ユートロニカのこちら側 (ハヤカワ文庫JA)

著者 :
  • 早川書房
3.81
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本棚登録 : 732
感想 : 50
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150312992

作品紹介・あらすじ

個人情報を提供する見返りとして、生活全般を保証する実験都市アガスティア・リゾート。理想的な環境が啓く"永遠の静寂"とは……。

感想・レビュー・書評

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  • 「地図と拳」から遡ること4冊目。究極の管理社会をテーマにした本作も、ただのSFではなかった。とても思索的で叙情的。ラスト近く「誰が勝つかは問題でなくて、何を求めて戦うかが大切」というメッセージが心に刺さった。デビュー作でこのクオリティー。小川哲さん、やっぱり只者じゃない。

  • 監視社会の変遷と、その社会を生きる人々の内面を描写したSF作品。今や大人気作家となった小川哲さんですが、デビュー作のみ手に取っていなかったので今更ですが読了。デビュー作とは思ないほど濃厚な物語で、非常に楽しめました。

    大きな事件が起きるわけでは無いので、どこか淡々としており、SF作品として読むと少し盛り上がりにかける印象がありましたが、文学作品として見ると、監視社会というあり方に抵抗する個人の内面を丁寧に描いており、「自分だったらどうするか」ということも考えながら楽しめる唯一無二の作品だと感じました。4章などは、のちの「ゲームの王国」などにも通じる印象もある濃厚なストーリーで、その点でも興味深ったです。

  • 地図と拳→嘘と正典→ゲームの王国→君のクイズと読んでやっとこのデビュー作に辿り着きました。

    すぐに読み終えるのが勿体無くて1日一章までと決めて読みました。

    海外の作品の方が日本の作品より優れているというつもりはないのだけれど、この作品は舞台がアメリカなこともあり、アメリカSF小説の翻訳を読んでいるような感覚でした。逆に英訳版を出して世界の人々の評価を知りたいくらいです。

    2015年の作品だけれども今まさに起きている、あるいは起きようとしている世界を見ているようでした。そして小川哲さんの論理的というか理詰めで理屈っぽい表現が自分の好みにぴったり合ってすごく面白かったです。

    行為を裁くことと、危険性そのものを裁くことは大きく違います。いくら痛ましい事件があっても、罪を犯した人間と、罪を犯そうとしている人間は切り分けて考えるべきです。もし危険性そのものが自由に裁けるようになれば、人々は危険について想像することすら避けるようになるでしょう。人間の想像力に介入することは、思いもよらない変化を引き起こします。

    世界が本当に変わるのは、何か非常に便利で革新的なものが開発されたり、新しい画期的な物理法則が発見されたりしたときではない。さらにいえば、与党が改まったり、新しい法律が成立したときでもない。そんなものは、政治家の人気投票結果に付随する塵芥にすぎない。本当の変化は、自分たちの変化に気づかないまま、人々の考え方やものの見方かそっと変わったときに訪れる。想像力そのものが変質するんだ。一度変わってしまえは、もう二度と元には戻れない。自分たちが元々何だったか、想像することすらできなくなる

    ちなみに自分はH2では古賀ちゃん派でした笑笑

  • 注:内容に触れていますけど、本を読んでないと意味がわからないと思うので、あえてネタバレ設定にしていません
    というか、こんな長い感想、誰も読まないと思うw



    これに出てくる「アガスティアリゾート」を否定的に見て、ぶっちゃけて内容を書くならば、映画の「銀河鉄道999」みたいな話なのかなーと思う。
    「999」は、“機械の体”を貰うために主人公が行きついた所は“機械の体”ではなく、その都市(星だっけ?)を構成する“部品”にされてしまう話だったと思うが、
    この本の中に出てくる、アガスティアリゾートついて書かれた本にある説、“いくらかの割合の人間がほぼ完全に無意識になった時、永遠の静寂(ユートロニカ)が訪れる”は、「999」の最後で明かされる“機械の体の正体”を思わせる。

    ただ、それはあくまで話の中でも一人の人が言っている「説」にすぎないし。
    少なくとも、この小説の中でアガスティアリゾートに住んでいる人たちは幸せに暮らしている(ようだ)。
    そこで描かれている生活は「999」のように、“格差によって生存が脅かされる”という、いわゆるディストピアではない。
    にもかかわらず、そこに住んでいる、あるいはそこに関わる一部の人は、日々の暮らしで自分の行動や見たり感じたりしたこと全てが「情報」として取られてしまう、アガスティアリゾートでの生活に疑問を感じて、自分でも理由がわからないストレスを受けている。
    そんな人たちを描く6つのエピソード、と聞いて何かピンとくるものがある人ならば読んでみてもいいと思う。
    ただし、いわゆるSF小説的なエキサイティングな展開はないし。また、読んで面白いという小説でもない。
    でも、読んでいると、ついいろいろ考えてしまう。それは、ある意味エキサイティングだった。
    (ゆえに感想がやたら長いw)


    読み始めて、最初に感じたのは、いい意味でも、よくない意味でも、やたらと頭のいい人が書いた小説だなーと。
    自分の感想は大体茶化して書く傾向があるが、これは茶化しでもなんでもなく、本当に正直な感想。
    読みやすい文章だし。また、自分は(他の人が言ってるほど)人間が描かれていないとは感じなかった。
    むしろ、その人の人生を過去に遡って、キャラ設定していたり、さすが巧く書いているなーと感心した(←ホントに茶化しではないw)。
    これが、いい意味の方の感想。

    で、よくない方はというと、なんだか、話に出てくる、設定から会話、あらゆるものが著者が読者の先回りをして“正解”を用意しているようで。そこが、読んでいて、著者がやたらと頭がいいだけにカツンとくるんだと思うw
    あえて極端に書くと、『ユートロニカのこちら側』という小説自体が、著者の考え方が“正解”であるアガスティアリゾートで。『ユートロニカのこちら側』という小説を読み楽しむには、その著者の考え方が“正解”であるアガスティアリゾートに住まうことを押し付けられているような気がしてくるのだ。

    で、もう一つ、これは、いい意味なのか、よくない意味なのか、自分でもよくわからないのだが。何人かの方が伊藤計劃の『ハーモニー』を思い出すと書いているのを見て、ふと思ったのが、その『ハーモニー』よりもこっちの方が小説としての出来がいいのに、物語としては、なぜか『ハーモニー』の方が面白いということ。
    たぶん、いい意味で幼稚っぽいんだと思う、『ハーモニー』は(「ハーモニー」は管理社会としての未来を描いているのではなく、世間が管理し合っている今の日本の社会を著者が自分自身を賭して皮肉っているように感じる。そこに凄味があるんだと思う)。
    それに対して、こっちは頭がよくて、社会的にも認められている大人が書いた小説という感じで。
    書いていて、著者でなく、物語の方が動き出しちゃった、ハッチャケた感じがないっていうのかなー。
    そういえば、読んでいると、時々唐突に「え、この著者も村上春樹のファンなの?」と思わせるような表現が出てくるのだが、そういったことも含めて、頭のいい人が巧みに書いている小説だなーって感じてしまって。
    ゆえによくもわるくも、な~んか展開が煮え切らないんだよなぁ~(血沸き肉踊らないと言ってしまったら違うんだけど、そう、コーフンしないって言ったらいいのかな?)というのがあるんだと思う。

    ただ。それは、この小説が、SF小説というよりは、著者の抱くIT社会の問題意識に沿った「寓話」だからかなーとも思う。
    いや、その寓話というのは、著者がそう意図して書いたのか、それとも、たまたま寓話になってしまったのか、それはわからないのだが、著者は、いかにもSFファンが喜びそうな、類型的な「ディストピア小説」を書く気はなかった。ゆえにこういう「物語」になった。
    たぶん、そういうことなんじゃないだろうか?
    つまり、なにも「ディストピア小説」の伝統に沿った、いかにもな定番な展開で盛り上げなきゃならないということはないわけで。そいう意味では、著者のその心意気(アティチュード)にはとてもシンパシーを感じる。

    そう考えると、解説で、選考した東浩紀という人が“管理社会をディストピアとして描くのであれば、管理に衝突する抵抗者=犯罪者の造形が重要になってくる。本作の空気はバラードの著作を思い起こさせるが、バラードは変態を書くのが巧かった”と言ったとあるが、それは明らかに見当違いな指摘なのだろう。
    ていうか、どこかの隣の国じゃあるまいし。いまさら、体制による暴力を伴う監視・管理社会=ディストピアって発想は、この日本ではさすがに古くないかい?w
    この本の面白さは、そんなカビが生えたディストピアではなくて。
    独善的な便利・効率的・お得を押し付けることで、人々の営みに笑顔ですり寄ってくる今のIT企業・ITサービスが目論む社会をテーマに持ってきたところにあると思う。
    それは、決して、暴力や圧政を伴う監視・管理社会=ディストピアではない。
    そういう古典的なディストピアというのは、誰しもそれを不当な抑圧を感じて、「不正義」として打倒することも出来るだけ、もしかしたら、まだマシなのかもしれないという気がしてくるのだ。
    だって、「あなたの生活を『便利・効率的・お得』にしますよ」と笑顔ですり寄ってくる存在を、「不正義」と逆らう人はまずいない。
    だって、実際「不正義」ではないし。何より、『便利・効率的・お得』を得られるのは間違いないことだからだ。
    つまり、それは誰が見ても「ユートピア」なのだ。
    現に、この小説の第一章「リップ・ヴァン・ウィンクル」の登場人物ジェシカは、そのユートピアである「アガスティアリゾート」に住むために8回応募している。
    でも、その「ユートピア」は、お金儲けを目的とする「企業」が運営しているのだ。
    もちろん、お金儲けが悪いのではない。
    でも、企業というのはお金儲けを第一義としている以上、お金儲けこそが正義で、お金が儲からないことは不正義だ。
    それが一般市民の生活や幸せと必ずしも合致するものではないというのは誰もわかるだろう。
    最近の事案を見ても、『便利・効率的・お得』を謳っているはずの企業が、こっそり学生の個人情報を企業に売っていたり、市場シェア拡大のためにアカウントを作るセキュリティの設定を甘くしたり(記者会見ではそれは否定していたが)等々枚挙にいとまがない。
    ただ、それは、あくまで独善的な便利・効率的・お得を押し付けることで、人々の営みに笑顔ですり寄ってくる今のIT企業・ITサービスの目に見える悪しき面にすぎない。
    目に見えない、一見、誰もそれを悪いことと感じない=誰もそれを「不正義」と逆らえないことによってもたらされる、“長い目で見た”悪しき面を描いてみせたところ。
    その点こそが、この著者の描きたかった、“センス・オブ・ワンダー”なんじゃないだろうか?
    (とはいえ。最初からアガスティア・リゾートというものを否定的に描くのではなく、読者を肯定的に錯覚させるように描いた方が「小説」としては面白かったような気はする)
    AIというと、よく言われる“中立・公正なアルゴリズムで云々”という話があるが。
    でも、それはあくまでAIを開発するの、お金儲けが第一義の企業にとっての“中立・公正なアルゴリズム”なのであって。
    それを利用する/利用させられる一般市民にとっての“中立・公正なアルゴリズム”であるとは限らない(というか、ほぼ“企業に有利で不公正なアルゴリズム”だろう。


    ただ、だからと言って、第六章で出てくる、“人間は次第に無意識状態に回帰していて、なおかつそれは進化論的に正常なこと”、“いくらかの割合の人間がほぼ完全に無意識になった時、永遠の静寂(ユートロニカ)が訪れる”がアガスティア・リゾートによってもたらされるかは、
    自分は全くわからない。
    というのは、この著者が頭がよすぎて、自分の頭ではとてもじゃないけどその論理についていけないということもあるが。でも、それより何より、この小説ではその「永遠の静寂(ユートロニカ)」に至るまでの過程が示されていないというのもある。
    (そもそも、その“永遠の静寂――ユートロニカ”云々はこの本の登場人物が書いた本の中にある「説」にすぎない)
    ただ、その「永遠の静寂(ユートロニカ)」って、蜂や蟻のように巣全体で一つの意識や意思を持つみたいなことなのだとしたら、それは進化論的に正常なことなのかは知らないが、それはそれで人類の進化の方向性の一つなのかなーとも思う。
    進化というものをディストピアと逆らう人はいない。というか、人の進化の行先がそうなら、それをディストピアと思う意識すら持たないだろうから、なら、それはそれでいいんじゃない?と思ってしまう、というのもある(ていうか、それしかないよね?w)。

    そうなってくると、要は、それで幸せか/不幸せか。あるいは、ストレスを感じるか/感じないか、なんだろう。
    アガスティア・リゾートに住むことで、運営するマイン社にトイレと寝室以外(だったか?)の全ての知覚情報をデータとして提供する代わりに、生活の一切の不安を取り除いてくれるサービスが受けられるということを、
    “その人が損と感じるか/得と感じるか”。突き詰めてしまえばそういうことなのかなーと。
    損と感じれば、それはストレスだろうから、第一章のジョンのように心を病んでしまうだろうし。
    得と感じれば、その奥さんのジェシカのように楽しく生き生きと暮らせる。

    でも、そう考えてしまえば、ちょっと元気が出てくるというものだ。
    もしかしたら、人の生活に独善的な便利・効率的・お得を押し付けてくるだけの現在のIT企業・ITサービスではない、“人や人の生活におもねる(おもねるというと言葉は悪いが)ことが出来る”ITサービスというものが、これからのITサービスの差別化の方向性として出てくるのではないか?と思うからだ。
    詳しくは知らないが、デンマーク(だったか?)では、取得された個人データは本人の承諾がない限り企業は使うことが出来ない仕組みが出来ているらしい。
    そんな風に、あからさまに個人が丸裸にされるように感じてしまうデータの使い方でない、IT企業である前に人としての仁義をわきまえたITサービス、あるいは悪質なITから市民を守る仕組み(システム)みたいなものがあれば、今の独善的な便利・効率的・お得を押し付けることで、人々の営みに笑顔ですり寄ってくる今のIT企業・ITサービスは自然に排除されていくように思う。
    ITに関しては日本/日本人は海外勢に負けっ放しだけど、そういう方向でなら、色々やりようがあるんじゃないのかな?


    こういう本を読むと。誰しも、アガスティアリゾートに住んでみたいか?って話になると思うのだが。
    自分は、最初のエピソードに出てくる、アガスティアリゾートの情景描写を読んだ途端、あー、俺はここに住みたくない!って思った。
    いや、働かなくてもいいとか、犯罪が抑止されているとか、心が動くところはいっぱいあるw
    でも、床がガラス張りで、その下にサメが泳いでるのが見えるレストランとか、そんなクソつまんない所、死んでも行きたくない!って思うのだ(爆)
    ま、自分はテーマパークとかが大嫌いなこともあって、余計そう思うのかもしれないがw
    そういえば、香港が中国に返還される前くらいに、香港に関する本を読んだ時。“香港は子供の自殺率が世界のトップクラスだが、大人になると自殺率は途端に低くなる。それは、香港人は仕事が嫌になるとすぐ辞めて、すぐに別の所に就職しちゃうからだ”みたいなことが書いてあった記憶があるが、実際にアガスティアリゾートが出来たとしたら、たぶんそんな風になるんじゃないのかな?
    水清ければ魚棲まずじゃないけど、人間なんてものは下世話でくだらないものが、生きていく上で絶対必要なんじゃないのかなぁーw
    それこそ、いわゆる週刊誌ネタとかワイドショーネタみたいな空気感とか。だって、みんな大好きじゃん、あれ(爆)
    あと、「ステイホーム」の中、家にいることにストレスが溜まる人がいかに多かったかを見ても、アガスティアリゾートの外に出たら点数が下がる生活なんて耐えられないんじゃないのかな?
    というか、人間なんてもんは、アガスティア・リゾートのような最大公約数的な幸せの中では絶対満足出来ないんじゃないのかな?
    人間の欲望や幸せ(満足)への欲求というものは、そのくらい際限がないもので。データの対価として支給されるお金に最初は納得できたとしても、だんだん「それでは安い。もっとよこせ」という風になっていくと思うのだ。
    安全や娯楽・レクリェーションに関してもそれは同じで、「もっと」「もっと」と際限なく、さらにあらゆる方向にエスカレートしていくはずだ。
    それらの欲求を満たせる存在なんてあるわけもなく。満たせられなければ、いつか爆発する。
    人というのは、そういうものだと思う。
    といっても、この『ユートロニカのこちら側』は、あくまで“寓話”だと思うので。
    アガスティアリゾートのそういうところに現実味がないとか、あと、マイン社は得たデータでどうやって儲けているのだろう?なんて疑問を持つのはたぶん見当違いなんだろうし。
    なにより、今すぐそこにある問題点を考えれば、そんな重箱の隅をつつくようなことを言っている場合じゃないということだろう。

    素直であることは、幸せに生きる上で大事なことだと思う。
    なぜなら、素直に長いものに巻かれていれば疲れないわけだから。疲れないということは、自分の人生をポジティブに考えられると思うのだ。
    でも、長いものに巻かれ続けていると、ストレスが溜まってくるのも事実だろう。
    アガスティア・リゾートでの暮らしのように、マイン社が望む暮らしをしないと個人の点数が下がり、それに応じてマイン社から支給される収入も下がるという仕組み(考えただけでストレスが溜まるw)がなかったとしてもストレスは溜まるはずだ。
    なぜなら、アガスティア・リゾートでの暮らしが良ければ良いほど、その生活を無料で提供してくれるマイン社は自分たちの生活データを使って莫大な利益を得て、その社員たちはもっと良い暮らしをしているということを、住民は想像するようになるからだ。
    アガスティア・リゾートの暮らしにストレスが少ない分(というより少ないからこそ)、それは住人にとって大きなストレスになっていく。
    ストレスが溜まれば、やっぱり疲れてしまう。疲れてしまえば、自分の人生をネガティブに考えるようになってしまう。
    そんな風に、便利で、効率的で、お得な長いものに巻かれて疲れて生きるのか、それとも、なるべく長いものに巻かれないように疲れて生きるのか。
    各自がどちらを選ぶか、選択を強いられる時代、それが21世紀なのだろう。
    というか、もはや誰もが既にいつの間にか選択させられているわけだが、つまり、これからは巻かれているそれの締め付けが強くなっていくということなのだろう。
    ただ、その長いものの締め付けを、ジェシカのように良いものと感じる人もいれば、ジョンのようによくないものと感じる人もいるということなのだろう。

    とはいうものの、アメリカの大統領選を見ていて思うのだが、アガスティア・リゾートのような街を造ることはアメリカ人は到底容認しないだろう。
    アメリカ人が大好きな例の集団ヒステリーを巧く起こせば、もしかしたら出来るかもしれないが、でもすぐに逆の集団ヒステリーが起きて、「それは間違いだった」と無くしてしまう気がする。
    また、今のIT企業ならこんな露骨なやり方ではなく、もっと隠れて巧妙なやり方をする(というか、している?)と思う。
    こういう街が出来るとしたら、それはまずは中国や新興国。あるいは、東アジアの国々(日本も含む)だろう。
    そういう意味では、「それは間違いだった」と認められない日本なんかはヤバイかもしれないw

    うろ覚えだけど、デヴィッド・ボウイが80年代の初め、(たしか)坂本龍一に「これからの抵抗は政治にではなく、情報に対してすることこそが抵抗なんだ」みたいなことを言っていたと何かで読んだことがある。
    デヴィッド・ボウイとはいえ、いくらなんでも80年代の初めに今のネット社会を具体的にイメージしていたとは思えないし。
    また、「情報」というよりはマスコミをイメージしていたんじゃないかって気もするのだが。
    とはいえ、デヴィッド・ボウイというのは常に次は何?ということを考えなきゃなんなかった人だけに、不安というか、不穏というか、何かそんな嫌な空気を捉えていたんじゃないだろうか?
    つまり、『便利・効率的・お得』という、誰もが抗えない言葉に抵抗しなきゃならない世紀、それがこの21世紀でなのだろう。
    『便利・効率的・お得』というのは、そんなにも疲れることなのだけれど。
    ただ、そうは言いつつ、アガスティア・リゾートに住んでいる人は『O嬢の物語』をどう読むのだろうか?なんて思う(爆)



    以下、個人的なメモ。

    “住民を洗脳することで自らを正当化しているが、彼らの行いは…”(P159)
    そんなこと言ったって、検索した時、遥か先までスクロールしたものをわざわざ見ないよー。
    面倒くさいし、検索エンジンが提示して出てきたものを素直に見ちゃうよw

    “なお、マイン社はランダムニュースの取材に対し「正式に訴状を受け取ってからコメントしたい」と述べている”(P160)
    「正式に訴状を受け取ってからコメントしたい」って、よく聞く言葉だけど、
    でも、考えてみたら、正式に訴状を受け取ってからなされたコメントって聞いたことないなーw

    “もしマイン社が頭からお尻まで間違っているのなら、リゾートがこれだけ繁栄するはずもなかった。彼らは大きな誤りの一部に、何か絶対的な正解を含んでいる” 
    第五章:ブリンカー(P222)
    ――日中戦争から太平洋戦争に突入することを選んだあの時代の日本人に、何なりかの絶対的な正解があったのだろうか?

    “それって何かおかしいような気がする。悪いことをするってわかりきっている人間は(アガスティア・リゾートに)入場できて、何をするかわからない人間は入場できないってさ”
    第五章:ブリンカー(P228)
    ――法律に違反して犯罪者になってしまえば人権が守られるのに、TVを見ている人が不快だと感じたタレントが自殺に追い込まれるまで叩かれるのとどこか通じているような……

    “「物事を深く考える」のが悪いことであると、「物事を深く考えず」に口にしている。寒気がした”
    第五章:ブリンカー(P241)
    ――ここ数年、「思考停止」という言葉をよく耳にするが、「思考停止」と言った途端、その人も考えることを止めているような?w

    “「本当の変化は、自分たちの変化に気づかないまま、人の考え方やものの見方が変わった時にそっと訪れる」
    (中略)だがドーフマンは、その変化が良いものなのか、悪いものなのか教えてはくれなかった。彼の興味はそこにはないようだった”
    第五章:ブリンカー(P243)
    そう。確かに、それは、“そっと訪れる”ものなんだろうし。また、“彼(企業)の興味はそこにはない”ものなんだろう。
    “良い、悪い”(ちょっと言葉が抽象的すぎると思う)以前に、その“興味がない(興味があるのは儲かるか儲からないかだけ)”というところが一番怖いんだと思う。

    • 莉乃香太さん
      長い感想ですが、読みました。深く考えてるなぁと感心しました。あっぱれ。
      長い感想ですが、読みました。深く考えてるなぁと感心しました。あっぱれ。
      2023/12/04
    • 本ぶらさん
      莉乃香太さん、コメントありがとうございました。

      しかし、こんなに長いの、よく読みましたねー(^^ゞ
      お疲れさまでした。
      というか、...
      莉乃香太さん、コメントありがとうございました。

      しかし、こんなに長いの、よく読みましたねー(^^ゞ
      お疲れさまでした。
      というか、どーも、スミマセン(爆)
      2023/12/05
  • ユートロニカのこちら側
    近未来、監視社会ディストピア。
    複数の視点からの物語で構成されている。
    各々の事情でアガスティアリゾートという居住特区に関わり、サーヴァントと呼ばれる個人情報を収集し情報を基にアルゴリズムされたAIと自己意識の葛藤を描く群像劇S F ストーリー。
    人々は個人情報を提供することで労働から解放され、日々の選択もサーヴァントに依存する生活で、日々の様々な選択からも解放される。
    果たして自らで考えることを図らずも放棄した人々は、自由といえるのろうか。そこに意識としての自己は存在するのかを考えさせてくれる。自由とは何か。不自由があるからこその自由。自由の定義。意識と無意識。やがて到来するであろう人類の在り方についての問題提起。テクノロジーが発展していく先に人類が直面する可能性のある世界軸。人間が人間としてあるための戦いでもあるように感じた。

  • 最近、私の中で密かにブームになっている小川哲さんの小説です。

    端的に言って大好きな作品でした。
    文章の手触りも好きだし、話の展開、キャラクター造形やその背景にある哲学的な問いまで小さなことひとつひとつが個人的に刺さる。飽きることなく最後まで読み進め、読了して(終わってしまったということに)少し残念に思ったほどでした。

    ディストピアものとカテゴライズされているものの、どちらかというと「生き延びるには?」というサバイバル的要素というよりは、監視社会(=アガスティア・リゾート)について書かれた物語で、その物語の中心は「自由とは何だ?」という問いです。
    さらに、そのリゾートは我々の生きている社会と地続きなのだなと思わされます。

    読んでいる途中、以前読了したネット監視社会についてまざまざと思い出しました。
    こちらではその内容より、より深く「見えない監視」が進んでいて、コンタクトレンズで視界を盗視したり、手首の端末から心拍や体温を検知したりと、あらゆる手を尽くして監視されています。
    きっと私の付けているスマートウォッチも、単にスマートなだけではなくて、ヘルスケアの域を超えてどこかへ情報を送っているんだろうな……などと思いながら読み進めました(それでもスマートウォッチは付けたまま)。

    ガチガチの監視社会であるアガスティア・リゾートについて、居住を望む人、疑いを持つ人、制度そのものの社会的価値について考える人、内側から崩そうとする人など、多様な角度からひとつの監視社会を眺めるように物語が展開されています。

    ビッグテックと監視社会に関する本を読んでから目にしたので、著者はそのことに関して警鐘を鳴らしたいという意図があるのかな? と思いましたし、「それでもリゾートはなくならない」というお話の展開的に、誰かが流れに掉さしても止められるようなものではない、といううっすらとした絶望感があって、個人的にはそれが「ディストピア要素」の中核ではないかと感じました。
    ユートピアの真後ろ、背中合わせにディストピアがある。でも実は、ディストピアに住んでいる側はもう殆ど思考停止していて、ユートロニカ(永遠の静寂)に陥りかけている。だから自分がいるところをユートピアと思っているだけで、実際に「目を開いている」側から見ると完全にそこはディストピア。犯罪者予備軍だと(アルゴリズムのわからない)機械に判断されたら隔離され、矯正される都市。
    ……ちょっとゾクゾクする設定だと思いませんか。
    しかも、この世界は「今あなた方が生きている世界と地続きですよ」と著者は言っている気がします(あくまで推測ですが)。

    何なら、ディストピアSFを通り超えて、ホラー小説の域じゃないかとすら思えます。


    欲を言えば、ユートロニカに人々が陥って、社会が機能不全になっていく静かな死(のようなもの)を描写として読んでみたかったな。
    コールドスリープとまではいかないものの、同じような反応しか返さない母親を見て息子は何を思うのか。そういう展開を見てみたかったですね。

    現代の日本に住んでいる一読者として思ったことのひとつは、アガスティア・リゾートに住める人は(金銭的な面でも精神的な面でも、いろんな意味で)「おめでたい人」「恵まれた人」なんだろうな、ということと、精神病を疑われたら隔離される辺り、日本人の場合は居住区より療養施設の方が大きくなりそうだなー、ということ。
    そのまま一生を療養施設に軟禁になったまま終えてしまうであろう老人の手記とか、そういう形の続編を読んでみたい気もしますね。
    冤罪をなくすために予備犯罪者を裁く、という理論が出てくるところなんかはリアルすぎるし、明らかな悪手なのに賛同者が多勢になって押し切りそうなところ、とても日本っぽい(舞台はアメリカだが)なと感じました。
    「正義だと思っているから暴力に訴える」というのは今のネット社会そのものだし、ただのSFとは思えないリアルさに心を鷲掴みにされた気分です。

    派手なSF演出はないですが、今となっては派手過ぎるSF要素は「しらける」こともあるよな、と思ったり。サーヴァントを始めとするゴリゴリのIT近未来要素を出しつつも、そこに焦点を当てず、「考え方」「人間(そのもの)」にスポットライトを当てたところが、個人的には良かった点でした。

    借りて読んだ本ですが、半分も読まないうちに「買って読もう!」と思えた本でした。
    半年後とかにもう一度読み返したいですね。
    本来の本の在り方ってこうだよな、と思い出させてくれた一冊でもありました。
    オススメします。

  • 日々の自分の生活の中では考えが及ばないような思考にさせてくれる一冊でした。
    SF、ディストピア物であるけれど、哲学的と感じたし、読んだ後もなんだか思いを巡らせてる自分もいます。

  • ある巨大情報企業がサンフランシスコ沿岸に実験都市を作った。選ばれた者しか住めない住民はあらゆる生体情報(視覚・味覚・聴覚、位置情報)を企業に提供することによって報酬を得て生活している。プライバシーはトイレと風呂のみだが、街も人もデータとアルゴリズムによって管理され、犯罪はAIによって未然に防がれる。

    そこでは生活が保障され仕事をする必要がない。競争がないから何かに疲れることもない。住民は仲間とのレクリエーションや散歩、読書やスポーツなどで日々を過ごす。何をするかは個人の自由だ。もちろんストレスもない。人間関係に悩んだらAIに訊けばいい。誰と仲良くなり親友となれるのか、恋人や結婚相手もAIが教えてくれる。データとアルゴリズムによってその人に合った最適な答えに導いてくれる。

    街では犯罪や事故が起きないから寿命以外で死ぬことはない。つまりそこは生きていく上で一切の危険や危機がない。

    労働から解放され、犯罪や事故に遭うこともない。誰もが羨む理想郷としての都市。
    しかし、この世界に適応できなかった者たちがいた。ある者は体制に疑問を抱き、ある者は自由とは何か?と問い続け、ある者はユートピアという名のディストピアと闘うことを決意する。これが連作形式のSF小説のアウトラインである。
    読みながら科学の知見と文学的な想像力を兼備した著者の知性に圧倒されて、伊藤計劃の再来か・・、と驚嘆したが、デビュー作だけあって文章が多少ひっかかるところがあったのがたまに傷。


    この作品の素晴らしさは、テクノロジーや情報化は人間からプライバシーや自由を奪うという単純な話ではないところだ。問題はその先にある。それも深刻な話だ。
    そもそも、データとアルゴリズムによって管理された都市で暮らすと人間はどうなるのか。人から意識が消えていくという。
    人類の進化と歴史は裏切り者との競争の連続だった。
    個人が食べ物を獲得し生き延びるためには利己的であると同時に他の誰かと集団を築き協力や協調行動といった利他的行動も必要だ。利他的振る舞いにより多くの獲物を狩り、多様な食料を集め、分配と贈与に与れる。これらが生存確率を高める。
    しかし集団生活において利己的にしか行動しない、つまりタダ飯にありつこうというフリーライダー(裏切り者)がいる。こうした裏切り者との競争と闘争によって人間は法や制度、文化、宗教を作り、集団の協力を大規模化させ文明を作り発展させ、やがて現在の繁栄へと至った。
    ところがこのフリーライダーがテクノロジーによって炙り出され排除できるのなら、人間はあと何をすればいい?何もしない。
    こうした状態が常態化すると人間はどうなるか。誰かと協力して何かを作ったり発明したりしなくなる。ものを考えない。考える必要がない。想像力という概念すら変化していく。いずれ意識のない静寂な世界=ユートロニカが生まれる。
    技術を駆使して人が利便性のもとで誰からも強制されたわけでなく自発的に意識を手放そうとする。AIに意識が宿る前に人間が意識を手放すというこの皮肉。

    ユヴァルの「ホモ・デウス」を読んで真っ先に思い浮かべたのがこのSF小説だった。本作はデータ至上主義が実現した社会の姿と人の営みとその先まで描いている。今後の世界を見通す上でこの作品は思考実験になるし、考える素材を提供してくれる。それに、小説として純粋におもしろい。

  • 2018年、第38回日本SF大賞に輝いた『ゲームの王国』の著者のデビュー作。大IT企業のマイン社がアメリカ政府と提携し、実験的に開始した超最先端都市「アガスティアリゾート」。住民は、視覚・聴覚・位置情報などありとあらゆる情報をリアルタイムで提供する引き換えに、誰もが羨む豊かな暮らしを手に入れる。しかし、理想的に思えた都市での生活にも闇はつきまといー。
    広告代理店の元デジタル広告担当として、無料サービスの利用と引き換えにとっことん一般市民の顧客情報(ええ〜そこまで、と思う様な情報まで)が吸い上げられ利用される様を見てきたので、この本に書かれている世界に私達は既に片足どころか半身浸かっているのでは、と思わずにはいられない。
    例えば米A社が最近試験的に導入し始めたレジなし無人スーパー。支払いの全自動化で顧客は利便性を手に入れるが、A社には、いつ・何時何分に・何を購入したかが筒抜けになる訳だ。そしてその情報が毎日の様に蓄積されていけば、彼らは顧客の生活習慣から趣味趣向まで、手に取るように分かる様になる。でも、便利な生活が手に入るのであれば、それも悪くないのでは?果たして本作の理想都市に自分も住む機会が与えられたとしたら、どうするだろう?色々夢想しながら読まずにはいられません。あなたはこちら側とあちら側、どちらを選びますか?
    全体的に少々丸く収まっている印象は否めませんが、同じテーマを掘り下げているデイヴ・エガーズ著『ザ・サークル』よりは良く出来ていて好き。あと、ディストピアアニメ『PSYCHO-PASS』と一部似ている部分があるのでそちらが好きな人は本作も手に取ってみては。

  • 向こう側じゃなくて、こちら側。

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著者プロフィール

1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年『ユートロニカのこちら側』で、「ハヤカワSFコンテスト大賞」を受賞し、デビュー。17年『ゲームの王国』で、「山本周五郎賞」「日本SF大賞」を受賞。22年『君のクイズ』で、「日本推理作家協会賞」長編および連作短編集部門を受賞。23年『地図と拳』で、「直木賞」を受賞する。

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