闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF 252)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (379ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150102524

感想・レビュー・書評

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  • 『魔女の宅急便』のウルスラ(CV高山みなみ二役)のくだりが私は好きで、その理由は宮崎駿自身が投影されているからだと思うのだけど、ウルスラという名前は劇中では言われていないから、ずっと気になっていました。今年になってから「あっ、元ネタはアーシュラKルグィンじゃないのか!?」とようやく気付いた(遅い)。
    日本屈指の軍事マニアである宮崎駿大先生のことだから、ハルトマンの奥さんから取っているのか?とか思ってました。どちらも元は聖ウルスラ。

    図書館で借りたい候補のものが貸出中だったため、仕方なく繰り上げて『闇の左手』。「仕方なく借りた〜」と先輩に言ったら「ルグィンに失礼だろ!」とツッコまれた(あたりまえだ)。
    有名だし、元々読みたかった作品だけど、結果的に読んで良かった!大満足でした。

    ルグィンだと『ゲド戦記』が有名で、そちらはファンタジー。『闇の左手』はSFだけど、ファンタジーとSFは元々近接ジャンルで科学的なのがSFだからそこまで違いはないです。
    「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。」(アーサーCクラーク)

    ストーリーは、ファーストコンタクトものの逆転というか、スタートレックでよくあるカーク船長たちがとある惑星に行って…というものに近い。黒船来航みたいな感じ。主人公のゲンリーアイが寒い惑星ゲセンにペリー的な使節として来るのだけれど、地球人からすれば未来のお話なのでいきなり武力をちらつかせるようなことはせず、ゲンリーひとりでエクーメン(国連みたいなもの)に加盟してと交渉する。そして右往左往する。すごくざっくり言うと異文化コミュニケーションのお話。
    もうひとりの主役は、この惑星の人間であるエストラーベンだけど、途中から「こいつの方が主役やん!」となります。

    ストーリーだけならそこまで面白くはないと思う。この作品ですごいのは、その「世界観」。便利な言葉なので、最近はなんでも世界観世界観と適当に使う人が多いのでイラッとしますが、真に世界観が素晴らしいと言えるのはアーシュラKルグィンみたいなこういう作品だと思う。あと他に使っていいのは尾崎世界観ぐらいですよ。

    世界観とはなにかというと、要するに設定です。設定とはなにかというと、映像作品の場合はデザインまで含まれるけど、「世界の構築」です。
    『闇の左手』の惑星の人間は雌雄同体、両性具有。生物学→文化人類学→社会学と、積み重ねて世界を創造している。ここがすごくて面白いところです。ルグィンのお父さんはインディアン研究の文化人類学者。この作品はフェミニズムSFとも呼ばれるけど、フェミニズムは社会学。
    そういう社会科学のSFで、そこが魅力です。途中に何度も挿入される、惑星の神話や民話、伝承がとても面白い。

    この惑星には大きくふたつの国家が存在していて、それはそのまま当時の冷戦構造。カルハイドは王国、もうひとつのオルゴレインは共産主義国(清朝までの中国と、中華人民共和国になってからの中国がモデルだそう。ただ我々にとっては先に書いたように江戸時代までの封建制の日本も連想すると思う)。
    面白いんだけどこの部分はそんなに好きではなくて、私たちの想像をさらに越える世界を構築して欲しかったなと思う。ディストピアものは社会科学のSFだけど、オーウェルの『1984』もあるし、わりとありふれている。

    アメリカ先住民を連想させられるのもわりとそのまま。スタートレックって元々西部劇を宇宙に置き換えたものだから。
    この作品が発表されたのは1969年とベトナム戦争のさなか。SF映画だと『2001年宇宙の旅』や『猿の惑星』の翌年。そしてアメリカンニューシネマの時期で、それらの作品と共通点が多い。西部劇、西部開拓時代のフロンティアを延長して日本→朝鮮半島→ベトナム→中東…と西へ進んで行ったのがアメリカの歴史だと私は捉えているので、そう思わされる。
    読み進めて行くと、ゲンリーの人種がだんだんわかっていくのも面白い(真逆の思想で描かれた、ハインラインの『宇宙の戦士』にも同じような手法が用いられている)。

    終盤の脱出行のくだりからは、『ウェイバック -脱出6500km-』という映画を連想させられた。これの原作は1956年刊行で、50万部以上売れた本だそう。他に『セブンイヤーズインチベット』の原作は1952年刊行。

    作品の根幹である両性具有の設定は最高に面白い!良い!ありそうでなかったこのアイデア。性差がない世界で、だからこそフェミニズムSFになっていて、深く考えさせられる。SFじゃないと表現できない世界、これこそセンスオブワンダーだと思う。フェミニズムSF云々と言うと難しそうだけど、そういうのを抜きにしても、SF作品として優れている。
    因みにこの小説は、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』の北村紗衣さんもブログで紹介されていて、「でしょうね!」と思いました。

    私はジェイムズティプトリーJr.(アリスシェルドン)も好きで、特にやはり『接続された女』。ティプトリーの方が14歳ほど年上でひと世代前。ふたりは交流があって仲が良かったとか。
    どちらも「違う立場の人間になって考える」ことが大事だと教えてくれる作品。途中のエストラーベンのナショナリズムについてのセリフ…ここも泣かせる。

    これの前にたまたま構造主義の本を読んでいて、時代的にもかなり共通していると思う。文化人類学なのでたぶんレヴィストロースとか。ルグィンがレヴィストロースについて語ってるものがいくつかあるようなので、そちらも読んでみたい。

    異文化コミュニケーションの部分、たとえばレムの『ソラリス』なんかだとそもそも全く異質なものなので理解できない、交流できないという話だけど、『闇の左手』は相手が人間なので理解できる、交流できる。でも理解できない概念(母国語に翻訳不可能な言葉)もある。ここも非常に面白いです。

    惑星ゲセンで重要なシフグレソルという概念。キムタク主演、山田洋次監督の『武士の一分』という映画がありましたが、一分を英語でどう訳してるか疑問に思って調べたら「honor」で、なんかちょっとニュアンスが違うんじゃないか?と感じたことを思い出しました。ヌスス。

    明日から使えるカルハイド語、ヌスス。
    雌雄同体といえばナメック星人もだけど、彼らみたいに口から産卵する設定じゃなくてよかった。ヌスス。

  • 久々に辞書を引き引き読み進める。重厚なSFを読むこの幸せ……!
    『どうして人は国家を憎んだり愛したりするのですか?(中略)わたしはその国の人間を知っている、その国の町や農場や丘や川や岩を知っている、山あいの斜面に秋の夕日がどんなふうにおちていくか知っている、しかしそうしたものに境をつけ、名前をつけ、名前をつけないところは愛さないとはいったいどういうことだろう?国を愛するとはいったいどういうことだろうか?国でないものを憎むということだろうか?そうだとしたら、いいことではない。では単なる自己愛だろうか?それならいい、しかしそれを美徳とするべきではない、公言するべきではない……わたしは人生を愛する限りエストレ領の山々を愛するが、こうした愛に憎悪という境界線はない。その向こうについて、わたしは無知なのだと願っている』P.262
    その向こうについて、わたしは無知なのだと願っている。

  • 喉も、肺すらも凍りつくほどの真っ白な世界での逃避行。じわりじわりと迫り来るような闇への恐怖と根源的な生への執着、そこで育まれる信頼、友情(友愛)、とまどいと信頼。そして訪れる唐突な別れ。回想。
    人生ベストブックです…。

    ハマりすぎて本当にショックで、わんわん泣きながら調べ物をしたりデリダの赦しを読んだりしていたら、著者自身が闇の左手をセルフパロディしたというFour Ways to ForgivenessのForgiveness Dayについての叙述を発見しました。(確か、世界の合言葉は森?か世界の誕生日の訳者あとがきで)でも英語読めないしなあ…でもでも頑張って読むか…ebook買って…なんて思っていたら、買ってそのまま積読していたSFマガジンのルグイン追悼号にまさにその短編(赦しの日)が掲載されて…いました…。奇跡…?しかも…しかも小尾芙佐氏の訳で…ありがとう…ありがとう早川書房…
    当方ルグイン超絶初心者ゆえ赦しの日を闇の左手のアンサー、ととるのはいささか早計やもしれませんが、ああ、こういう物語にもなったんだなと、温かいなみだを流し読後を迎えることができました。

    ""『』省略

  • はるか遠い未来の話。人類の末裔たちの物語。星間を行き来できる世界で、外交関係を結ぶために、人類が極寒の星に使節を送り込む。その使節ゲイリー・アイが語る数奇な物語。

    重厚な物語で、読み慣れない言葉もあり、読み進めるのに時間がかかった。
    17章 オルゴレインの創世伝説
    この辺りから、一気に読むスピードが上がり最後までたどり着いた。

    1969年に発表されたと解説にあったが、多様性を受け入れる社会が描かれており、とても現代的だなぁとの印象を持った。

  • 難しかった。ゆったりと流れる時間の中で読んだらよかった。いや、それはそれで寒くてしんどいかもしれない。
    ゲセン人が両性具有であることの社会学的な洞察が期待していた感じではなかったかなぁ。性欲がよりシステマティックで情動と呼ばれるよりは大人しいのであれば、例えば芸術はどのような発展を遂げているのかしら

  • BOOKMARK 第10号 特集『わたしはわたし、ぼくはぼく』掲載
    http://www.kanehara.jp/bookmark/

    早川書房のPR
    〔ヒューゴー賞/ネビュラ賞受賞〕両性具有人の惑星、雪と氷に閉ざされたゲセンとの外交関係を結ぶべく派遣されたゲンリー・アイは、理解を絶する住民の心理、風俗、習慣等様々な困難にぶつかる。やがて彼は奇怪な陰謀の渦中へと……エキゾチックで豊かなイメージを秀抜なストーリイテリングで展開する傑作長篇
    http://www.hayakawa-online.co.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000000271&search=%B0%C7%A4%CE%BA%B8%BC%EA&sort=

  • 全く異なる生物学的要素を持つ惑星の人々の生活などの描かれ方が、とにかく圧巻。文化の違いの中で育まれる関係性の描き方も巧み。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「文化の違いの中で育まれる関係性」
      ル・グィン の凄さって、それですよね。
      「文化の違いの中で育まれる関係性」
      ル・グィン の凄さって、それですよね。
      2012/09/12
  • 初のル・グイン作品
    造語が多いこと、季節の巡りや名前が地球と全然異なること、
    両性具有によって成り立つ独特の文化があること
    などなどに阻まれてなかなか読み進めるのが難しかったです(何度も寝落ちした)
    特に主人公二人の心理的なやり取りは理解するのが難しかったように感じました。
    一読では理解できない部分も多々あったので、機会があれば再読に挑戦したいです

  • んー、これは、しばらく本格的なSFから離れてた身としては、ちょっと難しかった。

    非常に興味深い設定ながら、それを理解して入り込むまで時間がかかり、人の名前とか関係性もなかなか把握できず、ナニナニ?と行きつ戻りつ。
    字面を目が滑ってしまう章もあり、結局良く判らないまま終わったけど、途中で放棄もできない何かがあり、、、。

    かなり前の作品だというのが、改めて驚き。

  • ヒューゴー賞、ネビュラ賞受賞作品。言わずと知れたSFの名作。
    これが続き物(ストーリーがではなくて同じ世界設定の別の小説がこれの前にあるという意味)であることをあとがきで知った。そちらを最初に読んでいれば、もっと最初から入り込みやすかったかもしれない。
    訳もすごくよかった。章ごとに書き方が変わっていて、良い訳者さんだなと思った。

    全編通してとにかく寒かった!笑 冬に読めば雰囲気出て良いかな。
    これが名作だっていう前情報がなければ序盤で読むの挫折してしまっていたかも。なぜならこの小説は報告書とか伝承とかいう形をとって進むから、世界観や用語説明が一切ないのだ。
    しかし完璧に構築された世界設定や文化は、読み進めるうちにだんだん理解できるようになってくる。手探り状態で異星に来てなんとか適応しようとする使者ゲンリー・アイと同じ目線でこの世界を体験しているような気分になれるのだ。
    たとえば何度となく出てくる「シフグレソル」、読むうちになんとなく意味がわかってくるのだけれど、日本語に訳すとなるとなんだろう? 体面? 面子? 儀礼? 形式? 礼? うーん。わからないけれども、わかる。他言語を体得する時の気分そのものだ。

    それにしてもいやほんと、完璧な異世界構築には脱帽する。これがほんとの「異世界もの」だよ。ここまで徹底するのにはどれだけの知識と調査と細かな想像力が必要だったのだろう。そこに住む人間の性質に極寒の環境や動植物の存在が大きく影響しているとか。世界構築がいちいち論理的。戦争という概念がないなんて我々には信じられない国々のことも、ただのifの夢物語なんかじゃなくて「こういう文化、環境、歴史だからこそないんですよ」という説明をちゃんと与えてくれる。素晴らしいね。

    さてこの小説を特徴づけている両性具有、ジェンダーの話。ケメル期とか、動物の発情期みたいなものだよね。そう考えると確かに年がら年中ケメル状態の我々の方が異常だよなあ。実際の動物にも両性っているわけだし、突拍子のない空想と言う風には思えなくなってくる。我々の常識で言えば一見ありえない体の構造をした人々なのだけれど、読了する頃にはゲンリー・アイと同じようにこっちの方が変な人間という風に思えてくるものだから不思議だ。

    本書の所々で「男性的」または「女性的」な特徴について言及されているわけだけれど、性が固定されていない世界で唯一性が固定された「男性」のゲンリー・アイが男性性や女性性に考えを巡らせる様は面白い。目の前の人間をつい男性っぽいとか女性っぽいとか考えてしまったり、この人のこういう部分は酷く女性っぽい、とか思ったり。その視点はその星の人にはないもので、本人たちは今自分男寄りだわー女よりだわーとか微塵も考えていない。ゲンリーに染みついた思い込みからつい考えてしまうこと。それで、特に初期のゲンリーは男/女という二元論で人を捉えようとしがちだということがわかる。でも終盤ではその二元論的思考からも脱却しようとしている。
    ジェンダー問題を考える画期的な素材の小説にもなり得るけれど、一方で男性的な性質女性的な性質もはっきり書かれているわけで、はてさてジェンダー論者はこの小説をどう評価しているのやら。気になるところ。

    気になると言えばもう一つ、所謂「腐女子」の方々はこの小説を腐女子的な目線でどう楽しむんだろう? 終盤のゲンリーとエストラーベンに芽生えた友愛、あれは感動的だ。しかしBL?ではありえないし。ケメルに入れば自動的に男役女役に一時的に性別が固定されてしまう世界で腐女子的な楽しみ方はどのようにするのか、気になるところ。

    そしてジェンダー関連で最後に。ル・グィンって女性だったんですね……。読み終わった後知って、物凄くびっくりした。だって文章が感傷的じゃなくてすごく緻密で論理的でSFだから勿論科学の視点もあって……なんといえばいいのか、とにかく女性作家独特のあの感じが一切感じられなかったのだ(勿論良い悪いの話はしていない。ただ文章の傾向の話)
    というところに自分の中のジェンダー規範に気づかされ二重にしてやられたという感じ。

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著者プロフィール

アーシュラ・クローバー・ル=グウィン(Ursula K. Le Guin)
1929年10月21日-2018年1月22日
ル=グウィン、ル=グインとも表記される。1929年、アメリカのカリフォルニア州バークレー生まれ。1958年頃から著作活動を始め、1962年短編「四月は巴里」で作家としてデビュー。1969年の長編『闇の左手』でヒューゴー賞とネビュラ賞を同時受賞。1974年『所有せざる人々』でもヒューゴー賞とネビュラ賞を同時受賞。通算で、ヒューゴー賞は5度、ネビュラ賞は6度受賞している。またローカス賞も19回受賞。ほか、ボストン・グローブ=ホーン・ブック賞、ニューベリー・オナー・ブック賞、全米図書賞児童文学部門、Lewis Carroll Shelf Awardフェニックス賞・オナー賞、世界幻想文学大賞なども受賞。
代表作『ゲド戦記』シリーズは、スタジオジブリによって日本で映画化された。
(2018年5月10日最終更新)

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