虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

著者 :
  • 早川書房
4.13
  • (1756)
  • (1719)
  • (750)
  • (152)
  • (49)
本棚登録 : 11541
レビュー : 1547
  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150309848

作品紹介・あらすじ

9・11以降の、"テロとの戦い"は転機を迎えていた。先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう…彼の目的とはいったいなにか?大量殺戮を引き起こす"虐殺の器官"とは?ゼロ年代最高のフィクション、ついに文庫化。

感想・レビュー・書評

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  • 映画化されると聞いて「その前に読もう!」と思ったのに、読み終えるまでに8カ月もかかってしまった…。先に映画の方が良かったのかもしれない…。読みながら…「これ今、現実に起きていることそのまんまだ…」と何度も思った。驚きの連続だった。

    3章あたりから馴染んできて読み終えるのが惜しくなった。伊藤氏の思念のようなものが漂っていて、どういう気持ちでこのストーリーを書いていたのだろう…と思うと、途中でつまってしまって涙が出そうになった。

    わたしが感情移入できたのは、アレックス。あとはウィリアムズ。ルツィアとジョン・ポールも。
    主人公は…最後のちょっと前まで迷彩色で透明っぽい。終り頃に主人公にだんだんと骨がついて肉が出来て人になっていく感じがした。

    この作品を読みながら偶然にも宗教の本と経済の本を読んだ。宗教の本読んでよかった。あれを読んでいなかったら途中で挫折していたかもしれない。

    膨大な量の『ことば/言語』の物語。ずっと余韻にひたっていたい。新しい作品がもう読めない…というのが残念でなりません。


    ●屍の上に築かれた、ぼくらの世界。374ページ

  • 近未来(たぶん2020年代)、アメリカ軍 特殊暗殺部隊の主人公青年が、途上国で意図的に虐殺・内戦を引き起こす扇動者を暗殺する為に追う、SF&ミリタリー小説。

    殺人の描写が過激なところと、SFや兵器に関する用語が最初とっつきにくいのが難点だけど、とても深いテーマで考えさせられる小説。

    たぶん、SFには二種類あって、「非現実な世界観を堪能するエンターテインメント要素の強い小説」と、「未来に起こるかもしれない出来事を通し、現代社会の問題点を考えさせてくれる思考実験的な小説」があるのだと思うけど、この小説は圧倒的に後者。
    科学技術・医学が発達しても、現代の価値観・社会ルールのままだと、人類は不幸になってしまうよ、という問題提起をしてくれている。
    こういうのを「ディストピア小説」と言うのだろう。

    僕が感じたこの小説のテーマは、「戦争・内戦・テロ・虐殺は、なぜ完全には無くならないのか?」という命題。

    主人公は、虐殺扇動者と対峙していく中で、世界は全然平等では無くって、先進国の人達の幸福な生活は、途上国の人達の犠牲の上で成り立っているのだ、という「見て見ぬふり」をしてきたことに気付かされ、自身の仕事(暗殺部隊)の罪悪感にさいなまれて葛藤する。
    読者である僕らも、良く考えたら現代社会でも先進国が途上国から搾取する構図は同じ状況なのではないか、という気になってきて、虐殺扇動者の言い分こそが「不都合な真実」なのではないかとも思えて来るようになる。

    そんな風に、頭の中をグラグラさせられたい人にはおススメ。
    フィクションだからと言ってバカにしていられない問題提起がある。
    見ない方が、知らない方が、意識しない方が幸せなことなのかもしれないけれど。

  • 「虐殺器官」のアイディアと、ラストの主人公の決意(決して良いとは言えませんが……)が、知的で新しい!
    ひどいこと言ってるのに、つい感心して納得。
    (つまり私には、器官にせよ紛争減少にせよ、この本の世界でこれ以上の方法を思いつけない)

    外国、しかも架空の設定なのに、ここで描かれる紛争や戦闘を日本の読者に他人事ではないと感じさせる力量も、素晴らしいです。

  • 近未来の混沌を描いたSF大作。
    主人公はアメリカ軍の特殊部隊員であるシェパード。
    軍事物のアクションが迫力があり、しっかり書かれているだけでなく、ストーリーと何よりそこで語られる哲学的問と最後に現れる皮肉的なラスト。
    意味深長で考えさせられることが多い良書でした。
    人の言葉・良心の本質について問いかけられました。

    ストーリーのあらましは近未来において、世界は安全で管理された先進国と残虐性が支配するカオスな後進国とに分かれていた。
    そんな世界の中で急激に大量虐殺を伴う内戦が頻発し、主人公を含む特殊部隊が虐殺の黒幕暗殺に奔走するが、その陰には常にある男がいた。。

    これだけの才能ある人物がすでに逝去されているのを悔やむばかりです。

  • 「この豚を殺したのは、間違いなく俺なんだけどさ」
    そう言いながら、蛹は皿の上のソーセージにフォークを突き立てた。
    半分ほど囓り、口の中で玩ぶ。多分、食欲がないのだろう。目の前の問題から逃避するために、面倒くさいことを言い出す。いつものことだ。
    フォークに残されたもう半分を指さし、僕は言う。
    「そのソーセージを僕が食べたら、その豚は誰が殺したことになるんだろう?」
    蛹は口の中の肉片を飲み下し、答える。
    「俺が食べた分は、俺が殺したんだ。先生が食べた分は、先生が殺した。当たり前だと思うけど」
    そう、と僕は適当に頷く。
    うん、と蛹も適当に頷く。
    他愛ない、いつもの世間話だ。

    それはともかく。
    「虐殺器官なんてものがあるとして」
    蛹は、傍らに置いてある本に、ちらりと目をやる。先ほど読み終えたばかりらしい。
    「あるとして?」
    僕は聞き返す。
    「どうだろう、と思って」
    いきなり丸投げされた。
    仕方ない、考えよう。
    「……平和を模索するしかないんじゃないのかな。僕はあまり死にたくないし」
    僕は、思うままを述べる。
    「僕らに備わっている虐殺器官が、どういう形で僕らを動かすのかは分からないけれど……どうあっても身近な人と殺し合うような状況になるというならば、生きる目的も揺らぐのかもしれないしね。そして、そういう状況になるまで、理性は現実を理解できないのかもしれない」
    「実際に死体を目の前にしなければ、現実感がないのかもしれないってこと? 何が見たいんだろうね。頭を吹き飛ばされた死体とか、腹から捲き散らかされた小腸とか、そういうものを見なければ、死を想像することもできないのかな」
    そんな話をしながら腸詰めを食べるというのは、どう考えても狂っているんじゃないかな、などと思いながら、僕はフレンチトーストに生クリームを塗りたくって、口に放り込む。
    もっとも、僕が言う「正常」とか「狂っている」とかいう基準は、その言動が第三者に有益か不利益かという程度のものでしかない。前者の方が円滑に社会生活を営むことができるのは明白で、だからこそ、患者をそちらに誘導するのも僕の仕事だった。
    ちなみに、世の中には円滑な社会生活というものに全く興味がないというタイプの患者がいて、それが目の前でロイホの朝メニューを食べている青年だ。11時ギリギリに、ソーセージとスクランブルエッグとトーストのプレートを注文し、しかも本人は昼食のつもりなのだ。
    ちなみに、便乗してフレンチトーストを注文したのは僕だけど、それは甘いものを口にしないと目が覚めないからで、つまり僕にとっては朝食だということ。朝食をとる人間と昼食を食べる人間が同席するために、時空を越える必要はない。

    さて。
    「僕らの世界では、死はまだ近くにあるよ」
    僕は拙い抵抗をする。医者として、あるいは人としての、最低限の抵抗を。
    「そこら中の病院で、毎日誰かの家族が死んでいる。場合によっては、延命治療をするかどうか、判断を求められる場合もある。ちゃんと、残酷な世界だよ。心配はいらない」
    「そう?」
    「そうだよ」
    ちなみに蛹は先ほどから、フォークでスクランブルエッグを掬っては、僕の皿に乗せている。
    「どうだろうね」
    フォークをペロリと舐め、静かに笑いながら、蛹は言う。
    「ねえ、生きているものが死ぬことを、どれだけ遠ざけるのかが、社会というものじゃないのかな。そういう世界では、屠殺も虐殺も同じなんだ。同じくらい遠くのものなんだよ、先生」
    「屠殺と虐殺は違うよ」
    僕は言う。
    「そうかなあ。同じだと思うけれど」
    蛹は言う。
    僕は反論の言葉を探す。けれども蛹が口を開く方が、早かった。
    「少なくとも、殺される方にとっては同じだよ。死は死だから。殺す方にとっても同じだ。殺すことに意味があるから殺す」
    僕は、どうにも納得できないという顔をしてみせる。蛹が悲しそうな顔をしたのを、僕は見逃さない。
    「先生が言いたいことは分かるよ。すごく。みんな、そうやって逃げてきたんだ」
    「殺す理由を仕分けしてあれこれ言うのは、いつだって外側にいる人間だってことなら、うん、そうかもしれない。自分は外側にいると思っている人間。お前が大嫌いな人間だね」
    それはそれとして今日は平日で、僕はいい加減クリニックを開けないといけないし、今日最初の予約患者といつまでもファミレスでだらだらしているわけにもいかない。
    「コーヒー」
    そう言ってカップを差し出す蛹には、せめて僕に対してだけは、多少の社会性を身に付けてほしいと思わないこともなかった。

    「ところでこの本、映画化って、冒頭のシーンどうするのかな?」
    僕は気になったことを口に出してみる。
    「え、普通にやればいいんじゃない? どうせ最初にテロップだすんだろ。この作品には残虐な表現がどうこうってさ」
    「いや、さすがに色々無理じゃないかなあ……」
    脳漿はともかく、腸はね。

  • 初めましての作家さん。故人だったとは・・・
    SFって、苦手意識が強く働いてしまうので
    普段は避けているんだけれど、読んでみたら、
    頭の中に知らないうちに忍び込まれた様な
    やられた感に打ちのめされてしまいました。
    なんか、リアル過ぎて惚けてしまいました。
    アニメ映画化してるということなので、探してみましょ。

  • SFというと「行き過ぎたテクノロジーが人類に牙を剥く」という未来に向けて書かれるイメージがあるけれど、この作品はそうではなかった。むしろ今現在の「ぼくらの世界」、今ある平和に対して課題を突きつける。
    壮絶な戦場の描写、近未来的生活風景、「平和」を享受する人々の罪の在り処とあり得べき罰、その先にある赦しの希求、どれも面白かった。

  • 発売された時から気になっていて、とうとう読む時が来たというか、やっと読めた。
    今読んでもすごい世界観で、今だからこそ背景はすごくマッチするように思いました。

    ルビが多すぎて読みにくいのと、虐殺の文法に触れられていないのがもったいない。登場人物みんなが自分勝手で、誰にも感情移入できなかったのがまた残念でした。何よりウィリアムズが無念すぎる‥。もっと個々の心情や立場を掘り下げて、もっと長編でもよかったなぁと思うけど、これだけの内容をたった10日ほどで書き上げたというのはオドロキ。
    世界観が凄すぎて、読んでて理解仕切れなかったけど、これを文字だけで頭に映像見えるような作家さんだったらまた違った感想があっただろうな。次はハーモニー読んでみます。

  • ジョン・ポールがなぜこういうことを始めたのか?

    いやあ、腐ってるわあ、この人。
    しかしま、その動機に思い至らなかった、
    自分の善良さをよしとしたいところ。

    本領は主人公の葛藤かな。
    戦場での殺人と本人の意志っていう。
    しかし、メタにデリケートなところ・・・

    これ、書かれたのが2007年。
    作者は1970年代生まれなんで考えにくいですが、
    10年前、20年前、戦地経験者が
    今より沢山いらした時期に発表されていたら。

    現実問題として、今70代後半以上の年齢の方が
    この作品読むことは考えにくいですが、
    翻訳されて海外の戦地経験者の目に触れる機会とか・・・
    日本だって将来的には憲法改正の可能性がないでもなし・・・

    この作者に与えられた時間の短さは
    こういうテーマを選ぶ性向と
    あながち無関係ではなかったのかも。

  • 旧版。購入は2年以上前だが、無性にフィクションが読みたくなり、当初の予定を変更して読み始めたのが数日前。いやいや、これはもっと早く読んでおくべきだった。己の見る目の無さを激しく後悔。認証によって凡てが管理され、テロの猛威が過去のものとなった代償に様々な国で内戦が頻発するディストピア的世界。大量虐殺の陰に謎の男ジョン・ポール(元ネタはジョンジー?)の姿あり。要人暗殺のため、感情を脳医学的に調整される主人公の、装飾を抑えた冷静な視点。そんな主人公が真相を知り、採った最後の選択に打ち震える。思弁小説の大傑作。

  • 以前読んだ『ハーモニー』よりこちらを評価する。第一稿を10日で書き上げたそうだが、才気あふれる作品というのはそういうものかもしれないと納得した。

    以上で発言を終わろうと一旦思っていた。が、チラシ裏程度のことでも、自分のための読書メモだと考えて、自分が思った通りのことを書いておくことにする。

    この作品には大きな欠点がある。
    最初の賞の受賞を逃したのは、この作品を真に偉大な作品にするには物足りないその欠点が原因ではないかと推測する。

    まず・・・・最後まで物語を引っ張る原動力となるジョン・ポールが、あまりにも欧米の知識人「らしくない」こと。

    欧米の知識人は自己について言及する能力が豊かだ。言い換えれば「物語形成能力がある」。

    日本人よりはるかに抽象的な思索に富むし、自分の考えを語ることに慣れている。別の言い方をすれば言い訳がましい。それも立て板に水の名調子で語る。語る。紙面を埋め尽くすように語りまくる。ロシア文学の名作ならその本の三分の一くらいといっても大げさではない。

    この本の主人公は無神論者だが、無神論者であるならあるで、自分がなぜ無神論者であるか、欧米のフィクションに登場する「インテリ」なら聞かれてもないのに長広舌を奮うだろう。主人公より知的なジョン・ポールなら尚更。

    この作品はリアリティを無視してでも、物語を着地させるため、ジョン・ポールに数ページにわたって雄弁に語らせるべきだったのだ。

    さらに言うなら主人公も、最後の母親のエピソード・・・・主人公に「回心」とも言うべき衝撃を与えたに違いないエピソードで、もう少し慎み深さを捨て去るべきだった。

    終盤の主人公は、ある意味外国人が「理解できない」と困惑する日本人の典型を見ているよう。当然悪い意味でだ。

    どうも白人の、それもエリートという設定にしては、最重要人物が二人とも「らしく」なさすぎる。読んでいる最中に耐え難いと感じるほど。(彼らの行動に説明がない)


    この作品はプロットもアイデアも申し分なく素晴らしい。
    けれど人間をその人のプロフィール「らしく」描けていない。

    ほんのちょっとでもこの作品を強化するには、せめて主人公は日系アメリカ人でなくてはならなかったと思う。

    が、それは些末事だ。

    読者の関心は何よりジョン・ポールにあるのだから。

    ジョン・ポールが語るべきことを語っていないこと。これがこの作品の見過ごせない重大な瑕疵である。


    けれど逆にそのことによって、この本は違う重大な問題を照らし出してる。
    死の淵に立っても自分を語る言葉を持たない日本人という問題を。


    言葉が過ぎかもしれないが、今はそう思う。

  • 近未来のSFでありながらも現代が抱える苦悩、テロ、認証システム、貧困、軍事、環境問題、DNAそして人の倫理観や家族愛を盛り込みつつ、虐殺を促す言語という魅力的な仕掛けを軸に物語は展開する。
    軍事的ディテールや哺乳類の筋肉を使った機器、モジュール化された意識をON-OFFする発想なども秀逸。多数の文献が盛り込まれているであろう、圧倒的な情報量、そして残忍性に独特な世界観を感じる。濃密な読者体験。
    これを映像化するのは無茶な話だと感じる。
    自分の置かれた環境を守るために遠い国を内戦にするという発想は、愛するものへの懺悔が根底であることを考慮してもいささか無理はありそう。そういう意味では主人公であり語り部であるジョンシェパードが起こした内戦も、愛するルツィアを失ってなければおよそ実行しなかったろうし思い読了感に少々の疑問符が。
    人の死を強く意識する内容は作者が置かれた病魔との戦いにも無縁ではないであろう。人生を紡ぐ渾身の物語を。

  • 三部作の中では最も好み。
    言葉がもたらす洗脳をテーマに戦争・テロリズムに切り込んだSF小説。かなりストイックかつハードボイルドな趣。登場人物の掛け合いは映画みたいにオシャレだし、シェパード大尉と同僚の軽口など楽しめましたが、全編ほぼシリアス。
    作中ギクリとする言葉が何個もあり考えさせられた。
    人は基本見ないものしか見ないし自分の半径50メートルが平和ならそれでいい。
    よその国で今起きてる虐殺より、自分を取り巻く日常を守る習性が悲劇を拡散させている。
    フィクションの壁を挟んで安全圏にいた読者をも共犯者にひきずりおろすような底力がある(引きずり下ろすといったが、ただ当たり前の事実に気付かされるだけかもしれない)
    知らないでいることは悪なのか。知ろうとしないこそ悪なのか。善悪とはなにか、正邪とはなにか。
    妻子を亡くしたジョン・ポールの選択は非情で過激だが、カウチに寝そべってピザやポテチを摘まみ、テレビの戦争映画に一喜一憂する私達は聖人気取りで彼を断罪できまい。

    映画も視聴済みだが、エンターテイメントしてはあちらのラストのほうがまとまりがよかった。
    原作のラストは蛇足と見る向きもあるが、個人的には気に入ってる(なんとなく浦沢直樹「MONSTER」と同種の雰囲気を感じる……)
    シェパードと亡き母の確執も挿入されるが、記録された言葉や映像は現実を補強するだけで事実を担保するに足り得ない皮肉が、作品の主題に通底していてぞくりとする。

  •  各地で繰り広げられる内戦や大虐殺。その首謀者の首を狩る、専門的な特殊部隊にいるクラヴィス・シェパード。虐殺が起こる場所には、いつもジョン・ポールという男がいた。ジョン・ポールの仲間に捕らえられたとき、彼が語ったのは虐殺の文法というものだった。この文法に法って人々は内戦や虐殺をおこすのだと言う。クラヴィスは言葉にイメージを持てるように、言葉というものの強さを本質的に理解している。ポールの虐殺の文法に懐疑的ではあれ、クラヴィスがポールに近づくのは必然だった。
     世界はかなり発達していて、どこに行くにも認証がなければいけないし、兵士が使う装備も特殊なものばかりだ。サラエボでは核が爆発して、インド・パキスタンでは核戦争もおこった。もう核は特殊なものではない世界なのだ。
     クラヴィスはポールを捕まえるために、色々な場所を行き来するが、読んだ感じではそこまで世界が広い印象はない。それはシステムを表すための小説だからで、「ことば」というものがおこす力を表現したかったからだ。著者の映画時評でも書いていたが、映画を見るときにストーリーよりも世界や仕組みを重視している。この小説は、ITが発達した時代でも言葉の強さを表すための装置だと思った。それにより世界が希薄になるのはしょうがない。人間ドラマではなく、精神とシステムの小説なのだ。
     ジョン・ポールは愛する人を守る為に、虐殺の文法を使った。G9の敵になりそうな国に対して先に手を打ったのだ。これにより世界からテロの数は格段に減ったとポールは言う。この辺りは、そうなんだろうな、納得、と思うしかない。そんなことないだろうと言いたいが、この世界ではこうなったんだから野暮は言わない。
     それより、一番この小説で謎なのは、ラストでクラヴィスが、なぜアメリカに虐殺の文法を使ったのかということだ。彼は救いを求めていた。事故で植物状態の母の生命維持装置を止める同意書にサインをしたことや、日々の暗殺もだろう。夢の中の死者の国では、母や自殺した同僚のアレックスがよく出てくる。そしてポールの元恋人で、ポールへのつながりのために接触したルツィアには縋るような赦しを求めている。著者はこの小説を書くときに「主人公は成熟してない。成熟が不可能なテクノロジーがあるからである」と言っている。つまりクラヴィスは精神的に幼いのだ。だからルツィアには甘えるような愛を求めたのかもしれない。母から感じていた視線を逃れるために軍隊に入るが、死後に届いた母のログを見ることにより自分を見ていたのは勘違いだと気づく。母は自殺した父ばかりを見ていた。ルツィアを失い、母からの愛も失い、クラヴィスの心にはポールから送られた虐殺の文法がぴたりと合った。

     クラヴィスは自分の心情をこう書いている
     
      「カウンセリングなど必要なかった。
      ぼくが必要としているのは罰だ。
      ぼくは罰してくれるひとを必要としている。
      いままで犯してきたすべての罪に対して、ぼくは罰せられることを望んでい
      る。」 p.331

     ラストではこう書いてある。

      「ぼくは罪を背負うことにした。ぼくは自分を罰することにした。世界にと
       って危険な、アメリカという火種を虐殺の坩堝に放りこむことにした。ア
       メリカ以外のすべての国を救うために、歯を噛んで、同胞国民をホッブス
       的な混沌に突き落とすことにした。
        とても辛い決断だ。だが、ぼくはその決断を背負おうと思う。ジョン・
       ポールがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。」 p.396

     クラヴィスが言う、罰せられる人とは、自分をちゃんと叱ってくれる人ということだ。彼はやはり子供なのだ。クラヴィスは自分が母に見られていると思って軍に入った。実際は母はクラヴィスを見ていなかった。つまり父の様に母が消えてしまわないか見ていたのはクラヴィスだった。自覚のないマザコンだったのだろう。
     アメリカに復讐をし、自殺して国を恨んで死ぬのなら分かる。だけどクラヴィスは食料を買い込んで、家でピザを食べている。死ぬ気なんてない。彼はアメリカ国民の死を、自分の罰として一身に受けた。これはきっと、アメリカ以外の国を救うためではない。最初は考えたときは、夢の中の死者の国を、アメリカに再現して浸ろうとしたのかと思った。だけどクラヴィスは、度重なる任務での殺人や、機械として任務を遂行するための感情抑制における自分の意思を疑問視していて、現実に重きをおいてはいなくて、むしろ疑っているくらいだ。だとするとクラヴィスが莫大な罪を背負ったのは、夢の中の死者の国で、母やルツィアに会うためだ。それによりクラヴィスは安寧を得るのか、苦痛だと思いながらも生きて行くのかは分からない。
     全体としては、虐殺の文法という設定が面白かった。言葉で人を殺すというのは、頭の良いキャラに多いがジョン・ポールは規模が大きい。mgs5で同じような仕組みで言葉が使われていたので、著者と小島監督のつながりを考えると感慨深いものがある。

  • 定期的に読みたくなるSF小説。
    不思議なくらい面白い。

  • 作者の作品を初めて読んだが、博学で頭が良く、とても才能のある人だと感じた。若くして亡くなられたことは本当に残念である。
    近未来を舞台にしたSFアクション小説であるが、それ以上に、思想性や文学性の高い作品。文庫本の帯に「現代における罪と罰」と書いてあるが、まさに、「人が人を殺すことの意味」が問われている小説である。この作品はストーリー自体はそれほど起伏に富んだものではないが、主人公クラヴィス・シェパードと宿敵ジョン・ポールやルツィア・シュクロウブの間で交わされる会話が極めて知的で哲学的であり、考えさせられる内容を持っている。
    ジョン・ポールがやったこととその理由、クラヴィスが母親の安楽死を認めて苦しむ理由、「地獄は頭の中にある」といったアレックスの言葉、テロとの戦いで人を殺すことの倫理性、自分の殺意が虚構であることを知った主人公の心理、遺伝子とミームがすべてを決めているのではなく人間には選択の自由があること、選択した結果によって罰せられるべきであること、虐殺のことばは人間の脳にあらかじめセットされていること、虐殺の文法は食糧不足に対する適応であること等々。
    クラヴィスが、ルツィアと再会して自分の罪を許してもらうことを願う場面があるが、これはルツィアに母親のイメージを重ねて、母親に許してもらおうとしているのであろう。
    戦争が人口調節につながっているということは、私も以前に同様のことを考えたことがあった。
    非常に中身が濃く、示唆に富んだ文章であるため、すらすらとは読むことができず、立ち止って考えさせられることが多かったので、読むのに非常に時間がかかった。まだ、十分には把握できていないので、いつか読み返してみたい。

  • 虐殺器官、読了。残り100頁の時に覚えたラストへの危機的予想より100倍マシだったけど、ジョンポールの供述は一部感心したけど、まあ、エピローグの展開はよめてしまったので、嬉しいような、わたしの予想なんて当たらないでほしいようなフクザツな

    主人公の最後の最後の最後のトドメが母親だったのは、哀しいよね。きっとそんなことなかっただろうに。地獄は頭の中にあるからね、その時の自分の感情にすべてが左右される。それにしても最後のこの虚無さ、ピザはやっぱり虚無の象徴だなあ?シャーロット思い出すんだよないつも

    わたくしのトラウマを擽ぐる言語は、アメリカに混沌と戦争を起こしたそうなので、まあ、ていうか、親のことで悩む社畜はこれ読むのつらくないですか???

    虐殺器官の主人公がひたすら愛おしいよ。頭がいい人がマジでぶっ壊れて吹っ切れてしまったときのサイコパスとは異なる狂気さ。深淵を覗き込み過ぎたのと、愛する護りたい人がいなかった捨て身さよ

    でもわたしはやっぱり妻子を愛してたのに、愛人がいる男がちょっとよくわからないけどね。どっちも愛してるなら愛人といた自分を悔やむ必要がない、やっぱり家族を裏切ってる負い目はあったのか、じゃあ、裏切んじゃねえよ、それを超えて愛人を愛してるなら罪悪感をみせんじゃねえよクソ男が

    こどもは親に囚われるんだよ、えいえんに。

    たぶん、先に映画観てたら原作読まなかったから、わたしがニートとかで死んでるときに公開しててよかった、ような。なんで観なかったんだろ、謎。記憶ない。映画館調べなかったな。やっぱり紙の本で読んだほうが愛着あるよ

  • ミニタリー用語に疎いんで、ちょいちょい引っかかりつつ読了。
    それでも「屍者の帝国」より遥かに読みやすいです。伊藤さんが描き切ったのが読みたかったなぁ。
    タイトルの印象で何かロボット的なものが暴れ回るのかな?と思ってたけど違いましたね。
    アクションもあるけど哲学的な言葉こそが鍵。
    言葉、言葉、言葉への作者の拘りを感じる。
    解説で賞取りで「肝心の虐殺器官が具体的に描かれていないと批評された」と書かれてたけど、この作品ではそこは重要じゃないんだなと感じました。
    それが具体的に何であろうと、幸せな日常のために犠牲にしてしまうものがあるってこと。
    ルグウィンのオメラスの話を思い出しました。あれは良心のある者は去って行くけど、この主人公の決断は…
    やけっぱちなのか、更に強い正義感なのか、ミイラ取りがミイラになるような結末だけど、これを間違ってると言えるのか?と突きつけられた気がしました。

  • 序盤は「SFは苦手じゃぁぁぁ(´Д` ) 」と感じたものの、ルツィアと出会ったあたりから一変する。面白いじゃないか。

    死が身近であり、他者を暗殺する仕事をしつつも、身内の死について思い悩む主人公。この彼が虐殺器官なのかと思いきや、実は…?
    最後のオチも面白かった。序盤の舞台設定が語られるシーンさえクリアすればとても面白い作品だった。粘ってよかった_(┐「ε:)_

    しかし、この緻密な作品が10日ほどで書き上げられたとは(書籍化する際に2割ほど加筆されたとはいえ)驚きである。

  • 僅か長編2作を残し早逝した伊藤計劃氏の処女作。例えば『地獄の黙示録』や『メタルギア』に通じるハードボイルドな軍事ドラマで、エンターテイメント性が極めて高い。

    9.11を契機とした戦争の変質を鋭い感覚で捉え、比較的近未来の「秩序ある戦争」と「無秩序な戦争」へ昇華させ重厚な作品に仕上げている。”ザ・ロード・オブ・ザ・ジェノサイド”や虐殺器官など言語選択も俊逸だ。ゲームのようなワクワク感を味合わせ、しかし小説としての体も保ち、後半に至るほど哲学的でもある。

    難点は洋作品のような洒落っ気のあるフレーズを導入し白々しさがテンポを奪っているが、洗練された文章と構成はデビュー作とは思えないクオリティの高さである。偉大な才能が失われたことが惜しまれる。

  • 攻殻機動隊、サイコパスが好きな人はお勧め。
    テクノロジーが進歩して合理的だが、人の道徳という意味においては、皮肉や気持ち悪さがある感じ。
    読んでいてスッキリしないが、なんとなく余韻が残るような小説を読みたい人にはお勧めです。

  • かなり近未来の世界を描いている。
    本当に起こりそうだというリアルさが良い。
    かなり凝った部分と、粗削りな部分が混在していて、世界を切り取ったらこんな感じに見えるのかなという文章だと思いました。
    短期間にこれだけのものを書けたとは素晴らしいの一言です。
    他の作品も読もうと思います。

  • 読み始めたら止まらず、他の読みかけ本全部すっ飛ばしてあっという間に読了。SFだけど、すごく真実味もある。戦闘シーンのなんとも言えない生々しい描写。クラヴィスがだんだんバランスを崩していって、最後に転身を遂げる様とか、ポールとクラヴィスそれぞれの覚悟と決断の重みは筆舌に尽くしがたい。正義って何だろうね。私たちは直接手は下してなくっても、やっぱり命を天秤にかけているんじゃないか?

  • SFバイオレンスな本かと思っていたのだが、
    全然違くて、最近読んだ本の中でダントツで良かった。
    誤差のない時間を生きてきたのもあって、私が感じ取っている時代の一部がつめ込まれてる気がした。

    先にハーモニーを読んでしまっていたのだけれど、読んでない人はこちらを読んでからハーモニーを読んだ方がすんなり納得できると思う。

    生きていたらもっと素晴らしい作品を残していただろうに、残念です。

  • 題名がラノベっぽくて嫌なんだけど、中身は面白かった。SFっていいね!
    細部の描写が細かく描かれていていい。
    痛覚マスキングとかポッドの素材とかとか。
    ド文系の私でも、わかった気にさせてくれる道具が良い。

    自国に争いを持ち込ませないために他国同士を争わせるとか、
    実際PR会社が戦争に介入した例もあるので、荒唐無稽な未来でもない感じで。
    ゼミで論じたら楽しいだろうなぁ。

    道具とか、虐殺器官とか、面白い発想がすごく多い。
    他の作家さんだと面白いと思える発想があっても、せいぜい数個で、それを長々と膨らませて、またこの話かよーってなるんだけど、伊藤さんのはそれが無かった。ラストも、主人公と作者に距離があり、あくまでこの構造を語りたいとうことが伝わった。

    ジョン・ポールが虐殺の文法を遺してたとのことだったが、主人公と話している会話の中に、虐殺の文法を紛れ込ませていたのかも。

    ルツィアがあそこまで二人を惹きつける理由は謎だ・・・。

  •  エクリチュールとは死者の国である。とラカンが言ったかどうか知らないが、似たようなことは言っているはずだ。
     だから本書も死者のものであり、実際、作者はもう鬼籍に入っている。この小説を書いているときにどれほど自己の死を差し迫ったものと感じていたのかは知らないが、冒頭からおびただしく死のイメージに満ちている。当然、これは戦争の物語なのではあるが。
     9.11から少し未来の世界。先進国はテロ対策に管理を強めている。他方、発展途上国では政情不安が続き、世界のあちこちで虐殺行為が頻発している。そしてアメリカ国防省は他国での要人暗殺を不可避の紛争解決手段としている。「ぼく」、クラヴィス・シェパードはアメリカ合衆国情報軍の特殊部隊員。紛争地帯の「人道に対する罪」を止めるため、虐殺の中枢となる人物の暗殺を任務とする。
     虐殺の行われる国に必ず出没するアメリカ人の学者ジョン・ポール。彼が虐殺行為を引き起こす何らかの工作をしているらしい。「ぼく」はジョン・ポールの暗殺を命じられる。

     すでに評価の高い作品であるが、なるほど面白くもあり重くもある。まるで、英語圏の翻訳SFを読んでいるような感触は日本のSFらしい手垢を見事にぬぐい去っている。まずはジョー・ホールドマンの『終わりなき戦い』や『終わりなき平和』を連想した。非情なミッションとそこでも何とか保とうとする人間性。本作では特殊部隊員がミッション中に良心によって判断が鈍らないように、モジュール化した脳の機能を切り離すテクノロジーが登場する。この辺はグレッグ・イーガンみたいだが、イーガンのように主体の存在そのものを揺るがすような扱いではない。
     謎の学者をヨーロッパの古都に追いかけるストーリー、「個」ではなく「種」に影響する何かを言語学的に扱うのは、山田正紀『神狩り』を思い出した。
     重いのはテーマ。それはたぶん、「生きるために殺す」ということではないだろうか。本書では戦争が産業化されるさまも描かれているが、戦争の本質は「生きるために殺す」ということであり、さらに一歩進んで、人間の本質は……とまでいえるのかは読者に託されているというところか。
     『自爆する若者たち』とあわせ読むと、絵空事ではなくなる。

  • 伊藤計劃作品
    「言葉」の持つ力を改めて考えさせられました。
    またラストの展開にも衝撃を受けました。

  • 前評判を聞いてなかったら途中で読むのをやめていたかもしれない。
    自分のことを「僕は」という殺し屋と、能書きばかりで前半は退屈でしかたなかった。

    後半は急速に動きが出てきて、ふむふむというところに物語は着地する。

    前評判を聞いていなかったらもっと満足感は高かったかも。
    あと攻殻機動隊を見る前だったら。

  • 冒頭、グロテスクな描写なので読むのをやめようかとも思ったけれど、読むにつれ物語の広がり、深まりが静かな語り口の下で激しく進んでいく。

    今まで、これほどのSF・ミステリー・アクションすべての要素が詰め込まれた小説があったか?
    文中の言葉を借りるなら、思索的でもある。
    自身の置かれた状況を映画「地獄の黙示録」のカーツ大佐とウィラード大尉にたとえているが、それを遙かに上回るテーマ性と意外性がある。

    10年、生年が遅い作者と、同じような文化的体験をしていると感じられる描写が随所にみられ、それもポイント。
    残念なことに作者はすでに亡くなっている。 残念。

    本当に面白かった。

    前にも「ジウ」のレビューでも書いたことがあるけれど、静かな本屋さんの中にある本の、ページを開いた瞬間からこんな胸躍る物語が飛び出してくるって、本当に面白い。

    やめれんな・・・。

  • 文体の作りが馴染めないまま後半に突入。内面的な情報がおおく、情景描写が少なく想像力を試される。

    4章ぐらいから、動きのある展開。

    人間は、やはり争いなしに生きられないものかと…殺しあうことで得る平和、それに手を染める人間とは…テーマが深くて、一回では、理解しがたい。

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著者プロフィール

1974年東京都生れ。武蔵野美術大学卒。2007年、『虐殺器官』でデビュー。『ハーモニー』発表直後の09年、34歳の若さで死去。没後、同作で日本SF大賞、フィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞。

「2014年 『屍者の帝国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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