華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

  • 早川書房
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本棚登録 : 2688
レビュー : 227
  • Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150119553

作品紹介・あらすじ

SFの抒情詩人が豊かな感性と叡智をこめて現代文明を痛烈に諷刺! 名作待望の新訳版華氏

感想・レビュー・書評

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  • ディストピア小説の古典的名著といえば、まず名前が挙がるのがジョージ・オーウェルの『一九八四年』、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』だが、それらの小説に勝るとも劣らないのが1953年に上梓された、SF作家レイ・ブラッドベリの描いた焚書をテーマとした本書『華氏451度』である。

    この『華氏451度』とは紙が燃え上がる温度のことで、摂氏でいえば約232度の高温のことである。

    本書で描かれるのは、本の所持が禁じられた未来社会。

    主人公のモンターグは、本を発見したらそれを昇火器で昇火することを生業とする昇火士(ファイアマン)である。

    本を焼却することになんの疑問を持っていなかったモンターグであったが、本を守ろうとして彼が一緒に焼却し、殺してしまった女性の姿を見て、本には命をかけるほどの価値があるということに気がつき、焚書社会に反抗していく姿が描かれていく。

    ここに描かれている社会は、もちろん架空の社会であるが、深読みしてみると非常に現代社会と状況が似通っている部分が多い。

    本書に出てくる多くの人が夢中になっているのは「ラウンジ壁(スクリーン)』と呼ばれるテレビに似たような機械で、これは自宅内に設置されており、見るものに対していろいろな情報や映像を提供し、さらには簡易な会話なども楽しめる。

    人々は、本を読むことを禁じられ、常にこの「ラウンジ壁」を見ながら自ら考えることを放棄し、「ラウンジ壁」からの情報を鵜呑みにし、それに依存してしまっている状況にある。

    この本を読んでいて、ふと思ってしまった。
    この「ラウンジ壁」は、今の社会でいえばまさしくテレビであり、さらに言えばテレビよりもインタラクティブな機能をもっている「スクリーン」、つまりまさにスマートフォンのことになるのではないだろうか?

    現代の人々は電車の中でも、食事中でも、いつでもどこでも手の中にある光る板を眺めている。恋人とのデート中でさえ、相手の顔を見ているよりもスマホを見ている時間の方が長いのではないだろうか。

    約15年前、あのiPhoneが登場するまでは、人々のその手の中にあったのは新聞であり、文庫本であり、漫画雑誌であったのだが、その光景は今や一変してしまった。

    「すべてのスマホが悪だ」などということを言うつもりは毛頭ないが、皆が多かれ少なかれ「スマホ中毒」状況にあるのは間違いないだろう。
    この状況は、ある意味においては、本書で描かれている世界よりも「異常な世界」なのかもしれない。

    話を戻すが、現代社会はもちろん焚書社会ではないし、本を読むことも所持することも当然自由なのであるが、ここに驚くべき調査結果がある。

    若干古いデータで申し訳ないが、文化庁が平成30年に16歳以上の男女3590人に調査した
      「1か月に大体何冊くらい本を読むか」という問いに対して
      「読まない」と答えた割合が47.3%、
      「1、2冊」と答えた割合が37.6%
    なのである。
    つまり、約85%の人たちは「月に2冊以下」しか本を読んでいない状況である。
    このような数字を見ると、今の私たちはあえて自ら「焚書社会」を作り上げ、そして「スマホ社会」に移行していると言っても過言ではないだろう。

    本書に描かれた社会と現代社会が直面している状況はまさに紙一重といっても良いのかもしれない。

    このレビューを読んでいる人は、誰もが毎月それなりの冊数の本を読んでいる奇特な人たち(笑)だろうが、もしこの本を読んだとしたらそれぞれ思うところがあると思うので、未読の方はぜひ手に取ってもらいたい。
    本書は、焚書社会を通じて破滅へ突き進んでいく社会を描いたディストピア小説の傑作である。

  • すごい本だ。
    もしも、政府が国民から知識を奪い思考能力を奪い国のために争いへと駆り立てようとしようとするときには、真っ先に焼かれるような。

    「本はなにもいってないぞ!人に教えられるようなことなんかひとつもない。信じられることなんかひとつもない。小説なんざ、しょせんこの世に存在しない人間の話だ、想像のなかだけの絵空事だ。ノンフィクションはもっとひどいぞ。どこぞの教授が別の教授をばか呼ばわりしたり、どこぞの哲学者が別の哲学者に向かってわめきちらしたり。どれもこれも、駆けずりまわって星の光を消し、太陽の輝きを失わせるものばかりだ。

    お前は迷子になるだけだ。」


    本の存在の許されない世界で、主人公のモンターグは昇火士として本を燃やし続ける。しかし、ある少女との出会い、通報を受けて駆け付けた一軒の家、そしてそこに住む老婆とのやりとりから、自分の行動に疑問を持ち始める。

    政府の政策により、本は燃やされ、子どもは幼いうちからひったくられるように学校へ、家族で語らうためのポーチは取り壊され、国民にはひたすらに娯楽が提供され続ける。国民は従順に娯楽を消費し続け、子どもがいなくてせいせいすると喜び、本が燃えるのを見て楽しみ盛り上がる。憂鬱や悩みは排除されるべきものと忌み嫌われ、それを見ないようにするために更に娯楽を消費する。

    読んでいてぞっとした。これが約70年も前に書かれたお話。このディストピアは確実に近づいているんじゃないか…売れなくなっていく書籍、つぶれていく本屋。こわい。

    昇火士の隊長であるベイティーは、本に対してなにかを抱きだしたモンターグを諭すためにこう言う。

    「いろいろなことに、なぜ、どうしてと疑問を持ってばかりいると、しまいにはひどく不幸なことになる。」
    「哲学だの社会学だの、物事を関連付けて考えるような、つかみどころのないものは与えてはならない。そんなものを齧ったら、待っているのは憂鬱だ。」
    「お前は迷子になるぞ。」

    以前新聞記事で、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を専門家の方が説いていた。「生半可な知識や意味付けを用いて、未解決な問題に拙速に帳尻を合わせない。中ぶらりんの状態を持ちこたえる力」だという。即事的に答えを求めない、自分の中で解答を保留し、その居心地の悪さと同居する、それに耐えうる力。最近の人はそれを我慢できない、待てない傾向にあるらしい。集中力が短くなっているというのもどこかで見かけた。(一説には金魚よりも短いとか?!)情報が短時間で飛び交い、短い言葉や動画に娯楽性を見出して、短時間にたくさんの刺激を受けることができるようになったからかな。それって、まさにこの物語の中の国民と同じだ。

    「フィルムもスピードアップだ、モンターグ、速く。カチリ、映像、見ろ、目、いまだ、ひょい、ここだ、あそこだ、急げ、ゆっくり、上、下、中、外、なぜ、どうした、だれ、なに、どこ、ん?ああ!ズドン!ピシャ!ドサッ!ビン、ボン、バーン!要約、概要、短縮、抄録、省略だ。政治だって?新聞記事には短い見出しの下に文章がたった二つ!(略)」

    今まさにこの物事への反射スピード、思考速度、結果を出す速さはこれに近づいていないか。いいね、黙れ、RT、消えろ、すき、ばか、!、?

    このスピード感、そしてこのスピードで物事を結論付けようとするこわさは深刻だ。世の中には正解がひとつに決まっていないことの方が圧倒的に多いだろうし、理想のゴールはあっても、いろいろな要因が絡み合ってして、解決できないことだって山ほどある。だから解決を急ぐとこは難しいし、一面的に正解を決めつけてかかることは誰かの不幸の上に成り立っていることが往々にしてある。しかし今、それを待てなくなってはいないか。自分も含めて。新聞記事は、こう続く。「(分かりたいという欲求の)言いなりにならないのが、知性。分からないという状況に耐え、悩むことは本来、価値がある知的な能力なので、恥じることではないのです。」


    思考は人に疑問をもたせる。本を読めば読むほど、知りたいことは増え、知識は深まり、更に疑問は増えていく。知れば知るほど世の中には円満解決やゴールへの近道などないのだと思い知らされて苦しくなる。ときには迷子になりそうになる。考えることを止め、娯楽に押し流され、思考停止の言いなりになってしまえば、悩むこととは無縁なんだろう。ただ、一度本を読み、自分で考える苦しみと知る喜びを知ってしまえば、もう本を読まなかった頃へ、何も考えずにいた頃へは戻れない。モンターグが無意味に笑わなくなったように。クラリスがもう二度と学校へはいかないように。希望にや使命感に満ち溢れているわけではない。けれど、歩みを止めないのだと、祈りにも似た気持ちで歩き続けることを選んでしまう、どうしても。モンターグの出会った年寄りたちのように。

    老人のひとり、グリンジャーが静かに語る、不死鳥の話。
    「われわれも似たようなもので、おなじことを何度も何度もくりかえしているが、われわれにはひとつ、不死鳥が持ち得えなかった美点がある。われわれは、自分がいまどんな愚行を演じたか知っているという点だ。われわれは過去一千年のあいだにどんな愚行を重ねてきたか知っているのだから、それをつねに心に留めておけば、いつかは火葬用の積み薪をつくって、そのなかに飛びこむなどという行為を止めることができるはずだ。愚行を記録している人間をもう少し集めるとしよう。全世代、そろえたいな。」

    本を読むことのありがたさと尊さを感じられる本のお話。それでも、本を読みます。

  • 考えなさい|有明抄|佐賀新聞LiVE
    https://www.saga-s.co.jp/articles/-/631888bukurogu

    華氏451度〔新訳版〕 | 種類,ハヤカワ文庫SF | ハヤカワ・オンライン
    https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/11955.html

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      りまのさん
      猫が読んだのは古い翻訳。今は手元に無くて、、、ブラッドベリの本で昔から残っているのは「たんぽぽのお酒」と「とうに夜半を過ぎて」落...
      りまのさん
      猫が読んだのは古い翻訳。今は手元に無くて、、、ブラッドベリの本で昔から残っているのは「たんぽぽのお酒」と「とうに夜半を過ぎて」落田洋子のイラスト。「何かが道をやってくる」司修のイラスト。「十月はたそがれの国」ジョー・マグナイニ のイラストくらいだけ、、、
      2021/02/12
    • りまのさん
      イラストの人名は、覚えてないけど、全部実家にあるはず。
      ブラッドベリ、大好きだ〜い!
      イラストの人名は、覚えてないけど、全部実家にあるはず。
      ブラッドベリ、大好きだ〜い!
      2021/02/12
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      りまのさん
      良いなぁ〜
      猫も文庫は結構持っていたけど、今は先に述べた通り。。。
      りまのさん
      良いなぁ〜
      猫も文庫は結構持っていたけど、今は先に述べた通り。。。
      2021/02/13
  • 今年はディストピア小説をさんざ読んできたので、本著を読まずには年を越せない気がしたので、締めくくりとして読んでみました。この状況下で厄落としの意味も込めつつ(笑
    読了して感じたのは、ディストピア小説の中では最も希望を感じることができる作品だということです。中盤以降の疾走感はなかなかで、映像化されたらさぞかし美しいだろうなという光景も。最後に読んで良かった。。

    さて本著、「本を焼く」という仕事、昇火士(英語だと消防士と同じファイアマン)に就いている主人公。ある晩に風変わりな少女と出会ったことで人生が変わって…というのがあらすじです。
    本を焼くのは何故かと言うと、「色んな意見があって矛盾してると混乱するし、誰かを傷つけるような表現がある本は要らない」ということを皆が望んだからだ、というロジックだそうで。
    ここらへんで、何となく「1984年」とは違うんだなぁという印象を受け、これって、本著の刊行が1953年だったというのも大きく影響しているのでは、という推論が浮かんできました。
    反共マッカーシズムの中ではあったにせよ、ドイツや日本に勝利したアメリカの中のムードはそれなりに明るかったはずで、ある種民主主義的だし、政府そのものをそこまでおどろおどろしく描く必要もなかったのではないかと。
    ※もちろん、上記が本著で語られた「タテマエ」であって、本著内の政体が民主主義的だと言うつもりは一切ないのですが。

    細かいツッコミはあれど、読後感も素敵で、勇気が湧いてくるような一冊でした!
    翻訳も、解説を読むに従来のものよりは格段に優れたもののようで、新訳で読めて大変有難いと感じました。

    ということで、以下細かいツッコミです(笑
    ・本文中に出てくる「カブト虫」って、VWビートルで良いんですよね?
    ・本はダメなのにヘロインはOKなのか…

  • 中学生の頃から名前だけ知っていて、ようやく読んだ。
    現代を予言しているという評があったけど、これってあれの事では?と思い浮かべる場面が確かにいくつかあった。

    ミルドレッドがかじりついてるテレビ壁、映像が目まぐるしく展開し見ることをやめられない…依存とまでは言わないけど、何気なくSNSを開いて延々とスクロールし続けてるのと近いものがある。

    川を越えたあたりの、いかに世界が匂いで満ちているか気づくあたりから、ようやくリラックスして読めるようになった。

    面白くて一気読みした。
    映画を一本観終えたような感じがする。

  • 華氏451度は、紙が発火する温度。451と刻印されたヘルメットをかぶり消火器ならぬ昇火器の炎で書物を焼き尽くす男たちがいる世界を描いたディストピア小説。

    主人公モンターグは昇火署の隊長のベイティーから「書物が禁制品であるこの社会も、大衆が望んだからこそ形成されたのだ」と聞かされるが、読んでいてなかなか馬鹿にできない話だと思わされる。風刺が効いている。

    詩集などを隠し持つ老人フェーバーは、社会が変わりゆくときにそれを止められなかったことを悔いる。
    「 … その気になれば声をあげることもできた無辜の民のひとりだったのに、口を閉ざして、みずから罪人になりさがった。そしていよいよ昇火士を使って書物を燃やす組織がつくられたときも、二、三度文句をいっただけで沈黙してしまった。そのころはまだ、いっしょに苦情をいいたてたり抗議の叫びをあげたりする者もおらなかったのでね。そしていまでは手遅れだ」(p.137)

    ぼくらは、過去の愚行をしっかり記憶して、おかしなことにならないように声をかけあっていこう。間違ったらやり直す。何度でも何度でも。

  • 1953年の作品を新訳して2014年に発行された不朽の名作と言われる小説、今読んでも十分に面白いし示唆に富んでいますね♪
    紙が燃え始める温度 華氏451度(ほほ摂氏233度)がタイトルの名作、百害あって一利無しとされて書物が燃やし尽くされた時代が舞台で花形職がファイアマン、消防士 ではなくて昇火士と和訳されているのでイメージしやすい。その昇火士モンターグが主人公で、仕事に最大限の誇りを持っていた彼がとある少女との語らいに由り ふと感じ始めた違和感から劇的変化の道を歩むことになる。良い本に出逢えました(^^)

  • 怖いのは誰かに本を燃やされることではない。知らず知らずのうちに自ら燃やしてしまっていることだ。
    本書で描かれる世界では、「本」を知る人がまだ残っているが、「本」を知る人が残っていない世界はどんな世界となるのか。

    現状に疑問を抱くことは重要だが、その先で同士に出会うことで陥る新たな思考停止もまた怖ろしい。

  • 描かれる近未来では、いわゆる愚民政策としての焚書が行われているのだろう。その愚民政策の結果なのかは分からないが、3秒で終わった戦争は、今後の希望の始まりなのだろうか?
    決して荒唐無稽なSFではなく、現実がこの世界に近づいているような気もする。

  • 本の所持を取り締まるようになった世界、不当に本を所持した者が見つかった場合、その本はファイアーマンによって焼き払われる。人々がバーチャルにひたり物事を考えなくなった未来を描いた、近未来小説。
    「ファイアーマン」が消防士ではなく、本を燃やす人という設定が面白かった。随分前に描かれたものだけれど、デジタルが生活の中に大きく入りこんでいる現代にしてみれば、どこか起こりうる風刺の利いた作品だった。図書館戦争にリンクしているかも。

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著者プロフィール

1920年、アメリカ、イリノイ州生まれ。少年時代から魔術や芝居、コミックの世界に夢中になる。のちに、SFや幻想的手法をつかった短篇を次々に発表し、世界中の読者を魅了する。米国ナショナルブックアウォード(2000年)ほか多くの栄誉ある文芸賞を受賞。2012年他界。主な作品に『火星年代記』『華氏451度』『たんぽぽのお酒』『何かが道をやってくる』など。

「2015年 『たんぽぽのお酒 戯曲版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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