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Amazon.co.jp ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784150122317
作品紹介・あらすじ
不治の病の母が娘のため選んだ行動をつづる表題作、娼婦の殺人犯を追う「レギュラー」など単行本版『母の記憶に』から9篇を収録
感想・レビュー・書評
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ケンリュウ3作目のSF短編集。大いに期待しながら読んだ。
SF短編集として扱うテーマは手広い。
時間旅行、異星の古代文化、戦争マシンと生命倫理、AI と人間のあり方、超能力と正義、身体拡張。
様々なテーマで楽しませてくれるので、飽きることなくサクサクと読んでいける。幅広くSFの各分野に触れてみたい初心者にぜひオススメかもしれない。
SF作家としてシンプルに力量が高い、と感じる1作。
しかし正直なところ、SF的な完成度は高くはない。それぞれのテーマはどこか既視感がある。
そんな本作を傑作たらしめるのは、ひとえにケンリュウの人間愛ゆえ、かもしれない。
例えば、「残されし人々」は「人格のデジタル化」を描く。電脳世界で永遠の命を得る人々と、それに抗う物質世界の人々、という構図。
どこか見覚えのある設定。それでも夢中になってしまうのは、人間の感情というものが良く描かれているから。人間の喜怒哀楽がしっかりと織り込めているので、心にまで訴えかけてくる。
特に最後に収録された「レギュラー」はあまりにも秀逸。久しぶりに「泣けるSF」に出会うことができ、大きな充足感に包まれた。
SF短編集として良作である以上に、小説として、物語として傑作。SFファンにもそれ以外にもオススメできる1冊。
(より詳しい感想は書評ブログの方でどうぞ)
https://www.everyday-book-reviews.com/entry/%E5%BF%83%E3%81%AB%E5%BC%B7%E3%81%8F%E8%A8%B4%E3%81%88%E3%81%8B%E3%81%91%E3%82%8BSF%E7%9F%AD%E7%B7%A8%E9%9B%86_%E6%AF%8D%E3%81%AE%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%AB_%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%82%A6詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
失われた異星人の"サーガ"を読み解こうとし、またそれを観光向けに"翻訳"するという、なんともありえそうな話『重荷は常に汝とともに』が面白かった。文化文明があれば、法もあり得る。本当の「正解」を知ることはできないからこそのコミカルな(シニカルな?)一編。
自分に合った物や人を薦め、行動を導いてくれるAIと人とを描いた『パーフェクト・マッチ』も好き。今のごく単純なおすすめ機能がもっともっと先へ行ったら?快適さの陰にある怖さや犠牲にしているものに気づいたとき、どうするか?何ができるのか、という問い。提供しているのが一企業である以上、そのAIの示唆には誘導的なものがはたらくだろう、という点でも面白い。完全に"客観的""公平"な視点・検索・提案などないと突きつけられる。
「ただの株式会社で、――ぼくたちほかの人間がどこでもコンピュータにアクセスできる社会の恩恵にあずかっちゃいけないっていうことにはならないだろう。」
「自分たちを監視してるのが政府なのか一般の会社なのかで区別する人たちがどうしているのか、理解できないわ。」
「もしわれわれがつぶれたら、後釜に何がすわると思う?シェアオールか?中国の企業か?」 -
ケン・リュウのSF短編集第三弾。基本的にケン・リュウの短編は読みやすいと思うが、本作は今までの中で一番初心者向けのような気がする。
「母の記憶に」
10ページほどの短い短編でありながら、表題作かつ開幕に相応しい内容で、不治の病に罹った母親が、娘の成長を見届けるために相対性理論によって自身の寿命を伸ばす物語。娘の人生のほんの端々で顔を見せる母と娘の心温まる交流や、ズレていく年齢差による確執と、短いながらも描かれてる内容は深く、親離れのタイミングを逃したが故の悲しみと、自分の人生を全うするのを見守ってくれる親という本来あり得ないはずの幸福感が同居しており、実にエモーショナルかつドラマティックである。数回かつ、その一日しかないからこそ、繋がりはより強固になり、やがてそれは末期の時に見る昔の夢のような、母とのかけがえのない思い出と呼ばれるものへと昇華されていく。
「重荷は常に汝とともに」
異性に遺された謎の遺跡と正体不明の文化。それが何かを解き明かす考古学的な楽しみに加え、真相の肩の力が抜ける感じがたまらない。何に物語性を見出すかは人それぞれで、明かされた事実もまた一つの物語であるのだろう。
「ループの中で」
技術が発展しきった中での近未来での戦争の一つの形である。予見的という意味ではこの作品が随一で、無人機による戦争の参加はすでに現実でも行われている。行き着いたシステムの先は非人道的で、それに耐えられる人間は果たして何人いるだろうか。薄ら寒さも漂う一作。
「状態変化」
SF、というよりはファンタジィ寄りな一本で、魂を物質化するという設定からは文学性も感じる。そのモチーフの使い方がテーマとオチと非常に噛み合っており、最後にタイトルを読んだ時に文字通り腑に落ちてしまった。今回の短編集の中でもお気に入りの一作である。
「パーフェクト・マッチ」
マッチングにより人の意思の所在を機械に委ねるというのは使い古されたテーマであるものの、今の時代にはまた違ったリアリティをもって響くであろう作品である。記憶やレコメンドによる選択肢の外部委託はもはや留まるところを知らず、誰しもが失敗はしたくない。しかしながら不確定要素に身を委ねてみたくなるのも人情で、どこかでそれに折り合いをつけるしかないのだろう。余談だが、作者による中国への警戒心には笑ってしまった。
「カサンドラ」
ケン・リュウはこういう物語も書けるのかと驚かされた一本。これは誰もが知ってるSから始まるスーパーヒーローの物語で、主人公は何を隠そうヴィランである。すでに決まった運命を変えるために戦うヴィランと、自由意志を信じて現在を生き続けるヒーローの終わりのないダンス。以前の短編にあった「良い狩りを」もそうだが、こういう物語を見せられると長編で読みたくなってしまうのがケン・リュウの玉に瑕な所だ。短編だからこそ光る話だが、長尺の長編で読みたいという贅沢な物語である。
「残されし者」
データ化し、永遠を生きることになった死者からのデジタル世界への誘惑を跳ね除け、血の通った人間としての生を生き続けることを選んだ男と妻と娘の家族の物語。死者が襲ってくるわけではないのでサバイバル要素は薄いものの、完璧な善意による誘惑と、滅びが決まっている世界に居続けることの葛藤は凄まじく、それには正解がない。父が縛り付ける理由も分かるし、また新世代がデジタルに対して抵抗がないのも理解できる。しかしながら、その矛盾した両極で悩み続けるのが人間で、テーマの重さとキャッチーな物語性が魅力。
「上級読者のための比較認知科学絵本」
ケン・リュウらしい壮大な仕掛けの詰まったSF力を感じる作品。好みかと言われたら難しいが、この壮大さと叙情性は素晴らしく、やはり愛に回帰するのはケン・リュウらしいと思った。
「レギュラー」
トリを務めるのはサイバーパンク・ミステリである。娘を失ったトラウマを抱える母親が、調整者(レギュレイター)で己をコントロールしつつ、依頼された売春婦殺しの謎を追う骨太のSFハードボイルドである。体に仕込んだサイバーパンクなギミックは面白く、ウォッチャーという観察眼の殺人鬼の人物造形も面白い。調整者の設定は素晴らしく、クライマックスのはち切れそうな緊張感と選択の重さに一役買っており、その末路と安堵感は一本の映画を見たような満足感に溢れるものだった。文句なく今作の中で一番の作品であろう。 -
表題作に、星野之宣さんの「愛に時間を」を重ね合わせて、泣けてしまった。
読み始めたのが、母を亡くしたばかりだった時なので、読み終えるのに時間がかかってしまった。
肉親の愛は深く、そして、自分勝手で、哀しく、業が深い。
とくに母は(T ^ T) -
やはりケン・リュウの作品は良いな
SFって基本的にそうだと思うけど、人間の存在の意義を問うような作品なんだよね
その問い方っていうのかな、それがケン・リュウの良さだと思う
あとは女性が主人公の話が多くて、女性の社会で抑圧された部分が書かれていたと思う。 -
ケン・リュウの短編集第3弾.「紙の動物園」はかなり中国文化の色が濃かったのだが,本書はそれほどでも無い(アメリカ人なのに中国系であるがための・・・という話はあったが).
バラエティに富んで,どの話も面白いのだが,普通である.
以下,2022年1月に追記:
是枝監督の「真実」の劇中劇として使われていましたね. -
離脱
合わなかった -
ケン・リュウ短編集3冊目。プロの小説家として幅の広さを感じられる短編集。
設定がアメリカ的で、ハリウッド映画を見ている感覚で読める作品が多い気がした。最後の「レギュラー」なんかは映像化に合ってると思う。
「カサンドラ」…マイノリティ・リポートと似たSF的設定。”こちらが正しいとかあちらが間違ってるとか解らないんだ” だな。
「状態変化」…頭の中でロックが鳴ってる感じの作品。”それなりに生きる位なら格好良く死にたい 普通でいいからさ も少し正直に生きたい”って思う。 -
前作同様、発想を広げてくれるような刺激的な短編集。最後の「レギュラー 」にはぐっと心を掴まれて泣きそうになった。
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SFとして完成度高いか
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この短編集にある世界をときどきのぞいて、わたしが今立っている場所がどうっていうことないと思って安心する。見えている現実だけが現実ではないということが、感じられる。
その中の一遍「残されし者」が、ムーンショット計画と重なって、ゾワゾワとなるのは、わたしだけではないはず。
ハッピーハッピーな内容ではない、人間愛が感じられる、しかもめちゃくちゃ上手い不思議な作家さんなので、手元に置いておきたい一冊。 -
2021.9.2 89
素晴らしい。素晴らしい。 -
私のような人間が、先入観として、機械またはAIと呼ばれるものの冷たさを意識するとき、この短篇集は背筋を寒くさせる。「パーフェクト・マッチ」などがそれに当たる気がする。機械的ということばがときに冷酷を示すとき、そこにはどんなものの意思も介在していないように思われる。ただ私はここに「知識」というものもひとつ疑念においておきたい。経験やいわゆる情によらず、たんに自らを観察者としておくときにもまた、私は寒気をおぼえるのだ。「知識の遊戯」としてのストーリィに、機械に対するものと同じこわさを感じるのも、私の先入観だろうか。私自身は「たましいが拒否」するのだと感じているが……。とまれ、とても勉強になった。訳者たちがどうして掲載の順を決めるのかということだけ、疑問には感じたが。
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◆読書記録2冊目
◆No.064 -
バラエティに富んだ傑作編だな
母の記憶はベリーショートなのに素晴らしい。映画インターステラーかな。メッセージつまりチャンの名作にも近い。重荷、ループ、状態、パーフェクト、カサンドラと軽めのお話が続き、残されしで波と同じ香りのシンギュラリティものが登場。これ、いい作品だ。次の上級読者もこの味が残るけど、薄めだな。
ラストのレギュラーは、とても違和感ある。駄作という意味ではなく、他ととても異なる味だから。長いし、今回収録しなくても良かったのにと思うな。 -
◎
状態変化
「残されし者」
発想は結構色々な場面で見るもの。(この発想を使った作品だとNetflixオリジナルドラマ「ブラックミラー『サン・ジュニペロ』が大好き。)
最近シンエヴァンゲリオンを観たからか、「残されし者」で人類補完計画を連想した。エヴァンゲリオンの世界観は全く理解できてないけど、肉体という最も厚い壁を取り払う的な、、、「ゲンドウってこういうことをしたかったのかな?」と何故かエヴァンゲリオンへの理解が少し深まった気がする。 -
ケン・リュウ短編集「母の記憶に」。このシリーズは毎回ナレーターが違うのだけど、今回のナレーターは地の文とセリフ、キャラごとの話し方にほとんど違いがないので、聞き分けにくい。そのせいで、内容が頭にスッと入ってこない気がする。ナレーターによってオーディブルの質が大きく左右されるということは、それだけ話し手の技量に差があるということで、やっぱりいい声、いい話し手の作品を聞きたいな。
「パーフェクト・マッチ」:センティリオン(ティリ)とフィルターバブル。アルゴリズムと倫理。AIが悪さをするわけじゃない、人々がそれを望んでいるから。
サイ「どうしてただ中立の立場で情報を提供するだけの仕事にとどめておけないんですか? どうして単純な検索エンジンだけというところに戻らないんです? どうしてすべてを監視してフィルターにかけるんです? どうしてすべてを操作するんです?」
リン「中立の立場での情報の提供なんてものはありやしないんだ」「センティリオンは情報を組織化する仕事をしている。そのためには選択と方向づけ、固有の主観が必要なんだ。きみにとって大事なことーーきみにとっての真実ーーは他人にとっては大事でもなければ真実でもない。それは判断とランクづけによって異なる。きみにとって大事なことを検索するためには、われわれはきみのことをすべて知っていなくてはならない。そしてそれは、言い換えれば、フィルタリングや操作と区別することはできないんだ」
リン「わかるかね? ティリーがいなければ、きみは自分の仕事もできないし、これまでの自分の人生を思い出すこともできない、母親に電話することすらできないんだ。われわれは今やサイボーグ民族なんだ。ずっと前にわれわれの精神をエレクトロニクスの領域に拡張しはじめた、そしてもはやわれわれ自身のすべてを自分の脳髄に無理やり戻すのは不可能なんだ。きみたちが壊したがっているのはきみたち自身の電子版コピーなんだよ、文字どおり、実質上のきみたちなんだ」
「われわれはもはやこうしたエレクトロニクス拡張部なしで生きていくことは不可能だから、きみたちがセンティリオンを壊しても代替品がその後釜にすわるだけだ。もう手遅れだよ。魔神(ジニー)はとうの昔に壜から出たんだ。チャーチルは言ったーーわれわれは自分たちの建物を形成するが、そのあとはわれわれがつくった建物がわれわれを形成する。われわれは機械に考えるのを手伝わせた、そして今や機械がわれわれに代わって考えているんだ」
ネットとが外部記憶装置のはじまりだと思っているけど、生き物にとっての外部記憶は長らく巣穴への帰り道であり、獣道であり、トレイルであり、身の回りの自然環境だった。現代人は自然から切り離された結果、それらの外部記憶を読み込む術(読解力)を失ったが、代わりに高度な科学技術(それは物質の記憶を読み取る能力でもある)と、ログ保管庫としてのクラウドを手にした。個人がすべての記憶を脳内にストックして自力でコントロールしてたというのは幻想で、もともと記憶の一部(もしかしたら大部分?)は個人の手を離れた「集団の記憶」だった可能性が高い。とすると、ネットに記憶を預けたからといって、もしかしたら、本質的な違いはないのかも。
「残されし者」:アップロードされた母からのメール。「血と肉でつくられた古い殻の心地よさにあんなに必死でしがみついていたなんて、わたしはまちがってたわ。わたしたちーー本当のわたしたちだってずっと、深淵をーー原子と原子のあいだの虚無をーー飛び交うさまざまな電子パターンだったのよ。その電子の居場所が脳内でなくシリコンチップ内になったからってどうちがうっていうの?」「人間はこの惑星の癌ではないのよ。わたしたちは単純に、この非効率的な肉体や、もはやじゅうぶんに役目を果たすには足りない機械が必要な世界を超越しなきゃならなかったのよ。この新しい世界に今やどれだけの数の意識が暮らしてると思う? 電子の塊と重さのない思考でできた純粋な生き物たちが? 限りなんてないのよ」
ハードウェアの限界をソフトウェアで超える。が、そのソフトウェアが働く環境もエントロピー増大則からは逃れられないし、その電力やインフラは誰がどうまかなってるのか。生身の肉体は脆いし、制約も多いが、寿命の範囲内とはいえメンテは自力でできる。
肉体から切り離されて永遠の命を得た存在にとって、時間の経過は無に等しくなる。とすると、なにかをしたい、知りたいという欲望からも解放されて、ただの虚無しか残らないのではないか。生命に限りがあり、食う食われるの緊張感(淘汰圧)があるから、精一杯生きたい、生き延びたいと思うのであって、その制約がなくなれば、生命活動はどこまでも怠惰に、冗漫になって停滞し、やがてピクリともしなくなる。〆切がない原稿は、いつまでも完成できないのが人間なのだ。
「レギュラー」:ウォッチャーと網膜インプラント。自分の身を守るために隠れて導入した装置が、かえって自分の身を危険にさらすことに。攻殻機動隊S.A.C.「笑い男事件」の視覚素子インターセプターに少しだけ似てる。 -
ケンリュウの短編集。彼の著作を読むのは紙の動物園に続いて2作目。
紙の動物園は全体としてどこか物悲しさを感じさせるものだったが、今回の短編はどれも監視社会や機械に頼る人類に対するアンチテーゼが盛り込まれた、具体的な作品であるように感じた。
それにしてもケンリュウは、近未来の日常を切り取るのが上手いと思う。SF作品は非日常的で、ディストピア化しやすいが、彼はユートピア的日常の不気味さを書くのが特徴的だと感じた。 -
大満足!
どれも面白いけど、監視テクノロジーの物語は特に、
筆者が中国系アメリカ人だと思うと余計に説得力がある。
国際世論はみんな「監視社会・中国」を批判するけど、民主的な欧米のグローバル大企業もやってることは一緒なんじゃないの?
論理的に対抗するのが難しく感じられるけど、そういう情報共有と監視の何が問題なんだろう?
ということをよく考えられる。
ケン・リュウの作品
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