時間飛行士へのささやかな贈物 (ハヤカワ文庫 SF テ 1-10 ディック傑作集 2)
- 早川書房 (1991年1月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (381ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150109110
作品紹介・あらすじ
アメリカで行なわれた国家的なタイム・トラベル実験で、タイム・トリップ中に爆発事故が起きた。ひとつの空間に同時に複数の物体は存在できないという原則を破ってしまったらしい。時間飛行士たちの運命は…。表題作。ある日チャールズは、ガレージにいる父親がふたりになっているのに気がついた…。「父さんに似たもの」など、読む者を現実と非現実のはざまへと引きずりこむ、名手ディックならではの悪夢にみちた9篇。
感想・レビュー・書評
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ディック傑作集〈2〉時間飛行士へのささやかな贈物 (ハヤカワ文庫SF)
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2018.10.1(月)¥100(-15%引き)+税。
2018.10.15(月)。 -
あとがきによれば「ベスト・オブ・ディック」の再刊とな……じゃあ、再読だ( ´ ▽ ` )ノ
ぜんぜん覚えてなかったけど( ´ ▽ ` )ノ
ディックといえば、とにかくとっつきにくい文章という先入観があったんだけど、何の抵抗もなくスラスラ読み進められたのでびっくり(゚д゚)!
が、訳者が大瀧氏のものになったら、とたん引っかかりまくり……(´ェ`)ン-…
アーサー・クラー・久・C氏のものも、それほどじゃないけど読みづらく……(´ェ`)ン-…
……正直、全作大森さんに訳してもらえばよかったと思う(´ェ`)ン-…
作品そのものに関していえば、ディックの原点というか根源というか、原石の粗さと新鮮さが魅力だった( ´ ▽ ` )ノ。
ブレラン(電気羊)はもちろん、高い城、トーリコ(追憶)、流れよ我が涙、逆回り、ヴァリスなどなど、後の長編の元になったと思われる短編がいっぱい( ´ ▽ ` )ノ
あと2冊、続けてディックの短編集を読む予定( ´ ▽ ` )ノ
2017/02/21 -
短編集の1巻を読んだ時も感じたことだが、この人は設定を練って、無駄な描写無しに纏めるのが上手い。
収録されているのは所謂ディックが得意としている「自分が感じている自分は、本当に自分なのか?」「近親者は、ひょっとして別人に入れ替わっているのではないか?」もののストーリーが中心。
最早SFやショートショートものの定番の「え!?◯◯を知らないんですか!?」→知ってるフリをして話が進む系や、ヴォネガットを彷彿とさせる循環系もあったりと、バラエティーは豊か。
個人的に一番面白かったのは、「電気蟻」。
物語としても、設定も面白いし、終わり方が最高にカッコ良い。
残念賞は「父祖への信仰」かな。
設定=めちゃくちゃ面白い
舞台=西欧資本主義が立場が低い世界
中盤=ワクワクする!
ラスト=…は?
と、見事に「高い城の男」を思い出した。 -
ディック短編集2 前同
表紙 8点野中 昇
展開 7点1977年著作
文章 7点
内容 770点
合計 792点 -
全体的におもしろかった。表題作より「ベニー・セモリがいなかったら」「電気蟻」あたりのほうがよかった。
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ディックの短編集。セックス、ドラッグ、共産主義という話が少々わかりにくいが、それ以外はシンプルなエイリアンや時間旅行モノ。
全体的に、オチがちょっと怖いという作品が多くなっているので、どう読んで欲しいのかが非常にわかりやすく、明快。以前に読んだ短編集のように「音符が生物になる」というような、実験的な作品は少ない。
ディックらしく、科学的にはそれなりに検証されているような作品群だが、ただ1本「メンデル遺伝に則って、1対2対1」というのはありえない、AaかaAしか出ない作品があるのだが、そこは眼をつぶるべきかな? -
本屋に並んでいるディックの本が、ちょっとだけ縦長になり、お洒落な表紙に変わっていくのってディックの小説のようだ。
これってなんていう現象?ポジトロン現象?書影の出てこないこちらも次のポジトロン現象の対象か?
で、「電気蟻」を読み直したくて再読。
自分が電気蟻(有機ロボット)だと知った主人公が自分の現実が穿孔テープにプログラムされているものであると知る。パンチ穴を塞いだり開けたりすると、目の前の街が消えたり、部屋の中に鴨が現れたり。そこで、「究極絶対の現実」を知るためにテープを切る・・・。
穿孔テープというガジェットがなんとも時代的だが、パンチ穴をうまく使った展開。部屋の前に野鴨がふわっと出てくるシーンや、テープを切ったあとにみる「究極絶対の現実」が幻想的というかドラッギー。
今回、気づいたのがだ、ディックってなんとなく落語っぽい。
「てんしき」みたいな「アフター・サーヴィス」や、緊張するといきなりアメーバ状になってしまう「おお!ブローベルとなりて」などストーリー自体の馬鹿馬鹿しさが落語っぽいのがだ、「電気蟻」「自動工場」などの最後のオチの余韻が落語っぽい。
逆に、自分の死体を目の前にして、「この死体が俺なら、俺って誰?」という落語「粗忽長屋」なんてまさにディックだったりする。
「電気蟻」の落語版を柳家喬太郎で聞いてみたい。 -
面白い。
前作の短編集「パーキーパットの日々」よりもさらに面白く印象深い話が多い。
なかでも、この短編集の中で個人的に一番のお気に入りであり、自分がフィリップKディックという作家を忘れることができなくなった話が「人間らしさ」だ。
~~~~~~~以下、後書きより引用~~~~~~~
「人間らしさ」
わたしにとってこの作品は、人間とはなにかという疑問に対する初期の結論を述べたものである。この物語を書いたのは1950年代だが、その頃と比べて、私の観点はそんなに変わっていない。あなたがどんな姿をしていようと、あなたがどこの星で生まれようと、そんなことは関係ない。
問題はあなたがどれほど親切であるかだ。この親切という特質が、我々を岩や木切れや金属から区別しているものであり、それは我々がどんな姿になろうとも、どこへ行こうとも、どんなものになろうとも、永久に変わらない。私にとって、人間らしさはわが信条だ。願わくは、それがあなたの信条でもありますように。
~~~~~~~~~引用終了~~~~~~~~~
SF作家の考え方だろうか?とかく派手なテクスチャや荒唐無稽なストーリー展開などに目がいってしまいがちな作家だけれど、なにより、人間に対する素朴な、愛着のある考え方が背景にあるこういった文章を読むと、この人の他の作品もまた、ちがった目線でみえてくる。
ええ話じゃないか・・・