エンダーのゲーム (ハヤカワ文庫 SF 746)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (540ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150107468

感想・レビュー・書評

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  • 人を傷つけることを好まぬ心優しい天才少年にして、根っからの殺し屋(というより、正しくは「生存本能に長けたもの」かと…)、エンダー。異性人バガーの侵略に備えるため、政府の意向により、彼は司令官の候補としてわずか6歳でバトルスクールに編入させられます。
    矛盾した性質を持ち合わせる少年は、バトルスクールでの訓練で非凡な才能を発揮し、「戦争ゲーム」では類稀なる成績を残します。誰もが英雄の誕生を確信する一方で、少年は、周囲の期待と望まぬ立場に悩み苦しみます。誰も傷つけることを望まない天才少年がついに直面する事実とは…

    ヒューゴー賞とネビュラ賞のダブルクラウンに輝く本書は、オースン・スコット・カードの代表作にして、SF史に残る名作です。
    戦争SFとしては、ハインライン「宇宙の戦士」、ホールドマン「終わりなき戦い」と並び評されることもしばしば。これらの作品との類似点は、それこそ数えだしたらきりがないように思えますが、作品が訴えることは、当然ながら異なります。「宇宙の戦士」がハインライン特有の軍隊賛美のプロパガンダとすれば、「終わりなき戦い」はホールドマンが体験したベトナム戦争を下地に、正体がわからない敵との戦いを描き、戦争の目的不在を浮き彫りにしているかと思います。では、本書が描く戦争とは一体なにか。年端の行かぬ子どもさえも戦争に駆り出される卑劣さ?異性人バガーの性質から、全体主義と自由主義との争いを描いている?あるいは共産主義と資本主義という冷戦下を反映した作品?いくつもの考察は可能でしょうですが、どうしても着目してしまうのが、先にあげた2作品との大きな違い、すなわち敵の正体が明らかになることです。さらにこの作品では、敵との対話により、「戦争勃発の主因は意思疎通の欠落である」と語られます。戦争を経験していない世代からすると、これはなんとなく正しいように思えます(ハインラインからは「ぬるい」と一喝されそうですが…なんとなく)。ただ、バガーに勝利した人類が、すぐさま人類同士で戦争をはじめる終盤の展開をみるに、どうもカードはこのあたりを皮肉に描いているような気もするところ…

    一方、本書ではエンダーと実兄ピーターとの対比がしきりに描かれます。ふたりとも天才にして、根っからの殺し屋である点は同じ。異なるのは、エンダーが善良な心を持ち合わせているのに対して、ピーターは邪心の塊であるところ。おもしろいのは、善良なエンダーが(その事実を知らないとしても)大量虐殺を実現するのに対して、悪鬼のピーターは人類の決裂を防ぎ、不毛な戦争を避ける役目を果たした点。無垢な殺し屋もいれば、悪魔の英雄もいるということか?いずれにせよ、人物の造形に力を注ぐ(らしい)カードとしては、戦争そのものよりも、この人物対比こそ、訴えたい何かであったのかもしれません。

  •  沖縄県でファーストフード店といえば「A&W」(エイアンドダブリュ、通称エンダー)がメジャーである。そんなエンダーが最近、タイアップキャンペーンをしていたのが映画『エンダーのゲーム』。エンダー繋がりやね。

     昨年アメリカで製作され、日本でも今年公開された映画『エンダーのゲーム』。原作は1985年にアメリカで出版された伝説的SF小説だ。SF界の2大栄誉であるヒューゴー賞とネビュラ賞を両方受賞している。
     2度にわたる昆虫型異星人バガーの侵略を何とかしのいだ人類は、さらなるバガーの攻撃に備えバトル・スクールを設立。優秀な指揮官の養成に乗り出していた。
     この頃、地球では少子化政策により子供は2人までしかもてなかったが、兄と姉の優秀さが認められ特別に3人目(サード)として生まれたエンダーことアンドルー・ウィッギンは6歳にしてバトル・スクールで才能を発揮、周囲の期待通り一足とびに同級生たちを出し抜いていく。
     以上のように、基本的にはエンダー(ender=終わらせる者)という異名を持つ主人公がスクールで頭角を現し、やがて宇宙艦隊(IF)の指揮官へと育っていく成長物語である。だがSF的奇想や宗教的・倫理的思想にまつわる問題など様々な要素が物語を深く掘り下げているのが名作たる所以である。

     物語の根本には「人間の優劣は生まれた時から決まっている」という考え方がある。エンダーは生まれた時から優秀な指揮官となることが運命づけられている。6歳にして才能を華々しく開花させるエンダーは周りの子供たちから恨まれ、妬まれる。それが暴力事件にまで発展することがあるが、スクールの教官たちは仲裁に入ったりせず傍観している。戦いの才能があるのであれば相手に負けるはずが無い。また才能の無い者を救う必要もない。3度目のバガーの攻撃を受ければ、人類は滅亡するかも知れない。種の存亡の前では個人の感情など取るに足らない物と考えられている。
     冷酷なまでに非情な世界で幼少期を過ごし、葛藤するエンダー。自分の命運を自覚しているが故にその悩みは深刻だ。

    <「わたしたちは、ただの普通の子供じゃないわ、そうでしょ。わたしたちの誰ひとり」/「時々、そんなだったらいいのにって願わないかい?」>(本書p393)

     過酷な運命の中で、望むと望まぬとにかかわらず戦闘(=殺戮)の才能を見せつけていくエンダー。物語の終盤では彼の人生を決定的に変えてしまう大きな出来事が用意されている。この仕掛けに読者はかなり驚かされるだろう。その時にこの小説のタイトルが重い意味を持ってくる。
     そうして人類の在り方という大きな思想に思いを至らされてしまうのがこの小説の凄みなのだが、一方でSF的ガジェットにも目を見張らされる。執筆されたのが1980年代だというのに、既にノートPCもしくはタブレットPCのようなアイテムが登場していて、インターネットもかなり今日的に描かれている。さらに驚かされるのは、単にPCやネットを描くだけでなく、ある登場人物たちがそれを駆使して世論を誘導する場面がある事だ。
     作中ではどうやらIFはNATO軍のような位置付けらしく、その人物たちは二手に分かれ、片方はロシア率いるワルシャワ条約機構(懐かしいね)の脅威を喧伝、それだけでなくもう片方がそれに反論するという手法で世の中を徐々に右傾化させて行くのである。
     これって現在やたらネット上で中国や韓国の脅威を声高に叫ぶ人たちの姿とよく似ていると思う。30年前の小説でこんな状況を予見していた作者の想像力が恐ろしい。

     ちなみに施川ユウキの読書ネタギャグマンガ『バーナード嬢曰く』(一迅社REX COMICS)の中で、SF好きのキャラが『エンダーのゲーム』について語るシーンがある。
    <翻訳がイマイチなんだよな……/機械翻訳のような読みづらい文体 「屁喰らい」「屁こき口」「おなら頭」等ダサダサの直訳スラング 唐突に現れる「~ちゃう?」という謎の語尾/来年 映画化に合わせて再翻訳される可能性がある(中略)それまで待ってくれ!!>
     これが全部その通りなのだ。そんなんで昨年11月本当に新訳版が出た。旧版と読み比べるのも一興。「超名作なのに翻訳がイマイチ…」というSFファンが長年モヤモヤしていた気持もスッキリしたはず。まあ旧版もクセはあるけどSFを読み慣れている人なら難易度は高くないと思う。というかこの翻訳者他にいろいろ面白い仕事をしているので調べてみたら結構興味深いです。

     映画版は邦題を原題通り『エンダーズ・ゲーム』(Ender's Game)にしなかったのが偉い。そうしてたらたぶん新訳版の文庫もそんなタイトルになっていたはず。最近のハヤカワ文庫はそんなんだし。長大な物語を2時間にまとめているのでちょっとダイジェストっぽいけど、大きな改変もなく原作ファンもまあまあ納得の出来。映像の迫力も凄いです。

  • 物凄く冷徹で、物凄くナイーブである。ある意味、突き放している。しかし、途方もなく抱え込んでもいる。

    エンダーはそのあまりの優秀さ、優しさ、繊細さゆえに、誰も信じられないのかもしれない。自分が優秀であること、優しいこと、そして繊細であるということを彼が認めるには、「ほかの人たちは決して自分ほどそうではない」ということを認めなくてはならないのだ。
    それは、彼にとって残酷なことのように、私には思える。彼はそれに常に向き合わなければならない、彼が幼い時からすでに、世界は彼ほど賢くなく、また人々は彼ほど善良な人ばかりではないのだ。
    彼の持つ長所が、彼にとってことごとく無力に思える、そのことが読んでいてとても苦しい。それらの長所に対して、世界はあまりにも即物的なのだ。

    オーソン・スコット・カードは、『消えた少年たち』を読んで「うわっ……」となった思い出があるので、この話もどこまで行くのだろう、ととても心配だった。しかし、案外落ち着くべきところに落ち着いたように思う。
    しかし、これはまだほんの序章だというようなことが解説で触れてあったので(?)、もしかしたら、私の安心もこの巻に限ってのことかもしれない。

  • 「重力がどうあろうと、覚えておけ――― 敵のゲートは下だ」
    すごっ。あー面白かった。プロットは、よく考えてみたらごくシンプルなんだけれど、すっかり引き込まれ、ラストでぽーんと放り出されて、え?え?となり…面白い本ってこういうものなのだろうな。エンダーかわいいよエンダー
    書かれたのは85年、でも実に「あり得るかも」という部分もあって…インターネットのごくごく黎明期だけに、書かれた当初読んだ人々は、未来っぽい!と思ったことだろうなと。
    映画化ほんとにするのか?チープにならないといいけど

  • SF としての面白さはあるけれど、この年齢設定で何でもかんでも結局はできてしまうのはどうなのだろうか。見せる弱さの割には強靭というか都合よすぎというか。歳の割には知性も思考能力も成熟しすぎているというか。
    スラングを訳し切れていないのはちょっともったいない。

  • 「地球は恐るべきバガーの二度にわたる侵攻をかろうじて撃退した。容赦なく人々を殺戮し、地球人の呼びかけにまったく答えようとしない昆虫型異星人バガー。その第三次攻撃に備え、優秀な艦隊指揮官を育成すべく、バトル・スクールは設立された。そこで、コンピュータ・ゲームから無重力訓練エリアでの模擬戦闘まで、あらゆる訓練で最高の成績をおさめた天才少年エンダーの成長を描いた、ヒューゴー賞/ネビュラ賞受賞作!」

  • 訳:野口幸夫 解説:山岸真
    すごい小説を読んだなという満足感の後で気分の悪くなる解説。本人は他に贔屓の作家がいて芯からは評価していないのかどうか、なんかちくちく問題ある作者のように誘導してくる文章。どれだけ世間の評価が高くとも自分はさほど評価してないならそれで構わないのに、いかにも公平な目線で語っているかのような口ぶりが嫌。
    あと精力的に活動していることの何がそんなに気に障るんだという言い回しだし、「倫理的なバイアス」ってなんだ。作品評価の軸は人それぞれだろうに、カードが倫理を軸にしたとしてなんの問題があるのか。恰も偏見にまみれているが如く「バイアス」という単語を選んだことも問題だし、自分は一切の偏見や好みや拘りから免れているかのような物言いに腹が立った。

    今は新訳が出ていて解説も別の方らしくて羨ましい。なぜよい小説を読んだ後でこんな気分にならなければならないのか。解説は作品と作者に相応しい人が担当してほしい。

  • また虫系の敵かよ、と思ったが、発表年月考えたらむしろ、早い方か。宇宙の戦士とか別にして。

    筋立てにまず、びっくり。

    さらにその先に驚き。

    唸った。これはすごいな。

    だが、肝心の訓練とか戦闘中のシーンが、目の前に浮かんでこない描写は割引き。

    んで、この、ガキどもの悪態っていうか、こういうのって日本人の感覚からすると、かなり違和感あるんだけど、こういうもんなんだろうね。

    正直、続編読む気にはならないが、面白かった。

  • とても面白かった。主人公の人間として、リーダーとしての苦悩に、最後に向かうほど引き込まれていった。

    アクションシーンも多いが、想像力の乏しさと文章の難しさで上手くイメージ出来なかった。

    中2の子どもの英語の宿題で本書の原書が課題図書の一つになっていたが、日本語でわからないものが英語でわかるとも思えない。

    続編がたくさんあるようだ。機会を見つけて読んでみたい。




  • 「無伴奏ソナタ」所収の短編の方を先に読んでいたので、オチは知っていた。それでも物語にどんどん惹きこまれ、ちびっ子エンダーに魅了された。最後のバガーとの意思疎通を自らの心の中に見出したシーンは感動した。しかし、私をしばしば現実に引き戻してしまったのが、この微妙すぎる訳。意図的なのかそれとも訳者の力量不足なのか分からないほど稚拙な訳もあった。特に会話部分。実に惜しい。

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