- 早川書房 (1978年12月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784150103026
みんなの感想まとめ
時間旅行と戦争の実体験が巧みに融合したこの作品は、SF的要素とノンフィクション的な視点が交錯し、読者に深い印象を与えます。主人公ビリーの捕虜生活やドレスデン爆撃の描写は、作者自身の経験に基づいており、...
感想・レビュー・書評
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<翻訳文学試食会>課題本
https://open.spotify.com/episode/2pRSVP6ut0awokiqR2Ggtu
第二次世界大戦から帰還して作家になった「わたし」。「ドレスデンへの大空襲で、街が壊滅した時のことを書くんだ」と長年公言しているがなかなか書けないものだ。「それは反戦小説で、子供が戦争をしない物語なのか?」と聞かれる。多分そんな小説になるのだろう。
その小説はこう始まる。
「聞き給え。
ビリー・ピルグリムは時間の中に解き放たれた。」
そしてこう終わる。
「プーティーウィッ?」
主人公はビリー・ピルグリムに変わる。
彼は「けいれん的時間旅行者」だ。物語はビリーの人生が語られるのだが「新婚のベッドで寝たら、第二次世界大戦中の捕虜収容所で目覚め、ドアを開けたら学生時代の教室にいた」みたいな感じで行ったり来たりします。
それとは別に、ビリーはトラルファマドール星人という宇宙人に誘拐監禁されたことがある。トラルファマドール星は時間に関する観念が人間とは違う。彼らは時間を一直線ではなくて四次元で捉える。あらゆる瞬間は、過去、現在、未来を問わず常に存在してきたのだし、常に存在し続ける。トラルファマドール星人は、そのあらゆる瞬間を一瞬で捕らえる。彼らはあらゆる瞬間の好きな時間を取り出して見ることができる。例えば人が死んだとしても、その人は過去には生きている。だから死んでいなくなるという概念はない。死んだ人間は死んだ瞬間は死んでいるけれど、他の多くの時間では生きている。だから彼らにとっては誰かが死んだと聞いても「そういうものだ」としか言わないのである(P39抜粋)
そんなトラルファマドール星に数年監禁されていたので、ビリーは皮肉な運命に晒されても人生とは「そういうものだ」と受け流すのだ。
小説ではビリーの人生が過去と未来を言ったり来たりで進むのだが、、以下我々地球人的に真っ直ぐにしてみます。
ビリーは、貧しい家庭に不格好な子供として生まれ、不格好な若者になり、検眼医学校に通った。成績は優秀だったが、第二次世界大戦に招集される。ドイツ軍に追われ森を彷徨い、その時に初めて時間旅行を経験した。
この森で逃亡の旅を共にしたのが、ガキ大将気質いじめっ子気質のローランド・ウェアリー。彼は「一緒に帰るんだ!」という気持ちで、ビリーを引っ張る。だがドイツ軍の捕虜捕虜となり、その輸送列車でウェアリーは死ぬ。ウェアリーは列車の中の兵隊仲間たちに「俺を殺した相手に復讐してくれ!それはビリー・ピルブリムだ!」と言い残す。その言葉を受け取ったのが、ボロボロ小男のポール・ラザーロ。ラザーロはその後何十年もビリーを狙い続ける。
ビリーが入れられたドイツ軍の捕虜収容所はドレスデンにある。アメリカ捕虜に割り振られたのは、食肉処理場(スローターハウス)の5番目の倉庫だ。
そこにはこの物語の作者である「わたし」(カート・ヴォネガットがモデルになっている)とその戦友もいたのだ。
ドイツ軍の捕虜収容所の様子が垣間見える。イギリス捕虜には礼儀正しいドイツ軍将校、アメリカ人だがナチスに同調してロシア共産党と戦うことを説く劇作家。
終戦後解放されたビリーは、検眼医学校に戻る。この学校の創始者県経営者が、ビリーの妻となるヴァレンシアの父親だった。ヴァレンシアは不格好な娘で「誰も私と結婚してくれないと思った☆」ということで、彼女の父はビリーに援助を惜しまない。
ビリーは卒業前に神経衰弱を患い入院するが、ヴァレンシアは甲斐甲斐しくお見舞いに来る。
ビリーは義父の援助のお陰で手広く眼科を経営し、夫婦の間にはバーバラとロバートという子供が授かる。
ビリーがトラルファマドール星人に誘拐されたのは、バーバラの結婚式の最中だった。ビリーは、同じく誘拐されたセクシー女優とともにその星の動物園で見世物になっていた。ビリーを地球に戻す時、トラルファマドール星人は元の時間(バーバラの結婚式)に戻したので、周りの人たちは誰も自分が誘拐されていたとは知らなかったんだ。
ある時ビリーは飛行機事故に合う。助かったのは彼一人だ。「そういうものだ」
妻が先に死んだ「そういうものだ」
妻が亡くなってしばらくして、突然ビリーはラジオ番組で言い出した。「自分は時間旅行者だ。そしてトラルファマドール星の円盤で誘拐されたことがある。」
なぜ今まで黙っていたかって?時が来なかったからだ。でも今はもう話して良いんだ。
物語のクライマックスは、1945年2月13日から14日にかけてのドレスデン大空襲。
ビリー・ピルグリム、カート・ヴォネガットがいたその日、その場所だ。
ビリーは食肉処理場(スローターハウス)の地下室にいたので助かったのだ。一つの街が完全に壊滅していた。ドレスデンはまるで月の表面のようだった。
時間旅行者ビリーは何度も自分の生まれたときを経験し、何度も自分の死を経験し、何度もドレスデン大空襲を経験する。戦後の混乱も、多くの皮肉な運命も。だが彼は受け流すのだ。「そういうものだ」
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以前出版された版では『屠殺場5号』という題名だったんだそうだ。正直言ってこっちのほうが戦争の過酷さが題名から感じられるなあ。しかし小説では戦争を含めて人生の過酷さは書かないと決めているようだ。<翻訳文学試食会>では「単体で読むより、他の過酷な戦争を書いた小説を読んで、これも読むと良いのかも」と言っていたのが納得だなあ。ジタバタして苦しむ小説を読み、それからこの小説のように「そういうものだ」と受ける精神に達する。
なるほど葛藤に苦しんだ人がこの本を読むと「なんでも受け入れる」というこの本にホッとするのだろう。
日本人としては「ドレスデンは広島より死者が多い」っていう一文には「やっぱり戦争って数しかみないんですね(-_-;)」と感じましたが…。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
和田誠の表紙が懐かしくて久しぶりの再読。前TVで観た映画がとっても良くて思い出しながら読む。ビリーの時間旅行?捕虜時代・結婚生活・トラルファマドール星の生活がカットバックで描かれる。これでヴォネガット大好きになったのも思い出した。
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SF小説と戦争ノンフィクション小説が融合したような作品。時間旅行と戦争実録が絡み合う。
ドレスデン爆撃については、全く知らなかったので、衝撃的だった。米兵の捕虜生活も壮絶で、作者の実体験を元に描かれたからこそ、具体的だ。
「そういうものだ」…多用されるこの言葉に諦めを感じさせる。
ビリーの虚無的な人生は戦争体験によるものなのか。
ヴォネガットがこの作品を描いてから何十年経つのだろう。いまだに戦争は無くならない。
愚かな行為を繰り返す地球人をトラルファマドール星人はどう見ているのだろうか。 -
トラファマドール星から贈られた新しい聖書。
あるいはSFの形を借りた極上の文学。
時間を超越する能力を得た(といっても任意に飛ぶことはできないが)ビリー・ピルグリムは、子供時代から第二次世界大戦、そして富豪となって成功を収めた晩年までを幾度も往来する。
その人生の途中異星人に誘拐され、三次元に生きる人間には到底観ることのできない世界を体感するのだが......
特殊能力を手に入れた男と異星人のコンタクト。
その数奇な運命。
スラップスティックでエキセントリックで変なSF。
でも、強烈な戦争体験により徐々に精神が狂気に蝕まれていく男の手記とも読める。
『スローターハウス5』には、戦争を始めとする人間のありとあらゆる愚行が描かれている。
それなのに(それだからこそ)、それらの行為は笑っちゃうくらい滑稽で、そしてやっぱりどこか切ない。
著者カート・ヴォネガット・ジュニアは、実際に第二次世界大戦中にドレスデン無差別爆撃を被害者の側から体験したという。
戦争を知らない世代の僕が、戦争について知ったような口を利くのはまことに不遜ではあるが、著者はこの「変なSF」という形態でなければ自身の体験を語れなかったのだろうなと思った。
ありとあらゆる人間の、生物の、物質の「死のイメージ」のあとに挿入される「そういうものだ(So it goes.)」という言葉。
諦念なのか達観なのか僕にはわからない。
幅、奥行き、高さに加えて、時間の軸も有する四次元の住人トラルファマドール星人にとって地球人は、赤ん坊から老人までの人生がひと連なりになったヤスデのように見えるらしい。
おそらく、僕はそのヤスデの足の節々で『スローターハウス5』を幾度も読み返すことになるだろう。そしてその時々で読み方、印象が変わってくるのかもしれない。
先頭部分、一番前足でこの本を読んだ時、果たして「そういうものだ」と言えるのだろうか。
この物語がどんな話なのかということは、三次元の住人である僕にはまったく説明ができない。説明する能力がない。でも、読めば確かにテレパシーのようにメッセージが届くのだ。
物語半ば、ビリー・ピルグリムが時間を遡る時に一瞬観る、逆回しの戦争映画の荘厳な美しさに涙が出そうになる。あれほど痛烈な批判はあるだろうか。
戦争の話ばかりしてしまったが、肩に力を入れて読む必要はない。本当にただただ面白い小説なのだ。
重いテーマを正面切って書くのも、それはそれで素晴らしいと思う。
でもはにかみながら、照れ笑いしながら、時には悪態をつきながら軽々と描くのってなんてかっこいいんだ。
著者近影までなんだかとぼけたこの小父さんの小説は、とても信用できる。
奇しくも読了日はエイプリルフール。
この日につく嘘は決してひとをがっかりさせる物であってはならないときく。
虚構の中の、大粒ダイヤのように(あるいは入れ歯の金具のように)輝く真実。
カート・ヴォネガット小父さん、最高に素敵な「ほら話」をありがとう。 -
SF作品というのかなんと言うのか時空を飛んで時間旅行をするのですが、作者が実際に体験したドイツドレスデンでの爆撃による大殺略も描からています。と言っても、重く残虐に描かれているのではなく、他の部分と同じように淡々と感情も平坦に描かれています。全編そんな調子でいつの間にか最終ページの最後の文章に行きつきました。
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著者自身が戦時中に体験した「ドレスデン無差別爆撃」を基に書かれた、半自伝的長編小説。
SF小説であるが、昨今の小説でよくある近未来的な機械や怪獣が出てくるわけではなく、主人公の設定にSF要素が盛り込まれている。
作中に引用されている「ニーバーの祈り」からこの小説を知った。
久しぶりに読み返したくなり、再読。
異星人に誘拐されてから、主人公のビリーは自分の意思とは無関係に時間を行き来する「けいれん的時間旅行者」となった。
これによって、ビリーは地球人には考えつかない、いくつかの学びを得る。
例えば、
・今死んでいる者は過去の瞬間では生きており、その瞬間は常に存在し続ける
・未来の瞬間も過去と同様に存在し続けるため、彼には未来を変えることができない
などである。
ビリーはまるで記憶がフラッシュバックするように、過去へ未来へとタイムトラベルを繰り返す。
そして、その間に起こる出来事が、ただ事実を並べるように淡々と書き連ねられていく。
その間に多くの人が死んでいくが、ビリーはただ「そういうものだ」とつぶやくだけである。
一種の諦めに満ちた視点から綴られる物語。
これが、この著者独特の戦争の描き方なのだと感じた。 -
著者の戦争体験をベースに書かれた本書。
構成のアイディアが秀逸で、場面がコロコロ切り替わるため、戦争という重い緊張感に浸ることなく軽やかに内容を楽しめた。 -
SFでもあり、戦争小説でもあり、半自伝的小説である。
簡単にはジャンル分けができないカート・ヴォネガットの「スローターハウス5」をようやく読了。
「けいれん的時間旅行者」となったビリーは、自らの人生の未来と過去を行き来する。まばたき一つで幸福な結婚生活から、ドイツ軍の捕虜時代へ。あるいは眠りのうちにトラルファマドール星へ。
生も死も、幸も不幸も、過去から未来までどの瞬間も並列して存在するかのような、トラルファマドール的な時間感覚が作中で一貫している。そしてどんな凄惨な出来事も「そういうものだ」の一言で端的に語られる。
ドレスデン無差別爆撃という戦争体験を経た著者が小説としてこの体験を語る際に、この言葉が、トラルファマドールの視点がどうしても必要だったのだろう。
到底一人の人間が受け止めきれない戦争という悲劇が現在も繰り返されていること、その現実に向き合わざるを得ない。そんな読書体験を提供してくれたとともに、SFとしての面白さも感じられる作品だった。 -
ごく稀に、ほんとうに元気…というよりも逆に追い込まれているのか、いまここに生きていることを実感するために、どう生きるか考えるために、生きること、死ぬことを描いた小説を、無性に読みたくなるときがある。(とても傲慢な感覚なので、言葉にするのがとても難しいです。ご不快に思われたら申し訳ありません。)
タイトルと、そのタイトルの由縁、戦争、捕虜、ドレスデン大空襲、それを描いたSF小説。
あらすじを読んで、このテーマがどう絡み合うのかがずっと疑問だった。ずっと読んでみたかったけれど、読むとくらってしまう性分なので怖気付いて敬遠していた。でもふと、読みたくなって手に取った。
戦争がはじまったとき、あなたはまだ子供だった。戦争で犠牲になるのはいつも子供達。第1章でメアリの語る憤り、そして「ジェノヴァの善良な人びと、万歳!」
善良な人びと、万歳。愛すべき隣人たち。
すべてが失われた焼け跡で鳥がいう。
何度も何度も、この部分を読み返してしまった。
ドレスデンの大空襲は、ケストナーの戦争日記にてお母さんからの手紙で出てきたような気がする…
とにかく、ありのまま 自分の手で 試行錯誤しながら…悩み抜いて…でも時に軽やかに… そんなふうに書かれていて、読んでいてなんだか、ふわふわと気持ちが軽くなるシーンや、ビリーの感情に呼応して泣き出してしまうシーンや、なんとも滑稽ですこし笑ってしまうシーンや,切なくて寂しい、でも永遠なんだ、と安心するようなシーンが
痙攣的に訪れて。なんだかよくわからないんだけれど、とても、読めてよかった、と思えた。
"そういうものだ"と繰り返されることばは、
諦めのようでいて、不条理なようでいて。軽やかなようで、ずしんと重く響くような。
起きたことなんだ、そういうものなんだ、そこに、やるせなさを感じるということは そういうものだ、と理解しようとしているようで、ぜんぜん納得できていないように感じるのだ。
日々感じている不条理さ、不甲斐なさと、実際にそのことが自分の身の回りではじまった その時に自分はどう生きるのかどう振る舞えるのか、そういうことを日々考えている。そういうことを考えて気が滅入ったり、落ち込んだりする私に、ビリーが、ヴォネガットが、寄り添ってくれた。そう、そう思えた。 -
カート・ヴォネガット・ジュニアの代表作である『スローターハウス5』。トラファマドール人という架空の異星人が登場するSF小説の体裁を借りながら、作者の死生観を表現したものだ。そこにはドレスデンの空襲の体験が色濃く映されている。彼の母親は、ヴォネガットが第二次世界大戦に兵卒として志願し、そしてドイツ戦線に送られることを苦にして自殺をしたとも言われている。そんな形で送られたドイツで捕虜として囚われて収監されたドレスデンで、多くの一般市民を巻き込むドレスデンの空襲を体験した。そのことがこの小説家の死生観を形づくり、その空襲体験をモチーフにして小説の形でしか表現しえない形でその死生観を表現したのが、この『スローターハウス5』という小説だと思う。
主人公のビリーは、トラファマドール人につかまり、人生の中をけいれん的時間旅行者として行き来するものとなる(unstuck in time ... 時間のなかに解き放たれた、と訳されている)。この小説の中のトラルファマドール星人は、自由意志を信じていない。トラルファマドール星人には過去も現在も未来もすべてすでに起きたことであって、変えることはできない。誰かが死んだとしても、その時点までは存在していたのであり、存在自体は変わらない。だからこそビリーは自分の死がどういう形で来るのかも知っておきながら、人生の中の時間を時系列に囚われずに「行き来する」のである。そこには多くの死が横たわっている。主人公のビリーも、ヴォネガットと同様にドレスデンで空襲に遭い、多くの死体の間を歩いた。
トラルファマドール人の死生観は次のようなものだ。
「人が死ぬとき、その人は死んだように見えるにすぎない。過去では、その人はまだ生きている。あらゆる瞬間は、過去、現在、未来を問わず、常に存在してきたのだし、常に存在しつづける。あらゆる瞬間が不滅である」
その死生観は近代的自我から導き出される死生観とも、宗教から生み出される死生観とも異なる。より絶望的でもあるし、より静謐なものであり、倫理的であるようにも思われる。そのような観念を持たなければ、もはやどうやって死を耐えることができるのか。主人公の前で滑稽な死もシリアスな死も、死が訪れるたび「そういうものだ(so it goes)」とつぶやかれる。
著者は次のように語る。
「これは失敗作である。そうなることは最初からわかっていたのだ、なぜなら作者は塩の柱なのだから」
作者は、神の言いつけに背いたものとして罰を受けたのだろうか。後ろを振り返って見たものは何だったのか。
トラルファマドール人は身長二フィートで、全身が緑色で、吸い上げカップのカップを地上に付けていて、先端には手がついており、その手のひらには、緑色の眼が一つある。村上春樹の最新小説『街と不確かな壁』の中で、若かりし主人公と文通する彼女が手のひらに目玉が出てくる夢を見るが、その描写は村上春樹の小説へのある種のオマージュであることを自分は疑わない。
どちらの作家も小説の深さを自由さと示し、小説というものが世界に対する考え方を揺さぶることができるものであることを体現するものである。
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『街とその不確かな壁』(村上春樹)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4103534370 -
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カート・ヴォネガット・ジュニア「スローターハウス5」読了。SFには、歴史から消え去りそうな悲しい出来事を掬い上げる力がある。連合軍によるドレスデン無差別爆撃。著者が体験したその事実を時間移動するビリーに投影する。自由意志はあるのか?複雑な中に太い軸があるそんなお話だった。So it goes.
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2021年2月読了『猫のゆりかご』(9784150103538)以来のカート・ヴォネガット作品。
相変わらず独特な書き口を読み進むのが困難で、とりあえず一周読むだけでも丸々一週間かかってしまった。
巻末・伊藤典夫先生の解説に詳しい通り、ヴォネガット氏の半自伝的作品であり、第二次世界大戦下における従軍体験および「ドレスデン爆撃」の現地体験、その予後をビリー・ピルグリムという自身の’アバター’に託して、彼が時間旅行を繰り返しながら至り得た思想を綴った小説、というように私は理解した。
何がどこまで冗談で真実なのかが混濁としているが、通読し終えて改めて冒頭書き出し「ここにあることは、まあ、大体そのとおり起った。」(p9)の一文が強く胸を打つ。
そして、トラルファマドール星人による誘拐体験を経て、「いまの自分の仕事は、地球人の魂にあった正しい矯正レンズを処方すること」(p46)とし、「いずれにせよ戦争とは、人びとから人間としての性格を奪うこと」(p215)という悟りを、戦争を想像でしか判り得ない私たちに伝えている。
「人間としての性格を奪」われた最たる箇所はタイトルにも冠されている、「(捕虜である)アメリカ人は門から五番目の建物に引き立てられた。」「もともとは処理前の豚をまとめる小屋」「住所は『シュラハトホーフ=フュンフ』。シュラハトホーフは食肉処理場(スローターハウス)、フュンフは古き良き5(ファイブ)である。」(いずれもp203)の部分。人道もへったくれも無い。
そしてこういったことは今なお続くロシアのウクライナ侵攻戦争に於いても変わらず行われているであろう事であり、日本ではあまり報じられないが、事実、両国兵士達による戦争犯罪が存在する疑いは非常に濃い。
上手くまとめられそうにないが、この小説が書かれた60年代末のアメリカといえば長期化したベトナム戦争で国内に厭戦気配が蔓延し、若者らが社会の変化を求めてヒッピー文化を花拓かせた時である。
そして、現代日本もロシア問題と同時並行的に北朝鮮ミサイル問題や中国・韓国との外交問題を抱え、続くコロナ禍や不況により将来への漠然とした悲観が漂っている気がするが、こういう時こそ、若者が社会を変えられるんだ!変える!というムーブメントを起こせるように、(既に若者には含まれないかもしれないけど)私も「正しい矯正レンズ」を通して社会や我が身の振りを見つめられる為に自己を整えていきたいし、我が子はじめ後の世代に迷惑を掛けない為にも、レンズが曇ったり割れたりしないように勉強を続けていかねばならないな、と意を新たにした次第であります。
『同志少女よ、敵を撃て』(9784152100641)の時と似た読後感。
30刷
2022.12.24 -
作者が戦時中に体験した事実に基づいた半自伝的SF小説。戦争をはじめとする、作者が直面した目を覆いたくなるほど辛い体験の数々。そこから目を逸らすのではなく、「そういうものだ」と受け止め、それでも楽しかった瞬間を思い出して(あるいは、その瞬間を訪れて)前を向いて歩んでいきたい。そんなメッセージを感じる、とても素晴らしい作品だと感じました。
最近「歌われなかった海賊へ」を読んだばかりだったこともあり、精神的にキツいところもあったのですが、別の視点から戦争を知ることができたことは、貴重な読書体験がでした。
SF作品として見ると、小松左京「果しなき流れの果に」や、今敏の映画「千年女優」に近いかもしれません。異なる時代を旅しながら人生を見つめ直す面白さは独特の味があり、タイムトラベルものとして非常に優れた作品だと思います。
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読み始めた時、なかなか意味を掴めなくて何となく読み進める感じで入って行ったのだけど、読めば読むほど、作者の人間描写力に魅了されてしまった。
これは、その、いわゆる第二次世界大戦中の、悲惨な戦争体験について書かれた本である。
ヨーロッパに送られた、若き日のビリー・ピルグリム。彼のいた歩兵連隊がドイツ軍の捕虜となり、奇しくも連合軍による、いわゆる無差別爆撃、ドレスデン爆撃を生きのびてしまった、悲しいビリーの、そしてヴォネガット自身の物語なのだ。
序文でこの本のなかで私という男(いわばヴォネガット自身)がドレスデンを今、まさに語ろうとしている。戦友オヘアの細君メアリに誓う。
_メアリ、万一この本が完成するものなら、僕は誓うよ。フランク・シナトラやジョン・ウェインが出てくる小説にはしない。そうだ『子供十字軍』という題にしよう_
そうしてビリーの物語は時間軸を越えて語られる、それは、トラルファマドール星の本の手法で(電報的分裂的物語形式)書かれた。
彼は第二次世界大戦中に空飛ぶ円盤によってトラルファマドール星にさらわれた。そうして戦争中の過酷で暴力的な体験をけいれん的時間旅行によって時間軸をねじれされながら私たち読者に伝えてくる。
ある時にはビリーは爆撃を受け動けなくなっている。次の瞬間には娘の結婚式に呼ばれている、また次の瞬間にはトラルファマドール星にいて、またつぎにはドレスデンへ向かう列車の中、そしてある時は銃殺され、次には精神病棟のベッドの上…と、いうように。
戦争の暴力、壮絶な体験、トラウマをこんなSF的な表現、ユーモアと春樹さんがいうように、マイルドな悪ふざけをもって表現した、まったくもって見たこともないような本だった。
その瞬間移動の間に、私たちはビリーの死も目撃してしまう。でも、また過去にもどっても、彼はその死を受け入れたまま、何も変えたりしない。そこが素晴らしいと思った。
『雨天炎天』の中で春樹さんがてきとうに、「愛は消えても親切はのこると言ったのはカート・ヴォネガットだっけ?」なんて書いているのだけど、確かにヴォネガットは親切な愛ある作家だと、私に知らしめた。
こんなマイルドな悪ふざけをもってしてでないと、悲惨な戦争体験を描くことができなかったのだ。
ところで、読み初めた頃随分苦労したくせに、私はこの作品を心ゆくまで楽しんでしまった。しばらくヴォネガットを読んでみたいなと思う。
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この少し奇妙な物語を一体どう説明したものだろう。
これは、著者が第二次大戦時、ドレスデンで経験したことを描いた半自伝的作品であり、登場人物が宇宙人(トラルファマドール星人)に掠われ、時間旅行者となるSF小説であり、そしてまた、強烈なアイロニーと悲哀をたたえたアメリカン・ユーモア小説とも言える。
3つのある種、非常に異質なものが作り上げた、風変わりな、しかし「真実」の物語である。
著者・カート・ヴォネガット・ジュニアは、少年といってもよいほどの若さで召集され、ドイツ戦線に派兵される。独軍の最後の反撃ともいえるバルジの戦いで捕虜となり、ドレスデンに移送される。彼が移送された直後の1945年2月、米軍によるドレスデン爆撃が行われる。歴史のある美しい街、ドレスデンは、壊滅的な被害を受ける。
まるで月面のようになってしまった廃墟で、捕虜たちは事後処理(つまりは遺体の処理)に従事する。
ヴォネガットは、自身を主人公には据えず、著者の分身のようなビリー・ピルグリムという若者を作り出している。戦功とはほど遠い、不格好で、碌な武器も持たされず、右往左往する若者である。
ビリーはあるとき、緑の身体のトラルファマドール星人に捉えられ、彼らの動物園で展示されることになる。そのときから彼は、「痙攣的」時間旅行者となる。いつ時間旅行するか、どこへ時間旅行するか、自分自身では決められない。未来へ飛び、過去へ遡り、地球へ行ってはまたトラルファマドール星の動物園に戻る。
何度も時間旅行をしたため、彼は自分の地上の人生で何が起こるかを知っている。
トラルファマドール星人は時間を流れとは捉えておらず、過去から未来、すべての時間を俯瞰することが出来る。
トラルファマドール星人に感化されたビリーは、生き続け、死に続け、時を渡る。ドレスデンの「そのとき」を軸に。
スローターハウス5とは、ビリー(ヴォネガット)が収容された建物で、食肉処理場第5棟を意味する。実際にはそこで「処理」されるべき肉は軍の胃袋に収まり、もはや名ばかりだったのだけれども。
本書には戦時の多くの挿話が描かれる。誰よりも頑強な身体を持っていたのに、爆撃後のドレスデンでティーポットを盗んだがために処刑されてしまう元高校教師。意気地なしなのに、屈強な2人の兵士の仲間と思い込み、自らを加えて三銃士になぞらえるチンピラ。故郷を焼け出され、難民としてドレスデンに逃れてきた美しい十代の少女たち。
彼らの辿る運命は残酷で、はかない。
ヴォネガットはユーモアをたたえつつ、不条理な現実を辛辣に描く。「そういうものだ(So it goes)」と。
ヴォネガットはこの本を書き上げる前に、5000ページを費やしたが気に入らず、すべて破り捨ててしまった、と作中で言う。この本自体も失敗作だ、と、最初の章で断言している。
田舎出の若者が、突然外国に行かされ、武器を持たない大勢の人が瞬時に殺されるのを目撃し、さらには遺体の処理にも当たるのだ。それは、宇宙人に掠われることが大して異常とも思えなくなるほど、そして我々と違う時間の概念を持つ存在がいることを奇妙とも思えなくなるほど、異常な、奇妙な、怖ろしい体験ではなかったか。
どれほどの言葉を費やしても、どれだけ正確に描写しようとしても、到底現しきれない「地獄」。
いささか変わった手法で描かれたこの物語は、惨状を逆説的に見事に捉えているとも言える。
作中で、1人の人物がビリーに言う。人生について知るべきことはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と。「だけどもう、それだけじゃ足りないんだ」と。
小鳥のさえずりとともに、物語は幕を閉じる。
けれども物語は続く。生き続け、死に続けるビリーとともに、物語も読まれ続け、終わり続ける。 -
第二次世界大戦時に著者本人が体験した出来事をSFを交えながら半フィクション小説として書いた作品。コミカルでユーモアなストーリーの中でも戦争は非常に冷たく、そして自分が死ぬとも思わず淡々と命を落としていく登場人物達が戦争の持つ暴力性をより際立たせている。
「思うんだがね、あんたたちはそろそろ、すてきな新しい嘘をたくさんこしらえなきゃいけないんじゃないか。でないと、みんなは生きていくのがいやんなっちまうぜ」
というセリフこそがヴォネガットが小説を執筆する大きな力になっているのだろう。 -
1945年2月。捕虜としてドレスデンにいたカート・ヴォネガットは、連合国軍によるドレスデン爆撃を目の当たりにした。長年その体験を小説にしようと考えてきた彼は、ビリー・ピルグリムという男を創造する。ビリーは同じくドレスデン爆撃を生き残ったが、帰国後にトラルファマドール星人に捕まって以来〈けいれん的時間旅行者〉となって、過去・未来の区別なくランダムに時空を飛び回ることになった。PTSDに悩まされる帰還兵の心理をSFに落とし込んだ反戦小説。
あからさまに兵士のトラウマからくるフラッシュバックを題材にした作品なので、「SF…?」と疑問符を浮かべながら読んでしまったけど、本文中に「二人とも人生の意味を見失っており、その原因の一端はどちらも戦争にあった。(略) 二人は自身とその宇宙を再発明しようと努力しているのだった。それにはSFが大いに役に立った」というくだりを見つけ、悲惨な現実に対してなにかフィクションが効用をもつのではないかという祈りのような物語なのだと思った。
特に印象深いのは、トラルファマドール星人との初邂逅を前にベッドを抜け出すシーンと、爆撃後のドレスデンの街を月面にたとえたシーン。どちらもSF的な書き方によって「宇宙の再発明」を試みるビリーとヴォネガットの思いが感じられる。そうした静かな場面が活きるのは、戦場での、あるいは戦後のアメリカ社会やトラルファマドール星でのスラップスティックめいたマンガ的な日々の描写のためでもある。トラルファマドール星人とのやりとりはナンセンスなコントのよう。
ヴォネガットはビリーを英雄にしなかった。作中唯一の例外は、のちに戦犯となるキャンベルに勇気を持って反抗したエドガー・ダービーだが、彼はティーポットを盗んで射殺された。ヴォネガットが戦争体験を“タフな男たちの物語”にしなかった理由はプロローグに記されている。そもそもヴォネガットがタフな男の話を書くつもりだったかはわからないが、結果としてこの作品は戦争の虚しさと人間の悲しみがひたひたと肌に感じられる稀有な語り口になった。ジェノヴァの善良な人びと、万歳! -
SFというジャンルに弱い人間なのだが、読み終わった後の率直な感想…「SFだけど、SFじゃなかった!」
ドレスデン爆撃という出来事があったことを初めて知った。現在はきれいな街だけど、白黒の焼け野原の写真を見て愕然とした。味方に空爆されるって、どんな気持ちだろう。体験した者にとってはやはり「そういうもの」なのだろうか。変えることのできない、ただそこにある現実。
生死を含めた人生の一瞬一瞬を客観視するなんて地球人には不可能だけど、だからといってトラルファマドール星人やビリーのようになりたいとは思わない。ただ、絶望的な一瞬やそれにまつわる考えだけに支配されるのではなく、生きていることの喜び、ハッピーな瞬間がそこに「ある」ことはいつも頭に置いておきたい。
ところどころに顔を出す筆者の痛烈な皮肉がパンチが効いていてよかった。
「貧者への義務を公的にも私的にもほとんど果たすことなくすましてきたという意味では、彼らはナポレオン時代以降もっとも恵まれた支配階級といえるであろう。」(p156)
「いずれにせよ戦争とは、人びとから人間としての性格を奪うことなのだ。」(p194)-
こんばんは♪ ひさしぶりにお邪魔します。
この作品、ほんとにSFなのにSFではないSF仕立ての感動作で、私の好きな作品の一つです。マヤ...こんばんは♪ ひさしぶりにお邪魔します。
この作品、ほんとにSFなのにSFではないSF仕立ての感動作で、私の好きな作品の一つです。マヤさんの言われる、第二次大戦末期の米国のドレスデン無差別爆撃は衝撃ですね。体験者ヴォネガットの作品群やエッセイによれば、たしか2~30万人の一般市民があっという間に殺害され、美しい街並みもほぼ壊滅したようです。まるで長崎・広島のように悲惨です。ヴォネガット自身、心的外傷になっていてもまったくおかしくないなかで、そんな不安定な状況を逆手にとったような(?)本作品。時空を錯綜させたSF仕立てで面白く読ませます。こんな発想や創造は他の誰にもできないのではないでしょうか。決して易しい本ではありませんが、シニカルな笑いと気骨ある作品に仕上げたヴォネガットに感激しました(^^♪2017/09/29 -
アテナイエさん、コメントありがとうございます♪
オススメしていただいたヴォネガット、ようやく読むことができました。表紙にUFO描いてあるの...アテナイエさん、コメントありがとうございます♪
オススメしていただいたヴォネガット、ようやく読むことができました。表紙にUFO描いてあるのでコテコテのSFかと思っていたんですが、なんと立派な戦争文学ではないですか!体験した人にしか書けない、稀な作品ですね。やはり戦争を経験したヘミングウェイの作品「キリマンジャロの雪」を思い出しました。彼も戦争中の記憶を作品として残そうとするのだけど、書きたいと思いながら書くことができない。とても正面から向き合って書き記すことのできる記憶ではないのだろうと思いました。ですからこういった文学はもちろん、戦争体験の語り手さんたちの記憶は本当に無駄にしてはいけないなと…。SFが苦手な人にも読んでほしいし、また戦争文学が苦手な人にも読んでほしい作品ですね。
ちなみにこの本図書館で借りたのですが、普通の開架棚ではなく書庫にしまいこまれてまして…しかも区内の蔵書が超古い版の一冊だけ。なんでよ!もっと読まれるべき作品なのに!と思いました(ー ー;)2017/09/29 -
え~この本が閉架ですか? しかも古い版が1冊……あらら、それはちと悲しすぎますね。ぜひ図書館の館内にあるアンケートや利用者の声の紙にガンガン...え~この本が閉架ですか? しかも古い版が1冊……あらら、それはちと悲しすぎますね。ぜひ図書館の館内にあるアンケートや利用者の声の紙にガンガン書いて投函しましょう!
私は自分が借りたい本が結構ない確率が高くて(汗)、他から取り寄せになる場合が多いので(それはそれでありがたいのですが)、いい本なので買い入れのお願いをしたり、その他にも新版を要望したり、開架要望など、いろいろ書いてます。マヤさんの貴重な声をあげられてくださいね~笑2017/09/29
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伊藤典夫の作品
