ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

著者 :
  • 早川書房
4.26
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本棚登録 : 6874
レビュー : 939
  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150310196

感想・レビュー・書評

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  • 究極の平和な世界とは何か。


    〇絶対的平和=ハーモニーとは

    伊藤計劃氏のオリジナル長編第2作。
    伊藤計劃は何を考えていたのか。
    そこを知りたくて書を読む。
    虐殺器官の衝撃から続く
    第2作は究極の平和を追求した。

    天才(とあえて言うが)SF作家であり
    若くして逝った彼を思うと
    心が痛くなる。
    彼の病室での思索の結晶が
    この本である。

    物語は人々が体内にWatchMeを入れて
    健康であり続ける近未来が舞台。

    伊藤は主人公に3人のヒロインを置いた。
    カリスマの輝きをもつミァハ。
    語り手の私トァン。
    3人のバランスを取っていたキアン。

    子どものころに健康的な社会に反抗し
    自殺を図り、失敗。
    大人になり再び出会うところから
    物語は動き出す。


    〇社会と個の対立。

    ここで描かれているのは
    古典的テーマでもある
    社会と個の対立だ。

    人々を包み込み、健康を見守る社会。
    健康であることを求める社会。
    どこか日本の今が投影されている近未来。

    伊藤は現代の技術から未来を俯瞰して思考した。

    包み込む社会によって
    孤独は喪失されるものか、否か。

    印象的なフレーズがある。

    ミァハが語る。
    「持久力という点では本がいちばん頑丈よ」
    「孤独の持久力」

    財布と貯金箱の比喩も意味深い。
    「財布が使いこなせれば、貯金箱はいらないはずなのにね」

    欲望と意志。

    意志は、実はつぎはぎのものだ。
    短期的欲求と長期的欲求が葛藤して
    生まれているのが、意志なのだ。

    こうした思索をヒロインたちは重ねる。
    それは病床での伊藤の思索と思えてくる。

    そして、強権的優しさの社会が包み込もうとしていく。

    生物としての人間にかろうじて宿った意志。
    その意志が物語の後半で大きくクローズアップされていく。
    意志をもつことが幸せなのか。
    意志があるから不幸ではないのか。

    物語は、強権的な優しさをもつ世界に
    刃を突き付けたミァハに
    螺旋監察官となったわたし=トァンが挑む形となっていく。


    〇少女の物語。

    今なぜ少女の物語なのか。
    それはアニメにも散見する。
    現代という鋭利な刃物に
    研ぎ澄まされた少女こそが、
    ある種の抑圧の中でヒロイン性を体現するからか。


    〇一人称と三人称の対立。

    そして。
    伊藤は一人称へこだわる。
    この物語も一人称で展開する。
    実は、このことがこの物語の大きな仕掛けを生んだ。
    それは読んでのお楽しみということになる。


    一見静かな思索の物語。
    平和な世界に突如事件は起こり
    世界を巻き込んでいく。
    その中心にかつての少女たちがいる。
    これ以上にドラマチックな
    “意志”についての物語はないだろう。

  • 世界中が平和である世界は怖い。
    白いのに黒い。
    そんな感じ。

  • 時代設定としては前作『虐殺器官』後の世界の、さらに未来のお話。ありうべき未来としての設定の綿密さは相変わらずですが、テーマとなるのはやはり、そんな近未来のシステムそのものではなく、人間の内面の器官のほう。今回もなるほど、と思わされましたが、前作ほどのインパクトはなかったかなあ。しかし主人公が女性で、高校生時代の3人の少女の友情が物語りのベースになっていたので、その点は感情移入しやすく読みやすかったです。

  • 戦争や病気で苦しむひとが減り身体を機械に管理され、嗜好品と呼ばれるもの全てを禁止される未来の話。
    結局私達にとって本当の幸福とか平和ってなんだろうと考えてしまいます。
    トァンが起こした行動はとても人間らしくぐっときましたが、その後の切なさったらない。

  • 映画を見てから読んだので、かなり映像に助けられたような気がする。皮肉な結末…というかデストピアに息が詰まりそうになった。遺伝子には無駄がなく劣性の遺伝子でもイザという時のための備えなのかもしれない。ひとの体の奥底に眠る設計図について色々考えさせられた。

    “文字は残る。”=334ページ=が切なかった。

    最後で、え…、と絶句までいかないけどページをめくる手が止まってしまった。なんだかすごい。次は『屍者の帝国』を読む予定。

    2017年積本消化12冊目。本棚で保存。

  • 伊藤計劃(1974-2009)のSF長編第二作、2008年。

    作中には一種のユートピアが構築されている。ユートピアは、理想郷として現実に於いて場所をもたない[ou-topos]が、と同時に、理想の完全性により生成変化することもなく、それゆえそこには時間が無い[ou-chronus]ともいえる。更に、ユートピアにあっては人間の自由意志という体系攪乱的な因子は排除され全ての存在が全体の中の寸分狂わぬ歯車となっている、そこに漂うのは表情無き不気味さである。ユートピア的公共社会にあっては、その構成員の"顔"が見えないのだ。空間や時間が無いだけでなく、人間もいない。 端的に一個の「システム」である。この非人称的な「システム」に於いては、個人の独存性は抹消される。

    本書には、言語化され・コード化され・社会化され・規範化され尽くした窒息を催す退屈な一つの全体性としての「システム」に対して、そこからの【突破】(Durch-bruch, ハイデガー)を否応なく希求せずにはおれない「実存」、という典型的なロマン主義的構図が明白に見て取れる。

    「安っぽい幸福と高められた苦悩と、どちらがいいか?」 (ドストエフスキー『地下室の手記』)

    自己意識とは、超越論的な自己内分裂だ、内的自己と外的世界との間に穿たれる無だ。これによって、「システム」から引き離された「実存」という領野が立ち現れる、「自由」や「意志」という領野が立ち現れる。究極のユートピアにあっては、この人間存在の根源的な分裂を惹き起こす自己意識の抹消が最終目的となろう。「実存」的苦悩の、ひいては「実存」そのものの無化である。ロマン主義が美的世界と呼んだ分裂無き全体性への全き合一、「システム」への溶解。そこには、苦悩も疑念も逡巡も不安も疎外感も不全感もない、欺瞞もアイロニーもシニシズムもない、迷いも分岐も不定因子もない、一切の懸隔がない、それゆえに決断という命懸けの跳躍もない。「システム」に対して常に必要十分な過不足無き状態。自己意識の分裂によって毀損されることのない、懐疑の曇り無き全き自明性そのものとしての状態。それは、予めその断念が不可避でありながらなおそこへ赴かずにはおれない不可能性への如何ともし難い希求という限りに於いてのみ高貴であろうが、実現してしまえば「安っぽい幸福」でしかない。それを峻拒しようとしたのが作中の幼き日の少女たちだった。

    「実存」とは、無際限に繰り出す否定=対象化によって、およそ全ての「システム」を超越しようとすることで以て常に既にそれを超越してしまう、自己意識というものに根源的に根差す過剰だ。

    ではここで、自己意識を、人類が或る環境に適応するために進化の過程において偶然に獲得した形質のひとつに過ぎないものとして、相対化することは可能か。本作品では、そうした相対化を前提としている。このような設定は昨今の小説では必ずしも珍しいものではない。脳科学・神経科学・認知科学等々の発展著しい現代ではあるが、そうした諸学が達成した多彩な果実の華やかさに眩惑されて、意識の在りようの本質を見誤っていないか、割り切れないものが残る。



    現代に説得的なユートピア/ディストピアとは如何なるものか。それは、「システム」に対してノイズたり得る「実存」の存在をも予め織り込み済みであるような、そうした「実存」のノイズそれ自体が「システム」全体の調和に資することになってしまうように設計されているような、「システム」の否定としての「実存」を予め内包しているような、ものではないか。そんな「システム」を構築した作品が可能であれば読んでみたい。



    「人間っていうのは、わざと極端な禁則を設定して、それを守り続けないといつか元の木阿弥になって、ひどい混沌に還ってしまう、って怯えつづける生き物なのよ。本来的に。そういう恐がりなひとたちは『程々』じゃ不十分だって考える」

    「そう、おとなになってわたしは、こうやって社会から少しだけ逃げ出した。
    思いやりと慈しみでじわじわと人を絞め殺す社会から。
    こっそりと、ずる賢く、最低のやり方で。
    抜け出すのに必要だったのは、
    <list:item>
    <i: 大人になることを受け入れるふりをすること>
    <i: 大人であるとシステムをだまし続けること>
    </list>
    のふたつ」

  • 3.8くらい。
    途中まではすごく面白かったのになんだかオチが残念だった。題材や世界観、登場人物はすごくすき。queen、という呼び名もかっこいい。
    でもさいごが……せめてもうちょっとひっぱってもよかったのでは。

    • とうかさん
      すごくわかる…!
      途中までおもしろかったのに最後にむかうにつれ、あれあれって思う。
      世界はすごく魅力的なのにね…
      すごくわかる…!
      途中までおもしろかったのに最後にむかうにつれ、あれあれって思う。
      世界はすごく魅力的なのにね…
      2013/07/20
    • 睡さん
      やっぱり……!?なんだかせっかく面白い舞台なのにね、勿体ないよね!!
      やっぱり……!?なんだかせっかく面白い舞台なのにね、勿体ないよね!!
      2013/09/24
  • 生命が支配における最後の領域なんだということをこれだけのボリュームをもって展開できるのは、さすがだと思う。
    小説としても文体としても、前作の『虐殺器官』からはずいぶんうまくなったと感じた。
    ただ、後半を読む限り、思考実験の域を出られなかったという印象をぬぐえないというのが正直なところ。

    伊藤に関してはどうしてもその後の本人の生き様が頭をよぎるので、文章だけを切り離して評価しにくいところがあって、それはある意味では伊藤らしいのかもしれないとも思うのだがずいぶんやりにくい。

    個人的な好みをいうのであれば、生命を感じずに終末を迎える人間の恐怖というものがぜんぜん描かれていないのが不満だし、最後の章は蛇足だ。

    ただ、それが死を目前にした状況によってなされていることだと思うと、胸に迫るものがあるのも確かだ。

    書き換えるかもしれないが、今感想として出せるのはこのくらい。

  • 意識は、人間にとって生存上有利だから備わっているだけのもの。そして、そこには多少のバグが存在する。
    ここまでは同意できるけど、宗教に対する認識が少し違う。宗教って、人がそのバグを認識した上でうまく付き合うために作り出した道具立てだと僕は思ってる。ここでは、「宗教は個を認識するための機能」だと。ちなみに仏教は全く逆のとらえ方。一切皆空。どうも確信に迫り切れてない書きっぷり。
    ハーモニーと涅槃は似た境地かもしれない。それを外注するか内製化するかという違いは、確実にあるけど。

    著者は34歳の時に、この物語を書き、肺ガンで亡くなった。僕はいま同じ34歳。感慨深いものがある。

  • メディケアという医療分子とWatchMeというメディアによって、人が病気を克服した世界
    平均化され、完璧に近づいていく人間同士が描くハーモニーはいったいどんなものなのか
    人間らしさ、個性とはなんなのか
    考えさせる作品だったと思う
    ただ、残念だったのが、この世界に入りこむには少し難しかったということ
    最近、本を大量に読んでないせいもあるけども、世界観が少し特殊すぎて最初は少し耐え忍ぶ部分が出てくるかも
    ただ、それを超えると この世界のなんともいえない寒々しさ、奇妙さに引かれていくのではないかと思う。

著者プロフィール

1974年東京都生れ。武蔵野美術大学卒。2007年、『虐殺器官』でデビュー。『ハーモニー』発表直後の09年、34歳の若さで死去。没後、同作で日本SF大賞、フィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞。

「2014年 『屍者の帝国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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