ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

著者 :
  • 早川書房
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本棚登録 : 6873
レビュー : 940
  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150310196

感想・レビュー・書評

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  • この小説の世界は、思うに、日常におけるほんの少しの違和感であったり、歪みであったり、時代の変化をそのまま増幅した近未来の世界であると思う。言葉や概念の意味が、社会や時代によって変容することなど、過去から現在にかけての分析でわかったことを、そのまま現在から未来にかけて応用している手法から描かれる近未来像はとてもリアリティがある。感情や血縁というある種非合理なものを機能主義的に分析するクライマックス手前の葛藤はとても哲学的で好きだ。
    さらに、この小説の基本的な軸は、理性/感情、機械/動物という古来から存在する二項対立であり、全てを合理的に決断した時に心の何処かから湧き上がる「正しいのはわかるけど、なんか嫌だなぁ」という感情を具現化したのが主人公トァンである。
    科学技術の発展により、あらゆるものの外注が可能にり、矮小化した現代人というミァハの現状分析は、現代への示唆に富んでいると思う。

    意識とは、あらゆる意見の葛藤であり、その葛藤の配分や揺らぎが自己のアイデンティティーを表す。ハーモニーは意識の喪失、つまり、アイデンティティーの消滅でもある。

  • 伊藤計劃(1974-2009)のSF長編第二作、2008年。

    作中には一種のユートピアが構築されている。ユートピアは、理想郷として現実に於いて場所をもたない[ou-topos]が、と同時に、理想の完全性により生成変化することもなく、それゆえそこには時間が無い[ou-chronus]ともいえる。更に、ユートピアにあっては人間の自由意志という体系攪乱的な因子は排除され全ての存在が全体の中の寸分狂わぬ歯車となっている、そこに漂うのは表情無き不気味さである。ユートピア的公共社会にあっては、その構成員の"顔"が見えないのだ。空間や時間が無いだけでなく、人間もいない。 端的に一個の「システム」である。この非人称的な「システム」に於いては、個人の独存性は抹消される。

    本書には、言語化され・コード化され・社会化され・規範化され尽くした窒息を催す退屈な一つの全体性としての「システム」に対して、そこからの【突破】(Durch-bruch, ハイデガー)を否応なく希求せずにはおれない「実存」、という典型的なロマン主義的構図が明白に見て取れる。

    「安っぽい幸福と高められた苦悩と、どちらがいいか?」 (ドストエフスキー『地下室の手記』)

    自己意識とは、超越論的な自己内分裂だ、内的自己と外的世界との間に穿たれる無だ。これによって、「システム」から引き離された「実存」という領野が立ち現れる、「自由」や「意志」という領野が立ち現れる。究極のユートピアにあっては、この人間存在の根源的な分裂を惹き起こす自己意識の抹消が最終目的となろう。「実存」的苦悩の、ひいては「実存」そのものの無化である。ロマン主義が美的世界と呼んだ分裂無き全体性への全き合一、「システム」への溶解。そこには、苦悩も疑念も逡巡も不安も疎外感も不全感もない、欺瞞もアイロニーもシニシズムもない、迷いも分岐も不定因子もない、一切の懸隔がない、それゆえに決断という命懸けの跳躍もない。「システム」に対して常に必要十分な過不足無き状態。自己意識の分裂によって毀損されることのない、懐疑の曇り無き全き自明性そのものとしての状態。それは、予めその断念が不可避でありながらなおそこへ赴かずにはおれない不可能性への如何ともし難い希求という限りに於いてのみ高貴であろうが、実現してしまえば「安っぽい幸福」でしかない。それを峻拒しようとしたのが作中の幼き日の少女たちだった。

    「実存」とは、無際限に繰り出す否定=対象化によって、およそ全ての「システム」を超越しようとすることで以て常に既にそれを超越してしまう、自己意識というものに根源的に根差す過剰だ。

    ではここで、自己意識を、人類が或る環境に適応するために進化の過程において偶然に獲得した形質のひとつに過ぎないものとして、相対化することは可能か。本作品では、そうした相対化を前提としている。このような設定は昨今の小説では必ずしも珍しいものではない。脳科学・神経科学・認知科学等々の発展著しい現代ではあるが、そうした諸学が達成した多彩な果実の華やかさに眩惑されて、意識の在りようの本質を見誤っていないか、割り切れないものが残る。



    現代に説得的なユートピア/ディストピアとは如何なるものか。それは、「システム」に対してノイズたり得る「実存」の存在をも予め織り込み済みであるような、そうした「実存」のノイズそれ自体が「システム」全体の調和に資することになってしまうように設計されているような、「システム」の否定としての「実存」を予め内包しているような、ものではないか。そんな「システム」を構築した作品が可能であれば読んでみたい。



    「人間っていうのは、わざと極端な禁則を設定して、それを守り続けないといつか元の木阿弥になって、ひどい混沌に還ってしまう、って怯えつづける生き物なのよ。本来的に。そういう恐がりなひとたちは『程々』じゃ不十分だって考える」

    「そう、おとなになってわたしは、こうやって社会から少しだけ逃げ出した。
    思いやりと慈しみでじわじわと人を絞め殺す社会から。
    こっそりと、ずる賢く、最低のやり方で。
    抜け出すのに必要だったのは、
    <list:item>
    <i: 大人になることを受け入れるふりをすること>
    <i: 大人であるとシステムをだまし続けること>
    </list>
    のふたつ」

  • SF。
    前作「虐殺器官」の続きにして伊藤計劃の遺作、になるのかな??
    虐殺器官の最後に訪れた世界の大混乱のあと、人類が平和と「人間というリソース」の重要性に気づき、世界は「生命主義」の時代に移行する。
    「生命主義」社会においては、隣人を愛せよ精神が世界のスタンダードになり、「善」が蔓延する。
    息苦しい「善」の空気に違和感を感じる女子高生3人がそれぞれの方法で「生命主義」社会にアクションを起こしていくストーリー。

    結果、人間が思考をやめ、論理的に導かれる自明の選択肢を遂行することしか世界に調和が訪れない、という答えが導き出されていくのは切ないなあ。
    また、今ある現実と、この小説で描かれる世界がそんなかけ離れていなくもない、というのが少々怖いところでした。

  • ベストセラー『虐殺器官』の著者による“最後”のオリジナル作品。21世紀後半、〈大災禍〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は見せかけの優しさと倫理が支配する“ユートピア”を築いていた。そんな社会に抵抗するため、3人の少女は餓死することを選択した……。 それから13年後。死ねなかった少女・霧慧トァンは、医療社会に襲いかかった未曾有の危機に、ただひとり死んだはずだった友人の影を見る――『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。日本SF大賞受賞作。


    ・レビュー


     面白かった。『虐殺器官』とどちらが上だろうと、ちょっと考えたりもしたのだけれど、そういう比較の仕方はうまくいかなかった。『虐殺器官』が物語を通して人類が持つ破壊のエレメントの暴走をアクション映画のように面白く描いていたの対して、『ハーモニー』は突き詰めた哲学と論理が表にあってどこか心地良く雰囲気が演出されている。いろいろな部分が対になっている二作だけれど、面白さとか良さみたいなものは違うベクトルで伸びていて、個人的には『虐殺器官』『ハーモニー』の二作が揃って初めてひとつの作品かなと思う。
     しかも、もっと言えば、『虐殺器官』が先にあるべきだと思う。単体でも読めるし、順序が逆でも読めるけれど、『虐殺器官』は現代の現実世界をベースにして読むことができるのに対し、『ハーモニー』は現実世界の社会問題や風潮をベースにすることはできても『虐殺器官』の時のようにリアルそのものをベースにするのは少々難しい。リアルがベースにある『虐殺器官』、そして『虐殺器官』の世界をベースにした『ハーモニー』というふうに読むのが最も世界観を描きやすい。
     内容は、人類の個々の命が社会のリソースとして高価値になり、自己が自己を人質に取り健全であることを開示することで調和を生み、健康な心と肉体がWatchMeと呼ばれる体内の恒常性を監視する分子や、その他の様々な技術とルールでマネジメントされ、病気は消え誰もが健全になった世界を描いている。『虐殺器官』の後に起きたとされる「大災禍(ザ・メイルストロム)」という荒廃した時代を乗り越え、人類はそのようなことが二度と起きないように常軌のような徹底した社会を作り上げる。
     そんなユートピアが、じっさいには幸福なのかというのが最大の問題提起であり、この作品のテーマだと思う。その一方でそれを打ち壊すような事件も起きる。主人公はその謎を追う。
     ストーリーとしても面白いが、SF的な描写としての面白さもある。クラークの『幼年期の終わり』のような未来感だとか(ある人はグレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』のようだとも言っていたが未読なので言及しない)、個人的には瀬名秀明の『デカルトの密室』のような雰囲気も感じた。
     『虐殺器官』同様、考えることがたくさんあることも面白さの一つだが、『虐殺器官』とは違う面白さとして、作品全体の雰囲気も感じ取って欲しいところだと思う。
    ネタバレ有りの考察やレビューは、「哲学のプロムナード」というはてなブログで書きます。

  • 伊藤大人は生きています、いなくなったりしません。彼が病床から届けてくれた言葉と物語を噛み締めて、私は生きていこうと思います。

  • 「虐殺器官」があまりにもよかったので、すかさず購入。
    こんな世界を生きたくはないけれど、そんなに遠い話でもないような。実はよく理解できないところも結構あり、何だか勢いで読んでしまったが、もう一度じっくり読み直そう。

  • 完全なる世界。統率され抑制され管理される。それを受け入れられる人と受け入れない人は絶対にいて、受け入れられることが幸せと見なされると後者は生きにくい世界。ただ、抜け道はあり、抜け出せたトァンはラッキーだったのかもしれない。その日までは。

    所々に挿入されるhtmlタグのような記述。その意味を知った時、鳥肌が止まらなかった。

  • 極度の厚生システム、優しさ・思いやりによって支配された理想社会。作中でも言及されていたすばらしい新世界や、1984年を彷彿とさせる正統派(ディストピアものに正統も何もあるのかはわからないが)の上質なディストピア小説が日本でも書かれていたなんて、と感動さえ覚えた。
    体内にWatchMeを"インストール"されているという描写やそこかしこにちりばめられたetmlタグから、主人公のトァンはアンドロイドか何かというオチかと思っていたら見事に外れた。伊藤計劃氏の早世が非常に悔やまれる作品でした。

  • 21世紀後半、大災禍を生きのびた人類は社会の構成員一人一人の生命こそ社会にとって最も大切だということに気づく。人は成人すると体内から分子レベルで監視され、細胞の異常が見つかればすぐに修正され、街のデザインは精神衛生上良いもの、過激な映像はカットされ清潔かつ健全な「思いやり」のセカイとなっていた。
    一見幸福感に満ちたかのような社会に3人の少女…ミァハ、トアン、キアンは聡明で純粋な目で見せかけの優しい社会とその欺瞞に気づき、自分は自分だけのものだという思いから社会に衝撃を与えようと、ある企てをするが…

    ミステリーのような展開のため、普段あまりSFを読んでいなくても、ついつい先が気になり夢中になって読んでしまったが、十代の頃に読んでみたらきっと今以上に強い印象を受けたと思う。病気にならない、苦しみもいじめもない、死なない社会…死ねない社会…あらかじめ設計された「健全な世界」で生きて行くことが幸せなのか、心を持つ人間の生について、考えさせられる作品である。

  • あまり遠い未来だとは思えない、とこが怖い。

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著者プロフィール

1974年東京都生れ。武蔵野美術大学卒。2007年、『虐殺器官』でデビュー。『ハーモニー』発表直後の09年、34歳の若さで死去。没後、同作で日本SF大賞、フィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞。

「2014年 『屍者の帝国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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