伝道の書に捧げる薔薇 (ハヤカワ文庫 SF 215)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (433ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150102159

感想・レビュー・書評

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  • ディレイニーと並ぶアメリカン・ニューウェーブSFの代表格の作家の最盛期作品を集めた短編集ですが、この甘々な邦題に辟易してこれまで手が出ずじまい。でも気にはなっていたので、amazonのマーケット・プレイスでゲットして読んでみました。

    か・・・
    カッコいい・・・orz

    SFとしてのアイディアやプロットは、これといって目新しいものはありません。表題作の「伝道の書に捧げる薔薇」に至っては、地球の若き詩人と火星の美しい舞姫の悲恋という50年代スペオペ並みの古臭い設定(^_^;
    が、「SFとして」という基準を超えて、物語としての完成度が非常に高いんですね。シンプルでありがちなプロットを、圧倒的な筆力に嫌みにならない程度の詩情を込めて、あくまでもクールにスタイリッシュに纏め上げる手法が実にカッコいい。ハーラン・エリスンとジェイムズ・ティプトリー・ジュニアを足して2で割ったような感じか?ヽ( ´ー`)ノ表題作もこの人の手に掛かると、単なる悲恋ものでは終わりませんでしたね。ラストのどんでん返しには呆然としてしまいましたよ。これまで読んだラブ・ストーリーの中で、最も後味の悪い作品かもしれない・・・(^_^;
    他に気に入ったのは、「十二月の鍵」「この死すべき山」「このあらしの瞬間」あたりかなー。いずれの作品も、抑制の利いた文章の行間に哀感と情熱を秘めた、職人肌の傑作です。

    こんなに腕の立つ作家なのに、古い上にマニアックなせいか現在ではほとんどの邦訳が絶版で入手困難な状態。かろうじて版を重ねているのが「地獄のハイウェイ」って、何でよ!(笑)
    とても気に入ったので、とりあえず「光の王」はゲット。「わが名はコンラッド」や「魔王子シリーズ」も頑張って探してみたいと思います!しかし、どれも古いな・・・(^_^;

  • SF。短編集。
    初めての作家。
    以前からタイトルだけは知っていたが、本当にセンスの良いタイトル。
    作品としては、面白い作品も、よく分からない作品もあり、雰囲気も様々。裏表紙の説明通りバラエティ豊か。
    長めの作品の方が面白かった印象。
    表題作、「十二月の鍵」「この死すべき山」「超緩慢な国王たち」が好き。☆3.5。

  • ディレイニーと並んで60年代アメリカSF界を代表する作家ロジャー・ゼラズニイの初期中短篇集である。全15篇の中には、ひとつのアイデアのみで成立する超短篇も含まれているが、その持ち味を堪能しようと思えば表題作を含む中篇に読み応えのある作品が多い。きびきびした語り口、当意即妙な会話はハードボイルド探偵小説を思わせる。格闘技好きらしくアクションを描くのが上手い。当今ではどこかの団体からクレームがつきそうなくらい男も女もやたらスパスパやるので作品の書かれた時代が分かる。しかし、ポケットから取り出して口にくわえればその場の雰囲気や人物の気持がさっと切り替わる絶妙の小道具である。持ち運びに面倒な酒類ではこうはいかない。

    煙草や酒が気になるのは、飛びぬけた能力を持つ男が誰にも達成不可能思われる難局に挑む話が多いからだろうか。人はとんでもない状況を前にしたとき、何はさておき、まずは一服したくなるものだ。「その顔はあまたの扉、その口はあまたの灯」は、十スクエア(一スクエアは百平方フィート)のフットボール競技場大の釣り用筏の上を縦横に移動できるスライダーを操作し、巨大な獲物イクティザウルス・エラスモグナトス(板顎魚竜)を釣り上げる話。どう考えてみてもクレーンゲームから思いついたに決まっていると思うのだが、1970年代のアメリカにはクレーンゲームは存在したのだろうか?舞台は金星の漆黒の海、太古の生物と眼を合わせたときに感じる一口には言い表せない感情に気圧され、一度は失敗した男が再起を賭けて挑む。ちゃちなアーケードゲームに巨大なスケール感をまとわせ痛快なアクションに仕立て直す才能に脱帽。

    「この死すべき山」では、知りうる限りの世界で最高の標高を持つ山の初登頂を目指す男たちが出会う不可思議な体験が主題となる。麓から頂上を見ることができない“灰色の乙女”は大気圏より高く突き出たとてつもなく高い山だ。これまで世にある名高い高峰を征服してきたホワイティーにとって唯一登頂していないのが“グレイ・シスター”だった。いつもの仲間とチームを組んで登りはじめたが、頂上が近づくにつれ「帰レ」という声が聞こえ出し、天使のようなものが見え出す。これは高山がもたらす幻覚なのか?高峰を登山する体験をリアルに描いた山岳小説と思って読んでいたものが、最後にとんでもない種明かしが待っている。クライマックスまでの緊張感と謎解き後の緩さのコントラストが絶妙で口あんぐりとなること請け合いの一篇。

    「このあらしの瞬間」は、凄まじい嵐のなか凶暴な獣が都市を襲う一大パニックに独り立ち向かう警官の活躍を描くハードボイルド感が強い一篇。冷凍睡眠による星間飛行が可能となった時代。見かけは若くとも実年齢はかなりの高齢者が現役で実力が発揮できる羨ましいような世界だ。監視カメラで空から街をパトロールする「わたし」には、若い女性市長の恋人がいる。長雨が洪水を呼び、水中から恐ろしい怪獣が現れるとパニックに襲われた街は無法地帯と化す。「わたし」の働きもあって災厄は去るが、嵐の後に残されたのは泥濘だけではなかった。人間とは何か、という問いに「わたし」は、かつてこう答えた。「人間は、彼がこれまでにしたこと、したいと思い、あるいはしたくないと思うこと、すればよかったと思い、あるいはしなければよかったと思うこと、それらすべての総体である」と。冒頭に置かれたこの定義が胸にしみる結末が待っている。

    表題作は、火星のある一族に残る寺院の記録を解読する仕事を引き受けた詩人と踊り子の恋の顛末を描く。「伝道の書」によく似た色調を漂わせたその聖なる書物とは別に、一族には予言が伝えられていた。予言の成就と詩人の恋が二律背反になっている。リルケの『ドゥイノの悲歌』とサン・テグジュペリの『星の王子様』を風味づけに使ったところが洒落ている。ラブ・ストーリーなのだが、主人公の詩人はなんと東京大学東洋語学科の学生で講道館一級の腕前。当て身を使った格闘シーンもちゃんと用意されている。サービス満点の逸品。

    冷凍睡眠によって想像を絶する時間を生きることが可能となった人間はイモータルな存在となり、ある意味神に近づくことになる。不死性を主題にし、神話、伝説を再構成したような作品も多い。どれをとっても神的存在や超人的なヒーローばかりのちょっと気恥ずかしくなりそうな英雄冒険譚が無理なく読めるのはヒーローが活躍する舞台となる世界の、SFならではのスケールの大きさにある。嘘くさい話をいかにも本当らしく読ませるのではなく、その愁いを喩えるのに白髪三千丈の比喩をもってした李白の美学にも似て、途方もなく大きなスケールを前にした時、ちっぽけな疑念などすっ飛んでしまい、人はある種の悲壮美にただ酔うのかもしれない。

  • バラードの「時の声」とならぶ、個人的SF短篇集オールタイム・ベスト。1976年初版でいまは絶版になってるらしい。残念なことである。時の声は幸いな事に間隔をおいて再販されているようでやはりこの点については創元エライ、ハヤカワイマイチと言わざるを得ないだろう。どれも傑作だが個人的オススメは表題作ではなく、また、アメリカで出版された時の表題作「その顔はあまたの扉、その口はあまたの灯」ではなく「このあらしの瞬間」を押しておきたい。引用するのも野暮なのでしないが、あれ以上に格好良い結句を見たことがない。

  • ロジャー・ゼラズニイの1960年代中盤までに発表した中短編15作を収録した短編集。
    すごく良かった。
    40年以上昔の作品なのに、古臭さを感じさせずなんとも言えないカッコよさと深い余韻に浸れるSF短編集でした。この本が今は絶版であるのは勿体無い。

    アイデアやプロットや登場人物、シチュエーション等は面白かったり驚かされたりするのに、文章が野暮ったいなあ、回りくどいなあと感じて中身にあまり引き込まれなかったり、その結果友人に勧め難かったりする小説があります。
    この短編集は、そのような小説とは異なり、アイデアやプロットは50年代のSF小説にもありそうな古い設定のものもありますが、兎に角カッコよく、一気に引き込まれ、読み終わった後更に含みがあるのではとあれこれ想像しながら心地良い余韻に浸れ、友人にも自信を持って勧められると思いました。
    ただカッコよさも、クールさや淡々としているだけというのでは無く、コミカルさや逆にシリアスな状況、深い情感も文章でちゃんと表現されているので、ただのスタイリッシュなだけの小説とは違う味わい深いカッコよさが伝わるのだろうと想像します。
    私のこの感想が、野暮ったくて、回りくどいので伝わり難いのですが、私にとってゼラズニイは、クールすぎずホットすぎず”ちょうどいいカッコよさ”を伝えてくれる貴重な作家だなあということです。

    この短編集の作品は、どれもカッコよさの中に深い情感とコミカルさまたは哀愁を味わえる、私にとっては傑作ばかりでした。
    その中でも特に好きなのは、『その顔はあまたの扉、その口はあまたの灯』『この死すべき山』、『十二月の鍵』、『伝道の書に捧げる薔薇』、『このあらしの瞬間』です。


    <備忘録>
    ●この死すべき山
    惑星ディースルにある誰も征服したことが無い山の登攀にまつわる話。
    ●十二月の鍵
    極寒惑星に適応するため猫形態に改造された人間たちが、新生爆発の影響で目指すはずだった惑星が消滅したところから始まる話。
    ●その顔はあまたの扉、その口はあまたの灯
    金星の海に棲息する巨大魚竜(通称イッキー)捉えることに命を賭する人々の熱くしかしコミカルにも感じる話。
    ●伝道の書に捧げる薔薇
    探検隊の一員として火星にやってきた詩人(言語学の専門家でもある)が、火星人の歴史的・宗教的文書を読み解いていくことろから始まる話。火星の美しい娘との恋愛も絡んでくる。
    ●このあらしの瞬間
    「白鳥の国」と呼ばれる辺境の惑星で、害獣から市民を守る仕事につく男の話。

  • 村上春樹の文を読む感覚で読むなら、この本は噛めば噛むほど味の出るメタファーのスルメ。
    デニスルヘインの文を読む感覚で読むなら、この本は圧倒的文章美。カッコ良ければヨシ。
    後者の読み方をすすめる

  • 短編集、面白かった

  • ゼラズニイ再発見!
    長編読んで、いままでピンとこなかったゼラズニイの60年代短編集。

    実はおもしろかったんだな。サイエンスはないけれど、詩的で神話的な題材が多い感じです。というとファンタジーに流れるのは必然なのかもしれません。アンバー・シリーズに挑戦してみるか?
    その前にコンラッド再挑戦かな。

  • 「その顔はあまたの扉、その口はあまたの灯」は、1965年にネビュラ賞のノベレッタ部門に選ばれたそうだが、賞を取るほどの作品とは思えなかった。むしろ、「十二月の鍵」、つまり、「人の子と生まれながら、G・M・I選択権契約に従って、三・二E(地球重力)、寒冷惑星種(アリヨーナル用修正済)、猫形態(キャットフォーム)Y7クラスに改造されたジャリー・ダーク」の物語の方がおもしろかった。この作品だけ、もう一度読んだくらい。「伝道の書に捧げる薔薇」は、よく分からない。「この死すべき山」は、結末が取って付けたような印象。「聖なる狂気」の冒頭を読んだときは、一瞬、「タイム・トラベラー」にも収録されていた作品かと思った。時間の進み方が逆転する話なので。「このあらしの瞬間」は、大洪水の描写が東日本大震災の津波を連想させて恐ろしい。「超緩慢な国王たち」は、何か寓意がありそうななさそうな。「愛は虚数」…まさか、「iは虚数」の語呂合わせではあるまいなと思ったが、原題どおりだった。昭和五十一年十一月十五日発行、昭和五十七年五月十五日二刷。433ページ。定価520円。
    収録作品:「その顔はあまたの扉、その口はあまたの灯」(浅倉久志訳)、「十二月の鍵」(浅倉久志訳)、「悪魔の車」(峯岸久訳)、「伝道の書に捧げる薔薇」(峯岸久訳)、「怪物と処女」(峯岸久訳)、「収集熱」(峯岸久訳)、「この死すべき山」(峯岸久訳)、「このあらしの瞬間」(浅倉久志訳)、「超緩慢な国王たち」(峯岸久訳)、「重要美術品」(峯岸久訳)、「聖なる狂気」(浅倉久志訳)、「コリーダ」(浅倉久志訳)、「愛は虚数」(浅倉久志訳)、「ファイオリを愛した男」(浅倉久志訳)、「ルシファー」(浅倉久志訳)

  • あまりSF文学には馴染みが無かったのでこれがほぼ初挑戦。海外文学も文体が苦手な事が多いのだけど読みやすかった。視点、状況設定、モチーフ等ユニークなものが多い。表題の伝道の書に捧げる薔薇も、SFでありながら古典文学や神話の雰囲気を出しながらロマンチックで切ない話でとても良かった。個人的にとても好きだったのはファイオリを愛した男。死に近くあるほど命は輝くのか

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