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Amazon.co.jp ・本 (384ページ) / ISBN・EAN: 9784150102371
みんなの感想まとめ
宇宙を舞台にしたこの作品は、未知の生命体や人間の存在意義について深く掘り下げる哲学的な問いを投げかけます。主人公クリスと彼の元妻ハリーとの関係を通じて、喜びや葛藤が描かれ、読者は人間の過去に対する執着...
感想・レビュー・書評
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「死は存在しない~最先端量子科学が示す新たな仮説~/田坂広志」で触れらている書籍。
ソラリスの海がゼロ・ポイント・フィールド と重なる、と田坂さんは言う。
本書を読んでから、田坂さんの解説をいまいちど読んでほしい。
本書は複数回映画化される名作であることもわかってくる。
極めて奥が深い。
この本は私が生まれる前に書かれている。
これだけの昔に、ここまでの本を描かれているとは驚嘆に値する。
ハリーは元奥さまである。
主人公クリスとハリーとの間で、幸せ、喜び、葛藤が、地球を遥か離れた宇宙で繰り広げられる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
SOLARIS(1961年、ポーランド)。
スタニスワフ・レムの代表作。ジャンルとしては「ファースト・コンタクトもの」に属する。つまり、地球人と地球外生物の「初めての接触」について書いたもので、SF小説のテーマとしては至極オーソドックスなものである。にもかかわらず、『ソラリス』は数ある同種の作品の中で、ひときわ異彩を放つ作品としてSF史にその名をとどめている。
作者曰く、『ソラリス』以外の作品において、ファースト・コンタクトの結果は突きつめれば以下の3つのパターンに帰着するものであった。
1)地球人と地球外生物が共存的な関係を築くもの。
2)地球人と地球外生物が対立し、地球人が勝利するもの。
3)地球人と地球外生物が対立し、地球外生物が勝利するもの。
…多少の不正確さを承知で例を挙げると、映画『E.T』やホーガンの『星を継ぐもの』は1に、映画『エイリアン』やブラッドベリの『火星年代記』は2に、映画『猿の惑星』や光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』は3に、それぞれ分類されるだろう。異色のファースト・コンタクトものとして外せない作品にクラークの『幼年期の終り』があるが、これも1の変形バージョンと見なすことができるだろう。
バラエティ豊かにみえる上記の作品群は、しかし暗黙の了解のうちに1つの共通ルールを常識として採用している。「知的生命体同士は意思疎通が可能である」という常識である。意思疎通がとれなければ友好関係も敵対関係も結びようがなく、文字通りお話にならない。ゆえにSFでは自動翻訳機なりテレパシーなりを小道具として導入するわけだが、そこには「テクニカルな面さえクリアすれば知的生命体同士の意思疎通は可能なはず」という思い込みがある。
『ソラリス』において問題提起されるのは、まさにその点である。「知的生命体は人間との意思疎通が可能である」というなら、裏返せば「人間との意思疎通が不可能なら知的生命体ではない」ということになるが、それは真理だろうか。一体、私達人間の「意思」なるものは、宇宙に存在する全ての知性を評価する尺度として使用できるほど、普遍的なものなのだろうか。私達は無意識のうちに、またも無邪気な人間中心主義に陥っているのではないか。人間には原理的に認識不可能な知性というものも、この世には存在しうるのではないか。そもそも「知性」とは何か、また「意思」とは何か。
この問題は、哲学や脳科学、精神医学、生物学、そして神学にまで関係するものだろうが、きりがないのでここでは深入りしない。ひとつだけ確かなのは、「常識から飛躍して、どれだけ純粋に〈思考のための思考〉をすることができるか」をSFの醍醐味と考える読者に対して、『ソラリス』は間違いなく豊饒な時間を提供してくれるだろう、ということだ。発表から約半世紀たった今でも色褪せることのない傑作である。-
あー、あからさまな他者よりも、自分に近い人の方がかえって相互理解不能だという矛盾…カトリックとロシア正教とか…革マルと中核とか…いやむしろ親...あー、あからさまな他者よりも、自分に近い人の方がかえって相互理解不能だという矛盾…カトリックとロシア正教とか…革マルと中核とか…いやむしろ親子とか夫婦とか(鬱
映画はまだ未見ですが、いつか見たいです!2014/03/25 -
2014/03/27
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2014/03/28
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ソラリスソラリス~。レムってなんだか難しげなSFって印象があるせいで今まで読んでなかったけど、ギブスンの「辺境」に雰囲気が似てるっていうことらしいんで、チャレンジ。
書評とか読んで予想していたのとはかなり違う話だった。俺はてっきりソラリスの海が知性を持っているっていうのを解明するのが主なストーリーだと思ってたから、すでに前提としてソラリスの海が知性体であるっていう展開は予想してなかった。いろいろおいしい設定はあるんだけど地味だし。
地球外の文明との接触が、地球上でこれまでに繰り返されてきた既知の事例を宇宙的規模に拡大したものと同じとは限らない、というレムの主張にはなるほどうなずけるものがある。ソラリスの海が行う、人間の最も強い記憶の痕跡を再構成するという作業が、その人間にとっては最も恐れていることを現実化することである、というのも個人的にツボにはまる設定だし、同時になんか納得できる。まさしくこういうことが、人間の本質を明らかにするということなのか。目から鱗が落ちた感じ。勉強になりますなあ。
二重星をめぐる惑星の軌道が一定であることからソラリスが知性体であることが明らかになっていく過程や、原子ではなくニュートリノから構成されたハリーの細胞をニュートリノ顕微鏡で観察したときの描写とか、単に哲学的・観念的な話になるだけじゃなくて、ちゃんとSFしているところも偉い。時間で移り変わっていく数学的モデルの”対称物”なんかも、細かいことだけどポイント高い。ケルビンが自分の正気を確かめるために天体の運行を計算するところとか(この方法が自分が正気であることを確認する手段となり得るというのは疑問。数字だって自分の都合のいいように見えちゃうかもしれないじゃん)、数学が技術者の道具としてちゃんと機能してて、あくまで科学技術の延長線上にあるサイエンス・フィクションって感じ。サイバーパンクみたいなカッコいいところは全然ないんだけど、このある種の古くささが、いかにもロシアとか東欧で書かれたSFって雰囲気で、これはこれでありなんだろうな。
最初のハリーをロケットに閉じ込めてそのまま発射してしまうところや、ケルビンが、恐れを感じながらもハリーに感情移入していくところなんて、恋愛小説と考えられなくもないし、2番目のハリーの健気なそぶりや、ハリーがケルビンと生活するうちに、自分の存在に疑問をもち、自分はソラリスの海が人間を研究するために作り出した道具にすぎないことを知って液体酸素を飲んで自殺しようとするところや、ハリーが消え去る前にケルビンの座っていた椅子の肘掛けにキスするシーンなんて泣けるSFとしての要素も十分に含んでいる。
昔自殺に追い込んでしまったハリーが<客>として現れるっていうのはいいとして、そのままハリーに惚れちゃうとちょっと期待していたベクトルとは違う。レムにはそういう感動は求めていないんだけどなあ。もっと不条理な話を期待していたんだけど。そう考えると、一番怖いのは脱げないワンピースってことになるかな。あっ、でもケルビンの姿が見えなくなった途端ハリーが暴れだすところとか結構理解不能な怖さがあるかも。
ラストは、なんか結局何も解決しないまま。人間の認識力の限界を暗示して終わるだけなの?それこそ解決されない謎を読者はどうすりゃいいのさ。これじゃレムがソラリスの海みたいじゃないかよ。読者の間も意志の疎通が出来てないんじゃない?これメタSFなのか?ハッピーエンドにしろと言うつもりはないし、確かにこの後だと「パラサイト・イヴ」の脳天気さにはひとこと言いたくなるけど、これじゃ人間の側でさわいでいただけじゃん。ファースト・コンタクトに新しいシチュエーションを提示したという意味では意義深いのかもしれないど、問題はこの後じゃないかよ。「神狩り」読んだ時みたいなもどかしさだな。レムって肝心の部分でこんな肩すかしばっかりする作家じゃないだろうな。ちょっと心配。 -
にわかに、SFブームだと言うので、今までまったく読まなかったジャンルだが読んでみることにした。
正直、想像力が追いつかない。知性を持った海?事細かに描かれた、海が表す様々な形態、現象は想像を超える。ストーリーとしては、わかりやすく、謎の生命体?の正体が気になる形で進んでいく
あとがきにあった、レム自身の解説では、地球の文明と、地球以外の惑星の文明との差は、量的なものにすぎない(つまり、「かれら」が科学・技術その他においてわれわれよりも進んでいるか、でなければ、その反対に、われわれが「かれら」よりも進んでいるかのどちらかである)と考えられている。しかし、「かれら」の文明がわれわれの文明とは全然違った道を進んでいるとしたら? ― との興味深い問いが示されていた。
確かに、まったく想像を完全に超えた、生命なのか、物質なのかもわからないような「未知」なものが宇宙にはあるのかもしれない。これまで、そんなところまで思いを馳せたことはなかったけど… -
惑星ソラリス、
海の描写、人類にとって未知の世界の表現が
すごかったです。
内容としては、哲学的な問いなのか、解釈が難しいです。
人間が人間であるが故に、過去にとらわれて生きる生き物であること、
それに対し、ソラリスの謎に満ちた生体、知性と思われながらも、知性ではなく、単なる生体反射なのか。
過去にとらわれずに生きれたら幸せになれるのか、
いや、過去にとらわれないというのは、
人間関係をすべて捨てることなのか。
うーん、著者の作品としての意図はどういうとこなんだろう。 -
20世紀SFを代表するポーランドの作家スタニスワフ・レム(1921-2006)の不朽の名作と云われる、1961年。アンドレイ・タルコフスキーによる映画『惑星ソラリス』(1972年)などの原作としても知られる。
人間は、人間的なるものの類比=アナロジーという方法論以外で以て「未知なる他者」を理解することは可能なのか。 そもそも「未知なる他者」を理解するとは如何なる情況を指すのか。更には「未知なる他者」との関係性は理解する・理解しようとするという機制以外に在り得ないのか。
『ソラリス』は数多ある既存のファーストコンタクトSFに見られるあらゆる人間中心主義(「擬人主義」)的な紋切型――「われわれは人間以外の誰も求めていない。われわれには地球以外の別の世界など必要ない。われわれに必要なのは自分をうつす鏡だけだ。他の世界など、どうしていいのかわれわれにはわからない。われわれには自分の地球だけで充分だ」「われわれは・・・・・・われわれはありふれた存在だ。・・・。そして自分の平凡さが非常に広く通用することを誇りにし、その平凡さのうつわの中に宇宙のすべてのものを収容できると思っている。・・・。しかし、別の世界とはいったいなんだろう? われわれがかれらを征服するか、かれらがわれわれを征服するかのどちらかで、それ以外のことは何も考えていなかった・・・」――を超越したと云われ、哲学的SFの傑作と評価されている。にも拘らず、本作に於いてなお残存しているドグマがある。それを一言で云うなら【出会われる未知なる存在は他者である】ということだ。
ソラリスの海は【他者】たり得るか。然り、ソラリスの海は【他者】である。なんとなれば、「・・・ソラリスの海は一種の数学的言語のようなものによって話をしているらしい・・・」則ち、ソラリスの海は【言語(個物の概念化作用)】を有しているのだ、ひいては【理性】を有していることになる。たとえその形態が人類のそれと如何に隔たったものであろうとも。作中に於いてソラリスの海はしばしば生命体に擬えられてもいる。全ての【他者】は"人間同士と同程度の相互理解"の可能性に開かれている。そうであればこそ、「理解不可能である」ということも可能なのである。
しかし、【非-他者】に対しては「理解不可能である」という機制自体が不可能なのであろうか。他者/非‐他者とは何か、そしてそれが理解可能であるとはそもそも如何なる事態なのか。問いはまだまだ広がりをみせるのか。或いはこれが【他者】とのコンタクトの極北・論理的限界なのか。
地球から遠く離れた惑星ソラリスの海が映し出してみたものが、実は人間自身の内部にある深淵そのものだった。これは、他者理解の可能性の問題について、極めて示唆的だ。 -
和モノを中心に読んでいるわたしですが、一番好きな本を挙げろと言われたら間違いなくこれを挙げます。それまでの色んな概念が覆される。人間の発想は、おしなべて自分自身の置かれている社会から飛び出すことは出来ず、多くの場合、産まれてからこれまでに見聞きしたもの・取り入れた概念の中でしか、ものを考えることは出来ないんですね。
翻訳も非常に好きです。なんてったって邦題から素晴らしすぎるよ。 -
スタニスワフ・レム、1961年の作品。映画「惑星ソラリス」と「ソラリス」の原作である。ハヤカワ版が1977年刊行(訳は飯田規和)なのに対し、国書刊行会版(コチラのタイトルは「ソラリス」。訳は沼野充義)は2004年。国書版はポーランド語原典からの新訳版で、ハヤカワ版はロシア語版を原典としたので、少々内容が異なるらしい。が、特に結末に大きく影響を及ぼすようなことはなく、冗長すぎるきらいのある部分がカットされてるのがロシア語版という情報だった。どちらを手にするべきか少々迷ったが、長く読まれているハヤカワ版を手にした。
長い物語であるし、ソラリスの「海」についての描写や研究書については相当ページを割いているが、登場人物たちがソラリスにやってきた経緯などは深くは語られていない。この曖昧さが却って50年近く昔の物語の劣化を防いでいるのかもしれない。そして、描写が非常に美しい。「海」の描写のなんと美しいことだろう。恋人・ハリーの描写のなんと儚いことだろう。
読み始めのとき、わたしは「地球的な価値観で」ソラリスを当てはめて、ひとつ謎解きでもしてやろうといった気持ちでいた。しかし、そもそもそれが大きな間違いだった。ラスト、ソラリスの海での体験の描写は、圧倒的な美しさだと思う。それから、恋する人にもオススメの小説。泣けます。
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最近ハリウッドでリメイクされ、新訳も出版されたが、そんなものは★ひとつです。やはり旧版をオススメします。
通称「ソラリス3部作」の表題作。
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かなり読み辛い部分はあるものの、それでもファースト・コンタクトの究極という言葉がよく似合う傑作。レム自身が「従来のSFは地球の諸条件を宇宙という広大無辺な領域に機械的に移しかえたものにすぎない」と語るように、異星人との接触の結果が
①共存
②人類が異星人を打ち負かす
③人類が異星人に打ち負かされる
という3択に終着すると考えること自体が人間のエゴなのかもしれない。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』でも『神の目の小さな塵』でも、相手がさらっとこっちの言語を理解してるけど、普通に考えれば全く理解できず仕舞いでしたってなるはず。それでは小説にならないからこんな事言っても仕方ないけど、レムが主張してるのはそういう事なんだろうと思う。
自分の中で、ファーストコンタクトというジャンルが現実味を全く失い、ファンタジーの類いに入ってしまった事が残念だけど、それを差し置いても素晴らしい小説だと思います -
有名な東欧の作家による名作SFということで、昔から、いつか読まなきゃなぁと思っていて、やっと読む機会を得たのだが、実際に読んでみると、それほど面白くはなかった。残念。
300ページ以上の長編なのに、ストーリーの展開がほとんどなく、主人公が、主人公の前に現れた昔の死んでしまった恋人の幻影に振り回されて、うだうだ悩むと言う内容。これなら60ページ位でいいんじゃないかと思った。 -
大学生の時以来の再読。あとがきの「星の世界の「菓子」の味は実際にそれをかじってみること以外に知る方法はない」。このコトバは覚えていたし、ずっと頭に残っていた。
わかろうとしてもわからないことがあるし、わかろうとすることは対象を自分の枠の中に閉じ込めることかもしれない。
ソラリスの姿が細かく描写されているけれど、イメージが追い付かない。作者はイメージできているのか?
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自分の持っているのは1984年販売本で定価¥380! 先日買った新訳本「ソラリス」は¥1,500+税!! 文庫本も高くなった。 -
面白かった!けど、せつないな。
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名作はやっぱり名作だった
映画よりもホラー要素とサイエンス要素が多い。
読んでよかった。 -
高尚
惑星ソラリスのステーションに、ケルビンがやってくる。中の研究員たちは様子が奇妙で、いないはずの人物が現れる。ケルビンにもハリーが現れ。
スタニスワフ・レム原作でソ連時代のタルコフスキー監督の映画「惑星ソラリス」。約40年前に鑑賞し、とてつもない衝撃を受けました。後にスティーブン・ソダーバーグ監督ジョージ・クルーニー主演でリメイクされましたが、それほどの衝撃はありませんでした。
原作は生き物であるソラリスの海に対する人間側の解釈に、より深く焦点が当たっているように感じました。タルコフスキーの映画はラストが違い、ハリーとの関係を永遠とする。ソダーバーグ版は、愛情面がより前面にだされた感じです。 -
理解は出来ないし意味はないかもしれない。という事はひしひしと感じました。
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難しかった。
面白いか面白くないかすらも分からんけど、完全に「未知のもの」に圧倒された -
三体を読んだあと、もっと面白いSFを読みたい!と思って調べて出てきたのがこの本でした。物語としてとても面白い展開があるわけではないですが、ありきたりな表現ですが考えさせられる話で、たしかにファーストコンタクトを描く作品としては最高傑作かもしれないですね。
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スタニスワフ・レムの作品
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