スローターハウス5 (ハヤカワ文庫 SF 302)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150103026

感想・レビュー・書評

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  • SFでもあり、戦争小説でもあり、半自伝的小説である。
    簡単にはジャンル分けができないカート・ヴォネガットの「スローターハウス5」をようやく読了。

    「けいれん的時間旅行者」となったビリーは、自らの人生の未来と過去を行き来する。まばたき一つで幸福な結婚生活から、ドイツ軍の捕虜時代へ。あるいは眠りのうちにトラルファマドール星へ。

    生も死も、幸も不幸も、過去から未来までどの瞬間も並列して存在するかのような、トラルファマドール的な時間感覚が作中で一貫している。そしてどんな凄惨な出来事も「そういうものだ」の一言で端的に語られる。
    ドレスデン無差別爆撃という戦争体験を経た著者が小説としてこの体験を語る際に、この言葉が、トラルファマドールの視点がどうしても必要だったのだろう。

    到底一人の人間が受け止めきれない戦争という悲劇が現在も繰り返されていること、その現実に向き合わざるを得ない。そんな読書体験を提供してくれたとともに、SFとしての面白さも感じられる作品だった。

  • ヴォネガットは第二次世界大戦でヨーロッパ戦線に赴き、ドイツで捕虜となり1945年2月のドレスデン大空爆を被害者の側から体験した、との解説を読み、読み始める。

    作品は、わたしの書いた小説の内容となっていて、そこでの主人公ビリー・ピルグリムは1922年生まれでヴォネガットの分身といえる。そしてユニークでSF的な描写が、ビリーが時空間を自在に行き来している点。過去現在遥かなる宇宙とビリーの意識は自在に飛ぶ。ビリーは遥か宇宙の彼方のトラルファマドール星にもいて動物園で見世物になっているのだ。

    そして、物語に通奏低音的に流れるのがヨーロッパ戦線で捕虜になりドレスデンに流れ着く様だ。空襲では地下にいて助かったが、どんな運命、死のうと生きようと「そういうものだ」<So it goes>という言葉でビリーの運命はかたずけられる。この言葉が一番印象に残る。あっけらかんとした生死、人生の進行。これが「スローターハウス5」という「屠畜場第5棟」での捕虜生活と空爆後の廃墟を体験したことから得た人生観なのだろう。

    行きつ戻りつするビリーの時空間移動には、キリスト教の残虐性とか、きれいごとじゃない社会がさりげなく描かれている。そして行きつ戻りつする時空の間に戦線がはさまれることで、よけい戦争が際立った感じもした。そしてなにか頼りなげだが、しかしからくも生き延びているビリーを応援してしまっている、不思議な小説。


    1969発表
    1978.12.31発行  1988.7.31第11刷 図書館

  • 作者が戦時中に体験した事実に基づいた半自伝的SF小説。戦争をはじめとする、作者が直面した目を覆いたくなるほど辛い体験の数々。そこから目を逸らすのではなく、「そういうものだ」と受け止め、それでも楽しかった瞬間を思い出して(あるいは、その瞬間を訪れて)前を向いて歩んでいきたい。そんなメッセージを感じる、とても素晴らしい作品だと感じました。

    最近「歌われなかった海賊へ」を読んだばかりだったこともあり、精神的にキツいところもあったのですが、別の視点から戦争を知ることができたことは、貴重な読書体験がでした。

    SF作品として見ると、小松左京「果しなき流れの果に」や、今敏の映画「千年女優」に近いかもしれません。異なる時代を旅しながら人生を見つめ直す面白さは独特の味があり、タイムトラベルものとして非常に優れた作品だと思います。

  • 1945年2月。捕虜としてドレスデンにいたカート・ヴォネガットは、連合国軍によるドレスデン爆撃を目の当たりにした。長年その体験を小説にしようと考えてきた彼は、ビリー・ピルグリムという男を創造する。ビリーは同じくドレスデン爆撃を生き残ったが、帰国後にトラルファマドール星人に捕まって以来〈けいれん的時間旅行者〉となって、過去・未来の区別なくランダムに時空を飛び回ることになった。PTSDに悩まされる帰還兵の心理をSFに落とし込んだ反戦小説。


    あからさまに兵士のトラウマからくるフラッシュバックを題材にした作品なので、「SF…?」と疑問符を浮かべながら読んでしまったけど、本文中に「二人とも人生の意味を見失っており、その原因の一端はどちらも戦争にあった。(略) 二人は自身とその宇宙を再発明しようと努力しているのだった。それにはSFが大いに役に立った」というくだりを見つけ、悲惨な現実に対してなにかフィクションが効用をもつのではないかという祈りのような物語なのだと思った。
    特に印象深いのは、トラルファマドール星人との初邂逅を前にベッドを抜け出すシーンと、爆撃後のドレスデンの街を月面にたとえたシーン。どちらもSF的な書き方によって「宇宙の再発明」を試みるビリーとヴォネガットの思いが感じられる。そうした静かな場面が活きるのは、戦場での、あるいは戦後のアメリカ社会やトラルファマドール星でのスラップスティックめいたマンガ的な日々の描写のためでもある。トラルファマドール星人とのやりとりはナンセンスなコントのよう。
    ヴォネガットはビリーを英雄にしなかった。作中唯一の例外は、のちに戦犯となるキャンベルに勇気を持って反抗したエドガー・ダービーだが、彼はティーポットを盗んで射殺された。ヴォネガットが戦争体験を“タフな男たちの物語”にしなかった理由はプロローグに記されている。そもそもヴォネガットがタフな男の話を書くつもりだったかはわからないが、結果としてこの作品は戦争の虚しさと人間の悲しみがひたひたと肌に感じられる稀有な語り口になった。ジェノヴァの善良な人びと、万歳!

  • SFであると同時に戦争小説。死の場面に必ず出てくる「そんなものだ」のフレーズ。達観したというより死に鈍感になってしまう怖さ。主人公が戦前、戦中、戦後と絶えず時間を行き来することで戦争の愚かさが強調されたような気がする。

  •  名作と言われる『タイタンの妖女』がさっぱり面白いと思えなくて、疎外感を味わっていたものだ。そこでもっと評価の高いものを読んで、それでダメなら本格的に合わないのだろうと随分前に買ったのをようやく読んだ。SF的な要素はあんまりおもしろいとは思えなかったのだけど、ドレスデン爆撃の現場で地獄を見た人がその様子を描写するためには、こねくり回して形にするしかなかったことがうかがえる。諦観や虚無感が満ち満ちている。相当なPTSDがあるのではないだろうか。こちらとしては平々凡々とした人生を送っており、圧倒的な現実に立ち会ったことなどない。

     人が死ぬたびに「そういうものだ」と差し込まれ、村上春樹の「やれやれ」みたいな感じがするが、シビアさは大違い。本人が死ぬ思いをしたり、数多くの死体を見てきた人の言葉は違う。

     そんな地獄を体験した人が描いたものとして『タイタンの妖女』を読んだらきっと違う味わいがあることだろう。そのうち読み返したい。

  • 普通、物語のはじまりが思い出からだったり、思い出がはさまれたりすると情緒がただようのである。が、この小説は「けいれん的時間旅行者」という思い出の進行、なんとも読者は不思議な気持ちにさせられる。

    主人公ビリー・ピルグリムは現在、過去、未来を行ったり来たりしている「けいれん的時間旅行者」。そうなったのは戦争に召集され、襲撃を受け敗退、逃げ出した森の中で死ぬ思いをした時。

    そこから過去に行くのだが、その過去が現在や未来へ続き、また現在へ戻るという複雑な経過。夢かうつつかまぼろしかということになるのだが…。

    過去現在未来は一瞬、一生は一瞬。つまり、中国のことわざ「一炊の夢」、だから一瞬一瞬を大切に生きよ、東洋の思想でもある。

    「そういうものだ。」はこの物語に繰り返される言葉。印象的だ。

    声高ではない「反戦小説」を読むつもりだったが、人生の過ごし方を教示された。不思議なストーリーだ。そこがカート・ヴォネガットのSFたる所以なのだろう。

    自伝的である戦争体験(第二次世界大戦)をSFのストーリーに閉じ込めてある。また、これより以前に書かれた本ともつながりのあるストーリーなのだ。

    なお、

    神よ願わくばわたしに
    変えることのできない物事を
    受け入れる落ち着きと
    変えることのできる物事を
    変える勇気と
    その違いを常に見分ける知恵とを
    さずけたまえ

    この言葉に再び出会って感動。

  • 不思議な世界。凄く惹き込まれて、あっという間に読み終えた。
    戦争の悲劇が不思議な描写で描かれてる。なぜかぐいぐい食い込んでるくる、不思議な本。別の著書も読んでみよう。

  •  ヴォネガット初体験に購入した「タイタンの妖女」を一時中断して読み始めた本作(「タイタン~」は序盤で何故かなかなか波に乗れなかった。電子書籍で買ったけどそれが慣れなかったからなのか)。
     本作をヴォネガット再挑戦に選んだきっかけは有名な「ニーバーの祈りの言葉」の引用に感銘を受けて。その初出のシーンは想像していたのとはだいぶ違って何故か吹き出した。(ちなみに二度目に出てくるシーンは、そう、祈りたくなる)
     
     しかし読んでいる途中からだんだん離人感に襲われてどう読んでいいものか、お話の着地点が全く予想できないのが不安なまま読み進めた。ただ大事な人から手渡された本なので、どうしても読みきりたかった。
     正直よくこんな……風変わりな反戦小説(と言っていいものか。私はいまだに何がSFで何がSFじゃないのか線引きが苦手である)を書けたものだと頭がクラクラしている。グロくて下品でナンセンスな描写もある。笑うとまではいかないけれども、馬鹿だな、と思う。馬鹿だな。
     ビリーになにか声をかけたくなるけれど、一体彼に何を言ってあげることができるかというと、何も無い。何も言えることは無い。
    「何も言えることは無い」ということを言葉で表現した稀な作品。

    読み終わった今、なぜか胃が痛い。関係無いかもしれないが。

  • SFをはじめて読んだ。めまぐるしく場面がかわるのに読みやすく、おもしろかった。生きるとか死ぬとかいうことをよく考えるので興味深かった。徹底的な「SO it goes.」にじわじわと打ちのめされる。本から離れ現実世界に戻ると不思議な余韻がつづく。こんな体験ははじめてです。

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