- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150120009
作品紹介・あらすじ
究極のファースト・コンタクトを描く不朽の名作をレム研究の第一人者による翻訳で贈る
感想・レビュー・書評
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ソラリスという惑星。
この惑星は、二つの太陽のまわりを回っているそう。
太陽が2つ…⁝(ᵒ̴̶̷᷄⌑ ᵒ̴̶̷᷅ )⁝
『ソラリス』には、意思を持った知的生命である『海』が広がっています。
私達が想像している人型の知的生命体のイメージとは異なりますね(^▽^;)
『ソラリスの海』は水ではありません。
流動生をもったひとつの細胞のようなものだそうです。
ゼリー状で、惑星全体を覆っています。
そのソラリスを周っている『ソラリス・ステーション』に、心理学者の主人公ケルヴィンが到着する所から話が始まります。
簡単に言うと、この話は「知的生命体とのコンタクトの様子」の話です。
派手なアクションはありません。
コンタクトと、ソラリスという惑星と、ソラリスの海について非常に細かく描かれています。
SF、哲学、愛…といったところでしょうか。
特にソラリスの歴史と探査記録を記した書と『ソラリス学』については難しくて、私の頭ではついていけない…(-_-;)
ですが『ソラリスの海』についての色々な説があり、人間が認知している範囲はこの程度、という指標を表してもいるのではないかと解釈しています。
この星に関しての細かな前提ありきで話が進んでいくのですが、ケルヴィンが体験する想像を絶する体験と並行に、人の心とは。概念とは。という哲学的な話が非常に深く、目の当たりにし病んでいくケルヴィンの様子も頷けます。
『ソラリスの海』が彼の頭の中を覗き、元妻を彼の元へ作り出すのですが…。
ここからが、色々な意味でホラーです(^▽^;)
急な彼女の出現に戸惑うケルヴィン。
ソラリスの海が起こした事象が、ケルヴィン達を悩ませます。
元々いた乗組員に起きた出来事が段々と明らかになってきます…。
人により異なるとは思いますが、私の足りない頭ではこれが精一杯の解釈でして…。
とても友好的で静かな惑星にコンタクトを試みるも、彼らの価値観(多数の人間が持つ概念)との相違により、互いは相入れられる生物なのかどうか。
ということを非常〜に深く考えた話かな…と。
だからこんな悲劇が!
とか、
だからこんなに戦って…!
とか、ナンセンスなんです。
そこに、それがあって、何か問題でも?
というとてもクールな考えの話なのかな…と笑
そうであったら素敵です…(〃´-`〃)
って言うか、むしろそうであって欲しい♡
私の足りない頭では、こいつ全く分かっていない!と言われるのかもしれませんが…(*´艸`)それもまた、仕方ない。
難しいと感じたので、もう一度読み返しました。
味わい深い作品という感じです。
ソラリスの海だけに、深い……!
(……ごめん、どうしても言いたかった)
動きに…ではなく、感情面で変化が大きい話です。
最後の「訳者の解説」が全体の8%を占めています。
それによると映画に関しては、著者が批判していたので、観るのはやめてみました(^▽^;)
きっと内容が全然違うんだろうなぁ…。
でも気になるからいつか観ちゃうかも笑
一般的な映画もそうなんですが、いわゆる『見せ場』のような盛り上がりを作らなくてはいけない以上、映画化には向き不向きがあります。
しない方が良いと思われる作品は、しないで欲しい…。(ファンの心理)
感想、意味わからなかったらすみません( ̄▽ ̄;)
解釈は人それぞれ。
とても味わい深い作品でした(*´˘`*)
惑星ソラリス、行ってみたいなぁ…。
私に何もしなくていいから、そこで最期を迎えたい(º﹃º )
何度も読み返したらその度に違う面からの発見がありそう…(*´艸`)
細部を熟考しながら読み返したい作品。
興味のある方、是非!!
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スタニスワフ・レム2作目で傑作、古典とされる
ソラリスを読んだが、、
一作目同様、私にはかなりハード。
言葉の意味する映像を想像できない
けれど、想像力を使い切って、読み切った感。
理解するには、一度では無理かも。
でも、小説として、理解するより
興味深く読めた。
未知とのコンタクト、
それは、ここに書かれてるようなものかもしれない
私たち人間中心に考えて、
私は人間でしかないから、
人間視点で考えることしかできないけど
宇宙には、何が、どーなってるのか
わからないのだから
わけわからんものとコンタクトありだよねー。
それこそ、象の背中を蟻がはう、
アリのような人間なのかもね。
ちなみに、ここに出てくる海
私は、脳とか完全に理解できてない
身体構造とか、精神、意思、意識、感情
そんなものを想像したけど
皆さんはどーでしょうか?
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新訳が気になりつつ、国書刊行会版はちょっと高いので手が出なかったのだけど、おお、文庫になってる!ありがたや。
「ソラリスの陽のもとに」は、ずーっと文庫棚の一番上に並べてある。初めて読んだ時のインパクトをよく覚えている。SFって何かというのは難しい問題だと思うが、私は世界認識の変容を迫ってくるものが一番SFらしい気がする。そういう意味で「ソラリスの陽のもとに」はまことに名作。
旧訳版には原作からカットされた部分があったとは知らなかった。その新たに訳出された箇所の中で、特に「怪物たち」の章の描写が異様な迫力で圧倒された。ストーリーにはほぼ無関係な異星の海の姿が、これでもかというほど執拗に描かれている。ソラリスの海が作り出す想像を絶する形成物「ミモイド」。何のために、またどうやって、それを作り出すのか人間には全く理解できない、その生成と消滅のありさまが、何ページにもわたって延々と描かれる。それはひどく「リアル」で、しんしんと胸に迫ってくる。すごい。
「ソラリス」は実に様々な解釈がされる作品だ。解説で紹介されているその一端を読むだけでも、あまりに多方面からの読み方があって、目眩がしそうになる。これだけ色々語られるSFもあまりないだろう。私は今回も、旧版を読んだ時と同じく、「生命」や「知性」、「人間」について新たな光を当てる卓抜したファーストコンタクトものとして読んだ。最後にいらんことを付け加えると、これは「ロマンス」じゃないと思うよ。 -
文のひとつひとつが今ここで描写されている事態以外の何かについて言及しているようで、そのたびに思考がストーリーの外に迷い出してしまう重層的な小説だった。まずは書かれていることに集中して読んで、特に印象に残ったことは2つ。
長期間にわたり科学者たちはソラリスを理解しようとして失敗してきたわけだけれども、対象が惑星であっても、理解不能な存在に向き合っているうちに科学者たちの態度が拗ねてくる。ほぼ失恋なのに思いきれない人のようになる。理解したい気持ちはやはり一種の愛なのかと、この部分が個人的にはおもしろかった。実際の研究者の方々がどう感じるのかは気になるところではあるが。
ハリーとケルヴィンの間の感情について。結局ハリーはケルヴィンの記憶をもとにソラリスが合成した情報の塊であって、それを生の人間と思ってかかわろうとするのは虚しくないだろうか、というのが反射的に思ったことなんだけれど、ではハリーと生の人間の違いは何か、ソラリス製のハリーで何が悪いのか、と聞かれたら答えられない。人間はソラリスから離れられる、生殖できる、複製不可だから尊い? 人工知能に大量のデータを読ませるともっともらしく振舞うようになるし有用なのは現実の中で体験しているわけで、人間様のわたしがわたしであったからといってそれがどうした、という気持ちに。従来の意味での意識や自己同一性の価値が揺さぶられた。 -
何度も映画化されたSFの名作です。ホラーか恋愛ものか、見知らぬ者とのコンタクトの話か、様々に読める本作ですが、不可解なものに対峙した時の人間の反応が生々しく描かれており、興味深かったです。分からないものを受け入れたときに人間はどうなるのか、相互理解は難しいでしょうね。宇宙もののテーマですが、人間間でもいえる問題のようにも感じましたね。
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ロシア語からの重訳である旧『ソラリスの陽のもとに』を
十何年か前に読んだときの感懐は、
基盤の異なる他者同士は互いにわかり合えないし、
歩み寄れもしない――という話なのかな……だった。
冷戦時代の「東側」で生まれた作品なので、
著者は皮肉と暗いユーモアを込めて、
「鉄のカーテン」で分断された「わたしたち」は「あなたたち」を
心から理解することはできず、
同様に「あなたたち」も「わたしたち」の
真実の姿を決して知り得ない……とか。
しかし「わからないものはわからないのダ!」と
言い切って思考停止するのは
もったいない気がしてきたので、
この、ポーランド語の原著からじかに和訳された
新しい『ソラリス』を手に取ってみた。
人が宇宙に進出する未来の地球において「約百年前」に
発見された惑星ソラリスに探検隊が向かい、
この星が重力的に不安定でありながら均衡が保たれ、
有機的な形成物であるゼリー状の覆いとしての海が
存在することがわかる。
研究ステーションが設けられ、
探査に派遣された心理学者クリス・ケルヴィンは、
しかし、施設の荒んだ雰囲気に不審の念を催す……。
言語も違えば、意思や感情を表す身振りも同じではない、
異世界の生命体同士がコミュニケーションを図ろうと、
互いに様々な手段に訴えるが、
異なる表現型での鸚鵡返しの応酬にしかならず、
相手が自分の「鏡」として立ちはだかるばかりで
歩み寄ることはできない――。
だが、ケルヴィンは個人的な悲しみを乗り越えて、
諦めなければ、いつかはわかり合える日が来るかもしれない、
けれど、絶対に努力が報われる保証もない……と悟る。
そんな話。
旧版が既に手許にないので実地に比較できないが、
この新版の訳者あとがきによると、
旧版には元のテクストであるロシア語版において、
当時(1960年代初頭)のソ連の政治体制に忖度して
削除された箇所があったとか。
それでかなり印象が異なる気がするのかもしれない。
が、やはり「わからないものはわからないのダ!」
とはいえ、理解が困難な文化・価値観だからといって、
決して相手が我々より劣っていることにはならず、
わからないなりにも敬意を以て尊重すべきだし、
一方で、相互理解の無理強いも禁物――
そんなメッセージを受け取った。
思わず噴き出してしまったのは、訳者あとがきで、
二度も映画化された小説だが、
二作品とも各監督の好みによって
別のテーマに置き換えられてしまって、
原作に忠実な内容ではない――と、
作者があまり快く思っていないらしいとわかったところ。
私は不勉強にしていずれも未見だが、
本作の主題は確かに「望郷の念」でも「純愛」でもなく、
作中のソラリス学研究にまつわる文言、
ignoramus et ignorabimus
――我々は知らないし、知ることもないだろう(p.42)
のとおり、「ディスコミュニケーション」なのだろうと感じた。
これから録画した『100分de名著「ソラリス」』を観て、
NHKテキストを読む予定なので、
その後では、
また違った感想を持つかもしれないけれども。
-----以下、ネタバレ臭が漂うので、ご注意願います-----
ソラリスの海が睡眠中の来訪者の脳をスキャンして、
当人にとって最も重要と思われる故人を実体化する。
ケルヴィンは、愛していたが互いの想いを
きちんと汲み合えないまま自死に追いやってしまった
亡妻の複製に、今度はきちんと向き合おうと思う。
だが、コミュニケーションを促進させるための実験として、
彼の覚醒時の脳電図に従って変調したX線を
ソラリスの海に照射したところ、
海は来訪者の脳内に生き続ける死者を実体化させる能力を失った。
同僚のサイバネティックス学者スナウトは、
死者のコピーは自分たちの脳の一部を映した
鏡のようなものだと言う。
だとしたら、目覚めているケルヴィンの思考波が
海にダメージを与えたということは、
結局、彼が愛していると言い張る妻も
仕事の邪魔をする重荷に過ぎず、
別れに苦悶し、涙を流しながらも、彼は本当は
どこか安堵した気分になったのではないか。
男にとって「鏡のような海」とは他でもない身近な女で、
二者の間には厳然とした壁が
立ちはだかっているということなのでは……。 -
ブクログ通信で見て気になり初めてSF小説を読んでみた。
物語全体が暗く感じ読み進めるごとに体力を削がれる感覚があり、気がついたら読み終えるのに1ヶ月程経っていた。
惑星ソラリスの情景描写が丁寧で無機質なステーションとソラリスの独特な風景が浮かんだ。たまたま読んでいる途中に船に乗り海を眺めたので、海がどろっとして見えたりソラリス全体が一つの生き物だったりが地球と重ねて想像できた。
青と赤の太陽が昇る惑星で何日も過ごすなんて考えたら登場人物が終始懐疑的になるのは納得できる。悪い夢を見て夢の中ので翻弄される感覚に似ているのかな。
未知との遭遇とは何かという問いに対し
著者が考えた一つの答えを主人公を通して体験できた。だけど結局わからないことだらけで遭遇したからといって何か答えや結果が生まれるものではないのだろう。
分かりやすく処理することができなくて感情もぐちゃぐちゃになる面白さがあった。 -
古典的SF。
発想は奇抜で楽しめたが、途中で飽きてしまった。
人間の常識では測れないのが宇宙。 -
新訳で再読。内容はそれほど変わらないが、表紙や文体、追加部分を考慮して新訳の方がやや硬質な印象か。いずれにせよ、人間が理解することも意思の疎通も不可能な完全なる他者、ソラリスの海を巡る本作の素晴らしさは揺るがない。ソラリスが示すのは所詮人間の持つ愛というのは自分の理解できる範囲にしか届かない自己愛でしかないのでは?という問いであり、例え宇宙の彼方へ届こうとも自らの弱さからは決して逃れられないという事実である。他者を理解しようと試みること、その到達不可能な困難さと向き合い続ける中でしか本当の愛は生まれない。