- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150310196
作品紹介・あらすじ
21世紀後半、「大災禍」と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する"ユートピア"。そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した-それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰にただひとり死んだはずの少女の影を見る-『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。第30回日本SF大賞受賞、「ベストSF2009」第1位、第40回星雲賞日本長編部門受賞作。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
「病のない世界って、どんなだろう」
僕はそんなことを呟きながら、さっきコンビニで買ってきたシュークリームに齧り付く。ちなみに朝食だ。
「病気がなくなったって、死ななくなるわけじゃないんだろ」
蛹はコーヒーを飲みながら、そんなことを言った。朝食は先に済んだのか、もしくはスキップする気なのかもしれない。ソファの向かい側で、カップを片手にぱらぱらと本を捲っている。
僕は言う。
「長生きできる保証と、苦しまずに死ねる保証があれば、やっぱり社会のあり方は変わると思うよ。少なくとも医療の観点から見れば、理想に近いかもしれない」
「……朝っぱらから糖分と脂肪分を摂取しながら言うのはどうかと思うんだけど」
的確なツッコミだけれど、できれば言わないでおいてほしい。僕の脳細胞は、糖分を摂取しないと初動すらままならないんだ。
それはともかく。
蛹は先を続ける。
「でもさ、先生。これは、身体のことだけじゃないだろ」
どういうこと、と問う代わりに、僕は首を傾げる。
「お互いに傷つけないように、思いやって、大事にして、そのために互いのことがよく分かるように個人情報を売り渡して、っていう話だろ」
「それが不満?」
カスタードクリームと格闘しながら、僕は問う。
「気持ち悪いね」
蛹は吐き捨てるように言い、コーヒーを啜る。
「結局、思いやりとか、優しさとか、他人の痛みに寄り添うとか、聞こえはいいけど全部、自分と他人の境界を曖昧にしていくことじゃないか」
なるほど、と僕は相槌を打つ。
「それが、お前の言う、気持ち悪さ、かな」
「多分ね。他人が自分の感情を勝手にトレースして、でもそれは俺が本当に感じていたこととは違っているとしたら、結局感情ってなんだろうってさ」
心を守るために心を無くすという矛盾を、彼は気持ち悪いという言葉で表現したのだと思う。
じゃあどうすればいいのかなんて分からないけど、蛹なら、「人と人がわかり合う必要なんてないんだ」と切り捨ててしまうのかもしれない。心の守り方も人それぞれだ。
「ところで、もし誰かひとり殺さなければ死ぬ、ってことになったら、どうする?」
僕は、蛹が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、そんなことを尋ねてみる。
「うん? 先生を殺すかな」
ああ、やっぱりね。それが僕の役割のような気はしているんだ。今日もコーヒーは苦い。
「言うと思ったよ。でもって、お前はそのあとに自殺するんだ」
「そうだよ。だって、下らないし」
それ、僕は死に損じゃないかな。
僕も、誰か殺しておいた方がいいのかな。でもそうすると、殺す相手は蛹くらいしか思い浮かばないし、それが多分、彼が期待している次の言葉なんだと思う。
だから、言ってやらない。絶対に。 -
<proposition>
我思う、故に我在り
</proposition> -
WHO憲章だったか、健康である権利というのを学校で習ったとき、不健康でいる権利はないのかなどと思ったのは、やはり私も思春期だったのだ。しかし、その後、健康への圧力は強まり、健康増進は法律で定められ、たぶん、人生の価値を名誉でも財産でもなく、健康に置くと言う人(本音はどうあれ)が増えたのではないだろうか。手狭になった病院が郊外に移転するとそのまわりに家が建ち、ショッピングセンターができるなどという街作りも稀ならずみられるようになった。不治の病に冒され入院をくり返した伊藤計劃は、病室から延長する将来の世界を見すえていたのだろう。と思ったら、やはりインタヴューでそんなことを答えていたようだ。
世界の病院化が進むと、人々は体内に健康状態をモニターするデヴァイスを入れ、それをコンピュータが管理することで病気は克服され、自己身体は公共的リソースとなって、互いが互いをいたわり合う愛に満ちた時代がやってくる。そんな時代を伊藤計劃は「ハーモニー」と称する。これがタイトルのひとつの意味。森岡正博なら無痛文明というだろう。
「ハーモニー」に息が詰まるような閉塞感を覚える女子高校生たちが、自殺を試みるというあらすじをみて、『虐殺機関』とはずいぶん違った作品なのかという予断を持っていたが、実は『虐殺機関』のある種の続編。『ハーモニー』の社会は『虐殺機関』で描かれた世界が、虐殺と限定核戦争という破局にまで突き進み、その後の再建の中で生まれてきたものなのだ。上述のような病院化社会は先進国の多くを覆ってはいても、そこからあぶれる地域紛争地帯も残っている。13年前、自殺を試み失敗した「わたし」トァンは、紛争地帯で停戦監視団のような仕事に就いて、息詰まる社会から半分逃げている。ところが、数千人が同時に自殺を図るという信じがたい事件が起こり、トァンはそこに、自殺を主導し、死んだはずの同級生ミャハの影を見る。
伊藤計劃は『虐殺機関』でいとも論理的に「虐殺こそあなた方の平和に必要なのだ」と示してみせてわれわれを震撼させたが、同様の問題圏から違った解を導いたのが『ハーモニー』である。『ハーモニー』では──ネタバレになるのでぼかして書くと──「平和のためにはある意味で人間をやめるのが正しい」という解を導いたのだと思う。その解法は至極論理的で、まったく正しいように思われるが、『虐殺機関』では「社会」の水準の解法を適用しているのに対して、『ハーモニー』では「人間」の水準の解法を試みているのが大いに違う。私にはこの解法は十分論理的に思えるのにも拘わらず、やはりこの解は違うのではないかと思う。
何でもありのフィクションに対して「違う」を言っても仕方がない。それはそうなのだが、伊藤計劃はたぶん脳漿がにじみ出すほどに考え詰めて、このストーリーを生み出したのだ。思想書並みに読むのが礼儀というものだろう。 -
詳しくは収まらなかったので自分のメモにて
不思議と、これを読んだあとに何カ国か旅をして日本に帰ってきた時、清潔感がある整ったインフラや健康志向の色々なものに対して、既視感のある息苦しさみたいなものを感じた。トァンが言っていた感覚に少し近かったのかもしれない。 -
世界観や設定が卓越して面白かった。だが私のような原始の感覚の至上主義者からすると氏の合理的すぎる思考には物足りないところがいくつもあった。そうであることに安心する。この作品は小説であるが、作中の事件が、ある意味では現代に起きてもおかしくない危うさを含んでいるからだ。故に、「氷でできた刃」のように美しく感じるのかもしれない。早逝が惜しまれる。
著者プロフィール
伊藤計劃の作品





