砂漠の惑星 (ハヤカワ文庫 SF1566)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (319ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150115661

感想・レビュー・書評

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  • レム・コレクション第2期の刊行が密かに宣言され狂喜乱舞している今日この頃。第1回配本はこの砂漠の惑星とのことなので、数十年振りに読み返してみました。
    琴座星系の惑星で消息を絶った調査隊の捜索に向かった無敵号は、行方不明の乗組員と宇宙船を発見するのですが・・・
    あくまで人間中心に自然を開拓し、征服していくことを正とする思想を批判する姿勢は強烈です。すでに60年代にこの作品は著されているのですが、21世紀の現在に至っても人間中心、自分の都合中心は変わっていないようです。

    震災からの復興はその後どうなった!?旅はキャンプをしながらの旅でした。最近のキャンプ場や公園は綺麗な芝などで「快適」に整備されていますが、明け方にその芝生一面に何十羽のカラスで埋め尽くされるという異様な光景を見ることとなりました。街の中心部の公園にまでクマが出没して立ち入り禁止になるなど、人間の都合をねじ込んだだけの「自然な雰囲気」を演出してる環境が多くなってきたように思います。かえってバランスを崩して快適さからは程遠い不気味な敵対するような反応を示すようにさえ思えてしまいます。

    自然や宇宙、そこで進化した生き物(機械生命なども含む)も含めて人間に都合良く存在しているものは何も無い。それは、敵と思うことすら誤りで、自然は行為に対して純粋に反応しているだけなのだという、レムからのメッセージが思い出されました。パンデミックもしかり。これだけ我慢したからもういいはずだ、政策が良い悪いなどの感情や批判は関係なく、全て我々が行動した結果なのだという、人間中心ではない自然の摂理を思い起こして謙虚になるべきだと思い知らされます。

    第2期レム・コレクションはどんな配本になるのか楽しみです。

  • 新版の邦題『インヴィンシブル』は皮肉たっぷりだなあと
    内容は全く覚えていない…ただ戦車と虫の死闘を繰り広げる描写に興奮したことは印象に残っている。

    『ソラリス』よりもこちらの方が好みだった。人間に焦点が当てられているし、ミステリーやミリタリーの要素も絡んでいるのが好き。
    キュクロペスと虫の戦闘は圧巻。最終兵器同士の闘争に人類が介入する余地はない…

    ラストで主人公が無敵号に帰還する場面は、「無敵」とは何か考えさせられる。

  • 巨匠の名作と言われてる作品。
    Duneと区別がつかなくなりそうだが、全くの別物。

    初見ではなく、読み直しだということに、読み始めてから気づく。
    異文明とのファーストコンタクトをめぐる作品。
    タイトルから展開し、謎は回収されない。
    地味なのでまた忘れると思う。

  • ダラダラ文章、長い、飽きると言う感想がチラホラです。
    その通りです。
    そのダラダラ感が少しづつだんだん良くなってくるのです。
    本作品、愛と勇気と友情で火事場のクソ力を発揮してラスボスを倒すなんていう作品ではありません。
    そんなことを期待して読んでたのなら、今宵、草木も眠る丑三つ時、著者のレム氏があなたの夢枕に立って恨みと軽蔑に満ちた視線を送るでしょう。

    著者のもう一つの傑作「ソラリスの陽の下で」映画化の際、科学的な会話、自己の内面で万華鏡のように繰り返えされる思考実験の部分を潔くぶった切って、恋愛SF映画にして著者を大激怒させたのはタルコフスキー監督です。

    本作品の「味」は著者の豊富な科学知識を駆使した会話のキャッチボールです。
    本作品を最も楽しむには映像や漫画ではなく活字です。

    作品中、延々と繰り返される科学技術や天体用語てんこ盛りの仮説と仮説の応酬、。
    そうした活字通しの掛け合いを通じて、未知の生命体のディテールを少しづつ焦らしながら明らかにしていくとところが本作品の醍醐味です。
    日経サイエンスやニュートンなどの科学雑誌ラブの方々なら萌えること請け合いです。

    ところで、本作品が発表されて1963年を振り返ってみます。
    ハイラインが「夏への扉」を発表した年です。日本では鉄腕アトムの放映が始まりました。
    「2001年宇宙の旅」公開は4年後です。
    コンピュータでは言えば、ようやっとタイムシェアリングシステムが登場して、一台の大型コンピュータに複数のモニターとキーボードをつなげられるようになりました。

    このような時代、著者であるレム氏はその科学や天体に対する深い知識を駆使して、半世紀後も読み継がれる傑作を発表した業績には只々畏敬する以外にありません。

    今回、本作品を読み直してる時、夕方なのでスマートスピーカーの音声対応機能で部屋の照明をつけました。
    小説中、わからない用語が出てきたのでアレクサに尋ねるとWikiPediaを読み上げてくれました。
    ペルーの知り合いからメッセージが届きました。「FIFAワールドカップでエクアドルが失格かも」とのこと、
    日常のスペイン語程度なら辞書なし返信文を書きましたが、込み入った内容はGoogleの自動翻訳機能を使いました。
    休日出勤中の同僚がお節介にもミーティングの予定をGoogleカレンダーの放り込み、タブレットに忌々しい予定追加の知らせが表示されました。
    雑事が終わって読み直す時、バッハのコラール635を聞きながら読みつづける気分にならなかったので、音声対応機能でBGMをヨハン・ヨハンソンに切り替えました。

    60年前の科学と天文学の最先端を駆使したSF小説、今時の普通の技術ので囲まれた生活の中で読み返してます。

  • 未知の存在とのコンタクトを描いてはいるが
    多分に観念的で、コンタクトに至る過程や
    コンタクトシーンのドラマ性や派手さを
    期待すると、肩透かしを食らうと思う。

    全体的に会話と思考、行動の記述がメインで
    ハラハラドキドキとかはあまりない。

    ただ、無駄な記述も少ないので
    淡々と読んでいく味わいで
    地味さが気にならなければ。

  • 消息を絶った宇宙船に何が起こったのかを確かめるために、砂漠の惑星へと向かった「無敵号」が、その惑星の無生物圏の脅威に晒され挫折しながらも、生還するという勝利を収める小説。
    機械同士の激しい戦闘描写や深い学問知識に基づいたSF描写、宇宙船内の隊員たちの組織の描写が非常に面白かった。砂漠の惑星でサバイバル。
    知識のあるレムだからこそ、科学の力を人間が完全に御することができなくなる日がくるという実感を強く持ってこの小説を書いたのかもしれない。その科学の力とは他ならぬ核の力なのだが。この小説が書かれたのは1964年なので、その頃の世界情勢も加味するとそのように考えられる。
    人間の力では御しきれない科学の力の前に、人は敬虔であらねばならないし、何としても生き延びるということこそが真の勝利なのだろう。

  • 沼野充義訳の『ソラリス』が文庫化される前に……というこで購入した既刊の中の1冊。
    ジャンルとしてはファーストコンタクトものか。
    冒険SFのような体裁ではあるが、登場人物が延々と議論しているところは、東欧文化圏の作家らしいと感じた(偏見かもしれないが、ロシア文学を筆頭に、登場人物は大抵が議論やお喋りが好きで、延々と話合うシーンがけっこう多い気がする……)。
    『無機物が如何に進化するか?』というテーマが面白かったので、『無敵号』の面々にはもう少し掘り下げて語り合って欲しかったw なんやかんや言ってロシア文学の議論やとりとめのないお喋りが大好きなのだ。

  • 琴座系のはずれにあるレギス第三惑星。そこは砂に覆われた無機物の惑星。宇宙船無敵号は、かつてこの惑星の調査のために訪れるも消息を絶った宇宙船コンドル号の捜索を目的に、不毛の大地に着陸する。主人公ロハンを含む調査隊は、早速捜索を開始。やがてコンドル号とその乗組員の遺体を発見するが…

    本書は単なる未開惑星での冒険活劇ではありません。登場人物は(無駄に)多いのですが、その内面については、主人公のロハンや無敵号の隊長ホルパフでさえ、中途半端な描写があるぐらいで、個々に焦点があたることはありません。いわゆるドラマが見あたらず、時には冗長な説明が続くところもあり、退屈に感じる場面もちらほら。しかし、それでも本書に魅力を感じるのは、レム自身も評するように、本書が「文学作品」であるためです。その片鱗が見え隠れする中盤以降は、思いを巡らせながら読み進めることに。最後の章では、レム自身が込めた思いを超えて、深く考えさせられることになりました。

    さて、レムが本書で表現した思想は、訳者あとがきにて、レム自身の言葉で読むことができますが、ここでは割愛。
    個人的には、砂漠と機械の世界では人間のいわゆる理性が異質であり、最後の章で表現されたその理性がなぜか滑稽で無駄なものに思えてしまいました。これはレムの考えとは逆行するんだよなぁ…
    もうひとつ。終盤、砂漠の惑星の脅威に対抗しようとする無敵号の科学者を横目に、ロハンは思案に耽ります。このロハンの思い(下記にて引用)は、レムの思想を深く反映していますが、それと同時に、執筆当時(1962~1963年)のいわゆる冷戦下、核武装による軍備拡張の世相を痛烈に批判しているように感じて止まないのです。

    「われわれの行く手に立ちはだかっているのは、誰かの目論見でも、誰かの敵意でもない。単に生命のない自己組織の動きにすぎないではないか……そんなものを抹殺するために、ありったけの武器やエネルギーを消費する必要がどこにあるのだろう?」
    「宇宙には、このように、人間の理解を超えた気味悪い現象が、どれほど多く秘められているのかわかったものではない。しかし、だからといって、われわれは、われわれの知識の尺度では計れないすべてのものを撃破しつくすことを目的にして、どこへいくにも強力な破壊兵器を積んでいかなければならないのだろうか?」
    「われわれはわれわれの武器や機械をあまりにも過信していた。だからこそ、取り返しのつかない過ちをおかしてしまって、いまその報いを受けているのだ。悪いのはわれわれだ。悪いのはわれわれだけだ。」

  • 原題「無敵号」。
    作に敬意をこめて、最高に満足したとだけ記録しておく。

  • これは長い。冗長。

    最後の一章のためにそれまでの章がある。本当に。

    途中で主人公も言っているが、もはやこの惑星にいる意味が分かっているのか?と思う。探索に行くとほぼ壊滅して、すでに搭乗員の半数もやられている状況で、惑星に居続けるのは相当な理由が必要。
    結局最後に探索に行くのは、生きていないと分かっていながらの人命救助のためと書かれるが、これはもはや弱い。

    隊長の急に見せる弱気さも相まって、ストーリー的には駄作。


    が、ストーリーでも最後の一章は魅せてくれる。疲労感の中で次々と死体を発見していくところはさすがに悲しい。これがレムか。どうしようもない現象に遭遇すると、どうしようもない。そのどうしようもなさを受け入れて、この場合回避するのみ。
    主人公が開き直るところは、星新一の処刑を思い出す。


    生存競争で生き残る最強の無機生物?とは、について大風呂敷を広げていているようだが、さほど新規性があるとは思えない。

    大風呂敷広げるだけあって肝心のアイディア周辺の科学的記述はしっかりしてる印象。便利なバリヤー(なぜか磁場はバリヤーしない)とかは出てくるけれども。

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著者プロフィール

スタニスワフ・レム
1921 年、旧ポーランド領ルヴフ(現在ウクライナ領リヴィウ)に生まれる。クラクフのヤギェロン大学で医学を学び、在学中から雑誌に詩や小説を発表し始める。地球外生命体とのコンタクトを描いた三大長篇『エデン』『ソラリス』『インヴィンシブル』のほか、『金星応答なし』『泰平ヨンの航星日記』『宇宙創世記ロボットの旅』など、多くのSF 作品を発表し、SF 作家として高い評価を得る。同時に、サイバネティックスをテーマとした『対話』や、人類の科学技術の未来を論じた『技術大全』、自然科学の理論を適用した経験論的文学論『偶然の哲学』といった理論的大著を発表し、70 年代以降は『完全な真空』『虚数』『挑発』といったメタフィクショナルな作品や文学評論のほか、『泰平ヨンの未来学会議』『大失敗』などを発表。小説から離れた最晩年も、独自の視点から科学・文明を分析する批評で健筆をふるい、中欧の小都市からめったに外に出ることなく人類と宇宙の未来を考察し続ける「クラクフの賢人」として知られた。2006 年死去。

「2023年 『火星からの来訪者』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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