NHK出版 学びのきほん 「書く」って、どんなこと? (教養・文化シリーズ)

  • NHK出版 (2024年7月29日発売)
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Amazon.co.jp ・雑誌 (112ページ) / ISBN・EAN: 9784144073137

作品紹介・あらすじ

作家なら誰でも知ってるけど、誰もが明かさなかった「書く」ことのヒミツ、教えます。

メール、SNS、日記など、これまでにないほど日常に浸透している「書く」という営み。でも、みんなの「書く」の当たり前は間違っている?! 文章は頭で考えて書いていない? 読むより書くほうが簡単? 作家として書き続けて40年、私たちが気づいていない「書く」の本質に初めて迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 高橋源一郎がラジオ「飛ぶ教室」で、自著であるこの本には書くことの秘密が暴かれているという紹介していたので、どんなことが書いてあるのか、ワクワクしながら読んでみた。

    「書く」という現場で起こっていること二つ。
    「考えずに」「書く」ということ。
    「なにか」について「考える」ことを「書く」ということ。

    なるほど、考えるより先にペンが動くということ。それが書くことの醍醐味。
    そして、考えていることを表現することは、それとは矛盾しない。

    いずれにしても、多くの時間を書くことに費やしている人の行き着く境地。
    そんな感覚を感じてみたいものだな。

  • 「書く」とは「考えないこと」で生まれる文章が多い、と言う。小説家など夏目漱石の1日24枚以上書き上げる思考はそこにある、と言う。言葉はどんな世界でも描き出せる どれだけ想像力を持って「考えない」で書けるか。「仮面の私」となり、思った事を書き続づける癖を持つ事だともいう。「好奇心」「直感」「創造力」「発想力」さらに「子供の目・大人の目」など目の付け所などでの変化で言葉・文章は生まれる。生成AIを利用した小説、付随したイラストなどは今後多く出回ることになると感じる。

  • あっという間に読めたけど、実行するのは難しい(汗)

    確かにそうだと思うけれど、書けないですよ。
    書いてないけど(笑)

    もう少し心にゆとりがあるときに読んでみます。

  • 自分の考えを正確に伝えるための文章術とかかな、と思って読み始めたけど、自己表現のための「書く」に関する話だった。面白かった。
    神蔵美子さんの写真集「たまもの」を見てみたくなった。お相手の末井昭さんのことは、西原理恵子の漫画にちらっと出てきて気になっていたけど、そういうことになってたのかと初めて知った。
    夜になると、色々なものに縛られてないもう一人の自分が出てくるというところ、すごく腑に落ちる感覚だった。だから夜更かしは楽しいし、夜中に書いた文章は感情が迸りすぎて、朝読むと恥ずかしくなったりするんだな。

  • 『「読む」って、どんなこと?』に大きな衝撃を受けたから、この本も期待して読んだ。なるほどこれもなかなかの衝撃。たしかに書くときって考えていない。言葉が出てくる。私は小説は書かないけど日記とか練習ノートを書いているから、言わんとしていることはなんとなく伝わってきた。でもそういう文章を人に見せるのはすごく勇気がいると思うし、それができる人を尊敬する。続編も楽しみ。

  • 「書く」とき、人は特に考えていない。考えてから書く、ということはないと言っている。「考える」ことの大半は、「頭の中」ではなく、「紙の上」で、「ディスプレイの上」で行われている。「考える」とは、「身体の外」で起こるもの。

    谷川俊太郎さんがコップについて書いた詩がよかった。「コップ」のことを書こうとした際に、目の前のそれを見て「なんだか変だ」と感じること。それによって、一撃で世界を変えてしまう、という議論に昇華しているところもまたよい。
    『百年の孤独』において、「アウレリャノは一歩前にすすみ出て氷を手にのせ、すぐに引っこめて、びっくりしたように叫んだ。『煮えくり返ってるよ、これ!』」と、「氷」を「体験」したシーンがあった。この「体験」による驚きで1つ1つ世界を知っていく。「コップ」という言葉を使わずに「コップ」について詩を書くことも同じことなのだな。

    この「氷」と「コップ」の例にあるように、それを知る・読む前と、知った・読んだ後で世界が違ったものになる、そんなものを書くべき、という筆者の話に共感した。歳を経るごとに、純粋な驚きはなくなっていく。書くことでそうした驚きや発見に出会う心持ちを時々思い出しながら生きていきたい。

  • え、もう何言ってんのかわかんないよ、それイタコなの?
    要するに書くとは「降りてくる」ってことでFA?
    この論理だと書く前に自分との対話が必須かもね。
    そういうの嫌いじゃない。

  • コップの話が印象的でした。
    コップをコップとしか認識できない。ある絵がこう見えたらこうとしか見えなくなるというやつですね(全然例えになってない^^;)。調べれば大抵のことがわかる時代だと余計に純粋に物事を見れなくなりますね。考えずに書くことでそこに向き合う練習にはなりそうです。
    この純粋に物事を見る、純粋という言い方はちょっと誤解があって、自分なりにそのものを見るってことだと思うんですが、このような見方の話を読んで、教育学者の汐見先生の本「教育から学びへ」の本で紹介されていたアトリエ教室自遊楽校の話を思い出しました。
    このアトリエ教室では、夕日の絵を描くために、何週間も夕日を見に行き、生徒が描きたいと思えるまで何度も夕日を見に行くそうです。先生が、描いてください、と言ってみんなで描くのではなく、描きたいと思えるまで待ち、何かを感じるまで何度も通う、というのが、何とも凄まじいなと印象に残ってました。
    内面に向き合うって一回でできることじゃなくて、何度もやっていくうちに自然と湧き出るものなのかもしれないです。
    そうすると、本書で考えずに書くのも、はい、やってみて、と言ってできることじゃなく、書きたい何かに出会うこともまた大切なんじゃないかと思います。書きたい何かに出会うために、書くことを続ける、ということなのかしら。自己表現できる力があるから自己表現に向き合うことができるのかもしれないです。やっぱり筋トレですね

  • 「書く」ときに「なに」が起こっているのか?作家のみんなは分かっているが誰もその事については書かない。でも高橋源一郎はこの本で「それ」を書いてしまった。僕も「それ」を体験してみたい。「それ」によく似たことは、もしかしたらあったかもしれないなかったかもしれない。でも気持ちいいだろうな、「それ」は。いつかやってやる「それ」を。

  • 思ったことをバーッと書き散らしてみると、(へー、私こんなこと思ってたっけー?)と考え始めることがあります。書いてから考える…その感じを説明してくれている気がしました。
    でも最後まで読むと、結局書くってどんなことなんだろう?と最初に戻ってまた考えさせられました(笑)

  • 昔、国語の先生が「書くと書けるものです」と話していたのを思い出しました。あれは本当だったんだと妙に納得しました。
    この感想を書くのもそうだけれど、あれこれ考えてちゃんとしたことを書こうと思うと書けなくなってしまいます。常識にとらわれずに伸び伸び書けたら楽しいだろうなと、私にもそんな夜がきて欲しいなと羨ましくなりました。
    今の私には難しかった所もあったので、いつか再読したい本です。

  • 私たちは実は、考えずに書いている。「昼」の時間は社会の常識にとらわれた、本当の自分を押し殺した言葉を使っている。しかし「夜」の時間はそういったものがとっぱらわれた言葉があふれだし、それを書き留めているだけ。書きながら考えているとでもいったような。一読思ったのは、誰でも「夜」の時間さえつくれれば、言葉があふれでるのだろうか?また、どうやって「夜」の時間をつくればよいのか。意識的にできるのだろうか?と言った疑問。まあ、著者も紙幅が足りなくて、といってるから、本来はそこまでふみこむはずだったのだろうか。「わたし」が偏在した文書が読みたいというのは同感。冒頭にとりあげられてた神藏美子「たまもの」、だいぶ前に読んだけど、再読したくなった。◆すべての文章は「わたし」が書いているのです。かけがえのないたったひとりの「わたし」が。そして、それを読むのもまた、たったひとりの、ほんとうにたったひとりの、ほんとうにたったひとりの「わたし」という名前を盛った、「あなた」たち読者なのですp.31◆◆それを「読む」ことで、「読む」前とは世界がまったくちがったものに見えるようなもの、わたしたちは、そういうものをこそ「書く」べきなのだと。「書く」とは、そういう可能性を秘めたものなのだと。「書く」とは、そのことによって、世界を変えることができるものなのだと。p.97

  • 高橋源一郎はこれまでも幾度となく書くことを読者に薦める「指南書」を書いてきたが、たしかに彼のそうした仕事からは「伝道師」(悪く言えば「香具師」)の香りを感じる。多彩な書籍を引用しつつ、高橋はここにおいてぼくたち自身に内在するある種のアルターエゴ(もうひとりの自分)の力を信じること、その自分自身に積極的に語らせることを説く。だが、一見すると実にポジティブでパワフル、楽天的なこの誘いにうかうか乗っかっていいものか。鋭敏な感受性と豊富な知識を持つからこそ語れる魅惑的な誘いなのではないだろうか、とも考えさせられる

  • 「考えずに」書く 作家さんは、これがないと小説にならないのだろうな、と、あらためて思った。
    普段私が書くのは、事務的な書類、連絡などが多い。以前数年間書いていた日記については、自分や家族などまわりのひとたち、見聞きした出来事についてなど。高橋先生の記述にあるように、いわゆる自動筆記状態になっていた時もあると思う。見開き2ページまでとしていた。
    源一郎先生の小説はきちんと読んだことがなく、今回初めて内容をしり、驚きましたが、知人が真似して文章作成を試みていることが判明し、愉快でした。
    時々、先生のラジオも聴いています。これからも楽しみにしています。

  • 感想
    体が勝手にペンを動かす。頭で考えるより先にインクが滲んでいる。自分が考えたこと思っていることを紙にぶつけてみる。自分を知る一歩。

  • 文章術とかは特になく、「書く」事における自己表現について著者が語ってくれている本です。内容は3つに分かれており、一章につき30分程度と気軽に読めるようになっています。

    特に面白かったのが2時間目の『「考えず」に書く』で、無意識に書くことについてのエピソードとして夏目漱石の『坊っちゃん』や井原西鶴を例に取り上げ、また『さようなら、ギャングたち』がどうやって書かれたのかを知れます。

  • 同じNHK出版の「学びのきほん」シリーズで、『「読む」って、どんなこと?』を読んでいたので、姉妹編のこれも買って読んでみた。

    夏目漱石の『坊ちゃん』は「「考えずに」書いている」というところに、なるほど!と思った。

    「「手」が勝手にキイボードを叩いている。いや、「わたし」をすっ飛ばして、「脳」が直接、ディスプレイに「ことば」を送りこんでいる。「私」はただ、それを眺めているだけ。そんな感じです。」(p.63)

    少し不気味でもあるが、書くことの本質を言い当てていると思った。

  • な~るほどね!とはならなかった。

    数式で表現することはできても、なんらかの言葉にすることができない「素粒子物理学の世界」の話は、そうそうなのよねぇと受け入れることができたが、「ことば」にも表現することができない「なにか」が起こらねばならない・・・に???となった。

    「なにか」について「考えずに」「書く」、
    「考える」ことを「書く」ってことなんだそうだ。

  • いままで読んだ書く本当は違ったアプローチな感覚を受けました。書くことの面白みをサクッと読める一冊です。

  • 私には難しくて全部理解できませんでしたが、体の中から言葉が湧いて出る感じは少し共感できました。言葉が紡ぐ世界、私はとても好きです

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著者プロフィール

作家・元明治学院大学教授

「2020年 『弱さの研究ー弱さで読み解くコロナの時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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