夜に生きる 〔ハヤカワ・ミステリ1869〕 (ハヤカワ・ミステリ 1869)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (484ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150018696

作品紹介・あらすじ

禁酒法時代末期のボストン。市警幹部の息子ながら、今はギャングの手下になっていたジョーは、強盗に入った賭博場でエマと出会う。二人はたちまち恋に落ちるが、彼女は対立組織のボスの情婦だった。やがて起きる抗争。その渦中、エマに惚れていたがためにジョーの運命は大きく狂っていった…街の無法者から刑務所の囚人へ、そしてそこから再びのし上がらんとする若者を待つ運命とは?激動の時代を腕一本で乗り切ろうとするギャングたちの生きざま。『ミスティック・リバー』の巨匠がアメリカ裏面史を描く大作。本年度アメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)最優秀長篇賞候補作。

感想・レビュー・書評

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  • ▼氏、育ち、というのは、それが金持ちであれ貧乏であれ、なんであれ決定的なものです。ただ、決定的というだけであって、どういう風に決定的であるかというのは、ひとりひとりの持っている運とか巡り合わせとか、多少の努力や意志や勇気でももちろん変わってくる訳ですが。ショーン・ペン主演の映画「ミスティック・リバー」(2003)を見たときに、そんなことを思いながら、ダークで強烈な世界観にガツンとやられました。まだこっちも若かったですから。監督がクリント・イーストウッドというのが、それこそ映画の幸福としては決定的でしたが。
    ▼田舎町に住む、かつて親友だった中年男性3人。元ヤクザの商売人、警察官、そして平凡なサラリーマン。少年の頃、三人で遭遇した忌まわしい事件。結局はそのしがらみが大きな呪縛となって、現在の殺人事件から、三人の運命が転がり落ちていく人間ドラマ。
     その映画の原作者、ということで始めて知ったのがデニス・ルヘインでした。
    ▼そのルヘインさんの2012年の小説「夜に生きる」。加賀山卓朗訳、早川書房。2019年の読了なので、かなり忘れています。ただ、これがエラいこと面白かった。衝撃でした。
    ▼お話しは、1920年代から1930年代のアメリカが舞台。ホワイトカラーの中産階級の出身なのに、両親との不和からグレてしまったジョーという若者が主人公。ジョーが立派な悪党になっていく。悪党としてのキャリアの中で、恋愛もすれば、危ない目にも遭う。ただ、どこか残忍になりきれない、どこか頭が良くて手を汚しきれないところがあって、読み手としてはずぶずぶと感情移入していきます。
    ▼そして、序盤すぐから中盤、とにかくエンターテイメント。ハラハラドキドキ。悪党として自ら「夜に生きる」ことを選んでしまったジョー。その中で実に魅力的な女たちと出会い、運命の恋、危険な愛。幾多の冒険を生き抜いていきます。単なるヒーローモノではなくて、どこか人間の業みたいなものを漂わせながらジョーの一代記が続きます。「ゴッドファーザー」シリーズを見ているような極上のエンターテイメント感。
    ▼そして、最終的に逃げ延びて勝ち残ったと思っても、最後まで「夜に生きる」ことの辛い因果応報が襲いかかってきます。この終盤、もはやジョーと一体化した読み手としては、しみじみ「疲れる・・・しんどい・・・」という感じです。やっぱり人生ってのは過去の因縁、シガラミにからめとられちゃってる恐ろしさがあります。
    ▼勝って終わりで爽快感、というのとは訳が違います。エルロイさんにちょっと似ているけれど、あそこまでバイオレンスで破壊衝動的でもない感じ。(エルロイさんも大好きですが)
    ▼そんなこんなで、「ああ、この先の日々で、ルヘインさんの小説を読める楽しみができたなあ」という実にありがたい一冊でした。
    ▼本の本質からするとぜんぜん的外れでかつツマラナイことですが、「いやー、ジョーも両親とあそこまでこじれてなかったら、こんなにシンドイ人生にならんかったろうになあ」と思いました。まあ、シンドイ人生の物語だから、ぬるぬると生きている読み手としてはありがたいくらいオモシロかった訳ですが。

  • 「運命の日」の続編。

    前作の面白なさを補ってあまりある、面白さだった。
    「運命の日」の主人公は警察官の息子のうち長男だったのに対し、
    今回の主人公は三男のジョー。

    ギャングの手下になっていたが、
    ボスの愛人と恋に堕ち、彼女を失い、
    刑務所を生き抜き、その中で新しいボスを得る。
    ボストンからタンパへ行かされ、
    そこで一大帝国を築いていく…。

    何度も殺される危機をくぐりぬけるところや、
    ライバルやボスとくりひろげられる駆け引き、
    警察の本部長と堕落した娘の生き様、
    裏切られたが信じた幼なじみとの関係と、
    鮮やかな人間関係にドラマチックな展開とあっては
    映画にしたくなる気持ちはよくわかる。

    前作の主人公長兄が登場し、
    妻ともども
    ハリウッドでうまくやっているようで良かった。

    ジョーと元ボス、二人とも死んだと思っていた愛人の写真を使って、
    元ボスの気をひき、
    ジョーが九死に一生を得た場面が面白かった。

  • この面白さは突き抜けている!

    ノワールものの中でも群を抜く面白さだろう。
    禁酒法時代のアメリカ。新興勢力のギャングが主人公だ。自分たちのビジネスを追い続け、ボストンから、タンパ、そして海を越えてキューバへと東海岸を南下していく。焼け付くようなマイアミの日射しが、読者の肌をじりじりと焦がしていく。弾丸に当たり破裂した木っ端がびしびし心に突き刺さる。
    映画「スカーフェイス」と「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」をミックスさせた世界と言えばいいのか。それがつまらないわけがない。

    幼なじみとの友情、家族、愛しあう男と女、非情な裏切り。
    それらが血で血を争う抗争の中で描かれる。ギャングの世界に絶対王者はいない。君臨するのは背後を気にしてばかりいる臆病な暫定王者でしかない。明日の命が保証されない者たちの生き様と死に様に目が離せない。

    ページをめくりながら、ふと気づけば、息を止めているほどに比類のない緊張感をぜひ他の方にも味わって欲しい。

  • とあるギャングの一生物語。

    エマという一人の心の穴を埋めてくれる女に出会ったことによりにわかに回り始めた物語。
    失ったものに心焦がしながら収容所での生存闘争を生き延び、恋敵へのリベンジ、そして再びの対決を経ていく色濃い人生。

    最愛のグラシエラとの日々を過ごし始めてから、ひたひたと忍び寄るエマとの再会の予感。期待。そこからの決別のシーンがしびれた。
    大切だと思っていたものは実はまぼろしだということ。

  • メキシコ湾に浮かぶタグ・ボートの上。セメントの桶に両足を浸けた男が、こう回想する。「いいことであれ悪いことであれ、自分の人生で起きた大事なことはほぼすべて、エマ・グールドと偶然出会った朝から動きはじめたのだ」と。シェルシェ・ラ・ファム(女を探せ)というのはノワールの合言葉だ。ジョーが心を奪われるファム・ファタル(運命の女)は、エマ・グールド。対立関係にあるギャングのボス、アルバート・ホワイトの情婦だ。

    「コグリン三部作」の第二部。デトロイト市警警視正トマス・コグリンには、同じ市警に勤めるダニー、と検事補のコナー、それに末弟ジョゼフの三人の息子がいた。だが、『運命の日』で主人公を務めたダニーは、ストライキ後職を離れ、妻ノラとともにボストンを去り、失明したコナーも家を出ていた。月日は経ち、当時十二歳だったジョゼフも家を出て、今はパオロとディオンというイタリア人兄弟と組んで盗みを働いていた。

    誰かが本作のことをビルドゥングス・ロマンと評していたが、なるほど、少年がいろいろな経験を積んで大人になり、自分の人格を形成していく過程を描くのがビルドゥングス・ロマンである。あの幼なかったジョゼフが無法者のジョーとしてその世界で成り上がり、ついにはギャングのボスにまで上りつめる姿を描く本作を、そう言ってもまちがいではないだろう。

    『運命の日』が、ダニーやルーサーをはじめ多くの人物の人生が複雑に絡み合い、おまけに警官たちのストライキ騒ぎに始まる暴動という歴史的事件を扱った厚みのある小説であったのと比べると、本作の視点はジョー一人に寄り添い、どこまでもその成長を追うクライム・ノワールに徹している。愛する女の死、父の死、いつ殺されるかもしれない監獄で息を詰めて暮らす恐怖とビルドゥングス・ロマンにつきものの試練とやらもたっぷり用意されている。

    腕力では到底兄にかなわないジョーは、集中して計画を練り、大胆に行動する頭脳派だ。だが、欠点もある。情に脆く女に弱い。一度好きになるとふだんの冷静さを失い、とことん突っ走ってしまう。銀行強盗で逃走中警官を死なせて手配中なのに、女と待ち合わせたホテルのパーティー会場に出かけるのだから無茶だ。その挙句がボスにつかまって殺されるところをトマスの手で助けられる。

    エマとの出遭いがけちのつき始め。やることなすこと裏目に出て、とうとう刑務所に入れられる。何人もの刺客に襲われ、撃退したところでマソという老ギャングに庇護される。見返りは、トマスの協力だった。少々のことはできても、息子のために人殺しはできない、と殺人の依頼を拒否する父。その代わりにと大事にしているパテック・フィリップの懐中時計をジョーに手渡すトマス。これで命を買え、と。余談だが、この時計本当に命を救う。

    末っ子が可愛いのは、どこの父親でも同じらしい。あの厳父が、ジョーにはどこまでも優しい。殺人の依頼を蹴って、息子を救う手立てがなくなると、神や先祖にまで祈る。そして、その最期は息子の小さい頃の悪戯を思い出しながら。父の死を契機にジョゼフは変わる。父の死は寂しいが彼を自由にした。ジョーは、あれほど憧れていた兄ダニーの申し出も断り、ギャングの世界で生きてゆくことを宣言する。つまり、「夜に生きる」のだ。

    父のトマスも、兄のダニーも自由ではなかった。父はアイルランド系移民の警察官として一族を引っ張り、高め、維持するために汚いことにも手を染めて生きなければならなかった。ダニーはそんな父に反発し、まっとうな刑事として生きようとしたが、組合の幹部として多くの仲間を率いていかねばならなかった。その結果が失職だ。ジョーは、ルールに縛られる昼ではなく、自分がルールを作る夜に生きることを選ぶ。

    ボストン市警ストライキという歴史的事件を前面に押し出していた前作のようには、歴史的事件は表面に出てこない。ただ、サッコとヴァンゼッティの絞首に始まり、ルーズベルト大統領によって禁酒法が終わる時代を背景に持つことははっきり分かるように書かれている。もう一つがキューバとの関係だ。刑期を終えたジョーは、マソの配下としてタンパを仕切り、ラムを売る。それを仲介するのがキューバ人のエステバンとグラシエラ。

    当時のキューバは相次ぐ政変やクーデターで混乱していた。二人は反政府勢力のために武器を手に入れる必要があった。ラム酒の専売に手を貸す交換条件としてアメリカ海軍の輸送船から武器を強奪するのに手を貸せという。ダニーとちがってジョーには大義がない。グラシエラが好きだからやるまでだ。たしかに、ジョーは成長していくが、大人になってもジョーには甘さがある。情に流されるのだ。

    セメント桶に足を浸けてタグ・ボートに乗せられるのも、裏切ったディオンを殺せという、ボスの命に背くからだ。てもまあ、そこが魅力といえばいえる。ジョーはギャングになりきれない、無法者だ。彼ほどの能力があり、忠実な部下や相棒がいたら、ボスの命令に従ってさえいればのし上がっていけるだろう。しかし、それでは自由ではない。ジョーは、ルールを自分で作るために、夜に生きることを選んだのだ。

    再三の急場も誰かの救援によって何とかしのぐ。ちょっとご都合主義に思えるが、冒頭の回想でセメント桶について言及しているということは窮地は脱したということだ。華々しいギャングの抗争劇の裏に、裏切りと信義、父と子の情愛と確執、といった主題を蔵した『夜に生きる』は、まぎれもないデニス・ルヘインの力作である。三部作の完結編が『過ぎ去りし世界』。これも読ませる。出来れば順に読むに越したことはないが、どこから読んでも問題のないように一話完結で読めるよう書かれている。

  • 禁酒法時代末期。ボストン市警幹部の息子でありながらギャングのてしたとなっていてジョーは強盗に入った賭博場で一人の女と恋に落ちる。
    しかしその女が敵対勢力のボスの愛人だったことから、ジョーの運命は大きく動き始める。

    『運命の日』の続編。
    読んでいなくても独立した作品として楽しめるけど、読んでいればそれはそれなりの楽しみもあるし、ジョーがこうなってしまった理由もそこはかとなくわかるので先に読むことをオススメ。

    血で血を洗うギャングの抗争が続きながらも、るへインの手による秀逸なキャラクタ描写に引かれてページが進んでしまう。
    作中、特に後半に頻繁に出てくる『悪い金のあとに善いおこないがついてくる』ってフレーズは、タイトルと呼応してるんだろうなぁ。
    夜に生きたいあとには朝がくる。みたいな。
    そしてやっぱりそのあとにはもう一回夜がやってくるんだよ。

  • 本作は、独立したお話ではあるけれど「運命の日」の続編になる。実は「運命の日」はあまり面白いと思わなかったので、これはどうしようかと思っていた。でもなあ、やっぱりレヘインだしなあ、アンジー&パトリックシリーズを心から愛する者としては読まないわけにはいくまい、くらいの気持ちで手に取ったらば、おお!これは面白い!一気に読んでしまった。
    (「レヘイン」と書いたのは間違いじゃあありません。角川からアンジーシリーズが出たときは「レヘイン」だったんだよ。ハヤカワから出るようになって何故か「ルヘイン」に。いまだに釈然としないなあ)

    主人公ジョーの造型が巧みで惹きつけられる。警視正の息子に産まれながら、犯罪に手を染め、ギャングのボスへとのし上がっていく。頭が良く、タフで、非情に徹することもできるが、性根の腐った輩とは一線を画する。幾度も絶体絶命の窮地に陥るが、その都度紙一重で切り抜けていく、そのスリリングな展開は、まさにエンターテインメントの王道だ。

    そして、ああ、まったくこういうところがレヘインだなあとしみじみ思ったのが、ラストでジョーを待ち受ける運命だ。繰り返し語られる「暴力は暴力を生む。そしてその生まれた子はいつか必ず自分のもとに返ってくる」という言葉どおりの結末。深い余韻がある。

    本作はすでに映画化が決定しているそうだ。ジョーは誰がやるんだろう。シブい映像で見せてほしいものだ。

  • 前作の兄の話に比べスケールが小さいなー、と思いながら読み進めていくうちどんどん引き込まれた。親と子のお互いへの複雑な思いが胸にくる。

  • 三部作といわれる第一作の「運命の日」に続く二作目ということだが、続きが出るのかどうかはまだわからないようだ。
    どちらにしても「運命の日」の家族、兄弟の話(らしい)から、時代は少し移って、今度は三男のジョー(ジョセフ)が主人公になっている。

    父がボストン市警の警視正という家庭で育ったが、13歳のとき、悪がき三人でニューススタンドに火をつけ、小金を稼いだ。それを皮切りにジョーの生活は夜に向かって滑り出す。出あった街のボスの情婦に一目で恋をする。
    20歳、銀行を狙って警察に追われるが、恋人に気をとられていたこともあり、仲間が裏切ったかもしれない状況でミスをしてしまう。
    父親の機転で警官殺しは免れたが、5年の実刑で刑務所に入る。

    刑務所にはメキシコ湾岸を牛耳る大物マソ(ペスカトーレ)がいた。が刑務所の中でもファミリー同士の小競り合いはあった。マソが出所し、外からの攻撃を仕掛け、マソの下で、ジョーは刑務所内で密造酒の腕を持つ一派と話をつけた。
    出所したジョーはタンパから葉巻の街イーボーに落ち着いた。
    灼熱の街イーボーに着くと幼馴染のディオンが生きて待っていた、彼はウラのつながりにも街の裏道にも馴染んでいた、そこでラムの密造を始める。ラムの材料が横流しで手に入らなくなった。それを対立するボスのゲーリー・スミスを追放することで解決する。


    「どちらかを選べ、その汽車に乗るか」
    「われわれが汽車の下敷きにするかだ」

    車に戻りながら、ディオンが言った。「本気なのか」
    「ああ」ジョーはまた苛立っていた。理由はわからない。ときどき闇に取り憑かれる。突然こういう暗い気分に押し包まれるのは刑務所に入ってからだと言えるといいが、じつのところ、記憶が始まる昔から闇は下りて来ていた、ときになんの理由も、予兆もなく。だが今回は、スミスが子どもの話をしたのがきっかけだったように思う。


    ジョーは船を使ってメキシコ湾沿岸の密造酒を牛耳るようになる。
    最初の女エマの死は信じられないままだったが、彼はキューバの活動家の妻と住み息子が出来る。
    キューバと妻のためにアメリカの海軍戦艦を襲い大量の銃を盗る。

    ジョーは無法者と名乗っていたが次第にギャングと呼ばれるようになる。

    多くの死を見る度に、そのことが心から離れない。成功はしたが彼はどこかに、同時代に生きた「ギャッツビー」的悲哀をにじませている。
    満たされることが無いままに選んだ夜の生き方。縄張り争い、地位の奪いあいの日々。それが輝いて見えたとき以来、犯罪に憧れスリルを求め、漬かり、流されてもがいて来た生き方である。


    ギャング小説も、ノワールという分野も読めばその世界の人の生き様に入り込んでしまう。この小説の類型を見つけるのは簡単かもしれない、育ちの良さや、父親の影から完全に抜け出ることが出来ない若者の話は多い。貧しい移民や人種の混交の街で、法の枠外に生きることがたやすかった若いころ、優れた頭脳は犯罪にも向いていた。だが成長してさらに深みの底に溜まっている汚泥を見れば、やがて将来は心の枷になってくる。当然、彼が生きる境界線は法律だと心の底では気づいている。

    ルヘインは非情な場面に叙情を絡ませた表現をする。人の弱さを見せる。主人公の苦しみは読む人にもだぶるところがある。

    最後の牧歌的記述が少し長かったようだが、それまでの一気に進んできた後の緊張がゆるんだ一時、ほっとする面もある。

  • 面白かったァ〜!

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