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Amazon.co.jp ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784150205560
作品紹介・あらすじ
アンドレ・ノートン賞 ローカス賞 受賞 21世紀の『不思議の国のアリス』登場 豹に乗った緑の風の精に誘われて、12歳の少女セプテンバーは、不思議な生き物が暮らす世界──妖精国へと冒険の旅に飛び立つが!?
感想・レビュー・書評
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(ブログからサルベージした感想です)
付喪神とかも出てくるし色んな神話や伝承をうまく取り入れているように思います。
提灯の朧が好き。
侯爵の話はなんだか切なかったです。
ただ「ナレーター」を名乗る語り手が少し嫌いな人は嫌いかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
うーむ。楽しめたが、ちょっとどういうことだか分からないところが多い。
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『孤児の物語』が良かったので著者の他の作品も読みたくなった。
本作は本国ではヤングアダルトに分類されるらしく、日本語訳も児童文学調の語りで、『孤児の―』とは大分カラーの違う作品。
十二歳のセプテンバーが<緑の風>と<そよ風のヒョウ>に連れられて行った妖精国で、旅の仲間となる飛竜のエーエルやマリードのサタディを始め、様々な人物、生き物、生物でないもの達と出逢い冒険していくアリス・ストーリー的な物語。
作品としてはオーソドックスではあるけれど、愛嬌のある語りと魅力的な登場人物達に引き込まれ、読んでて楽しかった。続編にも期待。 -
『不思議の国のアリス』のような古典的名作を思わせる、でも古くはない、新しいファンタジーを感じた。
登場するキャラクターが非常に魅力的。 -
ふうん。しか、読後に沸いてこなかった。たぶん、きっと、私とは合わないだけ。
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なんのドラマもなしに妖精国へ旅立ってしまう主人公!という点を筆頭に、ヘンテコなことだらけのファンタジー。ファンタジーに変も普通もないと分かっちゃいるけど、それにしても・・・。
セリフも、よく言えば哲学的、わるく言えば分かりにくい(むしろ分からない)。
主人公の少女セプテンバーはどんどんどんどん先へ進んで行ってしまう。ちょっと待って、もうちょっと考えてみたら?!と言いたくなるくらい。だから、つい追いかけずにはいられない、そんな読み味。
キャラクターの個性が強すぎてデコボコした印象なのも、ヘンテコに感じる一因かなあ。 -
2013年11月25日読了。
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・キャサリン・M・ヴァレンテ「宝石の筏で妖精国を旅した少女」(ハヤカワ文庫FT)は 所謂妖精譚と言ふより異界訪問譚と言ふべきであらう。より具体的に言へば、アリスやオズの系統に属する物語といふことである。そこは妖精の国かもしれない けれどフェアリーはゐない。そこにゐるのは魔法使ひや一風変はつた住人達である。そこを訪れた少女の不思議な体験が物語として語られる。「不思議の国のア リス」にしろ、「オズの魔法使い」にしろ、そして本作にしろ、そこを訪れた人間がそのタイトルになつてゐる。いづれもその不思議さ、ナンセンスの具合がお もしろい。
・ドロシーは竜巻に家ごと巻き上げられてオズの支配する国に送り込まれた。単なる偶然でなくとも、ドロシーの意志は一切考慮されない。アリスは川辺で退屈してゐた時に、不思議なウサギを追いかけてウサギの穴に飛び込んだ。それが発作的な行動であつて、積極的、意図的な行動でなくとも、穴に飛び込むにあたつてはアリスの意志の反映がある。「宝石の筏」の少女セプテンバーは〈緑の風〉に「わしと一緒に旅に出ないかね? 〈そよ風のヒョウ〉の背に乗って、妖精国のすぐそばの海まで行くんじゃ。」(10頁)といふ誘ひに、迷ふことなく「行くわ!」(11頁)と答へる。日々同じ生活に飽き飽きしてゐたからである。セ プテンバーは強い意志を持つてヒョウの背に乗つた。〈緑の風〉は「妖精国のたいせつな掟」(12頁)や妖精国の様々なことを教へた。つまり、ドロシーやアリスは訳も分からずに異界に入つたのに対して、セプテンバーにはガイドがゐるのである。ただし、〈緑の風〉は「妖精国には入れない。」(10頁)ので、そ の入口までである。それでも知つて入るのと知らずに入るのとでは大きな違ひがある。こんな似てゐるやうで似てゐない3人の共通点は、異界に入つた時点では 目的がないといふことである。どこで何をするのか、これがないのである。ところが、ドロシーは直ちに、セプテンバーは徐々に、そしてアリスは……家に帰り たいと思ひ出す。この目的を達成するために出くはし現れる様々な登場人物と出来事、これがこれらの物語の醍醐味なのであらう。おもしろくもまた楽しいその ナンセンスはいづれが菖蒲か杜若である。それでも個人的に思ふのは、セプテンバーには、後発だけあつて、アリスやドロシーの面影があり、それゆゑにそれを超えようとする作者がそこにゐるといふことである。この面影は明らかである。子供の頃の作者には「アリスやドロシーがお気に入りのヒロインだったと」 (「訳者あとがき」398頁)か。一読すればこれはよく分かる。彼女達を超えてセプテンバーを差別化せねばならなかつた所以であらう。そこでこの言葉、 「また春になるころには、わたしはここに戻ってくるわ。」(388頁)つまり、ここは一度異界から去るがまた戻るといふことである。これはアリスにもドロ シーにもない意志表示である。二人は再び異界に戻れない。ところがセプテンバーは事情が違ふ。春になると妖精国に戻るのである。「帰りたくないヒロイン」 (「訳者あとがき」398頁)ださうである。さう、セプテンバーは確かに帰りたくないらしい。しかし、時が来れば帰らざるを得ず、逆に春には来ざるを得ないのが本当のところ、決然とした返事とはうらはらに、セプテンバーはさういふ少女だつたのである。何だつまらないとも言へるが、これは続編があるといふことだと割り切れば、かういふ趣向もまたおもしろいではないか。一度きりでなく何度も異界と往来できる。あるいはこれは読者の望みかもしれないと思ふ。「帰 りたくないヒロイン」に期待しよう。 -
アオリ通り、まさに『21世紀の不思議の国のアリス』。
元の世界の帰りたがらない主人公の、子供らしい無謀さと、子供らしからぬ度胸に、一緒になって妖精の世界を旅することができる本です。
続巻の訳が待ち遠しい1冊。 -
8/29 読了。
幼い時にファンタジーを読んで、自分もいつか"選ばれる"とちょっとでも思ったことがあったら、こまっしゃくれた主人公のセプテンバーを大好きになれる。神話を換骨奪胎、というか部品を引っこ抜いてデタラメに組み立てたようにごっちゃり山盛りのファンタジーに、「物語とは何か」を問うナレーション、かわいい登場人物(エーエル♡)とそれを語る愉快な語り口があれば、これは最高だと言わざるを得ない。 -
ファンタジーの鉄板である「迷い込んだ異世界」から、帰りたくないと足踏みする少女の物語。
アメリカという、所謂「歴史(神話伝承)のない国」の作家が描いたものだというのはなんだか納得がいくような、リアルなような。 -
ハヤカワといえばファンタジーというイメージはほぼないのですが、
表紙の絵についつられて購入。
帯には現代版アリスってかかれていましたが、
さてどういうものかと楽しみです。
途中から話の展開が少し速くなって
テンポよく進んでいき、
主人公の心の成長ぶりが描かれています。
友情やいたわりの心の大切さを
直接ではないけれども教えてくれるお話でした。
私の場合、翻訳ものはかなりの確率で
意味がわかりにくいと思う部分があります。
それを承知の上で読んでみました。
他に読んだものと同じように、やはり何を言っているのか
わからないところがありましたが
途中でやめたーということにならず、
フシギと最後まで読めました。
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