アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

制作 : 土井宏明  浅倉久志 
  • 早川書房
3.80
  • (624)
  • (902)
  • (926)
  • (76)
  • (15)
本棚登録 : 7622
レビュー : 734
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150102296

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • ちょっと思い出して映画を見直すことにしたので、原作も読み直し。

    映画の感想はこちら。
    http://booklog.jp/item/1/B016PLAAQQ

    ★★★

    世界大戦による核汚染で人類は地球から他の惑星に移住している。
    動物たちは次々絶滅し、野生の動物はほぼ存在しない。
    地球に残った人類のステータスは、生きた動物を飼うこと。
    高額な動物が買えない庶民は電気動物で代用するしかない。
    閑散とした地球で、人々は互いの共感のために精神共存機械を使っている。装置のチャンネルを変えて気分を変え、人類共感宗教のマーサー教で他者と共感を得る。

    そして人間の代わりにアンドロイド、通称”アンディ”たちが作られ、働いている。
    そんなアンドロイドのなかには人間に反抗し、脱走するものも出てくる。
    主人公リック・デッカードは逃亡アンドロイドを狩る賞金稼ぎ。妻とは諍いが多く、生きた動物を飼うために仕事に励む。
    アンドロイドは巧妙に作られ、専門のテストを行わないと人間との区別がつかない。
    人間としての記憶を植え付けられたアンドロイドは自分を人間と思い込み、そんなアンドロイドを狩るうちに自分が本当はアンドロイドではないかと思う人間たち。
    そして逃亡アンドロイドたちは、知的障害で人間社会からははじかれた青年のイジドアの元に隠れていた。
    イジドアは初めて自分が付き合える相手に会えたと喜ぶが…

    リックは心身疲労と人間のあり方に悩みつつもアンドロイドたちとの最終対決に向かう。

    ★★★

    人間とアンドロイドの違いとして、アンドロイドは共感ということが理解できないとしている。そこが「どこか人間と違う」と分かってしまう。それは他者への憐憫も持ちえないし、関心もないので人間たちの区別もつかない。
    リックは自分の存在の基礎に疑惑を覚えたこともあったが結局はいがみ合うことも多い妻の所に戻り、
    イジドアも最後は自分がはじかれた人間の社会へ加わろうとする。

    作者のフィリップ・ディックが語った自分の創作根本。(以下あやふやな記憶ですが)、
    「この世でとはお折り合いのつけられなかった大切な人たちのために、彼らが生きられる世界を描く。
    本来なら現実に自分を合わせるべきだろうが自分はそれができない。
    それがSFを書くということだ」
    発表年が1968年で、物語の舞台が1992年1月3日というので、近未来と言うにも近すぎるほどの未来。
    作者にとっては「架空の未来」でもただ「パラレル」でもなく、自分たちが生きられる平行社会なのか。

  • 核戦争が終わった後、人間のほとんどは、召使のアンドロイドを伴って火星に移住した。地球に残った僅かな人間は「本物の生」なるものに執着し、一方で火星から逃げてくるアンドロイドを取り締まっていた。

    ほっぺたをつねって痛かったら、夢じゃない。つまり、夢じゃないことにしたいなら「ほっぺたをつねったら痛かった」ということにしてしまえばいい。世界は見えるところまでしかない。なら、どこまで見えたことにする?どこまで見えなかったことにする?なにを見たことにする?なにを見なかったことにする?
    おなかのフタさえ開かなければ本物と全く同じ電気羊なら、おなかのフタに気づかなかったことにすればいい。あのとき草むらに放したクモにフタがついてたかどうかなんてもう確かめようがない。
    マーサーに向かって飛んできた石は私にも当たった。私の頭から血が出た。痛かった。マーサーの苦しみは確かに私の苦しみだ。
    それは誰にも否定できない。「事実」でさえも。

  • 本物と偽物の違いは?
    人間とそれ以外を分かつものは?
    人間らしさとは?

    「人間」とは生物学的、法律的に定義されるものなのか?
    そうであるなら、人間が人間以外に感じる人間らしさとは何なのか。
    それは他者に共感することだろうか?
    自分という肉体の壁の中の私たちは、物質的に他者とつがなることはできない。
    それでも自分を他者の中に見出すことによって、相手の気持ちを感じとり、主観的に、精神的につがなる。

    本書のアンドロイドと人間の違いとはそこなのではないか。
    アンドロイドの多くが自分という肉体の壁の外を客観的に、単なる事象としてしか認識できない。
    だが人間は自分以外の他者、時には生命なきものに対しても主観的になることが、共感することができる。

    ただしそうあることが「人」であり、そう生きていこうとしたときには自分の意に反する道を進まなければならないことも明らかになる。
    自分として生きていくためには必ずいつか他者の中に見出した自分を殺さねばならないからだ。
    例えば親しい部下をクビにしなければならないときや、彼氏彼女に別れを切り出すときだ。
    共感することが人間たらしめ、それ故に他者のなかの自分を殺すという本質にもとる行為をさせられる。
    それこそが究極の影、呪われた運命なのではないか。

    と、長くなったがこれが私のとらえた本書のメッセージである。
    それにしてもまあ、作者はよくもまあこんな世界を、作品を思いついたものである。

  •  紙の本を読みなよ。……ということで読みました。たった一日の出来事を取り扱っているのに、何日も経っているように感じる。あと、人間とアンドロイドだと、アンドロイドのほうが遥かに強く、人間のほうがやられる方というイメージがあるが、主人公が強すぎて、かなりあっさり賞金首らを倒している。そのあっさり感が良い。生き物と機械。その違いについての哲学がはっきり示されていて、最後は半分機械のヒキガエルを育てていこう……というところで終わるのだが、その哀しさと、でもなんとなく希望があるのが良かった。
     脳が足りないとひどい扱いを受けている男。アンドロイドの抽象的で合理的な感情。人間の生命尊重と、生命をなんとも思わない矛盾。共感する装置や、機械を使ってストレス解消していく社会。イヴの世界のような問題提起を含め、SFの全部を詰め込んだような古典名作。
     共感を得る機械(キリスト?みたいなの)とか、書き割りをあかすテレビメディア(明かしたところでキリストは死なないのが良い)の、ひたすらバラエティやってるところとか、現代文明の慣れの果てを書いてあるのだけれども、最後の蛙の場面で、人造蛙を育てていこう……というところに収束していくのはとても文学的だ。読みやすく、美女アンドロイドとエロいことしたり、ぶっ殺したりするのは、エンターテイメントだなぁ、おもしれえと血湧き肉躍ったぜ。

  • 最近急激に“未来”に興味が出てきて手にした一冊。

    未来の犯罪社会をテーマにしたアニメ「サイコパス」で凄腕ハッカーがフィリップ・K・ディックを愛読していたので興味が湧いて試しに読んでみました。

    なんといっても影響を受け易いのがぼくの短所であり長所である。



    本書は第三次世界大戦(最終戦争)後、放射能で汚染された地球をテーマに、火星から逃亡してきた賞金首のアンドロイドを狩る賞金稼ぎが、なんやかんや苦戦しながらアンドロイドと戦うというストーリーライン。

    この話の主軸になっている設定のひとつが面白く、戦争による放射能の拡散で動物が片っ端から絶滅していく地球で、生きた動物を所有することが一種のステータスとなっている。モチロンそれは主人公も例外でない。
    (飼っていた羊が死んでしまったため、やむおえず電気羊(羊のアンドロイド)を飼っている)

    主人公は本物の生き物を買いたいために、アンドロイドを殺した賞金で動物を手にすることが仕事への最大のモチベーションになっているところがなんとも可笑しい。

    そして、最初はアンドロイドをただの機械としか思っていなかった主人公が徐々に感情移入していき、戦いを重ねる毎に人間とアンドロイドにどんな違いがあるだろうか。と思い悩んでいく姿がなんともベター。

    しかし、その悩みはもはや人ごとでも空論でもなくなりつつある雰囲気がある。

    というのも2014年現在アンドロイドやAIといった技術もいよいよ現実味を帯びてきただけに、この手の小説をただのSFとして読めなくなりつつある昨今である。



    そういえば、昨年低視聴率を記録したキムタク主演のドラマ「安堂ロイド」もアンドロイドと戦う話だった。

    「安堂ロイド」に登場するアンドロイドは超強くてとても生身の人間では太刀打ちできない描かれ方でしたが、本書のアンドロイドはより人間的に描かれていたおかげで、なんとか倒せた印象がある。

    よくよく調べてみると、このフィリップ・K・ディックの作品は「トータル・リコール」や「マイノリティ・リポート」など名作ばかりで、めちゃくちゃ映画化してました。

    (本書「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」はその中でも最も初期に映画化されていて、1982年に「ブレードランナー」というタイトルで映画になっている)



    このままAIやロボットの研究が進んでいけば、2045年には技術的特異点を迎え、AIがAIを生み出し、人間はポストヒューマンとして、劇的な進化を遂げていくのかもしていくかもしれない。

    現実にソフトバンクはロボットの発売を決めているし、GoogleやFacebookなどがAIの研究を休みなく続けている。

    FacebookはAIの研究所を設立したと発表しているし、2014年6月、Facebookはニュースフィードのアルゴリズムを操作して、ユーザーの感情をコントロールできることを証明したそうです。

    日々Facebook上で交わされる膨大なやりとりを処理し、全てをアーカイブしている背後にどんなマシンが潜んでいるのか、そしてその膨大な蓄積は間違いなくAIの研究に役立てられていることでしょう。



    これからどんな時代になっていくのか、来る時代に飲まれないように生きていけるのか。

    人間らしさを保って生きていく、ただそれだけのことが難しい時代になりつつあると感じてます。



    そんな中で短命な技術を追い求めることなく、100年、200年と続くものに重きを置いて、未来に何を残せるのかもう少し真剣に考えたいと思う最近でした。

  •  第三次大戦後の世界。死の灰が舞い散る地球で、火星から逃げてきたアンドロイドの狩りをするバウンティ・ハンターのリックは性能の高いアンドロイドの処分を命令される。

     320ページほどの長編なので、そこまで分厚いという本ではないのですが、それでも内容はかなり詰まった本でした。

     人間そっくりのアンドロイドと人との違いを見分ける方法は、基本的に心理的な反応しかありません。偽の記憶を埋め込む、というような記述もあったので、下手すると自分ですら自分がアンドロイドかどうか、わからないのです。

     そんな中アンドロイドの抹殺指令の中で人とは何か、人でないとはどういうことなのか、主人公は悩むことになります。なんとも哲学的な話なのですが、それでもスピーディーな展開と訳文の巧さもあってか読みにくい印象、小難しい印象はあまり受けませんでした。

     リックの話と並行し描かれるのは、イジドアという孤独に暮らす男の話。彼もリックと同じく人とアンドロイドの差異について思いを巡らすわけですが、アンドロイドである彼らに親しみを感じていても、ある一つの行動だけで、人が”それ”になってしまう瞬間、というものが表現されていたと思います。

     アンドロイドやロボットだけの話ではなく、ゲームやアニメのキャラなど人が時に人以上に親しみを感じるものたちが増えてきています。そんな中で人に足らしめるものは何なのか。もし感情や心理的反応も人間そっくりのアンドロイドがこの小説中に表れたら、リックは、イジドアはそして自分だったらどうしていたのか、アクション、サスペンス要素のあるエンターテインメント作品でありながらも、そんなことを少し考えさせられる中身の濃い小説でした。

  • 映画「ブレードランナー2049」「ブレードランナー」を見て、巷では傑作と言われているらしいのにいまいちその世界観が分からず、原作を読んでみた。
     ・・・電気羊のいる世界にどっぷり浸りました。

    読んでみると、主人公リック・デッカードのいる街は、最終世界大戦があり、そこで使われた放射能により空は陰り、威力が弱まったとはいえ今なを死の灰がふり続いている。人間は身体検査で生殖を許される適格者と不適格者に分けられ、鉛の股袋をつけている。放射能汚染を避けるため地球外への移住か退化か、を迫られ、移住の際には一人一体のアンドロイドが貸与された。アンドロイドは初期には戦争兵器の一つであったが、今や進化を遂げ、地球外植民星から脱走し地球にやってくる者(もの?)がいる。世界各地の公警察はそれを捕まえ、バウンディー・ハンター(賞金稼ぎ)といわれるそれがリックの仕事だった。本物の動物はほとんどいなくなり、本物の動物を高価な金で買い飼育することがステイタスだった。それがかなわぬ者は機械の動物を飼っており、リックもアパートの屋上で電気羊を飼っている。

    この設定が分かると、二つの映画のダークな街の設定や、殺しの場面も納得がいった。読みながら映画のダークな街やハリソン・フォードの顔が頭に浮かぶが、活字と映画と両方でこの電気羊のいる混沌世界に浸った。

    映画をぼーっと見ただけでは、はずかしながらこれが分からなかったのだった。リックのいる世界は1992年という設定で、現実には世界最終戦争が無く過ぎたことにほっとするばかりだが、物語世界では、戦争後、何が原因だったか、誰が勝者だったか、誰も覚えていない、とあるのがとても印象に残った。

    アンドロイドは精巧で人間と見分けるのに、他者への感情移入(エンパシー)があるかどうかで見分けている。あとがきに、ディックの短編「人間らしさ」のコメントで「親切という特質が、わたしにとっては、われわれを岩や木切れや金属から区別しているものであり、」それはどんな形になろうとも変わりない、と言っているとある。人間の形をした金属のアンドロイドでも、血肉の人間でも、親切という特質があれば人間ということか。ただこの本では「人間らしさ」の対比として、アンドロイドはエンパシーが無く、不適格者と烙印を押されたうすのろのイジドアに蜘蛛にさえも感情移入があるように描かれている。

  • 読み終えた直後は、どう解釈してよいのか、戸惑いを感じた作品。「訳者あとがき」のテイラーの説明紹介を読んで、理解が深まったような気がした。人工知能が近年目覚ましく発達し、この作品のアンドロイドのような存在の出現が間近に迫ってきている現在、より身近な問題として、考えさせられる内容であった。

    (ネタバレ)
    この作品では、人間が造りだし、見掛けは人間そっくりの「アンドロイド」が重要な役割を占めている。人間とアンドロイドを見分ける手段は感情移入の有無であり、それを判断する方法が「感情移入度検査法」。
    地球が最終世界大戦の影響で放射能汚染したため、惑星植民計画が進められ、地球に残ったのは、能力が劣ると烙印を押された「特殊者」と、地球への未練を持って残った人など、わずかな人々だけ。
    主人公は、火星から脱走したお尋ね者アンドロイドを追っかけるバウンティ・ハンターのリック。次に重要な登場人物は、人間でありながら、「特殊者」の烙印を押され、"ピンボケ"と呼ばれているイジドア。
    本作品では、正常と見なされている人間、「特殊者」と烙印を押された人間、アンドロイドの三者の関係性に焦点が当てられている。
    アンドロイドのハンターでありながら、徐々にアンドロイドに共感を感じるように変化していくリック。最初から、アンドロイドに対して、偏見を持たないイジドア。
    テイラーの説明によるとおり、アンドロイドは「迫害された人間、人種的、経済的に差別された人間」のメタファーなのであろう。現代社会における、共感を持てない人間、感情移入をできない人間に対しての差別や迫害を、アンドロイドの排除になぞらえているのであろう。

    さらに、ペットの扱いにも類似点が見られる。
    リックたちは、戦争の影響で希少となった本当の生物を飼うことに強い憧れを持っている。一方で、本当の生物を模倣した電気生物が存在し、電気生物をペットとして飼っていることは隠したいと考えている。
    ラストで、砂漠で見つけたヒキガエルの正体を知った時のリックの反応に、リックの気持ちの変化を見て取ることができる。

    共感の象徴としてのマーサーの存在も、本作品では重要な意味を持っている。バスター・フレンドリーの放送の中で、マーサーの存在がイカサマであることが示される。これは、人間とアンドロイドを区別する考え方自体が誤りであることを意味しているものと考えられる。

  •  タイトルはよくマンガとか、小説とかでアレンジされて登場するので、気にはなっていました。
     映画のほうも見たことがないので、タイトル以外はほぼ前知識ゼロ。

     世界観が強烈。現代をベースに、近未来要素を足し、それを退廃させる。
     なるほど、これがいろんな作品に影響を及ぼしている原型というものか。
     ビジュアル面が、確かにとてもいい感じ。

     メインになるストーリーは、問題提起が結構強烈で、印象に残った。人とアンドロイドの境界線。「見分け方」というモチーフは、いろんな作品で見かけるけど、「共感性」というファクターは面白い。
     ただ、ラストへのたたみ方がわかりにくい。というかわからん。作者はこれで一つの回答を示したんだろうけど、ごめんなさい、私には難しい。
     だからこそ、いろんな考察ができる作品になっているんだろうけど……ちょっとこれは、ラスト展開の考察をする気にはなれないかなあ。
     中盤の展開は、いろいろ考えるところが多かったです。

     総じて、お話の展開としては未完成感が強いんだけど、その影響もあって後々まで引きずる作品。すっきりする回答を求める私の脳が、勝手にこの作品のことを考えてしまう的なところがある。
     好みとしてはすっきり終わるのがいいんだけど、それはそれとして、この作品の魅力は堪能したなあ、と。

  • 人間とアンドロイドの違いは一体何なのか。
    逃亡中のアンドロイドを見つけ出し殺す事が仕事であるバウンティ・ハンターの主人公が、任務を遂行する過程で思い悩む姿はとても人間的であり、それを疑う要素は本来ならば無いはずなのに、それでもどこか結末まで疑心暗鬼にならざるを得ませんでした。
    記憶の改竄さえも可能とされる世界で、自分の存在そのものに自信を持てない状況に陥った時、果たして自分は「人間である」と言い切れるのか。一度疑いだすと、全てが虚像に思えてくるというのは、考えるととても恐ろしいですね。どんなに科学技術が進歩しその恩恵を受けた生活がおくれるとしても、そんな世界で生きる事が幸せなのか。そもそもいま感じうる幸せという概念さえもいつの間にか欠落してしまいそうです。

    リックやレイチェル、フィル・レッシュ、バスター・フレンドリー。ウィルバー・マーサーをこの中に入れるかどうかは悩むところですが、複雑に疑いの目を持ってしまうキャラクターと対照的なのが、イジドア。読み進める中で、彼だけが終始とても安心できる存在でした。"ピンボケ"で"スペシャル"な彼が、実はいちばん"人間的"であり"親切心"を持った存在であると感じたのは私だけではないと思います。例のクモのシーンはとても印象的で、人間とアンドロイドの差を明らかに感じ取る事ができる残酷さは素晴らしかった。

    また、作中では生きた動物を飼う事がステータスとされています。電気羊に代表される偽物の動物を飼うことを恥と思いながらもその見栄を張らずにはいられない心理というのは、人間の強慾さをとても上手く滑稽に表していて感心しました。しかし、それと同時に"生きた動物を飼う"というある種あたりまえな事実がどこかとても恐ろしい事のように思えてしまいました。うーん奥が深い。

    ディックの世界観にすっかり魅了され、読んでいて続きが気になって仕方ない、素直に楽しいと思える作品でした。

全734件中 1 - 10件を表示

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))のその他の作品

フィリップ・K・ディックの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ジェイムズ・P・...
ヘミングウェイ
フランツ・カフカ
有効な右矢印 無効な右矢印

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))に関連する談話室の質問

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))を本棚に登録しているひと

ツイートする