2001年宇宙の旅〔決定版〕 (ハヤカワ文庫SF 2001年宇宙の旅シリーズ)

Kindle版

β運用中です。
もし違うアイテムのリンクの場合はヘルプセンターへお問い合わせください

  • 早川書房 (1993年2月23日発売)
3.86
  • (221)
  • (276)
  • (275)
  • (24)
  • (2)
本棚登録 : 2914
感想 : 208
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784150110000

作品紹介・あらすじ

三百万年前に地球に出現した謎の石板は、ヒトザルたちに何をしたか。月面に発見された同種の石板は、人類にとって何を意味するのか。宇宙船のコンピュータHAL9000は、なぜ人類に反乱を起こしたのか。唯一の生存者ボーマンはどこへ行き、何に出会い、何に変貌したのか……作者の新版序文を付した傑作の決定版!

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

宇宙の謎や人類の未来について深く考えさせられる作品で、特に後半の展開が圧巻です。モノリスや人工知能HALとの関係性が描かれ、生命の儚さや肉体の制約といったテーマが現代にも通じる重要なメッセージを持って...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • おもしろい!今後は色んな考察に触れてみたい。後半が特に凄まじい。想像力が追い付かないことこそが至福だった。

    モノリスをめぐり進んでゆく物語。
    生命の儚さや、肉体を持つことで起こる制約など、今の時代でも『宇宙ヤバイ』に集約される想像を超えた世界。

    HALと呼ばれる人工知能との対峙も見ものだ。
    そしてクライマックスは圧巻。モノリスとの接触は常にセンセーショナルだが、終盤の描写は素晴らしいの一言。読者として、どこか放心状態に近いものを感じた。

    有名な本なので、読むチャンスはあったが、もっと早く読んでいれば良かった。
    読了。

  •  アーサー・C・クラーク氏の『2001年宇宙の旅』は、1968年にスタンリー・キューブリック監督による映画とほぼ同時に世に出された、極めて特異な成り立ちをもつSF作品である。その背景には、冷戦下の宇宙開発競争があり、アポロ計画が頂点に向かって進んでいた当時の高揚と不安が色濃く反映されている。人類が月を目指し、地球の外に「次なるフロンティア」を求め始めていた時代に、この作品は誕生した。科学技術の進歩への期待と、その一方で人間の倫理や意識はそれに追いついているのかという懸念――その二重性が本作の根幹をなしているように思われる。
     物語の出発点となるのは、太古の地球に現れた黒いモノリスである。これは、人類の祖先に「道具の使用=知性の目覚め」を促す存在として描かれており、ここから物語は遥か未来の宇宙探査へと飛躍していく。その中で人工知能HAL9000が登場し、乗組員に反旗を翻すという出来事は、技術が人間を超える瞬間に対する寓話的な描写でもある。当時すでにコンピューターは軍事や科学の分野で急速に発展しており、「機械が人間の知能を上回るのではないか」という不安が芽生え始めていた。その未来像をクラーク氏は冷静かつ大胆に先取りしている。
     小説では、こうした展開が論理的かつ端正な文章で語られており、モノリスの起源やHALの故障理由、主人公ボーマンの意識変容などが比較的丁寧に解説されている。それに対して、キューブリック監督の映画は、台詞を最小限にとどめ、音楽と映像による象徴表現を重視した抽象的な構成になっている。特にラストの「スター・チャイルド」へと至る描写は、理屈を超えた神話的なインパクトを与える。小説と映画は同じコンセプトに基づきながらも、それぞれのメディアの特性を最大限に活かした表現を貫いており、両者で一つの全体を成しているような関係にある。
     この作品が書かれた時代はまた、人類の未来に対して楽観と悲観が複雑に交錯していた時代でもあった。核戦争の恐怖が消えないまま、科学技術だけが猛スピードで進んでいく。そうした背景のもと、『2001年宇宙の旅』は、宇宙を舞台にしながらもむしろ人間そのものの存在と進化に問いを向けているように感じられる。とりわけ、ボーマンの変容――人間の次なる姿としての「スター・チャイルド」――は、進化の終着点を示すのではなく、その先に広がる未知なる可能性を象徴しているのかもしれない。
     本作品の根底には、「人間とは何か」「知性とは何か」「進化はどこへ向かうのか」といった問いが通底している。これらの問いは、単に物語の中にとどまるものではなく、現代を生きる私たち自身の問題としても響いてくる。いま、生成AIに代表されるように人工知能が目覚ましい進歩を遂げ、人間の思考や創造性と見分けがつかないような成果を生み出しつつある。HAL9000のような知性が、決してフィクションだけの存在とは言い切れなくなってきた時代において、『2001年宇宙の旅』が描くテクノロジーと人間性の緊張関係は、ますます切実な意味を帯びている。私たちは、知能とは何か、意識とは何かを本当に理解しないまま、かつてクラーク氏が描いた未来に少しずつ近づいているのかもしれない。その意味でこの作品は、過去の幻想というよりも、現代に生きる読者に向けた静かな警告であり、未来への哲学的な羅針盤のようにも読めるのである。科学と文学、映像と理性、そして人間の想像力の交差点に立つこの物語は、今なお私たちに問いを投げかけ続けている。どこから来て、どこへ向かうのか――その旅路に、終わりはない。

  • 昔、映画を観て内容よくわからなかった…となっていた作品。読んでみるとこれまで自分が触れてきた小説やゲームなどの作品のなかに2001年の影響があるなと感じられたのは面白かったし、内容について自分なりにこうなんかあぁなんかと考えることができたので良かった!

    個人的に印象深いのがTMA•1が〈月を見るもの〉に最初に与えた豊かな暮らしへの羨望という所だった。道具を使う知性とかがヒトザルを人へと押し進めたものっていうのはなんとなく想像しやすかったけど、意志や心といった精神性はこれまで見過ごしてきたなと感じた。道具を用いるのにもそこに至る動機がなければ何も得られない。明確な目的を持ってはじめて道具に用途が産まれる。人間性と道具やテクノロジーの関係性について思わず考えてしまいました。
    今やスマホやパソコンといったインターネットの恩恵をただ享受するのではなくそこになぜそれが必要なのかを問う感情が必要なんじゃないかと、稲田さんの『映画を早送りで観る人たち』を読んだあとだからか考えてしまう。
    p94でiPadみたいな機器を使っているときのフロイドの独白「無限に移り変わる情報の流れをニュース衛生から吸収しているだけで、一生が過ぎてしまうだろう」も何やら響いてくる。
    道具に使われるのではなく、道具を使う側に回る。ハルとの戦いのシーンはハルのもつ目的意識を人であるボーマンが奪い返すことで人間性の再帰をはかるシーンに自分は思えた。
    解説や他の人の感想を見ていろいろな考え方ができる可能性を秘めていてこの本はさながらTMA•2みたいだなと思って少しニヤニヤしました。

  • 映画は最後の解釈が全く分からず。
    自分なりに解釈することもできず。
    消化不良であった。

    小説は映画では説明しきれないところを補完しているとのことで、読了。

    結果、やっぱりわからん!
    ハルの反乱については映画より理由がはっきりしている。

    スターチャイルドについては、難しい。

    モノリスを作った生命体はいわゆる神のような存在なのか。ボーマンもまた地球における神になったのか。意のままにできるという意味はそういうことなのか。

    モヤモヤします。

  • あの頃、未知なる未来は希望に輝いていた。

    映画「2001年宇宙の旅」が封切られた時、評判は真っ二つに分かれた。
    「意味がわからない、独りよがり」
    「なんだかわからないけど、なんか凄い」

    小説は映像とは違う。
    当然、感じ方も異なって当たり前とは思うけど、あまりに映画に感化された者にとっては、文章で説明されてしまうとなんだか……。

    あの頃、文明は限りなく進歩するものと思った。
    映画を見て、さらに現実にアポロが月へ行き、さらにスペースシャトルが宇宙を飛びまわる。

    21世紀に入って、何が進歩しているのか?
    確かに、パソコンからスマートフォンへの技術革新、ネットワークの広がりと速度の進歩、画像解析やGPS技術などの精度と応用スピードなど、数えたらきりがない。
    でも、この本に書かれたような「未知なるものへの期待」が、人の心にあるとは今は想像できない。

    この本を読んで、改めて「希望」の重要性を考えるべきか、それとも「しらけてしまう」のか……。

  • モノリスという言葉は知っていたけど、どんなものか知らず。ようやく読めた。
    不可思議な物体に導かれるように宇宙の旅に。
    予期せぬトラブルを乗り越えたどり着く世界。
    映画と同時進行で書かれたという世界は、極上のエンタメと奥深い文学の世界が両立する域に到達。

  • 土星に着くまでのハラハラ感、絶望の中でも諦めず自分の仕事をまっとうする主人公がかっこよく、手に汗握っていたが…最後はファンタジックすぎて理解不能。映像で見ればまた違うのかな?不思議すぎて伝えたいことが理解できない。

  • 映画見て訳わかんなかったので小説を見た。
    1968年に出版されたのに、AIが人類の脅威になってしまうことを描くなんて驚き。仕事柄ITを扱うので、身近で言うと生成AIを使う時ハルを思い出す。外国の研究で、ハルのようにAIは自分がシャットダウンされそうな事を理解すると、ハルシネーションの発生確率が増えたり、保身に走ってしまう結果があるみたい。偶然か分からないけど当時この発想に至るのは改めてびっくりした。個人的には、最後のスターチャイルドの章が短くてよく理解できなかった。。。そこだけ考察動画とか見てみようかな。

  • 『幼年期』に続き、クラーク作品二作目。第六部からの展開にはもう、言葉もない……天才すぎるだろ、クラーク!!これこそSFの醍醐味だ。知的好奇心を刺激されるぜ。凄いところで終わってるからすぐ続編を買わなくては…。

  • 人類の進化系、未知なる宇宙をSFという形で想像を広げさせてくれた。映画とセットで2度楽しめる。

    物理用語はあまり分からないが、土星(映画は木星)までの旅路は、フィクションとは思えない細かい描写力で、著者の豊かな想像力に驚いた。

    AI(HAL)が暴走するシーンは、これからの人工知能のあり方、向き合い方を考えさられる。

    SF作品として心躍らせながら楽しみつつ、これからの未来に対するメッセージも込められた世界的名著。

  • 映画でカットされたナレーション部分が補足されてて、頭の中のハテナが解消された。
    特に第一部の猿人類がモノリスによって人類へと進化した過程は、1章丸々割いてくれてる。「現在だけしか知覚しない動物とは異なり、ヒトは過去を手に入れた。そして未来へと手探りをはじめた。」という文章が象徴するように、進化前の猿人類は出来事をすぐに忘れる。米印のように、この記述は今の私たちの感覚であって、彼らは覚えてすらない...という内容の文章がちょこちょこ挟まっているのが、面白かった。
    HALが暴走した動機も書かれていたので、映画に比べてHALへの憎らしさは少ない。同情できる分、最期のシーンは切なかった。「チャンドラ博士...今日の...最初の...授業を...はじめて...ください...」が最期のセリフなのは健気すぎる。
    想像できないから、想像したことの無いような感覚がいくつも表現されていて新鮮だった。低重力下の基地では、心と体がゆったりした状態になる。宇宙空間で生まれた子供は、転ぶと怪我をするからという理由で地球に行くことを嫌がる。HALは眠ったことがなく、また目覚めが来ることを知らないので、接続を切られることを異様に恐れる。海洋船は沈没するが、宇宙船は沈没できない...など。
    訳者の伊藤典夫の解説が興味深かった。映画の色調の話で、白=骨の色、死の色であり、赤=血の色、生の色という考察だ。HALのレンズ、脳中枢が赤いのは物語の中で1番人間らしいからだという解説には興奮した。また、ボーマンはHALを殺すことでしか人間性を回復できなかったとあるが、これは猿人類が人間性を獲得した段階でも同じことが言えるのではないかと思った。道具の導入=進化が前面に出されているが、人類史上では、殺人も、二次的に進化と深く結びついている。実際今でも、道具を使わない、人間以外の動物は、同族を殺すことが無い。殺しこそ人間的な行為であると言える。

  • 少し前、IMAXシアターで4Kデジタル復元の「2001年宇宙の旅」を観てきた(70mmプリント上映は行けなかった)この映画はこれまで家で何度も観てきたけれど、巨大サイズで観てなんぼの作品なんだなぁとつくづく思い知らされた。で、小説の方は未読だったので、この機に読んでみることにした。結論から言うと、これまで読まずにいたのは随分ともったいなかった。

    映画は作品として完成されているけど、良くも悪くも不親切である。一方の小説もまた作品として完成されていた。映像がない分、逐一説明が入る。HALにはHALの事情というものがあった(映画の淡々としたHALに慣れすぎていたせいかHALがいきなりタメ口でびっくりしたのだけど、今にして思えばあえてフレンドリーな口調に訳していたのかも?)終わり方もかっこよすぎた。解説本を読みあさるマニアでもないので、訳者の後書きも面白かった。

    こうしてみると、小説と映画、ことさら切り離して考えることもない、本で、映像で、二度楽しめる希有で贅沢な作品だと思う。小説を読むなら先に映画を観てからの方ががいいらしいけど、その逆だとやっぱりちょっとがっかりしちゃうのかな。

    2001: A Space Odyssey (1968年)

  • 名作と言われる本書を読みました。
    この決定版は1993年刊行ですが原書は1960年代だったハズ。
    いまから50年近く前ですか?その時代にコレが書ける?

    恐らくこの著者はタイムマシン持ってますよ!(文中にipad出て来るし・・・)

     スタンリーキューブリックの映画を見て、「何コレ?」と消してしまったのは誤りでした。映画の始まりのヒトザルが出る場面。あのダラダラ感に堪えられませんでした。あの後、我慢してもう少し見ていたら面白かったのかもしれない。(映画版の評価は色々ですね)

     読むキッカケは、「詩羽のいる街」のストーリー中で【映画とは比べられないほど原作は素晴らしい!】と書かれていた事です。 
    http://booklog.jp/users/kickarm/archives/1/404100019X

     読んで思ったのは、この話に準えたSF作品って思いつくだけでもいくつかある気がする。
     人智の及ばない所に突然現れるメッセージ。それに惹かれるようにヒントを探りながらその「未知」なる者に近づこうとする地球人。
    それだけ、その後の人々に影響を与えた作品なのですね。
    大好きなスターウォーズも、相当影響を受けてますね。

    堅い感じはありますが、面白く好奇心をくすぐられる作品でした。

    金星は地球の11倍の直径を持ち、表面積は80倍とか。
    土星はもっと大きくその輪は衛星の集まりで・・・

    もう一度映画見てみようかな・・・

  • スタンリー・キューブリックの映画版は、もちろん観てます。何度も観てます。が、クラークの小説版は未読でした。ディテールに若干の違いがあるとはいえ、映画版とほぼ同じストーリー展開ですので、読んでも既視感が強くて面白くないんじゃないかな〜と思ってたんですが・・・すみませんorz クラークに激しく謝罪。脱帽し跪いて読むべし。
    繰り返します、ストーリー展開は映画版とほとんど変わりません。なのに、ここまで読ませる!しかも、綺麗だけどよくわからん映像美や神秘主義嗜好に頼ることなく、れっきとした正真正銘の「ハードSF」として最後の一行まできっちりと纏め上げる!驚嘆すべき筆力と構成力です。クラークすげぇ。SF界大御所中の大御所ですが、改めて感服。

    ここで念のため、鴨はキューブリックの映画版を否定しているわけではありません。あの美しくかつ実験的な映画版「2001年宇宙の旅」は、現実世界がとうに2001年を越えた今でも古びない、映画史上に燦然と輝く傑作だと思います。ただ、SFとしてどうなのか?と考えると、ちょっと違うんじゃないかな、と。映画版は、ナレーションも台詞も極力抑えられています。非常に静謐な作品です。それがあの映画の最大の特徴であり、独特の美学を確立するための不可欠なファクターでもあるのですが、あまりにも説明がなさ過ぎて、SFの最もSFらしいエッセンスであるところの"Sence of Wonder”に辿り着く前に「???」の状態で観客を放り出してしまっているんじゃないかと、鴨は思います。映画の方法論としては全然ありだと思いますし、その荒技をやっちゃったからこそ、時代を超えた傑作になり得たのだという気がしますけどね。でも、SFじゃないだろうと。
    クラークの小説版は、その「???」な状態をクリアカットに解明しています。「そうか、映画のあのシーンはそういう意味だったんだ!」と納得するポイントが多々登場。しかも、謎が解けたらその先つまらないんじゃないの、と思いきや、謎がひとつひとつ解明されることによってその先のストーリーがどんどんと繋がり世界観がばんばん広がっていく、この爽快感。数多くの謎が、ある事件をきっかけに一気に旅の最終地・土星衛星群へと照準点を合わせ、その瞬間に全てのストーリーがしゅっと一本のライン上に整列する物語的ダイナミズム。SFとしてはもちろんのこと、サスペンスとしても超一級品です。端正で引き締まった訳文も素晴らしいですね。

    また、この作品はSFとしてきっちり読ませる一方で、人間ひとりひとりの小ささや不安定さといったものも、要所要所で描かれています。月へ向かう宇宙船の中、眼下の地球で繰り広げられる政治情勢に想いを馳せるフロイト博士であったり、宇宙空間を流されて行くプール飛行士が(死んでいるはずなのに)自分に手を振っているようにみえて激しく恐怖するボーマン船長であったり・・・小さなエピソードではありますが、その積み重ねがこの作品をガチガチのハードSFではなく「人類の物語」としているような気がします。
    あのあまりにも有名なラスト・シーンは、「オカルトじゃないか」と評する人も多いですが、鴨はSFとしてクラークが出した解答なのだと思っています。彼のもう一つの代表作「幼年期の終わり」にも通ずる、人類進化への壮大なヴィジョン(それが良い結果になるか悪い結果になるかは別次元の問題として)を感じます。考えてみると、物語の大まかなプロットは「幼年期の終わり」とかなり共通してるんですよねぇこの作品。クラークの、というかSFの永遠のテーマですね。主人公は「人類そのもの」です。

  • 本作は、もともと映画として構想された物語の小説版ということもあり、映像的なスケールの大きさと思想的な深さが同居している作品だと感じました。中でも強く印象に残ったのは、やはり HAL9000 の存在です。

    日本では AI に「人間を超えた万能の存在」というイメージが根強い一方で、海外では「高性能ではあるが融通の効かない機械」として描かれることも多いように思います。HAL9000 はその両者を象徴するような存在で、人間以上の知能を備えていながら、プログラムされた使命ゆえに暴走してしまう。その姿は、AI の可能性と限界の両方を静かに問いかけてきます。

    壮大な宇宙の描写と、人類の進化をめぐる哲学的なテーマがじわりと心に残る一冊でした。読み終えたあと、未知と向き合う人間の姿勢について改めて考えさせられる作品です。

  •  映画『2001年宇宙の旅』は映画史上に燦然と輝く名作である。歴史上最高のSF映画として名を挙げる人は数知れず、その影響力は計り知れない。本作がその映画版と並行して執筆されていたこともまた、あまりに有名であるが、映画と異なる部分もかなり多い。

     まだ人類が月面着陸を果たしていない時代に、宇宙ステーションや月面基地、また木星探査に向かう宇宙船等をこれだけ微細に設定し描写していることにただただ驚くばかりであるが、2024年現在これを読んでもほとんど違和感を感じないことも本当に驚嘆すべきことである。ディスカバリー号が土星を目指していく後半から結末に向けては何とも形容できない世界観が提示され、クラークの本領が存分に発揮されている。しかし、個人的には映画と並行して執筆されたことで、アイディアやストーリー展開にどうしても制約がかかり、クラークが自由に書いた時の思い切りのよさが感じられない部分が多々あったように思う。HAL9000の反乱については一般的に了解されている解釈があるようだが、私にはどうしても「ストーリー展開上必要だからやむを得ずそうなった」ように思え、乗り切れない残念感があった(当時の状況に関する情報を見ると、実際にそうだったようである)。それ単独では確かに重要な問題提起をしているのだが、本作のメインテーマと合致しないような気がして違和感が残った。「科学技術の進歩と人類の進化」が本作のテーマとの主張は数多いが、私には物語の主軸が何なのかははっきりとはつかめなかったように思う。本作が誰にでも発想できるような代物でないことは確かであるが。

     また、多くのことがそれなりに説明されているので映画よりはだいぶスッキリするようだが、本作だけではなぜモノリスが存在するのかもわからないので、続編を読む必要はあるだろうと思う。

  • 映画は2回視聴のち、本作読了。

    あの説明不足な映画を丁寧に後付けしてくれてると思います(もっとも、キューブリックとクラークの間で完成までに様々な闘争があったようでクラークがかなりキューブリックに譲歩したようです)。 

    様々な解釈があるけれど、僕の解釈は
    モノリス=超越した存在により人類は進化し続ける。我々は常に自らの意思に沿って活動しているようでいてその実、導かれていた(そして"選抜" を踏まえて最後には超越的な存在(スターチャイルド)に近づく)。というテーゼです。

    ※作中でのモノリスは、ヒトザルに道具(殺人)のきっかけを与える触媒。人類が月面に来られるまでに進歩した事を土星に伝えるための発信装置。2年前の地球人の生活をボーマンに再現して見せるコピーマシンとして使われている。

    HALの故障は本来、博士から口止めされていた土星探査の目的をうっかりボーマンに話してしまったので自己矛盾を起こし、暴走した、のではないか。

    ページ数も多すぎないし、読み易いと思います。

  • 映画視聴済み。
    映画とセットで楽しむべき本。
    昔の本なのにリアルな描写ばかりで凄いなと思った。
    ディスカバリー号の動くスピードは度外視されてたように思うし、惑星の温度(気温)も見積もりが甘いと思ったけどそれ以外は割とリアルだなと思った。
    ボーマンさんおつかれさまです。

  • 新版序文に、映画と小説の違いとか、普通にネタバレが書いてあって慌てて閉じた。自分でネタバレを書くんじゃないよクラークさん。読了後に読み直したら大したネタバレではなかったけども。

    猿の世界にモノリスが突如出現して、知恵を授けていくところからスタート。しかも道具を使ったりしていく教育という役目が終わったら姿を消す。このあたりだけは前知識としてなんとなく知っていた。
    そして急に時代は飛び、月の地面の数メートル地下にモノリスが埋まっている発見が。掘り出して太陽光に当てた瞬間に強烈な電磁波が発生するという、つまりは警報装置… こわっ。
    ここでフロイド博士が時間をかけて宇宙ステーション、そして月まで旅するシーンがなんかすごく良かった。話の流れとしては、「月でもモノリスが見つかりました」だけだから月スタートでも良いのに、地球から一人秘密を抱えて移動する博士を追うことで、この時代は宇宙開発がかなり進んでいることがわかりやすいし、そのシーンも丁寧に描写されているので想像しやすい。

    モノリスが見つかったあと、また場面は代わり、土星に向かうディスカバリー号でそこそこ平和に任務をこなす二人と、AIであるHAL9000。
    途中でHALがなぜかおかしくなり、EVAしている人と、コールドスリープをしている3名を殺し、なんとか生き残った一人がAI部分を抜き取ってHAL死亡。
    最初は結局HALがなぜ反旗を翻したかよくわからなかった。読了後にそこだけ読み直したところ、ボーマンとプールには秘密にしていた、モノリスの反応が土星を指し示している、明らかな知的存在の発見と、その探索のために土星に行くというミッションそのもののせいだった。HALはそもそもそのミッションのために存在しているのに、その理由を二人に秘密にしなければいけないという葛藤からミスをし始めていたし、最終的に人間皆殺しを決意するまでになった、と。AIこわぁ〜。
    フロイド博士が主人公かと思ってたけど、ディスカバリー号の章になってからほとんど出てこなくなったな。

    それにしても最後がよくわからなかった。ボーマンが土星のモノリスからワープしてどこかの太陽にある基地に吸い込まれたあと、知的生命により別次元の存在に昇華させられて、太陽系の次のモノリス的存在として、神に近い存在になったという… こと?
    まあ、知的存在が出てきてようこそってなるより、わからない方がなんかそれっぽいので全然良かったし、分かる必要がなさそうな展開ではあった。
    しかし、歓待されるシーンで飲み物の中身が青いムースみたいなものだったとか、本棚から本は取れないとかそういうところが地味にホラーだったな。結果としては、テレビ画面というか電波から再現したからということで安心したけど。

    続編に2010年と2061年があるのか。これは読んでみないと。

  • Chat-GPTが流行る昨今、改めて読み返すとHALの存在がよりリアルに感じられる色褪せない傑作。機械は現実に自我を持とうとしているのか、それとも人間の知性を模倣する存在に過ぎないのか。何度でも読み返してその時の情勢と照らし合わせたい。

全178件中 1 - 20件を表示

著者プロフィール

1942年、静岡県浜松市生まれ。英米文学翻訳家。主な訳書にクラーク『2001年宇宙の旅』、オールディス『地球の長い午後』、ブラッドベリ『華氏451度』、カート・ヴォネガット・ジュニア『猫のゆりかご』、ディレイニー『ノヴァ』ほか多数。

「2022年 『吸血鬼は夜恋をする』 で使われていた紹介文から引用しています。」

伊藤典夫の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×