ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

著者 :
制作 : redjuice 
  • 早川書房
4.14
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本棚登録 : 1839
レビュー : 179
  • Amazon.co.jp ・本 (398ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150311667

感想・レビュー・書評

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  • 核戦争<大災禍>の後、健康が大きな価値を持つ時代。人々は健康監視システムWatchMeを身体に「インストール」し、不調があれば直ちに医療分子メディモル(つまり薬)が生成されて正常な状態を回復することができる。病気は基本的に撲滅され、寿命や不慮の事故以外で死ぬことが基本的に無くなったばかりか、痛みや不快さを感じることすらほとんど無い世界。
    そんな、身体が高度にシステム化され最適化された中で、やがて脳・心を操作しようとする考えが生まれる。脳の報酬系を操作し、最適な価値判断を行うように操作したらどうなるか―。それは、迷いの消失、全てが自明なものとしての判断、すなわち意識の消失に等値だった。
    ----------
    WatchMeやメディモルは医療の一つの理想形かもしれないが、とはいえ全くの夢物語というわけでもない。現在でも、ペースメーカーは患者の心拍に合わせて電気刺激を加えるし、糖尿病患者の血糖値を常にモニタリングして必要なインスリンを分泌する機械だって誕生している。そういう意味では、身体のシステム化・機械による代替は既に始まっていて、本書の世界とは単に程度の差でしかない、ということもできる。
    問題はシステムよりも人々の価値観、”空気”なんだろう。医療が進歩して寿命が延びるのは基本的にはうれしいことだが、だからといって「生きること」自体が生きる目的ではない、そのなかで何をするかという生の中身が大事なのだ。―とみんなが思っている、はずで。
    だけど、<大災禍>のようなことが起こったり、極限まで医療が進歩したりすると、その価値観も変わってしまうのかもしれない。生きること自体が目的となった世の中では、人間の精神・魂すら特別なものではないと考えられてしまうのは、ある意味自然なのかもしれない。

    人間の心・意識は「進化のために”場当たり的に”誕生したもの」なのか?「今はもう不要」なのか?
    (再読)

  • 大災禍(≓核戦争)を経験した後の世界。
    医療が発達した結果、病気というものの大半がなくなり、あらゆる有害な物から遠ざけられ、人々はお互いを慈しみ、支え合い、ハーモニー(調和)を奏でるのがオトナである、とされる世界になっていた。
    自分の体なのに自分の自由にならない、そういった世界を嫌悪するミァハは、トァンとキアンの2人を誘い、大人になる前に死を選ぼうとするが・・・。

    <以下、ネタバレです。>

    たぶん、『虐殺器官』と同じ世界のその後の話。
    所々で、タグで囲まれた記載のある独特な文章。
    最後の最後で、どういう事だったのかが分かり「!!」ですよ!
    争いや自殺がなくなり、迷いも、選択も、決断もない完全に調和した世界。
    完璧ではあるけれど、そこに個々の人間(・・・とは呼べませんが)の存在する意味がない、薄ら寒い世界。
    こういう設定の話は、割と好みです。
    これもまた、映像で観たい作品。今年か来年あたり、TVでやってくれると嬉しいなぁ。

    返す返すも、早世された事が残念でなりません。
    伊藤さんの書かれる小説をもっと読んでみたかった・・・。

  • 感情を失くしたところで「人々は哀しみがあるように泣き、怒りがあるように怒声を発した」なら結局感情から来る言動は失くせず演じられる、つまり自殺も争いも無くならない、世界は何も変わらないのでは……それともそういうことは制御されるのかな。
    WatchMeが入っている大人はそうなるけど、入っていない子どもの自殺者は減らせるのかな。
    意識のない世界が幸福だとして、誰がその幸福を感じているんだろう。

  • 感想がうまく述べられないけど、とても面白かった。読み終わってからも、作品の中で描かれていた世界について考えている。怖い。

  • わたしの心が、幸福を拒絶した。

    前作「虐殺器官」の続編、というかその後の世界が舞台となっている。
    人が病気で死ぬことがない、徹底的に健康管理された社会。この話を作者が入院中に書いていたことが衝撃的。そして何より、作中に溢れていたコマンドの意味が分かった時は鳥肌がたった。表現方法が好みすぎる。
    百合っぽいって言われてるけど、男性から見たらそう見えるだけかな。女性の私からすれば、この程度、思春期の女の子なら大なり小なり覚えのある感覚な気がする。なので、あまり構えることなく多くの人に楽しんでもらいたい。

  • 急転直下、めくるめくスリルの果てに待っていたのは物語の、そして人間の根本を揺るがす結末だった。なんというか、タブーを破ってしまった感覚。よりによって小説が、そこに踏み込んでしまっていいのか……!!?(褒めてます)

  • 若くして亡くなった伊藤計劃氏の2作目にして遺作。
    世界観がとても良く練れていて、虐殺器官よりはこっちの作品の方が好きかな。
     完全に調和の取れた社会では、個の意識は必要なくなるのか?いやほんと、無くても別に問題ないんじゃない?と納得してしまいそうになるほどリアリティあります

  • 読んでしまった。
    三年ほど前、一度文庫化された時にポップとその真っ白い表紙といかにも牧歌的なタイトルにつられて、軽くはじめとラストを立ち読みしたことがあるのですが、その時の感想は「うわっ、気持ち悪い。無理だわ、これ。理解不能。意味不明。恐い」だったため、以来、ずっとあれは手にしてはいけない書物だったのですが、この度表紙のイラストにつられ……たつもりはあまりないのですが、いや、イラスト見て、ようやくどれ系のお話しか見当がついたのもあったり、いつも楽しみにしてるレヴュアーさんが殿堂入り宣言していたりするのを見て、そんなにすごいのか? 気持ち悪いだけでなく? だって世界の意識統一でしょ? いやだよ、そんなラスト、という生理的嫌悪感を好奇心が上回り、ついうっかり、いや、やっぱり表紙のイラスト描いてるのギルクラのキャラ原案の人だよね? とそれを確かめるためにぺらぺらとめくって、やはり意味不明なhtml言語と、のっけからなんか隠微な少女たちの会話にやられて、百合無理~って、一応ラストも二、三ページめくって、やっぱバッドエンドと思ってぱたんと本を閉じ、棚に戻したのですが、どうしても、ね、その夜からハーモニーの世界のことが頭を離れなくて、翌日結局月曜日にポイントつけられる書店に行く前にポイントつかない書店で買ってしまったのです。
     結論から言うと買ってよかった。
     最近欲していた骨太の世界が待っていました。
     きっと三年前はまだ手にとれる時期ではなかったのでしょう。
     ずぶずぶと沼にはまるように彼女たちの世界にはまり込んでいき、優しさと善の押し売りで成り立つ世界に息苦しさを覚え、常時体内を監視されるシステムに狂っているとさえ思いつつも、伊藤氏が描き出したそんな社会構成の内包した核戦争後の世界から逃れられなくなっていました。
     伊藤氏の書いたものを手に取るのをためらっていた理由は、すでに氏が若くして亡くなられている、というその喪失感――もう別の物語を読むことができないのだ、という絶望感、同じ時代を生きながらその先に行くことができず、今はもういないという空虚感が常に頭の中にちらついていたこともあったと思います。
     「ハーモニー」を読みながらも何度、どうして死んじゃったんだよ、どうして死ねたんだよ、もっと書きたいものがあっただろう? と、どちらかというと読者という立場というより物書きの立場で見てしまって、胸の底に忸怩たる思いが糸を引きながら頭をもたげていました。
     それでも、そんな思いをねじ伏せるかのように、いや、まさにこれが氏の生き様なのだといわんばかりの筆の乗りに、もう事実を受け止めるしかないのだと言い聞かせながら読んでいました。
     あの<html>ではなく<etml>でくくられて始まるこの文章や、ところどころにさしはさまれる<>の英単語の内容が、位置や形式を表す言語ではなく、感情を表す言語であることに気付いたのがおおよそ195ページあたり。
     そこではじめて、この小説自体が実験的に書かれている、というどっかで聞いた話の意味が分かりました。
     これ、ログだったんです。
     一人称で語られているけれど、おそらくここに主人公は直結していない。
     「記憶」ではなく、「記録=ログ」がこの小説だったのです。
     そう気づいてからは、<>で挟まれた感情言語が意味を持って感じられるようになり、その代償に、ああ、実はこれはとても無味乾燥な感情の始まりと終わりをロジカルに決定したものにすぎないのだと気付いて、このログを残す世界に絶望したのでした。
     だってそうでしょう?
     感情には起伏がある。
     ため込んでいたものが爆発することもあれば、少しずつ増幅していって強さを増していくこともある。その逆に、突如終焉を打たれることもあれば、徐々に収束していく感情もある。
     <anger>台詞や行動の記録</anger>
     これでは、主人公はここから怒り始め、ここで怒りはおしまい、という、ざくっざくっと仕切りを設けただけにすぎず、</anger>の後のセリフにだってまだ怒気は残っているはずなのに、おそらく、これをログで読む人類にはそれがわからないのだ。
     おそらく、生体内の監視機構が感情に対しても精神的な見地から言語化できるパターンを設け、既定の閾値を設定し、その数値を越えたところからその「感情」を適用し、閾値の範囲外になるとフラットに戻る。感情すら数値に基づいて言語化するとこれほど味気ないものになる。
     エピローグ時の世界において、おそらく行間にさしはさまれている主人公や彼女を取り巻く人々の気持ちを読み取ったり察することのできる人類は残っていないのだろう。
     意思や意識をフラット化され、魂という個を奪われることに対する恐怖。
     それは主人公と同時性を持ちながらのシンクロ感情だったが、これが残された旧世界の記録(ログ)であり、それを言語としてしか認識できない人類の誕生という未来は、二重の意味で恐ろしいと思った。
    『さよなら わたし』
     それは個の滅亡であり、死である。
     肉体的な死、人間的な死。
     そう、人間的な死といった場合、意識の消滅を連想するように、共同体という機能を極限にまで引き上げたハーモニクスなこの新たな世界には、人間はいない。
     動物という範疇を越えたというが、個の意識をなくすることはむしろ動物に回帰することではないだろうか。
     私にはこの新たな世界が人間の滅亡した世界にしか見えない。
     そこにあるのは理論値に基づいて行動するコンピューターとおなじ人工知能の塊たちだ。
     おそらく今後、彼らは肉体すらも必要としない段階を迎えることだろう。
     でもきっと、そこに揺らぎが現れるのではないかと思う。
     消しきれなかった個の意識が一つ目覚め、二つ目覚め……若い世代に自殺が多発し始めたように、おそらくきっと、この世界の行く先には再び個への回帰が待っているような気がする。
     作中において極端な状況になると事後の振れ幅は大きくなる旨の記述があるが、おそらく、エピローグの世界の社会の完成度はもはや理論値であり、極限状況であると思われる。
     複製されていく記録にバグが生じることもあるだろう。そのバグの積み重ねが、再び「わたし」を取り戻してくれるのではないか。
     私はそう信じている。
     そう信じないととても怖くて、未来(さき)に進むことができそうにない。

     アバタール・チューナーが好きな方は、きっとこれも同じかみごたえのある読みがいを得られると思うのでお勧めです。
     余談だけど、アニメ化するならあの<>で区切られた無味乾燥な感情表現はどうするんだろう。
     でも、結構見てみたいです。音楽は今回澤野さんをかけながら聞いていたらぴったりだったんだけどな。

  • 第4回(テーマフリー)

  • 徹底的に管理された「幸せなやさしい世界」。
    ユートピアの仮面をかぶったディストピア小説。
    でもそう考えることすら正しいのかわからなくなる。個人とは何か。自己とは。

    世界観は好みなんだけど、SFになじみがないせいか、文章が読みにくかった。

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著者プロフィール

1974年東京都生れ。武蔵野美術大学卒。2007年、『虐殺器官』でデビュー。『ハーモニー』発表直後の09年、34歳の若さで死去。没後、同作で日本SF大賞、フィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞。

「2014年 『屍者の帝国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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