ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫 JA イ 7-7)

著者 :
  • 早川書房
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感想 : 382
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  • Amazon.co.jp ・本 (398ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150311667

感想・レビュー・書評

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  • SF自体があまり読まないジャンルだったため、読み進めることが若干難しかった。
    幸福な社会を実現するための最終的な結論として、個々の意識を消滅させる、という落とし所であった。争いは消え、傷つけ合うことがなくなり、病とも無関係な世界が構築された完全なハーモニー。一人一人が、社会という巨大なコンピューターを動かしていくための、それぞれ決められた役目を果たす電子部品のようになり、個が消滅した世界となった。
    悲しいも面白いも、退屈も楽しいもないその世界は、きっと無と同じであり、死の先にあるものを生きながら得るようなものなのだと思う。
    「私は私のもの」と強烈に主張していた本人が、私のない世界を創造するという結論に至ってしまったのは、なんという皮肉だろうか。
    どれが幸せなのかは分からない。きっと人間ごときが断言できるようなことではないのだと思う。

  • 読みたくないわけではなくむしろ読みたい本だったが読むのに時間がかかった。

    面白いディストピア小説だった。



  • 6つ

  • 虐殺器官を読み、
    痛みが分かるけれど痛みを感じない人間は生きているといえるのだろうか
    という読後感を持ちながら読み始めたので、自分の考えが覗かれている感覚になった。


    人間って管理されすぎないと自由にかまけて堕落してしまうけれど、
    管理されすぎると段々自分がなくなっていく感覚になって、適応する人と適応できなくて苦しむ人の2パターンに分かれると思う。

    私は管理されすぎない選択肢のある世界の方がやっぱり良いし、選択肢がないことで楽園が築かれるなら、そこからは出て行きたいと思う。

    けれど、これはあくまで意識がある側から考えるからそう思うのであって、
    意識がなくなってしまうとずっと凪いでいられるから、無こそ至上の幸せなのかもしれない。


    映画も見てから、また読んでみようと思う。


  • 平等な世界の行き着く先が描かれていると思います。
    公式見解なのかはわかりませんが、虐殺器官のクラヴィス大尉の選択がもたらした後の世界が語られていると言われています。そちらを読んでからハーモニー読むと世界観の繋がりとか変化も楽しめると思い出す。

    伊藤計劃氏の本(虐殺器官、メタルギアソリッド4)は、文章の構成とか言葉の選択が好きなので、亡くなられてしまったのが本当に残念でならない。

  • 10年ぶりくらいだけどだいたい覚えてた。そして伊藤計劃、ジョージオーウェル大好きなのがよく分かる。

  • 読む書籍に偏りが生じてきたのか、脳のモジュールを意識してばかりです。虐殺器官で感じていたグロテスクさとは一転して、常に静かな苦しさの気配を感じていました。これもまた、虐殺器官と同じく映画を先に観た作品でしたが、こんなんだったっけ?となり続けていました。また映画を見直したいと思います。

    意識がその場凌ぎの産物で、継ぎ接ぎだらけの遺伝子の上に我々は立っている、という論調にゾワゾワした心地よさを感じました。私の報酬系も指数関数的な価値評価を実装して欲しいですね。意識があることの苦しさも、自分とお別れする寂しさも、何となく分かる気がするので。気づかないうちにすっと。

    何となく、意識についての認識が変わり、何処にも足のつかない浮遊感に取り憑かれています。

  • オーディオブックはオススメしない
    本著はetmlというhtml風の記法が使われており、オーディオブックだとそのタグやらIDやらを余すことなく読むので物語のテンポが悪くなる

    ただ何故etmlで書かれているかという謎もちゃんと回収されており本著を語る上では欠かせない要素なので削ることはできないだろう

    物語全体の世界観がしっかりしていて本当にその世界が存在している様であった
    特にそれぞれの国の状況が何故そうなっているのかが論理的に説明されて実際にありそうだなと思わせられた

    ラストは皮肉な終わり方で結構好き

    自分の体調管理を全て外注するというのは便利そうではあるが医者だったり機械もミスやバグはあるのでハイリスクだなと思う
    強固な意思は必要になるだろうが自分で体調管理をする方が安全でなんかあったときに後悔も少ない様な気がする
    そもそもその強固な意思がないから外注するのか
    そう考えると自律しない事自体がかなり危険な状態と言える

  • 私が所有している「ハーモニー」はアニメ映画のイラストが描かれていない真っ白のカバーなのですが…。紙の本として登録したいので我慢します…。

    たしか虐殺機関と同じタイミングで購入して、読まずにずっとオブジェと化していたのですが、なぜかふと目に留まり手に取ってしまいました。どうしてこのタイミング(2021年2月)だったのだろうと思います。
    余談ですが、読み終わって、人と人が、身体と病や怪我が、景色の色彩が「調和がとれている」…って何かどこかで聞いたな~と思ってたんですが、多分「Beautiful Harmony(美しい調和)」ですね。
    核戦争という未来はもしかしたら現実になるかもしれないけど、それが今すぐに起こるなんて危機感を持ってる人は少ないのではないかと思いますが、この本が刊行されて約10年後、この国は新しい時代に変わり、世界中でウイルスが蔓延しています。
    未来だと思っているところにゆっくり歩いていくんだろうな、と思っていたら突然体を掴まれて車にでも乗せられて連れてこられたかのような…。
    今この本を読んだことが今生きているわたしにとっては非常に示唆的で、不思議な縁を感じます。(以下ばかみたいに長く、感想というかきもちわるい考察になってしまいました…)

    虐殺器官を先に読んだのは、恐らく書かれた時期が早いものから読もうと思ったのだと思いますが(自分のことですが、もう記憶にないです)、時系列的にもそれが正しかったみたいですね。
    虐殺器官の先にあるのが大災禍で、その後の世界がハーモニーということなのでしょう、恐らく。
    小説内にもいくつかそれを思わせる表現があるのですが、明確にその後の世界とは書かれていないからメタ感があってすごく面白い。
    たとえば冴妃教授の言葉「皆が皆、虐殺するための器官を生得的に持っているかのように~」(p.164)、それからエーディンとの話の中で「痛み」のことがでてきますが、「なにかをしていてそちらに関心が集中している場合、気がつくと指や肘から先が無くなっていた、という話は~」(p.235)から始まる痛みを選択する意志が存在するというような話、これはたしか虐殺器官でも同じような話が出てきたと記憶しています。

    とりあえず散りばめられた小ネタ?を気付いたものだけ書いてみます。
    ・ミァハのセリフ「ただの人間には興味がないの」(p.22)―涼宮ハルヒの有名なセリフですね。
    ・その後の「好き好き大好き超愛してる」(同)―舞城王太郎の小説。
    ・ケル・タマシェクが登場するシーンで「蒼き衣をまといて黄金の野から現れる」(p.38)―ナウシカかなぁ。
    ・ある芸術家の話(p.85)―Chim↑pomのことですね。
    ・ひときわ目立つ黄色の「フロッピーディスク」(p.172)―おそらくスーパーマリオブラザーズのカセットでは?
    あと、「現実には目の前にいない相手と大学の駐車場で静かな口喧嘩を繰り広げている。(略)屋外でうつむき加減に歩くのは、通話しながらの歩行ではたいていの人間は足許が疎かになって転びやすくなるからだ。」(p.176-177)はワイヤレスイヤフォンが登場したまさに今の状況ですね。
    この小説が書かれたのは2000年代なので、この頃にはなかったか未だ一般的ではなかったんですよね。
    SFで予言されたことが現実になる、時代の当事者になった気がして感慨深いです。リアルタイムで星新一を読んでいた人もこんな気持ちなのかな。

    本作を一言で説明して、と言われたら「悪趣味な小説だよ」と言ってしまうかもしれません。
    人によっては中二くさ!の一言で終わらせる人もいるだろうし(「世界」じゃなくて「セカイ」なところとか特に笑)、そういう部分でもあるんですが、もっと大きな理由があって…。
    虐殺器官の感想に、わたしは普段、作者のことを気にして小説読んでない、でもこの小説は作者の置かれている状況が強く反映されている(ために意識せざるを得ない)みたいなことを書いたんですが、同じく本作も「作者」のことを考えずにはいられなくて、小説の中身なんかより余程考えてしまいました。
    感想を書いている今でさえ読み返すと何かが込み上げてきて涙が押し出されそうになります。
    それが何なのか。悲しみなのか、悔しさなのか、怒りなのか、どうもわからないのですが、すごく感情的になってしまうのできっと冷静さと客観性を欠いた内容になることと思います。

    何から、どんなことを感想として残そうか非常に悩んでおり、何度も文章を書きなおしているのですが、やっとちょっとずつ考えが鮮明になってきたというかピントが合ってきた…ように思います。
    それで着地したのが、ミァハの自殺願望の原因はトァンなんじゃないか?ということです。
    ミァハは意識を持たない過去の自分に戻りたい、つまり「わたし」(=自意識・自我・意志)の喪失を強く望んでいたわけですが、一方で「わたし」を持つ人間に憧れがあったんじゃないかなと思います。その憧れの一番の対象がトァンだったんじゃないかなぁと。
    トァンは「わたしという意識」で「わたし」や「セカイ」を憎んでおり、ミァハの周りにいる人間の中では「わたし(=自意識・自我・意志)」を一番正しく、純粋に使っているとミァハは思っていて、それが出来るトァンを羨ましく感じていたのではないでしょうか。
    全員を殺す(自殺させる)ことができる状態で、どうしてキアンを選んだのか。しかも二人が久しぶりに再会したタイミングで。
    わざわざメッセージを伝えたからにはミァハはキアンを選んだんですよね。誰でも良かったはずなのに。ミァハはトァンのことは殺したくなかった。

    ミァハの過去を知ると、不思議に思える言葉がいくつかあります。
    たとえば「わたしたちはどん底を知らない。どん底を知らずに生きていけるよう、すべてがお膳立てされている」(p.14)ですが、ミァハが経験したことがどん底じゃないなら、何がどん底なのと思います。
    それから「昔はね、体を買ってくれる大人がいたらしいんだ。(略)わたしたちみたいな子供との…(略)女の子たちがいっぱいいたんだって。…(略)」(p.13)。凄惨な過去を持つミァハがどうしてこんなことを言うのかよくわかりません。
    どちらにも共通するのは一人称が「わたしたち」であるという点です。
    通常「わたしたち」は、わたしであるミァハ、目の前のあなたであるトァン、ここにはいないその他の人々で構成されると思いますが、ミァハとしてはそういう意味ではなくて、それぞれどん底を知らない世代の、女子高生の代表として「わたしたち」という言葉をつかったのかな、と思います。
    自分がそこに含まれているかは関係なくて、もっと大きなくくりで、どんぶり勘定で定義したわたしたち…赤い花が9本咲いていて、そこに白い花が1本混じっていても、人に話すときには「赤い花がたくさん咲いていたよ」と言ってしまう感じ?
    何言っているのかわからなくなってきましたが、ミァハがトァンに対して「わたしもあなたとと同じような普通の人だよ」と見せかけている、もしくはトァンが自分のことのように受け取れる言葉を選んでいるような気がします。
    でも本当は「わたしたち」じゃなくて「あなたたち」って言いたかったのかもしれない。
    「(食生活から運動から趣味・興味まで全てを管理されて不幸に成り得るはずのない)あなたたちはどん底をしらない。」「(この世界で体を売るなんて出来ないし、決してしようと思わない)あなたたちみたいな子供。」と。

    ミァハはもうずっと「わたし」を手放したかったのだろうと思います。
    意識を持たないということは、何も感じないということで、ちゃんと生きていても「わたし」は生きていない。
    ミァハは意識を持たなかった以前は「生きて」いても「生きて」はなくて、意識を得ていわば「生き返った」わけですが、もしかするとその感覚に歓喜・興奮したかもしれないですね。
    本来、幼児がある程度成長すると得る自意識を、とっくに自意識を獲得している年齢になってやっと得たわけですから。
    けれど、それが逆に当時のミァハには苦痛をもたらすことになってしまった。
    虐待やひどい環境に置かれた人間が、自分をまもるために他人格をつくるというのは聞いたことがありますが、ミァハの場合、逆のことが起こってしまったわけですから。
    様々な感覚の洪水、それも苦痛や怒りや悲しみや疑問が一斉に押し寄せてパニックになっただろうし、「わたし」が「生まれ落ちた」ことに絶望したことと思います。
    そもそも少数の異端な存在であったのに、そこに耐えがたい経験や意識の獲得といった予期しない出来事まで起こり、ミァハという人間はものすごく特殊な存在になってしまった。
    そのために、その後も調和を求める社会で孤独を深めたり、生きづらさを抱えてしまうのは不思議ではないと思います。

    トァンは自殺とは「自分で自分の命を絶つこと」だと考えていたと思いますが、ミァハはそうではなくて、「わたし」さえ無くすことができれば命なんてどうでもよかったんじゃないかと思います。
    だから、ヌァザの研究を知ったとき、ミァハはきっと「これだ!」と思ったんじゃないでしょうか。命なんて絶たなくても「わたし」を殺すことができる方法。
    であれば、一人だけそうなればよかったのに、世界中の人を道連れにした動機は?「この世界を全力で愛してるーすべてはこの世界を肯定するため。」(p.341)とミァハは言うけれど本当かな?
    生まれたときから「わたし」を持ち、助言に従い食事や運動や見聞きするものを選択することで身体の健康状態を保つ、「わたし」を大切にする多くの人々。
    そんな人たちから意識(「わたし」)を取り上げるのはミァハにとっては正義でも、他の人から見れば悪でしかない。
    自分に意識を与えた世界への復讐のように思えます。

    意識を失うと「わたし」は「わたし(個体)」ではなくなるが、1つの大きな「わたしたち」になり、完璧な社会・共同体が出来上がる。
    「人間のばらばらな欠片でできた魂をかき集めて、パズルを作るようにくっつける。そうすればいつか完璧な人間ができるだろう。ミァハのような人間ではない。わたしのような人間ではない。」(p.171)
    エヴァンゲリオンの「人類補完計画」をイメージしてしまいますが…。
    世界への復讐と同時に、ミァハはもしかすると自分以外の「わたし」を一番正しく、純粋に使っているトァンと一体になりたいと考えていたのかもしれない。
    結果的にほとんどの人々は「わたし」を喪失し、代わりに「完璧で大きなわたし」は誕生したけれど、その前に殺されたミァハは結局その一部にはなれなかった。
    でもミァハにとってはどっちでも良かったかもしれないですね。ヌァザに出会う前、ミァハは自殺によって「わたし」を手放したいと考えていたわけですから、「わたし」が消えて命が残ろうが、命もろとも「わたし」が消え失せようがどちらでも。
    トァンに殺されたってよかったのかな。寧ろそうなることを望んでキアンもヌァザも殺したのかもしれないですね。
    どちらに転んだってきっとミァハは「わたし」をちゃんと殺せたんですね。

    大災禍というと、「災」の文字のイメージが強すぎてどうも不可抗力による「災害」をイメージしてしまいます。
    それと、舞台が「健康が保障された世界」のため、自分の中で勝手に「大災禍=疫病の蔓延」という方程式ができてしまい、読んでいてしばし「あれ?何で戦争の話が出てくるんだっけ?」と立ち止まってしまいました。
    ただしくは、争いが起き、核爆弾が投下された⇒放射能による被ばくで多くの人が病気になった/死んだ⇒同じことを繰り返さないよう、健康を免罪符に病気は元より暴力や嗜好品・娯楽、人間関係をも制限し、争いが起こらないような社会を作り上げたですね
    この争いと健康社会を結びづける印象的な部分が少なく、もう少しそこを補強されてもよかったのではないかと思いました。(前述したように噛み砕かないと一瞬で理解できない)

    病気にかからなければどんなに良いか、こう願う人はとても多いと思います。だから病気や怪我から守られた世界、なんてとても平和で素晴らしいと思います。
    完治することない病を患った作者がそれをどんな気持ちで書いていたのか、想像できないですが、想像しようとするだけで辛くて苦しくなります。
    病床で治療を続けながらこの小説を書きあげた作者の精神力、情熱、動機?何と表したら良いのかわかりませんが、そういったものと、自身が置かれている状況を受け入れつつ、超越した世界観を生み出す冷静さ、すべてを昇華させたのがこの小説なのかな、と感じて、言葉には到底表せない気持ちになりました。
    「わたし」が「わたし」であること=意識を失うことはまさに「死」だと思いますが、病床にある人が自身に訪れる決定しているそう遠くない未来と真正面に向き合い、かつ客観的に俯瞰的に見ていることに本当に驚きます。
    普通の精神力じゃ到底無理だと思うのですが、何がこの姿勢の根源になっているのか…。「書きたい」、「自分のすべてを懸けて書きつくす」という思いなのかな。
    本作はいくつかの賞を受賞しているのですが、表彰式に亡くなった作者に変わって登壇されたお母様の言葉が虐殺器官の解説に載っています。
    「書きたいことがまだいっぱいある」と言っておられたそうで、私も特に本作を読んでぜひもっと作品を読みたかったな、と強く思いました。
    ミァハのセリフに「フィクションには、本には、言葉には、人を殺すことのできる力が宿っているんだよ、すごいと思わない」(p.224)というものがあり、虐殺器官に通ずる言葉のように思って気に入っているフレーズですが、人を殺すこともできるなら生かすこともできるのではないでしょうか。
    「本には、言葉には、人を生かすことのできる力が宿っている」というふうに。

  • ずっと先のことよりも目先のことばかり追いかけすぎている自分に嫌気がさしてきたこの頃。
    報酬系が曲線でしょうがないと開き直れた。

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著者プロフィール

1974年東京都生れ。武蔵野美術大学卒。2007年、『虐殺器官』でデビュー。『ハーモニー』発表直後の09年、34歳の若さで死去。没後、同作で日本SF大賞、フィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞。

「2014年 『屍者の帝国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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