ハーモニー (ハヤカワ文庫 JA イ 7-2)

著者 :
  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150310196

作品紹介・あらすじ

21世紀後半、「大災禍」と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する"ユートピア"。そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した-それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰にただひとり死んだはずの少女の影を見る-『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。第30回日本SF大賞受賞、「ベストSF2009」第1位、第40回星雲賞日本長編部門受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • 21世紀後半、<大災禍>と呼ばれる混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。病気がほぼ放逐され、優しさや倫理が横溢するユートピア。
    そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した。
    ……それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰に死んだはずの少女の影を見る。


    アニメ映画にもなったSF小説。
    極端な健康・幸福・調和に支配された、医療・生命至上主義の”ユートピア”と、その調和に馴染めない少女たちを描いた一冊です。

    読み終わって、すごいものを読んでしまったという興奮がありました。
    体調や感情は常時スキャンされて必要に応じて警告や投薬が行われ、刺激の強いメディアにアクセスするには「心的外傷性視覚情報取扱資格」が必要で、すべての人間は社会的評価点が公開され、公園の遊具は子供が死んだり怪我をしないように可変で知性を持ち、建物は権威的な空間や脅迫的な色を取り除いてある。人間は皆「公共的身体」の持ち主で、「社会的に希少なリソース」である。とにかく過剰なまでに命や公共性、調和が重視される世界で起こった集団自殺事件。
    WHOに勤めるトァンは、その真相を追ううちに、学生時代に共に自殺を試みた友人の影を見る。人とは何か、意志とは何か、自分が自分であるという事はどういうことか。SFであり、哲学書のようでもありました。

    個人的には、この高度医療・生命至上社会、少し羨ましいと思うところもありました。痛みや苦しみは、自己を自己たらしめる重要な要素ではありますが、味わわず済むならその方が良いですし。実際この世界に生まれていたら、私なんかは全く違和感を持たず過ごしていただろうなと。
    とはいえ、この世界では私含めたブクログ愛用者さんたちが愛してやまない刺激的な書籍に簡単にアクセスできないと考えると、やっぱり今の世界のままがいいかな。

    ちなみにこの小説、htmlに似たマークアップ言語のようなもので記載されていて、一風変わっています。SFだからね。変わった趣向だなと思って読んでいたのですが、ラストまで読んでぞっとしました。すごい仕掛け。
    素敵な読書体験でした。

  • 前作の『虐殺器官』が合わず、積読すること10年。何を思ったか読み始め、一気に読み通した。

    舞台は21世紀の後半。〈大災禍〉と呼ばれる核戦争、その後の未知のウイルスの発生、放射線による癌の蔓延を経て、世界は各国政府による統治ではなく、医療合意共同体である生府による政治形態に移行した。すなわち、健康を至上命題とし、体内に埋め込んだ医療システムによる常時監視である。体に悪いことは警告が発せられ、食事はデータ化、体内の異常にはシステムから自動的に修復プログラムが送信される。これにより、ほぼ全ての病は駆逐され、老いすらも克服されようとしている。ウイルス蔓延後の世界…。今の時期にこれを読むと、どうしてもアフターコロナの先取りをSFがしているように思えてしまう。

    ユートピアのようではあるが、一切の嗜好品は禁じられている社会である。人々は、それが禁じられていることにも気がついていない。なぜなら、最初から選択肢にないからであり、何を食べるか、どんな運動をするか、いつ寝るか、そのような選択をすることはシステムに外注しているからである。ディストピアは、本人たちが気が付かないうちにそこに現れる。

    身体の監視により、健康に悪い生活習慣を一掃した社会が次に考えたのは、意識の制御であった。脳も身体の一部であるなら、そこから派生する意識をも制御することにためらいはない。苦しみや絶望、葛藤を取り除き、調和のとれた意思を再設定する計画「ハーモーニー・プロジェクト」。その結果は…。
    このくだりを読んだ私は、本当に驚き、また納得した。ああ、なるほど、そうなるよね。しかも、そうなっても当人の生存に全く影響はなく、周囲の人間は気がつかないという。怖!怖すぎる。

    ラストで、本書はetmlというテキストコードで書かれたものであることが明かされる。たしかに、ところどころhtmlのようなコードが記され、感情を表す英単語が挿入されていた。読書中は変わった趣向だなくらいに思っていたが、実はそれすらも大きな仕掛けであったことが判明する。
    今さらながら、凄いSFを読んでしまった。

  • 友人に勧められて購入。
    初めて読む作家さんだった。

    作者が闘病生活の中で作品を書き、その後亡くなっていることを聞いていたせいかもしれないが、文章に隙がなく、キリキリに巻かれたネジのように、自らの命を削って描いている印象を受けた。

    近未来、私たちも本作に描かれているように、全てを管理された生活になるような気がしないでもない。
    管理された健康で生きていくことは幸せなのか?
    疑問を持つことは罪なのか?

    考えさせられる。

    セットのようになっているらしい「虐殺器官」も読んでみようと思っている。

  • 「病のない世界って、どんなだろう」
    僕はそんなことを呟きながら、さっきコンビニで買ってきたシュークリームに齧り付く。ちなみに朝食だ。
    「病気がなくなったって、死ななくなるわけじゃないんだろ」
    蛹はコーヒーを飲みながら、そんなことを言った。朝食は先に済んだのか、もしくはスキップする気なのかもしれない。ソファの向かい側で、カップを片手にぱらぱらと本を捲っている。

    僕は言う。
    「長生きできる保証と、苦しまずに死ねる保証があれば、やっぱり社会のあり方は変わると思うよ。少なくとも医療の観点から見れば、理想に近いかもしれない」
    「……朝っぱらから糖分と脂肪分を摂取しながら言うのはどうかと思うんだけど」
    的確なツッコミだけれど、できれば言わないでおいてほしい。僕の脳細胞は、糖分を摂取しないと初動すらままならないんだ。
    それはともかく。
    蛹は先を続ける。
    「でもさ、先生。これは、身体のことだけじゃないだろ」
    どういうこと、と問う代わりに、僕は首を傾げる。
    「お互いに傷つけないように、思いやって、大事にして、そのために互いのことがよく分かるように個人情報を売り渡して、っていう話だろ」
    「それが不満?」
    カスタードクリームと格闘しながら、僕は問う。
    「気持ち悪いね」
    蛹は吐き捨てるように言い、コーヒーを啜る。
    「結局、思いやりとか、優しさとか、他人の痛みに寄り添うとか、聞こえはいいけど全部、自分と他人の境界を曖昧にしていくことじゃないか」
    なるほど、と僕は相槌を打つ。
    「それが、お前の言う、気持ち悪さ、かな」
    「多分ね。他人が自分の感情を勝手にトレースして、でもそれは俺が本当に感じていたこととは違っているとしたら、結局感情ってなんだろうってさ」
    心を守るために心を無くすという矛盾を、彼は気持ち悪いという言葉で表現したのだと思う。
    じゃあどうすればいいのかなんて分からないけど、蛹なら、「人と人がわかり合う必要なんてないんだ」と切り捨ててしまうのかもしれない。心の守り方も人それぞれだ。

    「ところで、もし誰かひとり殺さなければ死ぬ、ってことになったら、どうする?」
    僕は、蛹が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、そんなことを尋ねてみる。
    「うん? 先生を殺すかな」
    ああ、やっぱりね。それが僕の役割のような気はしているんだ。今日もコーヒーは苦い。
    「言うと思ったよ。でもって、お前はそのあとに自殺するんだ」
    「そうだよ。だって、下らないし」
    それ、僕は死に損じゃないかな。
    僕も、誰か殺しておいた方がいいのかな。でもそうすると、殺す相手は蛹くらいしか思い浮かばないし、それが多分、彼が期待している次の言葉なんだと思う。

    だから、言ってやらない。絶対に。

  • <proposition>
    我思う、故に我在り
    </proposition>

  •  WHO憲章だったか、健康である権利というのを学校で習ったとき、不健康でいる権利はないのかなどと思ったのは、やはり私も思春期だったのだ。しかし、その後、健康への圧力は強まり、健康増進は法律で定められ、たぶん、人生の価値を名誉でも財産でもなく、健康に置くと言う人(本音はどうあれ)が増えたのではないだろうか。手狭になった病院が郊外に移転するとそのまわりに家が建ち、ショッピングセンターができるなどという街作りも稀ならずみられるようになった。不治の病に冒され入院をくり返した伊藤計劃は、病室から延長する将来の世界を見すえていたのだろう。と思ったら、やはりインタヴューでそんなことを答えていたようだ。
     世界の病院化が進むと、人々は体内に健康状態をモニターするデヴァイスを入れ、それをコンピュータが管理することで病気は克服され、自己身体は公共的リソースとなって、互いが互いをいたわり合う愛に満ちた時代がやってくる。そんな時代を伊藤計劃は「ハーモニー」と称する。これがタイトルのひとつの意味。森岡正博なら無痛文明というだろう。
     「ハーモニー」に息が詰まるような閉塞感を覚える女子高校生たちが、自殺を試みるというあらすじをみて、『虐殺機関』とはずいぶん違った作品なのかという予断を持っていたが、実は『虐殺機関』のある種の続編。『ハーモニー』の社会は『虐殺機関』で描かれた世界が、虐殺と限定核戦争という破局にまで突き進み、その後の再建の中で生まれてきたものなのだ。上述のような病院化社会は先進国の多くを覆ってはいても、そこからあぶれる地域紛争地帯も残っている。13年前、自殺を試み失敗した「わたし」トァンは、紛争地帯で停戦監視団のような仕事に就いて、息詰まる社会から半分逃げている。ところが、数千人が同時に自殺を図るという信じがたい事件が起こり、トァンはそこに、自殺を主導し、死んだはずの同級生ミャハの影を見る。
     伊藤計劃は『虐殺機関』でいとも論理的に「虐殺こそあなた方の平和に必要なのだ」と示してみせてわれわれを震撼させたが、同様の問題圏から違った解を導いたのが『ハーモニー』である。『ハーモニー』では──ネタバレになるのでぼかして書くと──「平和のためにはある意味で人間をやめるのが正しい」という解を導いたのだと思う。その解法は至極論理的で、まったく正しいように思われるが、『虐殺機関』では「社会」の水準の解法を適用しているのに対して、『ハーモニー』では「人間」の水準の解法を試みているのが大いに違う。私にはこの解法は十分論理的に思えるのにも拘わらず、やはりこの解は違うのではないかと思う。
     何でもありのフィクションに対して「違う」を言っても仕方がない。それはそうなのだが、伊藤計劃はたぶん脳漿がにじみ出すほどに考え詰めて、このストーリーを生み出したのだ。思想書並みに読むのが礼儀というものだろう。

  • ラスト、涙が止まらなかった。悲しいなんて一言も書いていないのに、「ある意味でハッピーエンド」と著者も言っているのに、なぜこんなに悲しいのだろう、悲しいというよりもっと深く、喪失が空を覆い尽くして、心臓を手づかみで揺すぶられるような痛みが息つくたびにこぼれ出る気がする。
    ラストシーン、ミァハと対峙する場面、その結末は、言ってしまえば類型的だし予想の範囲内。でもそれでも平気だし、へんな小細工する必要なかったんだ、この話では、って思う。ミァハが目指していたのは混沌じゃなく寧ろハーモニクスの方だ、と知れたときの衝撃、それだけで。
    「さよなら、わたし」と、わたしがnull値に帰す瞬間、トァンが感じたせつなさが、クロウカシスの白い雪の落とす灰色の翳が、きっとこんなに痛いのだろう。
    なくてもいいもの、進化の過程でたまたま残ってしまったもの、他のものすべて外注に出した以上邪魔でしかないもの、意識。
    トァンとヌァザたちが固執したのは私には分かるし、今の人間たちはきっとみんなそう。だけどスイッチを押したら、何が残る? そう思っていたことに何の意味がある?
    その問いかけが宙に浮かぶからせつない。ミァハが、それでも自身の壊そうとする世界を愛していたことも、パラレルな同じ大きさのベクトルとして悲しい。(ならば重なるの?)

    伊藤計劃のSFは、根本的な問題、主題というものが非常にクリアに言い切られている物語だなぁと感じる。「虐殺器官」もそうだった。受ける雰囲気が非常に似ていて間違いなく同じ著者だと思う。私は「ハーモニー」の方により衝撃を受けたかな。
    これ読んで、ああ、なんで死んじゃったの、って痛感した。Project Itohにはまだ書きたい、書かなきゃならないものがあったでしょって。この2作だけじゃ書き切れなかったでしょって。本人は「今の時点の限界」と言ったらしいけど、そのギリギリさがこんなに涙をこぼさせるのかな。

  • ひさびさにSFを読んだ。
    SFだけじゃなくミステリーや哲学的な要素も含んでいて面白かった。

    21世紀初頭に発生した<大災禍>。
    それは全世界規模で不安が巻き起こり核爆弾を互いに打ちまくった大災禍。
    人類は社会の要素である価値観を植えつけた世界に移行し、健康であり争わない高度な医療経済社会を築いていた。

    高度な医療経済社会では、身体の状況や感情がすべてサーバーに送られ、悪い変化の兆しがあるとあらゆる処方箋を提示し実行できる支援をしてくれる。病気も肥満もない健康体。つまり身体の状態管理維持支援をフルアウトソーシングしている。

    みんな同じ肉体。みんな理想の肉体。
    体調変化に気を配る必要がない世界はスマートかもしれない。
    世界は進化するけど個は退化ですよね、やっぱり。

    この小説は「人ってなに?」を突きつけてくる。
    身体の状況をフルアウトソーシングすることを許容するならば、「意志」も第三者にアウトソーシングしてもいいのではないか?
    脳も身体の一部じゃないのか?と。

    争い、病気、自殺、不安をなくし進化させる世界を突き詰めた到達点にあるハーモニー(調和)とは...。

    たどり着くハーモニーな世界の仕組みは理論的に正しいのかもしれない。
    でも感情が正しいと理解しない。
    理論的に正しい、統制的な世界を望むのか。
    統制されていない理不尽な世界が遺る個の感情・意志のある世界を望むのか。

    統制的な世界に、個を認識できない、個を知らない世界に生まれてしまったら、それが世界でありとても生きやすい世界かもしれないですね。
    でも争いがあるからこそ、矛盾を抱えるからこそ進化するんじゃないかな。
    ハーモニーは計算されつくした世界だけじゃなく、ノイズからも生まれると思う。

    地球を滅ぼさないハーモニーを構築しつつ、ノイズを許容できる世界が訪れますように。


    著者が生き続けていたら読み応えのある作品にもっと出逢えたんだろう。
    残念です。

  • 詳しくは収まらなかったので自分のメモにて
    不思議と、これを読んだあとに何カ国か旅をして日本に帰ってきた時、清潔感がある整ったインフラや健康志向の色々なものに対して、既視感のある息苦しさみたいなものを感じた。トァンが言っていた感覚に少し近かったのかもしれない。

  • 世界観や設定が卓越して面白かった。だが私のような原始の感覚の至上主義者からすると氏の合理的すぎる思考には物足りないところがいくつもあった。そうであることに安心する。この作品は小説であるが、作中の事件が、ある意味では現代に起きてもおかしくない危うさを含んでいるからだ。故に、「氷でできた刃」のように美しく感じるのかもしれない。早逝が惜しまれる。

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著者プロフィール

1974年東京都生れ。武蔵野美術大学卒。2007年、『虐殺器官』でデビュー。『ハーモニー』発表直後の09年、34歳の若さで死去。没後、同作で日本SF大賞、フィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞。

「2014年 『屍者の帝国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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