いま集合的無意識を、 (ハヤカワ文庫JA)

  • 早川書房 (2012年3月9日発売)
3.70
  • (42)
  • (103)
  • (93)
  • (12)
  • (0)
本棚登録 : 1065
感想 : 113
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784150310615

作品紹介・あらすじ

雪風シリーズのスピンオフ、伊藤計劃『ハーモニー』について考察する表題作など全6篇

みんなの感想まとめ

意識やコミュニケーションの本質を探求する短編集で、各作品は異なる視点から個と大衆、内面の葛藤を描いています。スピンオフ作品であるため、既存のファンには特に楽しめる内容が散りばめられていますが、初めての...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • SF短編集 意識とは、コミュニケーションとは
    が、テーマ(なのだと思う)
    とても尖った鋭利な三角を想像して欲しい
    そのテッペンを戦闘空機がチクチク攻撃、それは意味があるのかという人もいれば、折れ!折れーっ!って人もいると思う。そういう本だと思う

    1、ぼくの、マシン
    著者の「戦闘妖精雪風」のスピンオフ
    スピンオフ作なので読んでいれば深くまで楽しめるのはもちろんとして、僕は大変面倒くさい人間と自覚しており、もしあなたも面倒くさい人間でスマンと思っているのなら共感する要素は散りばめられている

    2、切り落とし
    個とは、大衆の意見とは。大衆に流されることは個を失い、それはまた自分を殺すことなのでは
    という話なのだと思うが、僕の読み方が違うのかもしれない。皆さんの感想を見ても解決せず、1番落ち込んだ。ミステリーでは都合上選べない流れ

    3、ウィスカー
    ぼくはママや友達に嫌われている
    という始まりから、ママの化粧台引き出しから見つけたウィスカー。ウィスカーはぼくを慰めてくれる。幼少時に体験したような気がする物語
    ああ、だから僕は面倒くさいように育った。嫌な話だ、僕には

    4、自・画・像
    自分の意思とは反した心の声が聞こえる
    自分の発した言葉に驚く、何故ならそれは自分の意思では、ない
    あぁ、なんて心えぐられるのだろう。なんであんなこと言ったんだろう。違う言い方あったのに。面白いとかでなくこの本で1番猛攻を受けた

    5、かくも無数の悲鳴
    多世界解釈など、くそくらえだ
    これに尽きる

    6、いま集合的無意識を、
    若くして亡くなったSF作家、伊藤計劃氏への返歌
    虐殺器官、ハーモニーを気に入った方、読んだ方へ。溢れ、滲み出る圧倒的パワー。表題作として凄まじい力。読むほど味がするスルメ短編と思う。


    労働後の雪かきでヘトヘトクタクタの僕には大変ヘビブローな短編集だった
    多分とても素晴らしい本、なのだけれど、こういう事に思いを馳せるのは老後にしたい…僕はまだまだだ

  • 神林長平による、意識をテーマにした短編集。全6篇。

    国内SF作家の第一人者によるSF短編集。非常にわくわくしながら読んだ。

    果たして内訳は、2本傑作、3本佳作、1本微妙…w 各短編の詳細レビューについてはページ下部にて。

    総じて面白かった。意識とは、無意識とは。抽象的なテーマを様々なフレームから描いてみせる。サイバーサスペンスあり、人造人間あり、スペースオペラあり、そして自身を登場させたメタ小説ありw 作者の自由で際限のない発想に脱帽。

    読んで損はないと思う。特に傑作2本は是非読んでほしい。(「自・我・像」と「かくも無数の悲鳴」)


    (長くなってしまうので続きは書評ブログからどうぞ)
    https://www.everyday-book-reviews.com/entry/%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%A8SF%E3%82%92%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B_%E3%81%84%E3%81%BE%E9%9B%86%E5%90%88%E7%9A%84%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%82%92_%E7%A5%9E%E6%9E%97%E9%95%B7%E5%B9%B3

  • 希代の言葉遣い師・神林長平が贈る、言語/認識にまつわるハードな語り/騙りに酔いしれる短編集。
    鴨如きの貧弱な認識力では、正直よくわからないところも結構あります。でも、わからないなりにも不思議と説得力のある、情感を一切排したかのようなドライな世界観はこの作家ならではのワン・アンド・オンリー。

    神林長平氏の作品を読んでつらつら思うのは、「SFを書こう」としているのではなく、書きたいことを表現できるフォーマットがたまたまSFだったんじゃないか、ということ。知らない人には「子供だまし」と捉えられがちなSFというフォーマットが、如何に先鋭的な文学を体現できるのかということを如実に示してくれる作品集です。もう数年したら再読してみたいです。

  • 「ぼくの、マシン」
    雪風シリーズ短編。
    <世界>との戦いを描く。
    エディス視点からの解析が秀逸。
    「切り落とし」
    視点がくるくるする短編。仮想や現実、自分とは。
    「ウィスカー」
    精神感応可能な七胴落し短編。
    大人な子どもと子どもな大人。
    「自・我・像」
    ドゥウェル氏。
    これもまた仮想と現実の曖昧さを感じさせる。
    創作というのは、本音抜きでは成り立たない。
    「かくも無数の悲鳴」
    世界の解釈をめぐって
    「いま集合的無意識を、」
    <さえずり>と「伊藤計劃」

    フムン

  • ”意識”あるいは”自我”を共通のテーマとしながら、
    これだけ異なる設定・読み口の作品が集合しているのはすごい。

    サイバーミステリな『切り落とし』のような作品も楽しいけど、
    著者の『戦闘妖精』シリーズ作品からのスピンオフの『ぼくの、マシン』も好き。
    生身の人間とのコミュニケーションに諦念を抱く主人公が、コンピュータを真に”パーソナル”なマシンー自分専用の対話相手ーとしてネットワークからどうにか遮断しよう試みようとした少年期の記述。

  • ラブレターフロム神林長平ってかんじ

  • 今この本を読む人の多くは伊藤計劃よりも東浩紀を連想すると思う。SF的なテクノロジーの政治利用(あるいは軍事利用)が現実味を帯び始めた時、「いやそれ暴走して歯止め効かなくなるかもよ」と危惧する発言をするとへたれだと思われそうだけど、SFと現実の距離が縮まった現在からこそそういう想像力がSF作家には必要なのだと思う。集合的無意識の暴走もそうだが、あらゆるものが可視化されていく世の中で、逆に「私」だけが見えなくなってゆきそうで怖い。

  • 《目次》
    ・「ぼくの、マシン」
    ・「切り落とし」
    ・「ウィスカー」
    ・「自・我・像」
    ・「かくも無数の悲鳴」
    ・「いま集合的無意識を、」

  • 雪風のスピンオフ、「ぼくの、マシン」などを含む短編集。
    ファンでなければ、とっつきにくい一冊かと思われます。

  • …ぼくはいつだってそうなのだ、見も知らぬ相手に自分の生の声を発信することには興味がない。だれに読まれるのかわからないままに語るなんてことはぼくにはできない、誤読されたら訂正のしようがないではないか、「それは違う、ぼくが言っているのはそういう意味ではないのだ」と言えない、相手からの応答が得られない、そんな一方向性の言い方で自分の本音を語るつもりはぼくにはない。
     しかしフィクションなら、小説という<虚構>にすれば、それができる。意識的に嘘を語るというのではない。どのように読まれようがかまわないという覚悟で書かれるのがフィクションであり、小説というものだと、ぼくが言いたいのはそういうことだ。むろん本音を隠したままでも小説は書けるしメッセージを込める必要もないが、作者の思惑とは異なる読まれ方、すなわち誤読されてもなお作者の本音を伝えられる表現とはどういうものか、それに小説家は腐心するものだ。すべての小説家がそうしているとは言わないが、自分はそういうタイプの作家だと僕は思っている。ぼくがSFを書いているのは、その形式がぼくの本音を忍び込ませるのに合っているからだ。

  • 意識の所在とアイデンティティがテーマの短編集。
    SFとしての完成度はもちろんのこと、「切り落とし」のオチや「かくも無数の悲鳴」での宇宙人、並行世界の解釈などよくもまあこのような発想が出てくるなと。
    表題作はフィクションの形をした伊藤計劃論、書評かと思いきや「虚構の力を信じろ」と言うものすごく熱いメッセージが込められていて良かった。
    好きだなあ、好きだよ神林。

  • 解説:飛浩隆、福嶋亮大
    ぼくの、マシン◆切り落とし◆ウィスカー◆自・我・像◆かくも無数の悲鳴◆いま集合的無意識を、

  • いま集合的無意識を、 (ハヤカワ文庫JA)

  •  神林御大の紡ぐ文章には、独特のリズムがある。
     「飲み込まれる」「吸い込まれる」という表現では、すこし使い古された感がある。
     しかし、そうとしか表現しようのない、圧倒的な吸引力がある。
     ただ、それらの言葉にある「さらっ」という感じではない。
     もっと荒々しい、「引っ?まれる」という表現がしっくりくる。
     
     そして、その力は著作を重ねるごとに、ますます強力になっている。

     本書は、様々な媒体で発表された短編を集めたアンソロジィ。
     「ぼくの、マシン」と「かくも無数の悲鳴」は既読だった。
     それでも、やっぱり面白いことには変わりない。
     御大の作品は、本当に粒揃いだと改めて思う。

     その中でも読みどころは、なんといってもタイトルでもある「いま集合的無意識を、」。
     いまは亡き伊藤計劃氏との問答によって進められる、いわば「私SF」。
     この掌編の完成度を語る言葉を、自分は持っていない。
      <blockquote> 概念などというのは人間が考える<フィクション>にすぎないからだ。<リアルな世界>をどう解釈するかという<物語>だ。それを生んでいるのが、まさしくぼくの考える<意識>だ。</blockquote><blockquote> それは伊藤計劃が作品内で描写したように、あたかも感情がない人間のようだが、そうではなく、そうしたヒトには<フィクション>を生む力=意識がないのだ。何事もなければよし、最悪の事態が突発的に起きたら、そのとき初めて、彼らは対処しはじめるだろう。想定外の、計算外の出来事だ、と言って。それで収束できればよし、核反応などの暴走を制御できなければ、人類は破滅だ。それは彼らが未来を<予測>できなかったためではなく、<想像>できなかったゆえの、自滅だ。</blockquote><blockquote> 「意識が生んでいる<わたし>こそがヒトにとっての最強の<フィクション>なのだ。そういうものがないと、ヒトは圧倒的な<リアル>の力に対抗できない。」
     「観念的すぎて、わかりにくいな。具体的にはどういうこと?」
     「人間のフィクション=<意識>が対処、対抗している圧倒的なリアルの力とは、ヒトが高度に発達させてきた<知能>だよ。『ハーモニー』で描かれたように<知能>と<意識>が独立して存在していると考えるならば、言ったろう、知能とは、暴走する核反応に喩えられ、それを制御するために発達したのが、意識すなわち、<フィクション>だ。ダーウィンを持ち出すなら、知能だけを発達させた生物も出現し得るわけだが、淘汰されたに違いない、となる。知能による自滅だ。ならば、意識を欠いてしまったヒトもまた、長くはもたないだろうと予想できる。それが、ぼくの予想する『ハーモニー』の世界の行く末だ。</blockquote>
     キリが無いので、もうこのへんで引用はやめておく。
     とにかく素晴らしいとしか言えない言葉が、次々に繰り出されて、息をつく暇もない。

     「ものがたり」を、ここまで深くえぐり取った文章、たぶん初めて読んだ気がする。
     その完璧な断面は、おそらく人類の「表現」という、人体の断面のような、鮮明なグロテスクさを示している。
     そして、そこから目を逸らすことが出来ない、どうしようもなさ。
     それを、これ以上ない精緻さで提示している、と思う。

     フィクションとは「ものがたり」である。
     「ものがたり」は想像力を「ことば」によって、もしくは「ことば」が想像力によって駆動されるマシンだ。
     その形態は、内燃機関の駆動モデルに酷似している、と思う。
     動き始めた動力を、いかに制御するのかという問いは、人類の文化史を貫く一つの大きな動線に他ならない。
     これまで、「始動」に重きを置いてきた視点を、「運転」あるいは「ドライブ」にシフトするべき頃合いなのだろう。
     シフトチェンジの時期だ。
    <blockquote> 大丈夫だ、われわれが、ぼくが、書いてやる。少なくともぼくには、たとえば今回の震災で心理的打撃を受けたりしている若い作家たちに向けて、現実=リアルに屈するな、フィクション=虚構の力を信じろ、きみたちがやっていることはヒトが生きていく上でパン(とワイン)と同じように必要不可欠なものなのだと、叱咤激励する力はまだある。ヒトは、フィクションなしでは生きていけないんだ。</blockquote>

  • 最初の雪風の挿入話は、後からでも楽しめるが、できれば、雪風三部作を読み進む前に早めに読んでおきたかった。雪風の3話目を読んでいればなるほどなという話も多いが、それよりは分かりやすく、興味深い感じだった。

  • 【要約】


    【ノート】

  • 28:神林氏の新刊、ということでほくほくしながら読みましたが、ファンには嬉しい雪風のスピンオフ「ぼくの、マシン」や他の短編、そして表題作「いま集合的無意識を、」、読んだことのある短編もありましたが、どれもが「神林作品らしさ」に満ちていて、とても面白かったです。
    「いま集合的無意識を、」では伊藤作品を読んでモヤっと残っていたものが見事に言葉として現され、その先へ進む希望が描かれていて胸がじわじわと熱くなりました。「ぼくは伊藤計劃だ」には鳥肌がたちました。同年代ということもあり、伊藤さんの死を直視できないでいるのですが、伊藤さんの作品=伊藤さんの生と真摯に向き合うかたがいる、というのは本当に心強いし、有難いし、日本のSFをこれからも応援したくなるのです。

  • 自我、意識、無意識、集合意識、集合的無意識、リアル、仮想。エンタメ志向ばかりではない、SFの真の奥深さを感じさせる短編集。「切り落とし」がツボだった。さて、「わたし」とは何だろう。リアルとは何だろう。

  • 行間を読み解こうとすると、とんでもなく難解な一冊でした。
    雪風シリーズを読んでいないので、より事前知識が足りなかっただけなのかもしれない。
    自分自身ツイ廃でネットからの情報に埋もれがちなところもあって、身につまされる一冊だったかと。

  • 『いま集合的無意識を』で筆者は“暴走する知性は意識=フィクションで制御できるだろう。だが、暴走する意識をコントロールする術を人類は、おそらく持っていない”と語ったが、先に描かれる5つの短編では、人々が、じわじわ、ゆっくりと、真綿で首を締めるかのごとく自我を、意識をシステムに吸い取られていくさまが描かれている。21世紀の戦争は戦場ではなく日常に入り込んできている。そうした世界は徐々にこうやって、思考を管理する世界をもたらすのでは?→『ぼくのマシン』//その先にやってくるのは『ハーモニー』の世界かもしれない。

全98件中 1 - 20件を表示

この本が好きな人におすすめの本

著者プロフィール

作家

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

神林長平の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×