は、SFか、現実か。
読書が有害とされ、本を所持しているのが見つかるとファイアマンに家ごと焼き払われてしまう全体主義的な近未来社会。
人びとは甘い仮想現実世界に浸り、考えること、記憶することを放棄している。職務に忠実なファイアマンである主人公モンターグは、ある少女との出会いをきっかけにその職務や、社会のあり方、自らの実存に疑問を感じ始める……。
「近未来SF」の姿をとりながら、反知性主義が広がる「現実」を鋭く風刺するこの予言的作品に込められたメッセージを、「思考」「知識」「論理」についての著作も多い科学哲学者の戸田山和久氏が読み解く。 -
番組の解説がとても良かったので、テキストも買ってみたのだが、番組よりも詳細に解説が書かれていて非常に良かった。
まだ原作を読んだことがないので、このテキストを読んでなお一層映画と書籍の両方に触れたいと思った。 -
なかなかに痛烈な物語と解説。
「古典は十五分のラジオプロ[グラム]に縮められ、つぎにはカットされて二分間の紹介コラムにおさまり、最後は十行かそこらの梗概となって辞書にのる」
これなんてこの「100分de名著」シリーズの企画にも喧嘩を売っているようだ。
現代にありがちな(と表現してみたが恐らくはどの時代にもあったはずの)軽薄で、わかりやすいが思考力が要らない、そんな書籍もまた「読書」を駆逐していく尖兵だ。
思考力を介さない読書に意味があるなら、本を読み咀嚼し嚥下し消化してやがて己れの血肉となす、そんな「本来の読書」の入り口となるときかもしれない。
天国への門は狭いが、読書への門は広くみえる。門が広いほうが門をくぐるひとは多くなる、そういう意味で救いがある。ただし門の価値は広いか狭いかには左右されない。門はあくまでも、その奥に何が待っているか、どこに辿りつくか、によってのみ価値が定められる。
現代(そしてあらゆる時代)の活字中毒。書籍フェチズム。本を読むのが好きだが、消費するだけで取り込むもののない読書。精神を肥沃にしない洪水。飲み込みはしてもそのまま己れを通り抜けて排泄されるだけの文字群。
かたちだけ読んでみて「わけわからない」「読者に(=自分に)寄り添っていない」「共感できない」。理解できず自己の信条と相反するから不愉快だと感じてしまえば、そこで終わり。
娯楽の読書ならそれでも用は足す。でもちょっと悲しいよね。そこから壁を打ち砕いたら新しい地平が待っているかもしれないのに。
新しく本と出会うことは新しくひとと出会うことと同じで、理解不能や対立は新しく世界を拓く前触れ。
誰かにかちんと反発を覚えたら胸をときめかせて一歩を踏み出したい。そんなことを内省とともに読書習慣に刻み込んでおきたい。 -
未来予知に関してはかなりの精度を誇るが、終わり方含めてこんな未来しかないのだろうかというストーリー。
本編で気づかなかった観点からの考察をもらえるのは嬉しい。
先生がこの話を好きじゃないと仰ってたのも新鮮でした。
過去の名作を自分が紹介しにきてるのにテレビで好きじゃないと言えるのは先生のこの話の考察の説得力を上げていると思いました。 -
「戸田山節」成分は少なかったが、相変わらずこの先生はおもしろい。映画との差分も知れて良い。
終わり方に関しては、「蒙を啓く」ことで終わるのもあまりに楽観的(というか、作中通りの単純なストーリー展開になりさがってしまう恐れがある)ではあるから、批判されて然るべき(むしろ批判があることに意味がある)だとは思うが、あえて真の理想郷ではなくて、諦めのうえにある理想郷を創ることにしたのではないかと考えた。