- Amazon.co.jp ・本 (289ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150310202
作品紹介・あらすじ
とある数学者の初恋を"9つの数字の2つ組"で描く表題作ほか、忽然と消息を絶った防衛戦の英雄と、言語生成アルゴリズムについての思索「Goldberg Invariant」、読者のなかに書き出し、読者から読み出す恋愛小説機関「Your Heads Only」、異なる時間軸の交点に存在する仮想世界で展開される超遠距離恋愛を活写する「Gernsback Intersection」の4篇を収めた数理的恋愛小説集。著者自身の書き下ろし"解説"を新規収録。
感想・レビュー・書評
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それぞれが数学的図形や定理に基づいてその哲学的原理の想像を飛躍させた先に恋愛小説として描かれている。一読した時は意味不明な定理の羅列に見え、また各章間の論理的つながりも全く不明に思えた。それに耐えて、最後まで読み切り、また解説も加えればある程度理解できた気がする。(といっても解説も一癖ある。)数学、情報科学、科学史、文学の引用が多いので、それらの基礎知識を有した上に、SF耐性が付いてる人であればすぐにこの面白さを完全に理解できるのだろう。
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作者の放つ「紙一重」っぷりがたまらない(笑)!
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安定して円城塔さんの作品は理解が難しいけど、個人的にはその難しさが好き。
知ったかぶりの落とし所というのか、なんとなく腑に落ちるところを探せるまで繰り返し読んでしまう。 -
感想を書けるほど理解できたと思わないので日記を書きます。
ジンジャーエールが美味しい日でした。
Boy’s surfaceという本を読み終わりましたが、本当は3日前には読み終わってました。
いつ読み始めたかまでは覚えていない悲しい記憶力です。
ジンジャーエールが美味しい日でした。 -
読むメビウスの輪、かな。
完全に揺さぶられました。著者の素敵な罠にはまっていることに気づくのに、意外と時間を要したかな。いや罠なんかじゃなくて、別の何かなのかもしれない。
見たことのない立体図形。四次元図形が浮かぶ。
言葉なのだが言葉ではない?これは文章なのか。いやそういう問いがナンセンスなのかな。普段の私のしている読み方では太刀打ちできない類の代物。
そう言えば、「文学には新しさが必要」って友人が言っていました。“文学が、円城塔に追いついた。”と本書の帯に書かれていますね。 -
2012 9/11解説にあたる5本目の短編(What is the Name of This Rose?)だけ読了。聖学院大学図書館で読んだ。
ノベルスサイズ版は既読(既所持)。
解説は書き下ろしが含まれているということで手にとった。
本人による解説なのだが、解説しているはずなのにむしろその解説や読むべき参照文献が増えるというシロモノで実に円城塔っぽい。
解説に参照文献て。 -
小説でこんなに難しいと感じた本は
今まで読んだことがない
伊藤計劃好きなら気になる円城塔の短編集
「難しいだろうな」と思っていた予想をはるかに上回る難解さでした
全編通して「本」や「言葉」や「文章」について・・・
なのかなとオモウ
短編集なんだけど、全編に通じる何かがある・・・
とオモウ
数学と言語の絡み合いとでもいうのか
とにかく算数の時代から苦手な自分には
創作なのか本当にあるものなのかわからないことがたくさんあって
休憩がてらググッてみたりして
初めて「あ・・・創作なのか・・・」と気づいたり
感想として述べたいことは山のようにあるけど
「違うのも読んでみよう」と思えたし
発想力とか視点をスゴイと思ったので
星3つ
本当に難しかった
アタマいー人ならすらすら読めるのかも -
もちろん癖はありますが、数学も物理学も難しいことはおそらく本当には必要ありません。“白紙地帯”を許せること、それをそのままに置き去りにし、そこに世界の拡がりを感じられること、それさえ出来れば円城先生の世界の出来方を充分に楽しめます。理論で遊んでいるようで、あらゆる理をバットで打ち返す、勢いのある凝ったジョークといった印象です。それも古式ゆかしいインテリが好むエスプリに、今日的な雑味をわざと混ぜたようで、なんとも変な味。それはそれで、好きです。
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右脳から沸いてくる独特な世界感を、左脳の言語中枢をフル回転にして読めって言われてるかのよう。
理解を求めて「読む」より、言葉を広い集めてこの世界を「感じる」と、オモシロい!
広げた風呂敷は、もう、たたまなくていいんじゃないかな。
角砂糖かじって、脳に栄養補給がしたくなる。 -
4つもしくは5つから成る短編集。あちこちにトリックがあるように見えてただのブラフだったり、ネタバレされても難しい伏線だったりと、情報量が多い。
円城塔作品を読んでいると、創造された世界の傍観者として読み始めるのに、いつの間にか読者も作中に取り込まれてしまい、「本」の領域にすっかり包まれてしまったようになる。
ゴタク文学としての面白さがまずあるが、この「傍観者を取り込もうとする作品世界」が妙に癖になる。